ガウターの重さとアリの血流についての解決法
虫の名前を見るのもイヤなかたはご注意下さい。
細かい描写はありません。
「ガウター君」
《やだ》
これだよ。ガウターはいまや私の膝かけ状態だ。
自分のお腹を圧迫していると思うんだけど、ちっともどく気はないらしい。
「いいよアリ、僕がいれるから」
お客様にお茶をいれてもらうことになってしまった。
立ち上がれないから仕方ないんだけど。
「今度はガウターが甘えッこなの?」
《…………》
プスーっと鼻息でお返事か。どうやら答えたくないようだ。ご機嫌がなおるまでグリグリとなでまわしておこうか。
ガウターのカーリーへアはなんで絡まないのかな。十本の指を使って揉むように動かす。頭皮マッサージのやり方ならきっと体毛にもいいだろう。
いまは夕方の六時四十五分。少し前に日は沈んだけれど、まだ十分に明るい。でも相談したいことがあるから帰るときには暗くなってしまう。
そこで今日、ウィル様とチコさんは庭に泊まってもらうことになった。先輩を野宿させるのは心苦しいのだが、ベッドはひとつしかない。
私はガウターとマットで寝てもいいんだけど、さすがにお断りされてしまった。
ウィル様は、背負っていたリュックに旅道具をいろいろと入れているそうで、今日はチコさんの隣にテントをはると言っていた。
久しぶりにチコさんと話したいことでもあるんだろうか。
プリ先生が許可をだしたから、額に罪の証は付かないだろう。本当に神様だったなら、神殿に行ったときに言い訳しておこう。
ちなみにウィル様の時計は直径四センチくらいの、金古美色の懐中時計で、文字盤に緑色の石が嵌まっていた。
ハンターケースに彫られている鳥は、可愛らしさ皆無の凛々しい姿だけれど、優しそうなまなざしからしてプリ先生なのかもしれない。
ウィル様が祖父みたいだったって言ってたからね。
不思議なことに私には、文字盤に描かれている文字がローマ数字に見えるんだけど、これは言語魔術の効果なんだろうか?
私も頑張って稼いだらプリ先生とガウターの姿を彫ってもらおう。でもガウターは姿が変わっちゃうからなぁ。いまの可愛さをとるか、それともフェンリルの格好よさをとるか。悩んじゃうよね。
ウィル様がいれてくれたお茶のカップがみんなの前にそろった。そろそろ言わないわけにはいかないだろう。
「プリ先生、じつは神殿で神様に絡まれまして」
真っ黒いプリ先生もまた違った感じだなぁ。
マットな黒さじゃなくてツヤツヤな黒真珠のような黒さだから、光によって緑やピンクにもみえる。かっこよさはないな。
どちらかというと、ブラック・ロビンみたいな可愛らしさだ。相変わらずほっぺはオレンジだしな。
お腹のあたりはまだ灰色のところが残っているから、私の魔素がうまく循環を始めたら、そこも黒くなるんだろうな。
「アンタはまた――」
プリ先生が機能停止したのは一瞬だけだった。フルフルと震えだすと、すぐにお怒りモードに切り替わる。
「違うよ! 今回は無実です」
今回は私は悪くないと思う。
私はふたりに神殿で起こったことを説明した。
「だからね、薬を届けに王都に行くたびに、ついでに魔石探しをすることになったんだよ」
目の前で湯気をたてているカップに口をつける。やっぱりプリ先生のお茶の方がおいしい。
ウィル様のいれ方もいいのだろうな。
「アリは魔石探しのために王都へ行く気はないの?」
ウィル様が不思議そうにこちらを見てるけど、そんなことしていいんだっけ?
「王都に行くのは月一回ですよね?」
そう言われたと思うんだけど。
「とくに決まってないわよ」
「えっ?」
そうだったかな。プリ先生は私になんて言ったんだっけ?
「とくに期限をいわれてはいないんだね?」
ウィル様も眉間にシワを寄せるんだな。アリはぼんやりとお茶を飲みながらもったいないと思った。
「余裕はないっていってたけど」
ただしくは『ねぇな』だったけどね。神様があんなに口が悪いなんてプリ先生は言ってなかったのに。
「でも気長に探せやとも言われたんだよね」
これはどういうことなんだろうね。
「なんでこの世界にそんな子が」
プリ先生はカップにダイブしそうなくらい、ガックリしている。
落ちこんでるところに申し訳ないけれど、用紙が入れ替わらなかったら、いまここにいるのはその子だったと思うよ。
「それで、魔石を見つけるためのヒントなんだけど」
アリはあのときなにを書いたのか、思い出せることを口にした。
記憶は引き継がないことを選んだし、種族も人間の続行を希望した。ハエや蚊に転生したあげく、記憶を持っていたら頭がおかしくなってしまうと思ったからだ。
性別も変えなかったし、見た目は細かく指定がなかったから普通に丸をつけた。特記にムダ毛処理のいらない身体と書いた覚えがある。
喘息の発作が起きない身体、虫に怯えなくてもいい環境。戦争の影響がない安全な国に住んで、病気になったときに医者にかかれる環境と、支払い能力のある家庭。
あげてみたら自分で思ってたよりも要望が多かったな。あの女性も怒られたのかもしれない。
「ということは人族の女の子なんだね」
ウィル様が確実なところを確認する。
「獣族の体毛はムダ毛にはいるのかな?」
嗅覚だけに獣相がでたらセーフじゃないの?
「アンタそもそも種族変更を望んでないじゃない」
テーブルの上をとてとてと歩くのは可愛いんだけど、突っつく勢いでこられると笑ってしまうからやめて欲しい。
「君たちは息ピッタリだね」
ウィル様にくすくすと笑われてしまった。
わかります。餅つきみたいだよね。
プリ先生が杵で餅をつく係りで、私が餅。ひたすらつかれてこねくりまわされるのが役目なんだよね。
アリがウンウンとうなづくのを、ウィルフレドは優しいまなざしで見ているが、ふたりの想いは微妙に食い違っていた。
「あと、転生した日が一緒なんだって」
誕生日が一緒だから十歳か。……違った私は九歳スタートだったんだ。
「その子は今日一歳を迎えた女の赤ちゃんだね」
この世界に戸籍は存在するんだろうか? あるなら役所で聞いてある程度絞れるかも!
「そういえばいま思い出したけど、宰相様がまた後でって言たのに帰ってきちゃいました」
戸籍を思い出したら、政治、王宮、疲れたサラリーマンのような宰相様と、連想ゲームのように思い出してしまった。
きちんとした約束ではなかったけど、かなり失礼な行動だ。次回は土下座からスタートか。
インパクトがあった方が誠意が伝わりやすいかもしれない。寝る前にジャンピング土下座の練習をしよう。
次回はスカートの下に厚手のものを履くことにしよう。
「納品した薬の報酬のことじゃないかしら」
プリ先生がくちばしに羽を持っていくと、光に反射して隠された緑色がキラリと輝く。
「そういえば薬は買い取ってもらえるんだったね」
まぁ、いまのところお金を使う予定はないから……。まてよ今日の朝ごはんでスープセットが終わりだったな。
それに時計代の貯金も始めないといけないんだった。
いつもなら夕ごはんの時間だ。話しを中断してもいいだろうか。オムレツくらいしかできないけど、何か口に入れたい気分だ。
それともマルマゴをそのまま茹でようかな。ただのゆで卵でもいいや。
「お話しの途中でごめんなさい。夕ごはんの支度をしてもいいですか」
こちらから相談しておいてなにを言ってるんだろうね。
《やだ》
おいおい、まだイヤなのか~。おとなしくしてるからもう満足したんだと思ったよ。
それにガウターに聞いたつもりはなかったんだが。
「じゃあ、僕が作ってあげるね」
椅子から立ち上がったウィル様が、ニコニコしながらそう言ってくれたけど、お茶に続いて夕飯までもお願いすることになるとは。
本当に申し訳ないな。でもウィル様のスープはおいしかったから、楽しみだな。
そう思った次の瞬間には、悲しみの底なし沼にずっぽりとはまってしまった。
「ウィル様、悲しいことに食材がありません」
いま貯蔵庫にはマルマッシュとマルマゴが十数個と、調味料の青のマルマしかない。
アリは絶望を顔に張りつかせてうなだれた。
自分で作るときはゆで卵に塩でいいかと思ったのに、お料理上手からごちそうになれるチャンスなのに、食材がないだなんて。
「大丈夫だよ。僕は食材も持っているから」
ウィル様はそう言うと、リュックの中からマイエプロンをとりだした。
さすが乙女男子だ。私はこの家にエプロンがあるのかさえも気がつかなかったよ。私には女子成分がないのか? これもオプションだったのだろうか。
「あるものは勝手に使ってもいいかな?」
手早くエプロンを装着すると、ふわふわヘアをアップバングさせてヘアピンで留めた。
その手をすすぐときれいにアイロンがけされた、薄いブルーのハンカチで拭いている。
ヘアピンとは。アリは圧倒的な力の差を見せつけられ、こうべをたれてガウターの背中に顔をつけた。獣臭くはないな。
「手伝いもしないでごめんなさい。使えるものはなんでもどうぞ」
アリが言えたのはそれだけだった。
ウィル様が料理中なので、こちらはお話し合いだ。
「ガウたんはなにがイヤなのかな? 私に教えてくれないかな」
《…………》
ピスーっていう鼻の音はなかなかおもしろいね。
《ありが……》
ガウターは顔もあげずに話し出す。
やっと理由を話す気になったのか。私の足はすでに感覚がないのだがね。
《ありが、くさい》
ガウターはようやくこっちを見た。
「はぁ~?」
これは喧嘩を売っているのかな? たしかに今日はけっこう歩いたし、小走りもしたけれどね。
「なんで臭い人にくっつくの?」
自分で言ったけど泣きたいワードだよね。
乙女男子に悪臭女子だなんて。
「上書きしようとしてるんでしょ」
プリ先生があきれたようにこちらを見て言うと、ガウターの身体はピクリと震えた。
「そういえば、このベッタリの前にやたらと匂いを嗅がれたね」
あれだ、愛犬の浮気チェック。外出先でわんこをなでて帰ると、執拗に匂いを嗅いでくるんだよね。手は洗ったのにすごい嗅覚だと思ったものだ。
「よそで匂いをつけて帰ったからでしょうね」
「でも生き物をなでたりしなかったよ」
ガウターはなんの匂いがイヤなんだろうな。
「ガウターとりあえず着替えるから膝から降りてくれるかな?」
私の足の血流は止まってないだろうか。
「ちょっとしびれてきちゃったよ」
ここまで言うと、ガウターはしぶしぶ膝から降りて隣にお座りをした。
ガウターがどいたことで一気に血が流れていくのがわかる。このあとビリビリするのだ。
アリは行儀か悪いのを承知で靴を脱いで、足裏を押してなんとかやり過ごそうとしたが、ゾワゾワとピリピリがやって来てしまった。
どうするんだったっけ? 階段を後ろ向きに歩くんだったかな? 階段は外だ。
アリは解消法を思い出した。しかし立ち上がることができない。
あとは…………たしか体育座りだ。アリは椅子の上で膝を抱え込んだ。
「なんだか哀愁ただよう姿ね」
プリ先生はそう言うが、効き目は抜群だ。
アリの足は血流を取り戻し息を吹き返した。
「さてと、それじゃあ着替えるかな」
そう言って立ち上がるとガウターがついてくる。匂いが落ちるかチェックする気だろうか。
アリはクローゼットからゆったりしたチュニックをとりだしたが、夕方に着替えるのもなんだなと思い、いつものネグリジェドレスをとりだした。
「お風呂前に着たくないな」
なにを着たらいいんだろう。ガウターはそんなアリから目を離さない。たぶん離してない。
「ガウター、私はどこが臭いの?」
悩んだアリはガウターに聞くのが一番早いと判断した。
《ありのまえのほう》
ガウターは鼻をひくひくさせて、プシュッとひとつくしゃみをした。
前の方か。チコさんの匂いではないな。ウィル様は後ろだろうし……思い当たることがあったね。
「女の人の匂いもイヤなの?」
ティナ様から過度な接触をされたからね。
《がうたん、しらないもん》
プイッと顔をそらすと脚をフミフミしている。
なんだろう、なにか葛藤でもあるのかな?
それとも私に見えないなにかを踏みつけているんだろうか?
「ガウター、この上に着ているワンピースを脱げばいいんじゃないの?」
それならチュニックを着れば、下にはハーフパンツをはいてるし洗濯物が一枚増えるだけだ。
ガウターはアリに言われてこちらを向くと、しばらく考えてから鼻を下げた。
ずいぶん時間をかけた返事だね。アリがワンピースに手をかけるとすかさず餅つき係りが声をあげた。
「アリ、浴室で着替えなさい」
パーティションがあるからいいと思ったのだが、先生的には許しがたいらしい。
アリは浴室でワンピースを脱ぐと、腕だけでも洗っておこうと石鹸を泡立ててよく洗い流した。ついでにおでこと頬っぺたも洗う。
うがいと手洗いはしたけれど、顔までは洗っていない。きっとガウターの機嫌もなおるだろう。
アリはチュニックをかぶるとしゃがみこんで、ガウターにチェックしてもらう。
「ガウター、私はこれからいろんな人と会うと思うよ。でも大事に思っているのはガウターとプリ先生だからね」
ちゃんと覚えていて。
ガウターはアリをじっとみつめると、たれたしっぽをユルユルと動かして、こくりと頭を縦に振った。
「食事ができたよ~」
キッチンからウィル様が声をかけてきた。ちょうどあちらも出来あがったらしい。
アリは足取り軽やかに浴室をでていき、ガウターもそれに続いた。




