そのものの名は
しかたなく玄関のドアを開けて、お座りしているパララッカを招き入れたアリは、そそくさと部屋の隅へと移動した。
パララッカは室内に入るとまたお座りをして、プリ先生に向かって高い声で鳴いた。
「くぅ~、きゃん」(こんばんは、しゅごしゃさま)
「アンタ、あの鐘にぶら下がって壊れたらどうするの」
プリ先生の声は冷静だが、その目はかなり怒っている。
「きゃん、きゅ~、くぅ」(ごめんなさい、なんだかむねがぽかぽかするおとだったの)
すまなそうに頭を下げたパララッカは、子犬のように鼻を鳴らしている。
「そう、でもあれは大切に扱いなさい」
「きゅん! くぅ~ん」(はい! もうしないよ)
パララッカはその場に伏せて、詫びるように顔を下げた。
「えっ! プリ先生はモジャモジャの言ってることがわかるの?」
ふたりのあいだに会話が成り立っていることに驚いて、アリは思わず一歩前に出た。
「えぇ」
頷いて答えたプリ先生は、テーブルの上からパララッカを見下ろした。
「ふーん」
アリは自分だけのけ者にされたような気がして、不満そうな声を出した。
とりあえず、くしゃみが出る前にマスクをしないといけないな。抜け毛が気管に入ったら発作が起きちゃうし。
アリはタンスの中から大判のハンカチを取り出すと、鼻と口を被うように巻いて頭の後ろで結んだ。
そのハンカチにはいろんなポーズをとった埴輪のような生き物が、いくつも描かれていた。
何故それを選んだのだ、アリよ。
「アンタは何がしたいの」
アリが謎の行動をとることに慣れてきたプリ先生だが、さすがに異様な姿だったので聞いてみた。
「先生、私、埃とか塵とか動物の毛とかがダメなんです」
アリは神妙な顔をして答えた。
「ダメって?」
プリ先生は不思議そうに首をかしげた。
「モジャモジャの毛を吸い込んで、発作が出たら嫌なので」
アリはパララッカに視線を合わせると、ちょっと強めに主張した。
「ガウッ」(このこ、きらい)
アリはパララッカに嫌われた。姿が変化する九十年後に号泣しなければいいのだが。
「アンタねぇ、アタシが近づいても咳なんて出てないじゃない」
プリ先生はパララッカを可哀想に思い、我知らず重大発言をしてしまった。
「何ですとー!!」
アリは疲れた体に鞭を打ち大げさなくらいに反応した。
「ニョグみたいね」
ニョグっていうのは海に住んでて、まぁタコだよね。私が拗ねて口を突きだしてるからね。
「先生があのモジャモジャを甘やかすから」
アリは、知っていたら撫で回したかったとか、頭のあたりを掻いてあげたかったとか、ふわふわのお腹に顔をつけて匂いを嗅ぎたかったという欲望を誤魔化すように口に出した。
「ガウッ」(だって、ぼくまだこどもだもん)
「まったく、こんな夜遅くに人の家に来るなんてぇ。常識無いんですかぁ。なにしに来たんですかぁ。いつ帰るんですかぁ」
アリは嫌味で畳みかけた。口調がまた小憎たらしい。
「パララッカはここに住むわよ」
「はぁ!?」
「群れから出てきたんですって」
アリが拗ねているあいだにパララッカから聞いたことを伝えた。
「なんだよ、また家出かよ」
アリはパララッカをにらみつけたが、肝心のパララッカはプリ先生のお腹に鼻をつけていて、こちらをまったく見ていなかった。
「くぅ~ん」(ここまでくるのにつかれちゃったよ)
「甘えた声なんか出しちゃって」
羨ましくなんてないし。ふわふわのお腹なんて私だって触ったことが無いのに。なんでモジャモジャが先に触るの!
ハンカチを噛んで悔しがっている幻覚が見えそうである。
「ガウッ」(さっきからいやなことばっかりいう)
「態度が全然違うんだよ」
嫉妬心丸出しである。
「ガウッ」(やさしくない)
「まぁ、世話がかかるわけじゃないんだし」
プリ先生が執り成した。
「きゅう~ん?」(ぼくここにいてもいいの?)
「この態度! だいたい家出ってなんなんですか。魔生物だから親とかいないんですよね」
「パララッカは一定の数まで減少すると一気に増えるのよ」
身体が育つまでの百年間は兄弟のように群れで暮らすわね。
「きゅん!」(そうだよ)
パララッカはグッと胸を張った。
「へぇーえ」
アリは下から上へなめるようにパララッカを見た。
「ガウッ!!」 (なんだよ!!)
「どうでもいいけど、私の陣地に入って来ないでよね」
アリは指で空中に線を引いた。大人げない。
「ガウッ」(いじわるだっ)
「まったく生意気なモジャモジャだよ」
なにをいっているのだ。アリは一歳しか違わないつもりでいるが、この世界に生じてまだ一週間だ。相手は十歳上の先輩である。
「それにしてもゴミだらけだね。この家の浄化魔術は昼過ぎに一度だよ。明日まで小屋にいたらいいんじゃないの?」
アリは外を指差し、しっしっと手を振った。
「ガウッ、ガウッ」(ぶーす、ぶーす)
アリだけがわかっていないが、底辺の争いが起きている。
「いつまでもモジャモジャなんて呼んでないで、そろそろ名前を付けたら?」
プリ先生はあきれ果てたようにアリを見ていたが、いつまでも名前がないままではお互いに不便だと思い、しかたなく提案した。
「きゅ~ん」(いやだよ、ぼくのこときらってるもの)
「えっ、なんで私が付けるの。プリ先生になついてるんだし先生が付けたらいいよ」
「アタシには名付けはできないわ」
プリ先生の言葉に含むものを感じたアリは、
はぁ~っと大げさにため息をついた。
「ガウ太「アリ!!」で」
先生は突然大きな声をだしてアリのことばをさえぎった。
「アリ、忘れてると思ったから言うけど、パララッカは百年経ったら姿がかわるからね」
なるほど! すっかり忘れていたけれど、このモジャモジャはフェンリルみたいにかっこ良くなるんだったね。
アリは『分かってます』という顔をしてプリ先生にウインクし、サムズアップして言った。
「名前は、ガウターで」
「ガウッ!!」(かわってないよ!!)
「なんで? イヤなの? カッコいいじゃん、ドイツっぽいよ」
驚いたように飛び上がり抗議するように吠えたパララッカに、アリはなにが不満なのかと不思議そうにしている。
アリのドイツのイメージがよくわからない。
アリは汚いままでは駄目だとガウターを浴室に連れていき、脚を洗わせ毛に絡んだ葉やゴミを取り除いた。
そして帰ってから放りっぱなしだった荷物を片づけるため、地下の貯蔵庫に降りて厚手のマットを見つけてきた。
それから冷めたスープとパンを手早く温めると、プリ先生と自分にお茶をいれた。
子どもはちゃんと食べないとなどと言って、ガウターにパンとスープを与えると、自分は朝のパンとお茶でお腹を満たし、今日は疲れたと言いさっさとベッドに入ってしまった。
アリが寝息を立ててからしばらくして、ムクリとガウターは起き上がり、鳥かごの上からアリの寝顔を見ているプリ先生に話しかけた。
「きゅーん、くぅ~ん」(ねぇ、しゅごしゃさま)
「どうしたの」
「くぅん、く~ん、きゃん」(このこ、じぶんのごはんをぼくにくれたね)
魔生物は必ずしも口から食事をとる必要は無いが、幼いガウターはここに来るまでに消耗していたため、アリの食事でだいぶ回復することができた。
先ほどプリ先生のお腹に鼻をつけていたのは、甘えていたのではなく魔素をわけて貰っていたのだ。
「きゅん、くぅん、く~ん」(それに、はっぱをとるとき、ぼくのけをひっぱらなかったんだよ)
「アリは本当はアンタを可愛がりたいのよ」
「ぐぅ、きゃん、くぅん」(でも、いじわるばっかりいうんだよ、このこがかんりしゃさまになるなんてやだな)
「犬を飼っていたっていうから、何かあったのかもね……」
「さぁ、もう眠りなさい」
プリ先生にうながされ、ガウターはアリが敷いたマットの上に寝転んだ。