ベタベタしてもいいですか?
最近アリはベタベタしている。
脂ぎっているのではない。ただひたすら甘えたいモード全開なのだ。
「ガウたん、そろそろ畑に行こうか」
ガウターの首に両腕をまわして、真横から抱きつきながらアリは日課に誘う。
《いいよ~》
ガウターがよいせっと立ちあがると、アリの両腕はそのままに身体はガウターの背中へ乗りあげた。アリは完全に、ガウターにまたがっている。
顔をあげず頬をガウターに擦りつけるようにして隙間なく張りつく姿は、子猿が母猿の背中へしがみつく姿に酷似している。
「アリはまた張りついてんのね」
プリ先生はここ数日見かける光景に、すっかり慣れてしまっている。
「先生、水やりに行ってきま~す」
アリは、にへにへと笑いながらプリ先生に声をかけて裏口から外に出ようとした。
《あり、あけてよ》
ガウターがドアの開閉の指示をだすと、アリは腕を伸ばしてそれに応えた。
裏口から出て物置小屋の前までくると、アリは自分の両足を大地につけた。
「ガウターありがとう。大好きだよ」
嬉しそうにガウターへお礼と好意を告げているが、普段のアリならここまでは言わない。
《えへへ》
ガウターは満更でもないようすで、脚どりが軽い。まるでスキップでもしているかのようだ。
アリは今日もバケツと柄杓を持って川に行く。ピョップンたちにも、ようやくアリ本人であることを信じてもらえたのだ。
アリリオの村から帰った翌日、いつものようにピョップンに水やりしていると、七株が土から出てきて輪になるとホゲホゲ言い始めた。
こんなことは初めてだ。なにが起こるんだろう。そう思っていたアリの目の前に一列に並ぶと、揃って首をかしげだした。
《おまえ、だれだって》
ガウターがピョップンの言いたいことを伝えてきた。ピョップンはその通りだとでも言うように、ウンウンと頷いている。
「えっ? アリだけど……」
戸惑い気味に名のると、ピョップンたちはいっせいに腕を交差させてバツを作る。
「なんで!?」
アリはことばが通じるようになったために、ピョップンたちからは別人と判定されてしまった。
アリが水やりをしているあいだ中、ピョップンたちは遠巻きにしながらお互いを突っつきあって、自分たちに水やりの番がくると畑のすみに逃げて行った。
しかたないので、アリはピョップンたちが埋まっていた穴に水を注いでおいた。
まさか訛っているイコール、アリとピョップンたちが認識しているなどとは、プリ先生でもわからなかっただろう。
まあ、それは数日後に機嫌が悪くなったピョップンに、串本節を聞かせたところで解決したのだが。
「それじゃあ走るか」
水やりが終わったから今度は庭を走る。
《あり、おそいよー》
ガウターがしっぽを振りつつアリの前を走っていく。
「アハハハハ。ガウター待って~」
その後をアリが笑顔で追いかける。
季節は冬だがこの森には関係がない。朝日に反射した木々の葉がキラキラと輝き、心地よい風がその葉を揺らしている。
その光景は素晴らしく爽やかであった。ふたりの姿は、あたかも波打ち際でじゃれあう恋人たちのようだ。
微笑ましさが足りていればだが。
いまはどちらかと言えば、どら猫を追いかけるサ○エさんの方がより近かった。
全力疾走しているふたりのスピード的に言っても。
「プリ先生ただいま~」
《しゅごしゃさま、ただいま~》
家に帰ればまたにへにへと笑い、ガウターの脚をていねいに拭いてやる。
おいおい、マットを使って自分で拭かせていただろうが。
初めは困ったようすのガウターも、プリ先生からきっとすぐに落ち着くからと言われ、アリの好きなようにさせている。
ガウターの方がよっぽど大人である。
「朝ごはんにしようか」
アリは追加のお茶と目玉焼きをテーブルにのせると、ふたりに声をかけて着席した。
「プリ先生、少し熱いからフーフーしてあげるね」
アリはプリ先生のカップをつまむと、息を吹きかけて冷ましてあげた。
お茶の温度はいつも通りだ。
「ガウター、あ~ん」
次にアリは、スープの具材をガウターの口の中に入れた。
《あり、このおいもおいしいね》
モグモグしながらアリの隣にお座りしているガウターが言った。
ガウターはアリにつきあって食事をとり、その感想を述べているのだが、いまは魔素が不足していないので特に必要のない行為だった。
「そっかぁ、ガウターはおいもさんが好きなんだね」
ウフフと笑うと照れながらスプーンを両手で挟み、回転させている。
それは火をおこす時の動作だな。
「私もガウターが好きだよ。もちろんプリ先生も大好きだよ!」
アリは嬉しそうにそう言った。
だが、ガウターが言ったのは『美味しい』で、けっして『好き』ではなかった。もしそうだとしても、対象はお芋でアリではない。
「大丈夫かしら」
片方の羽をオレンジ色のほっぺたに当てて、悩むようにプリ先生がアリを見ている。
プリ先生は心配そうだが、それすらもいまのアリには喜びに感じた。
いつも素っ気ないプリ先生が私を心配してくれるなんて……。
アリの箍は外れたうえに壊れている。
その箍は、孫悟空の緊箍児のようなものでもあったがために、壊れてしまっては手がつけられない状態だった。
「先生、ガウター今日は西と南、どっちにする?」
アリがふたりをデートに誘った。
「アタシはやめとくわ」
アリはプリ先生にフラれた。ガウターを悲しそうに見ると、こちらはコクリと頷いた。
《うみにいこうよ!》
フスンと鼻息荒くガウターが提案する。
ガウターは西に行きたいようだ。
西側の海は磯浜だ。なにかいいものが見つかるかもしれない。
採取のための支度を終えると勢い勇んで玄関に向かい、プリ先生に行ってくると元気に手を振った。
「今日はバケツも持っていこう」
物置小屋によってバケツのほかに必要なものを考える。
水中メガネはないな。銛もないな。タモもない。軍手もないな。
「う~ん」
ないものが多すぎるな。
水中メガネのかわりにできそうなものがない。これは諦めよう。
銛。これは私の支える君二号の先をナイフで削って作ればいいか。一号は調子にのって振り回していたら、物置小屋にぶつかって折れてしまったのだ。
支える君とは、アリがウォーキングポールがわりに拾った枯れ枝のことである。
タモはどうしようもないな。編めるわけでもないし。軍手は麻袋でいいか。
結局増えたのはバケツのみであった。
「よし、準備はこれでいいや」
アリはガウターを従えて、西の小道を抜け森に入った。
《きょうははんたーがいるかなぁ》
ガウターは鼻をひくつかせた。楽しそうだから会うのが嫌なわけではないらしい。
「ことばがわかるようになったから、会いたいな~」
そう言ったものの、あれから昨日まで一度も会わないのだ。今日だって会わないだろう。
アリは高をくくって歩きだした。
川には行かずこのまま西にまっすぐ進もう。
ユコラ苔はまだ伸びないし、また川でアリリオ二号を見つけるかもしれないからなぁ。
鼻唄が出そうになるのを堪えて、あちこち見ながらお宝を探す。おいしい木の実も嬉しいけど、薬草が見つかればもっと嬉しい。
木漏れ日が地面にいろいろな影を作っていて、それを眺めているだけでも楽しいとアリはくすくす笑った。
アリは支える君二号を振りながら機嫌よく歩いていく。ガウターはあちらこちらで匂いを嗅いでは、前肢で土を掘り返したり、木の枝にいる小鳥やリスなどの小動物を見上げたりしながらアリの後ろをついてきた。
採取しながら歩いていると、二時間弱で海へ出た。ゴツゴツした岩のあいだには潮だまりがいくつもできていた。今日はいい獲物がいるだろうか?
「ガウター、危険な生き物がいるかもしれないから知らないものは触っちゃダメだからね」
アリは深いところもあるからね、岩で脚の裏を切らないように気をつけて、などと保育士のように注意した。
《は~い》
ガウターは返事をすると、ビョコビョコ跳ねながら潮だまりを確認していく。
アリも大きめの潮だまりをそっとのぞと、小指ほどの小さな魚が数匹泳いでいる。色は黄色と青だ。
「熱帯魚なのかなぁ」
食べられるのだろうか? でも食べられるほど身がないな。アリはターゲットを変えた。潮だまりを移動しては生き物を観察する。
小さなカニやエビなどは食べるところはほとんどないが、見ているぶんには楽しめる。このあたりの生き物は地球と変わらないようだ。
人面蟹とか、触手がわんさか出ている貝とかがいなくてよかった。
そんなことを考えていたから、突然の高波に特攻をかけられてびしょ濡れにされても、一瞬なにが起こったのかわからなかった。
「うわー怖いなぁ」
さらわれなくてよかったよ。アリは慌てて森の方に逃げた。
《あり~だいじょうぶ?》
ガウターが心配してかけよってきた。
「海に背中を向けるのはダメだったね」
ライフジャケットもないんだし。
頭のてっぺんからつま先までまんべんなく塩水をかけられて、アリはベタベタだ。
「しょうがないから今日は帰るか」
それでも一時間くらいは遊べたからね。
アリとガウターは仲良く来た道を帰って行った。
「なにがあって、こんなことになったのよ」
家に着くと、ただいまの挨拶にプリ先生の驚きの声が被さった。
「いや、ちょっと油断してて」
アリは口ごもりながら、高波に濡らされたことを説明した。
「ホントに気をつけなさいよ。早くお風呂を使いなさい」
プリ先生にそう言われ、アリは浴室にかけ込んだ。
ほかほかの湯気をたてて風呂からあがると、プリ先生が風で髪の毛を乾かしてくれた。
「アリ、濡れたまま出てきたらダメじゃない」
そう言いつつも甲斐甲斐しく世話をやかれ、アリは恥ずかしいけど嬉しいと思った。
《ありはちきーたみたいだね》
コロンと自分の寝床に転がったガウターが、ふたりをみてそう言った。
別にガウターはアリをバカにしたとか、からかったわけではない。
アリリオやルフィノに世話をやかれているチキータといまのアリが似ているなと思ったからそう言っただけである。
だがアリはそのことばに、ここ最近の自分の言動を思いだした。
アリは自分の子ども返りを自覚したとたん、ギシギシと油の切れたロボットのようにベッドまで行き、羞恥に身もだえその上を転げまわった。
「なんだこれ! 無性に恥ずかしい。記憶喪失になりたい」
ゆでダコよりも赤くなったアリは涙目でそう訴えた。
残念ながらこの時のアリの記憶は、いつまでも頭に残り続けたのである。




