虎人はいかにしてアリの庭にたどり着いたのか
『オレは川に流されて、みんなとはぐれてしまったんだ』
アリリオの身体からは力が抜けおちガックリとうなだれている。口元の白いヒゲも心なしか萎れているようにみえる。見た目よりもずっと幼い仕草だ。
ガウターはそんなアリリオのそばに近寄り、鼻をスンスンと動かしている。何がしたいんだろうか。プリ先生をみたら首を傾げているから、先生にもわからないんだろうな。
それにしても下着姿で毛布にくるまってうなだれている、そんな虎さんは正直みたくなかったと、アリは心底がっかりした。
「つかぬことを聞くけど、アリリオは何歳なの?」
アリリオは十七歳だった。思ったよりもずっと若かったな。まぁガウターだって十歳だし。
仲間と合わせて五人でこの森に入り、山沿いを歩いて湖まできたものの肝心の薬は見つからなかった。そこでリーダーである男性と話し合った結果、目的をこの家を探しあて薬をわけてもらうことに変更したのだという。
「こんな広い森のなかを、よく探そうと考えたものだよ」
切羽詰まると冷静な判断ができなくなるのがわかるね。西に向かってって行き先がぼんやり過ぎないか。
タクシーだって困っちゃうよね。『運転手さん、とりあえず西に』なんて言われたら。でも『前の車を追ってくれ』とか言われてみたい気もするけど。
「アリ、帰ってきなさい」
冷たい風に首筋をなでられた。発生元はプリ先生だったので、背筋が反射でピンと伸びた。
ガウターも隣で背筋を伸ばしてお座りしなおした。
大丈夫、プリ先生はお前に怒ったんじゃないからね。通訳させてるのに話を聞いていない私に怒っているんだよ。
『ダイラの具合がよくなかったからルフィノは一度戻ろうって言ったんだ。けどロペが手ぶらじゃ帰れないって……』
ダイラは犬人の女性でルフィノは猫人の男性。ルフィノはアリリオの従兄弟だという。
ロペは狼人でリーダーの男性だ。もうひとり虎人のニコラオと、五人が森に入ってとのことだ。
虎と猫が従兄弟なのは普通なんだろうか。
アリは家系図があったら見せてほしいと思った。
「東は二日前に雨が降ったわね」
プリ先生よ、そんなことがなぜわかるのかな。守護者パワーなのかね?
アリはプリ先生の顔をまじまじと見下ろしたが、あっさりとスルーされている。
「その仲間も心配だね。薬草を見つけて村に帰ってるといいんだけど」
雨に濡れたなら具合が悪かった人には辛かっただろう。悪化していなければいいんだけど。
「まさかクアドラ伯領からきたとはね。森をまっすぐ突っきっても百二十キロ以上はあるわ」
プリ先生が目を閉じながら考え込むと、ここからの距離を割りだした。
クアドラ伯領は、ここの北にあるアドルノ辺境伯領の東隣にある領地だ。
「湖を過ぎてから川に流されたってことは?」
村を出たのが三日前。それから森に入って南下し湖に出た。
「ここまでで五十キロは移動したわね」
獣族の機動力は凄いね。川を下って西に進んで雨が降ったのが二日前。その日も同じくらい歩いたとすると、ここについたのが今朝だから……四十キロくらいは流されてんじゃん! よくこれだけの怪我ですんだな。
『オレ、身体強化ができるから』
他は生活にかかわるちょっとした魔術しか使えないと残念そうに言う。
いや私に比べたら充分すぎでしょうに。
『それにずっと流されてたんじゃない! ここまでは川に沿って歩いてきたんだ』
アリリオはちょっと胸を反らせ気味だが、ちっとも威張れることじゃないよ。
それにしても動物的な感だろうか。この庭に流れてきてるのは川の本流じゃなくて分流だから、川沿いに歩くともっと北側に出てしまうんだけど。
「溺れたから倒れてたんじゃなかったのか」
なんともいえない気持ちになり口をつぐんでいると、空気も読まずにテーブルに朝食がセットされた。
『ぎゅるり、ぎゅるるる~』
どこからともなく低くて鈍い音が響いた。それは地の底から這い上がってくるような怨嗟の声にも似た、なんとも恨みのこもった音であった。
アリがそっとアリリオをみると、下を向いてお腹を押さえた虎人が、プルプルと震えながら羞恥に耐えていた。
ガウターは『僕なんにも聞いていませんよ』という顔をして、欠伸をする真似すらしている。なんて芸達者なんだろうか。
「とりあえず食事にするか」
戦をするわけじゃないけど、食欲があるときはキチンと食べないと。
『みんなが苦しんでるときに飯なんて。ソフィアも熱で苦しんでた……』
眉間の皺が凄いことになっているけどどうしたの。先生、通訳プリーズ。
「お腹が減ってたら力がでないし、気も弱くなるよ」
アリリオのお腹が膨れていても減っていても、状況がいますぐ変わるわけじゃない。なにせ百二十キロ以上も離れたところの話だ。いまから歩いたって数日かかる。準備だっていろいろあるし。
ろくに食事をとってないなら、いきなり食べたらお腹が驚くだろう。でも若い獣族だからなぁ。
アリはマルマッシュとマルマゴを貯蔵庫から持ってくると、ポテトオムレツを作った。
中のポテトをカレー粉で味つけしたり、せめてケチャップをかけたりできたら良かったんだけど。
みんなでテーブルを囲んで遅い朝食にする。
食事を目の前に空気が緩んだので、ちょっと不思議に思ったことを聞いてみた。
「これから寒くなるのに四色の森に移り住むような人たちはいないのかな」
暖かいし身さえ守れれば食べ物もあるし。
そう思ったんだけど、私のことばにアリリオは大きく目を見開いて驚いている。
『そんなことしたら顔に大きく罪の証がつくんだぞ』
『そんなのつけられたら消えても、もう一生家から出られねぇよ』
アリリオは苦虫を噛み潰したような顔をしていい捨てた。
「その証は消えるんだね」
消えたとしてもとは言わなかったな。
『ひと月は消えねぇよ』
「ふ~ん。誰がつけるんだろうね」
『神様に決まってんだろ』
お前正気かって顔で見ないで欲しいんだけど。
「そうかなぁ? だってふんわり休んでるんだよ。案外と……」
アリはちらりとプリ先生を見やる。
「なによ!」
視線をすばやく察知した先生が冷気をぶつけてきた。
「イエ、ナンデモアリマセン」
余計なことをしてしまった。ガウターなんて先生と私のあいだをウロウロしている。
いいんだよガウター。長いものには巻かれるのが生き残るための秘訣だよ。
それにしてもそれは友人宅で家飲みしたら翌朝まで寝過ごして、急いで始発に飛び乗ったら、おでこに肉って書かれていたことに気がついた私よりも恥ずかしいことなのかね。
友人にはあとで、感涙にむせび泣くほどの祝福を願っておくことにしよう。




