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落としものは誰のもの

 

「うがー」


 うっかり女の子らしくない声が出てしまった。だけどやっぱりしっくりこないんだよなぁ。もう半年が過ぎたのに、いまだに違和感が拭えないんだよね。

 これで本当にいいのかな、ちっとも爽快感がないんだけど。


 アリは鏡の前で大きく口を開けて、みがき残しがないかチェックした。


「見た感じ汚れは落ちてるんだけどなぁ」


 細長い柄にふさふさの毛がついた生活必需品を目の前で揺らし、グネグネに曲がる錯視を楽しんだ。ラバーペンシル・イリュージョンは歯ブラシでもできるんだね。


 それにしてもこの歯ブラシ、ものすごく毛が柔らかいのだ。歯茎のマッサージができている気がまったくしない。

 アリは歯ブラシは『ふつう』か『かため』が好きなので、柔らかいブラシではみがいたときのスッキリ感が足りないのだ。


 そこいらの木の枝でもかじっていろというのか。無性にあたりめが食べたくなってきたよ。


「それに加えてこの歯みがき粉」


 アリは怒りをこめて粉が入った小瓶を握りしめた。

 ペーストではなく少し粗めの粉だ。それがなんだか微妙に苦味があって舌に残る。ミントの爽快感はどこかに出かけたのか? 迷子なのか? 青の森で遭難したのかもしれない。


「いや、そういえば庭に生えてたな」


 あれをどうにかして歯みがき粉の風味づけができないかな。うまくペースト状になるかも。いやそうすると日持ちしなくなるか……。

 アリはたまに飲むノギル茶がミント味だったことを思い出し、なんとか自分の好みにならないか頭を捻らせた。


 探し物は思いのほか近くで見つかった。森で遭難していなくてなによりである。


「この世界の歯みがき粉ってこれが普通なのかな」


 朝の歯みがきは特に爽やかミント味がいいんだけど。獣族の鼻が利く人向けじゃないかな、コレは。


 この世界に歯医者さんはいるんだろうか。私の歯ってたぶんまだ乳歯だと思うんだけど。

 虫歯治療の恐ろしさまで想像したところで、突然裏口がガチャリと開けられた音がして、バタンとドアが壁にぶつかった。そしてガウターがドスドスと駆け込んできた。


「ガウター、脚、脚を拭いてないよ」


 裏口にだってマットは敷いてあるんだから、ちゃんと使ってね。口を布でぬぐって洗面所のドアを閉めたアリは、優しくガウターに言い聞かせた。


 厳しく叱るばかりではダメだったはずだ。アリは少しだけ屈んでガウターに向き合った。


「がうがう、アウ、わうわう」(ありーなんかいる、しゅごしゃさま、たいへんだよ)


 だが向き合ったからといって、すぐに心が通じるとは限らないことを知ってしまった。


「朝からなにをそんなに騒いでるの」


 自分だって歯みがき粉のことで騒いでいたくせに、バタバタしているガウターを呆れた顔でみていると、キッチンからプリ先生が音もなく、すぅーっと飛んできて左肩に落ち着き、ガウターのことばを伝えてくれた。


「わからないけど大変だって言ってるわね」


「うぉん!」(かわにおちてるの!)


 しきりに外を見やりながら脚を踏み鳴らしてあたふたしている姿といったら、まるでトイレに行くのを我慢している子どものようではないか。


「川になにかが落ちてるみたいね。どうしたのかしら」


 プリ先生もいつもと様子が違うガウターに驚きを隠せないでいる。


「んー、しかたないから見に行ってみるか」


 川なんだから桃太郎入りの桃じゃないかな。

 アリは気乗りしないままにテキトーなことを口にして、ガウターのあとをノロノロと追いかけた。



 裏口から家を出て畑を通ると川の手前になにかが丸まっている。よく見ると人が倒れているようだ。


「プリ先生」「アリ」


 顔を見合わせお互いに呼びかけると、すぐさま川岸に駆けつけしゃがみこんだ。


「これは獣族だよね」


 アリは一瞬、感染症などを考えて触れるのをためらった。しかし倒れ込んでいるものが、その身体をかすかに震わせているのを目にとめると、思わずその手をのばした。


「そうね」


 先生はうつ伏せに倒れている獣族の頭に止まると、顔を覗き込むように身体を傾けた。


「まだ若いのかな」


 出血は無いし背中側に怪我は見当たらない。頭部もそっと毛を掻き分けて確認した。


「そう見えるわね」


 そう頷くと私の肩に戻ってきた。

 この世界の人はまだ見慣れないから年齢がわかりにくい。小柄だし身体が柔らかいからあたりをつけてみたけどプリ先生もそう思うのか。


「虎に見えるんだけど」


 肩を押して身体を横向きにすると、その顔が明らかになった。まぁ虎以外のなにものでもないよね。完全な獣頭を持っているんだから。


「アタシもそう見えるわ」「ぐゎう」(とらだね)


 同時にふたつの頭が上下に振られた。ふたりとも同じ意見だね。

 黄色い毛皮に黒の縞模様が首の下にまで続いている。手の甲には毛皮がないけれど腕にはうっすらと縞模様が見えた。身体はどうなっているんだろうか。


「生きてはいるみたいだね」


 肩を叩いて意識の有無を確認したけど、かすかな反応だけで目を覚ます気配はなかった。

 上着は濡れていないけど、ブーツはびしょびしょだな。

 上着をまくって身体も確認していく。冷えきってる感じではないけれど早く暖めた方がいいかな。


「怪我をしてるわね。擦り傷だけど」


 プリ先生もガウターも一緒になって服の中を覗きこんだ。

 ズボンは膝下が濡れているけれど身体を冷やすほどではないのかな。でも風があたればさすがに寒いね。


「折れてるところとか頭を打ってないかの確認はしたけど……とりあえず暖めるか。見つけたガウターが家まで運んでくれるかな」


「ぐるぅ、わう」(うぅ、がんばる)


 ガウターには倒れている獣族の頭側に、垂直になるように寝そべってもらう。あとは反対側からガウターの背中に乗るように、頑張って引きずりあげるだけだ。

 ウンウンと唸りながら四苦八苦している私を、ふたりは気の毒そうに見ているが、こればかりはどうしようもないからね。


 それにガウターよ、そんなにショボくれることはないんだぞ。落としものを見つけた人は拾得物の二割が貰えるんだからね。



 アリよ、そのためにはまず警察に届け出る必要があるぞ。ここは施設内ではないから一週間以内に届ければ貰える権利はある。

 だが残念なことに、この世界にそのようなルールはなかった。


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