アリと異世界の硬貨と羞恥心と
ちょっとだけ虫描写があります。
横顔だ…………。アリは呆然とウィル様の小さくて整った横顔を見つめた。それは銀色よりは灰色っぽく、百円硬貨のような色合いだった。
王宮に案内されたアリは、きらびやかな城内をみて自分の格好を思い出した。ハンターギルドに行くつもりだったから、チュニックが半袖のこと以外はいつもの採取姿だ。
つまりはローブ、チュニック、ズボンにミドルブーツ。肩にはいつもの鞄を斜めに下げている。はっきり言えば男装中だな。
横にいるウィル様はアリとたいして変わらないが、身の内からにじみでる高貴さがそれを補っている。たとえ麻袋の中身が巨大な昆虫であろうとも。
アリは今日訪れた目的を話すこともなく、二階の応接間のような部屋に案内された。
そこは一階のきらびやかな装飾よりは落ち着いているが、こちらの方がよほど高価なのではないかと言える重厚さを兼ね備えていた。
調度品のすべてがいかにも年代物の、歴史を背負ってるぜオーラを醸し出しているのだ。
アリの手汗はすべてズボンの膝上部分に吸い込まれていった。大丈夫! 素材は麻だからすぐに乾く。アリは自分を慰めた。
まもなく近衛騎士や侍従、メイドとともに宰相様が現れた。
アリはジャンピング土下座を披露するならここだと思ったが、さらにこの部屋に入ってくる人たちがいた。
ヒラヒラのシャツに刺繍たっぷりのベストとピッタリめのズボン、そしてブーツだ。上着は謁見用だったのかいまは着ていないな。髪も瞳も母親譲りなのだろう。淡い金と忘れな草の色を持っている。
昨日は無表情で立っていたから、アリはなるべく視界に入れないようにしていた。反感を買って即処罰とか牢屋行きを避けたかったからだ。
しかし今日は機嫌の悪さが消え失せていて、キラキラさが鬱陶しいくらいだ。
「久しぶりだね、元気にしていた? レイナルド」
親しげに声をかけているがウィル様よ、それ今朝ピョップンにいったことばと同じだから!
しかし目の前のキラキラはさらにキラキラを増して、私の目を潰しにかかる。
「ウィルも元気そうだ」
微笑みあうふたりは一年ぶりの再会に、喜びを抑えきれないようだ。
王太子殿下は笑顔も見せられたんですね。
アリは人見知りの気持ちがよくわかるから、昨日の無愛想顔に納得がいって安心感を覚えた。
ふたりがソファーに座るのを周りは起立して待っている。もちろん私も宰相様の登場時から立っているぞ。そんな注目されているにも関わらず、ウィル様はおもむろに麻袋を引き寄せた。
「ちょっと待った~!」
別に告白する気はないよ。ただメイドさんがいるのに、麻袋の中身を披露するのを止めたかっただけだ。
けれどウィル様の暴挙を阻止しようと大声をだしてしまい、思いのほか視線を集めることになってしまったな。
「あの、ウィル様。その中身を女性に見せるのは――」
「おまえ! 殿下とウィルフレド様の話をさえぎるとは無礼である!」
声変わりの最中ですというような、かすれぎみの高音で私に注意したのは、王太子殿下のあとに続いて入ってきた少年だ。侍従かと思ったけど身なりはいいもんな。殿下の側近で高位貴族の子だったのか。
「おい――」
少年がさらに何か言おうとしたところを、こんどはあっさりと阻止される。
「セルジュ、こちらは青の森の管理者殿だ」
宰相様からグサリとやられてダメージを負った少年のライフは、レッドゾーンまで激減したな。
「管理者殿、愚息がとんだ無礼を致しまして誠に申し訳なく」
こちらに向きなおした宰相様はそう言った。なんと少年は宰相様のご子息様か!
「いえ、私が突然声をあげたのです。こちらこそ失礼をいたしました」
私たちのやり取りを聞いて少年は青ざめている。お父さんの前でいいところを見せたかったのかなぁ。
でも私は子どものあつかいには慣れてないんだ。誰か代わりに慰めてあげて欲しいんだけど……。
私はウィル様に助けを求めて念を送る。
「ゴメンね。僕が場所を考えないで持ってきたものを見せようとしたから」
ウィル様はそう言って麻袋から虫かごを取り出した。
なぜいまそれを出す。私はそんな念は送ってないぞ。あたりから悲鳴がわき起こったり…………? しないね?
「なんと素晴らしいこの光沢、そして堂々とした姿ですな」
「この頭角の捻れは素晴らしいですよ」
「それもあるがこの前胸背板など、鎧そのもののようではないか」
「頭角よりは短いですが、二本の胸角の太さも忘れてはいけませんね」
近衛騎士たちも一緒になってワイワイと虫かごを囲み、いろいろ称賛を浴びせているが、相手は虫だぞ。メイドさんまでちょっと尊敬の眼差しでウィル様を見ている。
青かった顔色が戻った少年は、憧れの人を見るような目で虫かごの中を見ている。
ある意味私の願いは叶ったのだが、ひとりだけ置いてきぼりを食っている。
この国の人たちは、アイラブ虫Tシャツを着そうだな。はっきり言って仲良くなれそうもない。
次々と虫かごを出しては、どよめきと歓声が沸き起こる不思議空間で、来訪した理由をいつ話したらいいのかと、タイミングをはかるアリであった。
「お待たせしました。年甲斐もなくすっかり夢中になってしまいました」
目じりにシワを寄せて恥ずかしげな宰相様が、不思議空間から帰ってきた。ほかの人は正直どうでもいいので好きにしてくれ。
「いえ、とても珍しいとのことでしたから、みなさんにご覧頂いたほうがいいと思います」
アリは思ってもいないことをスラスラと話した。ここで虫なんか見たくもないと言えるほど、アリは子どもではないのだ。
殿下とその仲間たちは放っておいて、ようやくソファーに腰を下ろすとホッとため息がでた。
アリは王宮を訪れた理由を述べ、ついでのように昨日会わずに帰った非礼を詫びた。
「宰相様、じつは昨日、個人カードを受け取らずに神殿を出てしまいまして」
「えぇ、昨日一緒にいた近衛が代わりに受け取って帰りましたので、こちらで預かっていますよ」
宰相様が頷きながら言ったことばに、アリはカチンと固まった。神殿まで一緒だったふたりの騎士様は帰りはひとりだけだった?
ウィル様と合流したあと、薬師棟から家に帰るときにひとりだったのは間違いない。
あれは私の代わりに神殿でカードを受け取っていたからなのか。急いで帰らなければいけないと話したから、代わりに受けとることにしてくれたのかもね。
ウィル様の戦力を見込んでひとり減らしたのではなかった。アリは自分の失礼な勘違いと、知らずに他者に迷惑をかけていたことを深く反省した。
「こちらがそのカードですよ」
侍従が銀色のトレイに載せてきたカードを、宰相様から受け取ったアリは、裏返したり透かしたりしながら確認をした。
カードは薄い金属のような物でできていて、手のひらより少しだけ大きい。色は鈍い銀色だ。
表面には、アリ、青の森管理者(転入者)、五の月一日、十歳と書かれている。これは鉛筆やインクで書かれたものじゃないね。
来年は十一歳と誰が書き直すのかと思ったら、魔道具みたいなもので自動的に更新されるのだと。そして本人以外は、決まった魔道具を通さないと読めないらしい。
裏返すとなにやら数字が並んでいる。宰相様に視線を戻すと、明細書だという一枚の紙を渡された。
昨日納品した薬草などを査定し、すでにカードへ入金してくれたようだ。
金額は三万七千九百六十五オーロとある。
「見習いの一年は本来の価格の五割と決められておりまして」
宰相様が申し訳なさそうにしているが、五割貰えることに驚きだ。初期に作ったものなど濁りがあったり、薬草の粉末が粗かったりしているものも混じっているのだ。
素材がいいので失敗したからと処分するのも惜しく、使ってもらえるだけでありがたい代物なのに。
これは一年間で稼いだものだから、また同じくらいの薬を作ったら、月に七千オーロは稼げるのかな。一オーロで何が買えるんだろうか。
その前にまだお金を見たことがないんだけど。
「宰相様、恥ずかしながら、私はまだこの国のお金を見たことがないのです」
できれば物価を含めて教えてくれる人を紹介してくれないかな。そんな願いを込めて言ってみた。
「それでは、わたしがお教えいたしましょう」
宰相様自ら教えてくれるようだ。お忙しいだろうにいい人だな。
本当にありがたいから賄賂ではないが、あとで青の森産の果物でも食べてもらおうかな。
この国のお金の単位はオーロといい、ほかの六つの国も同じだという。
それどころかどこの国でも同じように使えるため、換金する必要がないとのことだ。
宰相様が自分のお財布からお金を取りだして、目の前に並べて見せてくれた。すべて硬貨で紙幣はないみたいだな。
テーブルの上の硬貨は見た感じ一円玉より小さいものから、五百円玉より大きいものまである。
金種は一オーロ銅貨、三オーロ銅貨、十オーロ銅貨、五十オーロ銀貨、百オーロ金貨、そして五百オーロ金貨の六種類だ。
おもて面は花や鳥、何かの紋章や風景などいろいろだが、うら面は相当する金額を表す数字と、それを取り囲む植物の図柄で統一されている。
おもての意匠は各国で自由に作ることができて、うらは神殿が額面ごとに統一した図案を決めるのだという。
それぞれの国で鋳造もしくは鍛造された硬貨は、片面のみ意匠が彫られ、反対側は平らのままパルマ国にある大神殿へと運ばれる。
そして金属の含有量などを検品して、その審査を通った硬貨だけに統一された意匠が押され、魔術を施してからその国に返納されるとのことだ。
最高金額の硬貨が五百オーロ。そして私がこの一年で稼いだのが三万七千九百六十五オーロだ。なんか汗が流れてくるんだが。
つまりこれは五百オーロ金貨が七十五枚、百オーロ金貨が四枚と五十オーロ銀貨が一枚、十オーロ銅貨が一枚、三オーロ銅貨が一枚、一オーロ銅貨が二枚ということだ。
これって金貨の枚数がやばくないかな。
「それで管理者殿?」
「ふぁい!」
思ったよりも大金を稼いだのではと、内心ビクビクの小市民であるアリは、宰相様に呼ばれて飛び上がった。
「この白銅貨なのですが」
宰相様の中指にはペンだこができているが、それはいま関係なかったな。指差した硬貨は銀色で男の子の横顔が彫られている。……それが? アリが宰相様に視線を戻すと、彼は握りこぶしを口許にあて、一度だけ咳払いをしてから言い放った。
「三オーロの意匠は代々管理者様の肖像なのですよ」
「マジか! いえ、それは本当ですか?」
宰相様は三オーロ銅貨をよく見るように言い、ちらりと隣のテーブルのウィル様に視線を向けた。
認めたくはないが間違いなくウィル様だな。硬貨のおもて面はウィル様の横顔だった。つまり次は私の横顔ということなんだね。
呆然とするアリの目の前では、キャッキャしながら虫好きたちがお互いの推し昆虫について語っていた。
やめろ! ニョルンポニンメリョンってなんなんだ! 気になって図鑑を調べたくなるだろうが。殿下の推し昆虫なんてこっちはどうでもいいんだよ!
カメラでパチリそれで終了というわけにもいかないらしく、アリが正気に返るとすでに宮廷画家が呼ばれていた。気取ったようなおひげで頭に大きな耳がついた、狐人のおっさんだった。
ちなみにカメラに相当する魔道具はなかった。
今週のうちに下絵まで完成させないと、今年中に新しい三オーロ硬貨の発表ができないらしい。昨日のまた後ほどとは、このことを説明したかったという。
本当になんでこうなった…………。アリは極力動かないようにしながらも、楽しそうなウィル様たちを羨ましそうに眺めては、自分の境遇を嘆いた。
「管理者さま~もう少しだけあごをあげてくださ~い」
アリは指示されたとおりに上をむくと、窓の外よりももっと遠くを見つめた。
「あっ! いいですね~。そのまま動かないでくださいね~」
王太子殿下とそのお供たちや宰相様は、しばらくするとこの部屋から去っていった。
いまはコジャレた格好のおっさん画家さんと弟子っぽい子ども、メイドさんとウィル様、そして私の五人だけだ。
数枚画き上げたら解放してくれるらしいのだけれど、いまは何枚描けたんだろうな。
「はい、もういいですよ~」
画家さんから終了の声がかかると、アリはゆっくりと立ち上がり背中や腰、肩をまわしてコリをほぐした。
「お疲れさま」
ウィル様はイタズラっぽい顔をして労ってくれた。経験者だからね。こうなることは知ってたんだよね。
いまはお昼前だというから、思ったよりは早く終わったかな。チコさんが速かったから今日はまだ時間に余裕がある。
「こんな感じに描けました~」
画家さんが一枚の絵を見せてくれた。正直目を反らしたいが、これから何度も見なきゃいけないしな。
…………大丈夫だよ。ちっちゃい硬貨に彫られるんだもの、本人だなんてわからないよ。
「さすが宮廷画家ともなると、生きてるみたいに本人の特徴が表現されるよね」
アリが懸命に現実から目を反らそうとしているのに、ウィル様はあっさりとそっくりだと認めてしまった。
だよね! 私もそう思った。誤魔化そうと思ったけどムリだった。どう見ても私だもん。
アリは両方の手のひらで顔を覆うと、恥ずかしさで赤くなった顔をみんなの目から隠した。
「管理者さまはピッタリだと思いますよ~」
画家のおっさんが慰めなのか言い出したことを聞けば、ウィル様の肖像をなぜ金貨に彫らないんだと思っていたが、私を見て納得したらしい。
ウィル様は金が強めのストロベリーブロンドだからね。私に銅貨がピッタリって言うのは焦げ茶で灰色だからだな。こいつ超失礼だな! 二度と会わないからいいけどね。
三オーロ銅貨に求められているのは使いやすさと、国民の認知度の高さだ。
子どもたちは働き始めると、各国の三オーロ銅貨を集めて全種類揃えたがるらしい。
この世界では、国をまたいであちこち旅して歩くなんてハンターか商人くらいで、生まれてから亡くなるまで、自分の村から出たことがない人たちばかりだという。
だから他国の硬貨なんてなかなかお目にかかるものではない。そういうわけで旅人が集まる飲食店や宿屋、ハンターが集う飲み屋などの下働きが人気なのだという。
かわいい女の子はウエイトレスで荒稼ぎをするんだろうね。
うまく他国の硬貨でチップがもらえたら、仲間同士で交換しながら自分が欲しい国の硬貨を集める、というのが楽しいらしい。
そういうわけで、国に出回る硬貨は一オーロと三オーロが多いから、そこに管理者の顔を彫っておけば、新聞に載せたのと同じ効果が得られるという。
納得した。ウィル様の三オーロ銅貨は手に入りしだい鞄にとっておく。プリ先生にもひとつお土産にしよう。
新しい三オーロが完成したら、各地のギルドや大きな商店でウィル様銅貨は回収されちゃうらしいからね。
「あとはギルドに行って登録ですね」
硬貨ができあがるのはずっと先のことだからね。もう考えないことにしよう。
あとは鞄の中のハバリーを美味しいお肉にしてもらうのだ。
メイドさんに案内してもらい、宰相様に退城の挨拶に行く。忙しいと思ったので予定を聞くと少しなら時間がとれるという。
「失礼します」
ここのドアにも近衛騎士が立っているけれど昨日の人かはわからないな。
開けてもらったドアを通ると、そこは宰相様の執務室で、大きくて重そうな木の机に向かってペンを動かすその人がいた。
「先ほどはありがとうございました」
お金について教えてくれたお礼のことばに添えて、鞄から桃もどきを取り出す。
「これは間食のときにでもどうぞ」
アリは今朝もぎたての桃もどきを宰相様に渡そうとしたが、偉い人にそのまま渡すのはよくないかと立ち止まった。
お付きの人もいないから入り口まで戻ってメイドに渡す? そう思って振り返るとソファに座りこちらを興味深そうに見ている、若い女性と目が合った。
死角になってたから全然気がつかなかったよ。
「お久しぶりです。グリシナ様」
どうやらこの女性はウィル様の知り合いらしい。
「今日はセベリアノ様とご一緒に帰宅されるのですか?」
ウィル様は、おふたりはいつも仲が良くて羨ましいと言っているから、宰相様のご家族なんだな。
「あぁ、宰相様のご令嬢なんですね!」
一緒に住んでる若い貴族女性。つまりそういうことでしょ。さっきの少年のお姉さんだな。
「……いえ、妻です」
宰相様は言いにくそうだったが、そう訂正した。
アリは本日、すでに何度目かになるのだが、またもや羞恥心に悶えることとなった。




