十歳の儀式
「こんにちは~」
アリは勧められるままに、ためらいもなく部屋の奥へと進んだ。このあとその身になにが起こるのかを疑いもせずに……。
はい、元気いっぱいアリですよ。あと数分の命かもしれないけどね。
「ティナさん、いい加減離してやってくださいよ」
二十歳くらいの男性が私を助けようとしてくれている。
「えぇ~嫌よ」
しかしそれは叶わないようだ。提案は即座に却下された。
「うむ」
薬師長様は真っ白なあごひげをなでながら、こちらをみてニコニコしている。
サンタクロースは頼りにならないな。
「アバロス様も、うむじゃないですよ」
そうだ! もっと言ってやれ!
「新しい管理者様が窒息しかけてますよ!」
「グフッ」
アリは意識が遠のいてきた。
「まずいですって、白目むいてますよ」
若い男性が女性の腕をアリの代わりにタップする。
「あらっ?」
剛力の女性がようやくアリの状態に気がついてくれた。
助かった……のか? ようやく解放された私の背骨は大丈夫だろうか。砕けていないだろうか。
まさか出会い頭でベアハッグをキメられるとは思わなかった。
まわりが小鳥とワンコだったからね。対人戦にはめっぽう弱いよね。
なんせ人族を見たのは一度だけ。ハンターの男性でたぶんエルフだと思った人だ。しかも会話はゼロだったんだよね。
あとは獣族、翼族、ドラゴン以上。
私の人族遭遇率が地を這っているな。
「ごめんなさいね。あんまり可愛かったから。ムチュッ」
アリはハグからのデコチュウを食らった。
さらにダメージが加わってアリは瀕死である。
正気に返ったアリは女性から距離をとった。バレないようにすりあしで。
アリはパーソナルスペースが広いのだ。ハグなんてとんでもない。
見知らぬ人が一メートル以内に入ってくるのを我慢できるのは、電車内とエレベーター内だけである。
「あの、持ってきた薬はどこにおいたらいいですか」
アリはさっさと薬をおいて逃げだそうとした。
「まぁ、それじゃあお茶でも飲みながら、ゆっくり見せてもらおうかしらね」
しかしまわりこまれてしまった。女性はニコニコしながらアリを見おろすと、頑張ってとった距離をたった一歩で帳消しにした。
アリが勧められるままにソファーに腰かけると、どこからともなくメイドさんがやってきてお茶の準備を始めた。
全員に紅茶のカップが行き渡ると、アバロス様が口を開いた。
「わしは先ほどいったとおり、アバロスじゃ。薬師長でもよいがお祖父さまでもよいぞ」
ニコニコしながら見つめる瞳は、懐かしい黒に近い焦げ茶色だった。
でも呼び方はアバロス様一択だな。
「あたしはヴァレンティナよ。ティナと呼んで」
ぱちんとウインクつきでそう言うのは、先ほど私を締め落とそうとした女性だ。
背中まであるワインレッドの髪は緩やかにカーブをつくり、地味な草色のローブによって鮮やかさを増している。
ローブをはだけるように羽織って、胸元が深く切りとられその下から切り替えられているドレスのデザインもあってか、白い肌がモロ見えだ。
職場の風紀は乱れないのだろうか?
三十代くらいにみえるがもっと上なのかもしれないな。そうアリが考えた瞬間、赤紫色の瞳と真っ赤な口紅をはいたつややかな唇が弧をえがく。
これは敵に回したらいけないな。アリはコクコクと赤ベコのように頷いた。
「ぼくはバルトロ。みんなからはバルって呼ばれてるよ」
二十歳前後とみられる中肉中背の男性は、春の日差しのような明るい金茶の髪をピョンピョンと跳ねさせている。
うっすらと日焼けした肌にはソバカスが散っていた。人の良さそうなはしばみ色の目はクルクルと動いて、彼の心の動きがよく現れていた。
バルさん、あなたとは仲良くなれそうな気がする。嘘がつけないタイプとみたぞ。
「とりあえずひと瓶ずつ見せてもらえるかしら」
ティナ様が合図をすると、メイドさんがバスケットトローリーをテーブルのそばに寄せた。
アリは鞄から薬瓶をだすと種類別にその中へ入れた。
オババに続いて二度目の本職チェックか。緊張するなぁ。傷薬や軟膏なんかはオババもみてないからね。
「うむ」
アバロス様は瓶を手にとりひげをなでる。
「魔術なしでこれだけ作ったの?」
バルさんは大瓶から小瓶までいろいろとテーブルにだしながら、手にとった瓶の中身を透かし見ている。
「あら、最初の頃よりだいぶ良くなったのね」
ティナ様はラベルを確認しながら、初期に作ったものから最近のものまでを並べている。
面接よりも緊張するな。手順を守って作ったけれど、どう評価されるのかがまったくわからない。
「なかなかによいものを作ったのう」
アバロス様がそう言うと、私はほっと息を吐きだした。無意識に息を詰めていたようだ。
こっそり手汗を拭きつつお茶をいただく。少し冷めてしまったけれど、とてもいい香りだ。
でもプリ先生の白プレール茶には負けるな。
「この丸薬も、とても丁寧に作られているわね」
アリは嬉しさに顔をあげて微笑んだ。
苦労して作ったものを誉められるのはすごく嬉しい。
「ほう!」
「あら!」
「へ~!」
三人がおもしろそうにこちらをみているので、アリは振り返ってみた。メイドさんと目があったので、ペコリと頭を下げてから前を向いた。
「ありがとう。あとは隣の部屋に納めてもらえるかしら」
メイドさんがテーブル上に並べてある薬瓶を集めて、バスケットトローリーに乗せたのをみまもると、私も立ち上がってあとをついていく。
どうやらバルさんも一緒のようだ。
「この棚に並べてね」
バルさんが壁に設置された棚をぽんっと叩きながらそう言った。
この部屋は大きな棚が壁に貼りつけるように設置してあるだけで、なにも置いてはいなかった。家の貯蔵庫みたいだけど薬の在庫はないんだろうか。
「バルさん、ここにはなにもないんですね」
「ここは仮に置いておく場所だよ。査定が終わったら地下の倉庫に移しているんだよ」
納得したアリはメイドさんが置いた隣に同じ薬瓶を揃えて並べだした。
乾燥させた薬草をいれた木箱はそのままだして、持ってきたものはこれで終了だ。一年分だからこの部屋いっぱいになったね。
バルさんはちょっと驚いた顔をしたあとに、隣の小部屋にアリを誘導して、空瓶や木箱を指差した。
「次回はこれに入れてくるんだよ」
全部持っていく必要はないけれど、足りなくならないように、多めに持っていったほうがいいよ。
そういうので貯蔵庫にある在庫を思い出しながら、必要なだけ鞄に入れていった。
今日の目的の半分がやっと終わった。しかし部屋に戻るとふたりからおやつに誘われてしまった。
「そろそろ神殿に行かないといけないと思うのですが」
アリはここを去るための上手い言い訳を考えた。
「あら? でもそうね。ドラゴンに乗ってきて疲れてるでしょうから、今日は早めに帰してあげるわ」
ティナ様はしかたがないわねといったように、片方の眉をくいっとあげると、バルさんにむかって指示をだした。
「バル、アリちゃんを神殿まで連れていってあげなさい」
「ではまたのぅ」
おひげをなでながら別れの挨拶をするアバロス様にペコリと礼をしてから、ティナ様に向きを変える。
「じゃあねアリちゃん、んちゅっ」
やられた! 油断してた。私のパーソナルスペースがガンガン削られていく。
「では失礼しました」
私はそそくさと薬師棟から逃げだした。
廊下にでると近衛騎士のふたりがドアの横で警備していて、私たちが移動しようとすると動きだした。どうやら神殿にもついてきてくれるようだ。
アリが見あげると、ふたりの表情は微妙だった。
「アリちゃん、おでことほっぺに」
バルさんが指差したところには心当たりがある。
アリはハンカチ用の布をポケットからだすと、ごしごしとこすってキスマークを消した。
「バルさん、ティナ様は人族ですか?」
私の勘ではあの怪力っぷりなら、獣族の熊人だけどね。
「うん、ティナさんは人族だね」
けれど長命種だから一番歳上なのだと教えてくれた。
やっぱり見た目より上だよね。だけどそれに触れたら私の寿命が縮まるのはまず間違いないな。
あのお色気てんこ盛りの妖艶な美魔女が、エルフだったとは思わなかったよ。
「王宮には人族しかいないんですか?」
いまのところ人族らしき人しか見ていないな。
「そんなことはないけど、内勤は人族が多いかもね」
外勤の力仕事とか、スピード重視となると獣族や翼族にはかなわない。適材適所なのだ。
来たときとは別のルートを進みだしたので、バルさんに聞いてみたところ、薬師棟から神殿に行くには薬用植物園を抜けると早く着けるらしい。
「ここの管理はぼくの父がしてるんだよ」
バルさんのお父さんは植物園の管理者さんか。お父さんに憧れて薬師になったのかな。
他愛もない話に花を咲かせながら、植物園をななめに突き抜け十分ほど歩くと、真っ白な建物にたどり着いた。どうやらここは裏側らしい。
庭らしき小道を進むと正面に出た。
なるほど教会のような荘厳な雰囲気をもった四角い建物だ。けれど純白で清らかなところもあって、神々しさであふれている。
まごうことなく神殿だな。
入り口を通ると神官が近づき近衛騎士に問いかけてきた。
中はホールになっていて、祭壇の手前にはベンチ型の木の椅子が並べられている。
「管理者様でしたか」
こちらを見下ろす神官に、アリは観察をやめて神官に礼をした。
しまった、また話を聞いてなかったよ。
「今日はよろしくお願いします」
「アリちゃん、ほくらは入り口で待ってるからね」
バルさんと近衛騎士さんとはここでいったんお別れだ。
アリはまわりにいる親子連れに、ヒソヒソとささやかれながら、祭壇の前の席に案内されてしまった。
一番後ろのすみっこでよかったのに。アリはしかたなくそこに腰をおろし、こっそりとまわりのようすをうかがった。
子どもは百人くらいかな。思ったよりも少ないけど、この儀式は月に何回あるんだろうか。
貴族も平民も分け隔てなく一緒に儀式を受けるんだな。
どうやら椅子に座るのは子どもたちだけで、大人は部屋の後ろに立っているようだ。
「なぁ、魔術が使えるようになったらなにをする?」
「俺はすごうでのハンターになるんだ」
「いっしょにコバジョンをたおしに行こうぜ」
「オレの火の玉でもやしつくしてやるぜ」
「宮廷魔術師になってセレーナ様と働きたいわ」
「あのこ管理者様なんですって」
「さえないわね」
「ウィルフレド様はステキだったものね」
「あんなこよりもウィル様が良かったわ」
おぉう、十歳と言えども子ども扱いはできないね。ちょっと胃が痛くなってきたよ。
そして男女の差よ。教室の後ろでプロレス技をかけ合っている男子を、冷めた目で見ている女子の姿がよみがえったね。
「リーン、リーン」
しばらくして鐘の音が聞こえると、ざわめきはかき消えてあたりに静寂が拡がった。
壇上にひとりの男性が現れると、明かりが一段落とされたように薄暗くなる。
「目を閉じて祈りなさい、神はあなたがたに力を与えるでしょう。ですがけっして傲ってはなりませんよ……」
アリはすでに睡魔に襲われ瀕死である。あと数分で落ちること間違いなし。薄暗くされた上に目を閉じているから、眠気がさらに増していく。
『おい!』
こんなに静まり返った場所で、アリは突然耳元で話しかけられた。




