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アリと異世界初の出来事とうっかりミスと

虫注意です。やや残酷と思われる描写があります。

 

 ただいま午前十時ちょうど。現在地は王宮だ。


 なんでこんなことに……。アリはふかふかの椅子に腰をかけ薫り高い紅茶を口に含むと、思っていることと一緒に飲みこんだ。


 ウィル様は王太子殿下と楽しげにご歓談中なので、私の助けにはならない。なぜあんなに楽しげなのか、私には全然理解できないね。

 どうして二日続けて王宮にいるのかと言えば、アリもハンターギルドに籍を置くといいよと、助言されたことから始まった。


 森の近くには小さな村がいくつかあるのだけれど、登録手続きは大きな街の方が簡単らしい。


 プリ先生とガウターはもちろんお留守番だ。

 ガウターが、一緒に行きたいと駄々をこねたけれど、森の外だし初めての場所には連れては行けない。

 街のようすをちゃんと確認してからだ。

 青の森から出ないのならいいけれど、そこは森から山ひとつ越えた場所なのだ。


 ステキなお土産を買って帰るから、いいこで待ってるんだぞ。


 この時点までは、私たちは城砦都市アセデラに向かっていたはずなのに…………。




「アリもこれからは本格的に管理者の仕事をするんだし、ハンターの資格を取ったほうがいいよ」


 クヌギの木からの帰り道、突然ウィル様がそんなことを言った。


「えっ! でも私は動物を殺すことはできないと思います」


 ウィル様のことばはまさに寝耳に水だったので、クリクリしたアーモンドのような目を、さらに見開いた。

 それともハンターって薬草集めだけしていてもいいのかな? 動物を殺すのは怖いんだけど。


 思い詰めたようにうつむくアリを見て、ウィルフレドは少しのあいだ考えると、プリティとガウターに目配せをした。



 私は食料を得るためやお金のために、生き物の命を奪うことができるだろうか?

 そもそも管理者は魔素が主食だから、無理に食事を摂らなくていいんだよなぁ。アリは足を動かしながらも、うだうだと考えてはため息をつく。


 じゃあ食べないのかと聞かれたら、私は絶対に食べる。昨日のハンバーグのおいしかったことといったらなかった。

 あれを忘れて一生食べないなんて無理でしょ。

 せっかくご飯がおいしいところに生まれたのに、食べないという選択肢はないな。

 どうせなら飯マズ国だったら諦めもついたのに。


 生き物を殺す罪悪感がダメなのか? だけどパック肉を買うときに、罪悪感を抱いたことは一度もなかったな。

 実際に手を下していないからというのなら、生きたカニを熱湯に入れて茹でたり、牡蠣の殻を剥いたときもあったしな。


 あのとき牡蠣が『食べないで!』と命乞いをしたら、私は食べなかっただろうか…………。うん、絶対に食べないな。

 とりあえず寝るか、近くの心療内科を検索しただろう。これは例えがよくなかったな。


 きっと鳴き声をあげる生き物限定でダメなんだろうな。同じ命っていうけど、可愛いわんこと憎い蚊は同列にはできないよなぁ。



 そんなことを考えながらフラフラと歩いていると、いつの間にかウィル様とガウターが後ろに下がっていた。プリ先生はガウターの頭の上だ。


 ふと気がつくと、右奥の木の根本に大きな茶色の塊があるのが目に入った。

 目を凝らしてよく見てみると、それは大きな猪のような生き物だった。しきりに木の根本を、下顎から突き出た牙で掘り返している。


 するとその猪もどきが顔をあげて、アリとバッチリ目が合った。合ってしまった。

 猪もどきは鼻息も荒く前肢で土をかくと、アリめがけて弾丸のように突っ込んできた。


 アリはとっさのことで悲鳴すらあげることができず、その場から一歩も動けないままだった。

 なぜか両手で頭を押さえたアリは、突進してきた猪もどきが結界に弾かれて、大木に激突するのをただ見ていた。


 ドスンと音をたてた大木は、幹をわずかにへこませてその枝を震わせた。

 アリの頭上には余韻のように、葉がひらひらと舞っている。

 猪もどきは自身のスピードと体重による衝撃に加えて、打ち所の悪さによってすでにご臨終であった。


「えぇぇ~~っ!?」


 アリは一瞬のことすぎて、ちっとも頭が回らない。


「森を歩くとこんなことが多々あるんだよね」


 ウィル様はウンウンとあごに手をあてているが、隣で同じ動きをするガウターのせいで、胡散臭さが半端ないのだが。

 プリ先生を見るとすでに視線は反らされていた。さすがは先生。面倒なことには最初から関わらないのが正解である。



 なんか思ってたのと違う。

 こう、生き物をこの手にかけるという葛藤とか、ジレンマとかを乗り越えてから経験することで、『いただきます』の本質を見いだせるというか……。


 ちなみにうだうだ言っているアリは、このことばに生き物への感謝を込めたことはあまりなかった。

 そう挨拶をするのが当たり前だったから、自分も食事の前にするのであって、そこに命を与えてくれてありがとうの意味はなかったのである。


 ウィル様から促されて、アリはその巨体に近づくとまずは浄化の魔術を使った。野生生物の身体には、ノミやダニがいっぱいだと聞いたことがあったからだ。


 そして肩から鞄を外すと猪もどき(ハバリー)に手をおいて鞄に入れた。

 鞄の口よりも大きいのに、スルリと入ったその身体は、弛緩しているがまだ温かであった。


 アリは殺すなんてかわいそうだよ、なんて言う気はまったくない。アリはお肉が大好きだし、これからだって食べたい。

 ただ、いままでスーパーで買っていたパックに入った肉と、目の前の巨体が一致しないのだ。


 でもあれだって、食肉センターや屠殺場で働く人たちによって解体されてるんだよね。

 その人たちがそれが平気だとは思わない。仕事だからと割りきっているんだろうか?

 叩いたり突き刺したりするのは絶対に無理だと思っていたが、こんなふうに事故みたいに死なせてしまうと、これをどう捉えたらいいのかがよくわからない。


 前世の記憶など持たずに成長していたのなら、きっと巨大お肉様ラッキーゲットバンザイ。

 祭りだ宴だと大喜びしていたに違いない。


 では、いまと何が違うのか。大量のお肉ゲット、これはとても嬉しい。買ったら十万円以上はするだろう。

 生き物から流される血を見ずにすんだ。これもありがたいだけだな。


 働いているとごく稀にお肉が手に入ることがある。これくらいの位置づけにしておいて、後日反動がきたらそのとき悩むことにしよう。


「でもウィル様、解体だけは絶対に無理です」


 ここだけは絶対にゆずれないぞと、キリッとした顔でアリは強く主張した。


「そのためのハンター登録だよ」


 アリが自分の心と折りあいをつけたのを見てとると、ウィル様はことも無げにそう言った。



 どうやら思い悩んでいるあいだに、森の北側に誘導されていたらしい。

 スパルタな指導にも、何か理由があるのかもしれないしな。アリは文句も言わずに、進む方向を西へと変えた。



 家に帰ってまずチコさんのところに行くと、アリとウィルフレドは揃ってペコリと頭を下げてお願いをした。

 チコさんが庭に住んでくれたらいいな。


《私は構いませんが、守護者様は宜しいのでしょうか?》


 ふたりはプリ先生を振り返ると、すがるような目をして頼み込んだ。


「アタシは困らないわよ」


 大家さんがペットを飼うことを許してくれた。子どもたちふたりは大喜びだ。

 お引っ越しの手伝いが必要かと尋ねると、このまま住むことができるそうだ。ただ、たまに元の住みかを確認しに行くかもと言われ、それは問題ないので了承した。


 どうやらドラゴンはとても寒がりで、この庭で暮らせるのはチコさんにとっても利があるらしい。

 いままでは東の山脈の一番南、山中ではなく麓の暖かいところで寝ていたと言っていた。


 ついでにプリ先生がチコさんを呼んだ方法を教えてもらった。なんのことはない、糸電話魔術の応用だった。

 ガウターに物置小屋の後ろに隠れてもらい、遠話魔術を使う。

 ガウターのたれたお耳まで、空気を震わせて声を届けてね。


「ガウター聴こえる?」


 アリはうまく想像できたので、そっとガウターに声をかけた。


《きこえるよ~。ありがいないのにおもしろいね》


 ガウターのはしゃいだ声が耳元で聞こえるのだが、遠くの方から話している声も聞こえてくるので変な感じだ。

 たぶん大きな声で話してるんだろうな。


 しゅたっと走って戻ってきたガウターに、なでなでとお礼を言ってから家の中に入った。

 気分よく朝食といきたいところだが、まだ神様問題も残ってるんだよね。


「十歳までは待てないっていう意味なんじゃないかな」


 ウィル様の推測では、その子が十歳になれば必ず神殿に行くのだから、そのとき神官長に神託を下ろせば確実に回収できるだろう。

 私に頼むのはそれまで待つことができないからではないのか。というものだった。


「アンタに一年接触してこなかったわね」


 プリ先生も時間に余裕がないのならば、青の森の守護者である自分に話がこないのはおかしいと言う。


 どちらの意見も一理あるね。一年は放置できるけど十年はダメって意味の『気長に探せ』と『余裕はねぇ』なのかな?

 今度、王都へ行ったらもう一度神殿に行って聞いてみるしかないな。



 朝ごはんもウィル様のリュックから提供して貰った。

 量は倍以上だったが、パンとスープのいつものセットだったので、摘んだばかりの果物も洗ってお皿にだした。


 いっぱい摘んで鞄に入れたのだ。腐らないとわかったとたん、鳥たちの分を残してここ数日では食べきれない量を摘んでしまった。


 アリは目の前の食料が、品よく形のいい口の中に吸い込まれていくのをみて、ついつい聞いてみた。


「ウィル様はもともとたくさん食べる方だったんですか?」


 ウィル様はどちらかというと宮廷魔術師の頃も、そして生まれ変わって管理者になってからも、寝食を忘れてしまって周りから注意されていたという。


「いまは管理者でいた頃の使い方で魔術を使うと、魔素の減りが早いんだよね」


 僕は人族だから食事で補給しているんだよ。

 そう言って音もたてずにカトラリーを動かし続けていた。


 ガウターのマズルに浄化魔術をかけて、赤紫に染まったクリーム色の毛を元に戻すと、立ち上がってみんなに白プレール茶をいれる。


 今日はあの猪もどき(ハバリー)を何とかしたあとに、採取した薬草を煎じないとな。三百年もつからと、採取ばかりで貯めっぱなしにしては良くないからね。



「じゃあアセデラに行こうか」


 食休みを終えるとウィル様はそう言って、アリに出かける準備をするようにと促した。

 アセデラは王都と比べたら暑いだろうか。アリは半袖のチュニックの上から薄手のローブを羽織った。日焼けはしたくないからね。

 チコさんに乗ったら一時間はかからない。


「ではチコさん、お願いします」


 アリとウィルフレドが背中にふんわりと腰を下ろすと、どこからともなく拗ねた声がかかった。


《ありのいじわる》


 さっそく覚えた魔術で、家の窓からガウターが声をかけてきたのだ。一緒に行けないと知ったガウターは仰向けで寝転び、ぐにゃぐにゃとタコのように身をくねらせて抗議した。

 それでも許可がもらえなかったから、お見送りしない作戦に移ったようだ。


「ガウターにもお土産を買ってくるからね」


 アリたちは苦笑とともに庭から飛び立った。


 緑の森から小さく飛び出した前方の山を迂回して、赤の山脈に向かえばアセデラの街が見えてくるはずだ。


「ウィル様はアセデラの街に何度も行ってるんですよね」


 なにか注意することがあったら教えて欲しい。異世界ルールは身をもって体験するより、先に知識を得ておきたい。


「そうだね」


 ウィル様はアセデラについて教えてくれた。

 アセデラはパトとの国境にあるけれど、国交もあるし国同士の争いは何百年と起こってはいないらしい。

 ふたつの国は、幅が二百メートルはありそうな川によって分けられていて、橋を渡るとアセデラ砦の西門にたどり着くので、密入国は不可能なのだという。


「私たちは南から入るんですか?」


 そう聞くと南門ではなく東門から入るという。目の前の山は右側へ迂回するようだ。


「お金はどれくらいかかりますか?」


 次々と質問する私に嫌な顔ひとつ見せずに、ウィル様は丁寧に教えてくれる。


「そんなことより個人カードを忘れないでね」


 しかしこの一言によって、今日の予定が一気に変わってしまったのである。


 個人カード、それは十歳の儀式後に神殿から渡される、個人の情報が載ったカードである。

 それはハンターや商人、もちろん薬師ギルドの登録にも必要で、大きな街なら支払いや貯蓄もできる優れものだ。手もとにありさえすればだか……。


「ウィル様。私、昨日もらうの忘れました」


 というか初めて知りました。そういうことで今日のものにはならないので、残念ですが森に帰りますか。ガウターには木の枝でも拾っておこうかな。

 アリが自分のダメっぷりにガッカリしていると、ウィル様がニコリと笑って言ったのだ。


「じゃあ王都へ行こうか」



 すぐさまプリ先生に連絡して、急きょ王都へ行くことになったと伝えると、気をつけてと返してくれた。問題はモジャモジャの拗ねてる子どもだ。


《くさいんだ。またくさいんだよね》


 返事がこればかりだ。今日はティナ様には会わないはずだ。薬師棟には用事はないからね。大丈夫だ、家につく前に浄化の魔術を使えば完璧だ。



「ウィル様、私の魔術でも問題ないですか?」


 試しに負担軽減の魔術を私がかけてみたので、どんな具合か聞いてみた。


「大丈夫だよ、寒くもないし安定してる」


 ウィル様が問題ないと言うのなら、次からひとりでも王都へ行けるだろうな。お墨付きをもらえてひと安心だ。


「チコさんは飛びにくくはありませんか?」


《お心遣いいただきありがとうございます。とても飛びやすいですよ》


 チコさんは優しいからダメでもそうとは言わないだろう。

 そもそもチコさんだけなら、魔術を使うときの倍の速さで飛べるんだから、人が乗ってると支障があるってことだよね?


 そう聞けば、魔術との相性なのか身体が押される感じがするので、速くは飛べないのだという


「ちょっと試しに形を変えますよ~」


 あることを思いついた私は、冷たい風が抵抗なく後ろに流れるように流線型に魔素を張ってみた。


 《驚きました。身体が滑るように前に進みますね》


 チコさんは少しずつスピードをあげて、問題が何もないとわかると、その速さを保っている。


「アリ、何をしたのか教えてくれる?」


 首だけで振り返ると、ウィル様は目を輝かせていた。

 王宮魔術師だったんだもんね。研究者だったのかな。アリは新幹線を思い出しながら、空気抵抗と流線型について知っていることを話した。

 アリのつたない説明でもウィル様はすぐに理解してくれて、帰りは自分がかけてみたいと言った。


 そして一時間で王都へとたどり着いた。新記録である。

 ウィル様は他の管理者にも教えたいと言ったが、私にはその方法がわからない。連絡はウィル様に丸投げだ。アルメンドラに遠話魔術を試すとか、私には絶対に無理だな。


 けれどタイムリミットに急かされながらの外出は、大変だし楽しめないから、他の管理者に教えてあげるのはいいと思う。ドラゴンに乗って出歩くのは管理者だけみたいだし。


 昨日とまったく同じ場所に降り立ち、ふたりで王宮方向へと歩き出す。

 チコさんには急いでくれたお礼に、青の森の果物を置いてきた。水がわりに食べて欲しい。


 大きな樽を買って川の水を入れておくといいかもしれないね。

 ハンター登録をしてハバリーを売ったらどれくらいになるだろう。そのお金で買いたいものをメモしておかないと。


 五分くらい歩くと薬用植物園に近づいてきた。いつかここもゆっくり見せてもらいたいな。そう思っていると百メートルほど先の道に馬車が止まった。

 馬車はゆっくりと方向を変えて、私たちが道にでるのを待っている。


 馬車は馬車道を走っているが、私たちは昨日のように最短距離を縦断している。なので王宮入り口までは馬車道を無視すれば、あと二百メートルくらいで着いてしまうんだけど。


「ウィル様のときも毎回馬車で迎えがきたんですか?」


 この距離を馬車に乗るのはものすごく申し訳ないのですが……。


「チコも天気によって降り立つ場所を変えるからね」


 今日みたいに荷物があるときは助かるんだよ。そういうウィル様は麻袋をふたつ下げている。


 馬車の迎えは断ってもいいらしいが、ここまできてくれたのにそんなことは言えないな。次からは降りたところで待つことにしよう。


 アリはそう心に決めると、昨日の侍従さんの手を借りて馬車へと乗り込んだ。


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