トラブルに引き寄せられているのか、それとも私が発信源なのか
門番に挨拶をしてその姿が見えなくなったところで、白く可憐な小花をつけた街路樹に背中を預け、寄りかかるようにして立ち止まった。
「魔素が守ってくれるから、虫を気にしなくて済むのはありがたいね」
六の月いっぱいまで、たちの悪い毛虫が発生して子どもがよく被害にあうと書物で見たけれど、どうやらこの木の周りにはいないみたいだ。
白くフサフサした毛には毒があって肌に触れると猛烈なかゆみを引き起こすため、掻き壊したりとびひになったりとなかなかに厄介な虫なのだ。加えて見た目がとても可愛らしく、子どもが好奇心から手を出しやすいのが問題でもある。
それは体長三センチほどのらっきょうに似たフォルムなのだが、頭部前面に三つの黒い斑点を持っていて、白い毛も相まってまるっきりアザラシの赤ちゃんに見えるのだ。こういうのもハニートラップに入るんだろうか。
「辞書の挿絵も破壊力抜群な可愛さだったな」
あれは反則だよ。葉っぱの上に乗ったミニマムなアザラシの赤ちゃんが、ヨイショと頭を持ち上げてこちらを見上げているのだ。
この国の人たちはほぼ全員が幼少期に被害にあっていてそれを教訓にするのだ。可愛いからといってみだりに未知の生き物に手を出してはいけないと。
ちなみに成虫はモンシロチョウみたいなぱっとしない姿だった。
「だから真っ白な花びらが落ちてたらちょっと驚くよね。この花もかわいいけど、こんなへんてこな葉っぱは森でも見たことなかったな~。進化の過程が地球とは違うんだろうねぇ」
色は新緑の明るいグリーンだが、楕円形の葉っぱにはぐるぐると黄色い渦巻き模様が入っていて、ペロペロキャンディの木にしか見えなくなった。ちっちゃい虫が付いていないか注意深く観察してからその変わった葉に触れてみると、少しの固さと厚み、油を引いたかのようなツヤツヤとした光沢があった。椿の葉がこんな感じだった気がする。
藤にもニセアカシアにも見える房状の花にはほとんど香りがないから、街路樹には嗅覚が鋭い獣族に優しい品種が選ばれているのかもしれない。加えて付近では鳥のさえずりが聞こえないし姿も見えない。領主館の裏庭ではけっこうな数の小鳥の姿を見かけたにも関わらずである。
もしかするとこの木には鳥避けの効果があるのではないだろうか。虫の姿が見えないからエサがないとか?
どちらにせよフンが落とされた形跡もないので、街の美化活動も捗ることだろう。
馬車道と歩道のあいだはこの並木で隔てられていて、そこだけは肥沃な土がむき出しになっている。それが五、六メートルの間隔で小さな木陰を作りながら、貴族街の端まで続いているのだ。
さすがは領主が住まう領都の貴族街のメインストリートなだけあって、広々とした大通りは青海波に似た模様を描く石畳によって美しく整えられている。明るいグレーの石材が中心ではあるが、一部クリームが混ざったような色合いが点在していることで無機質感が薄れて温かみが感じられた。
このあたりの街並みに華やかでありながらも落ち着いた品のよさを感じるのは、原色がほとんど使われておらず、焦げ茶と白を基調とした建物で統一されているからだろうか。
これが商店街に近づくと赤みの強い黄色や橙色の建物が増え、にぎやかで明るい雰囲気になるのだからおもしろい。
「電柱や標識がないだけでこんなに解放感があるんだね。ここなら電線に邪魔されないで写真が撮れるのになぁ」
前世で暮らしていたところは山野と田んぼが広がる海に面した小さな田舎町だったが、山間部にも海岸線にも徐々に風力発電の風車が増えていった。ふらふらと車中泊をしながら旅をしていたときにも、いろんな土地で並び立つその姿を視界にいれた覚えがある。
それがこの国では、いままで立ち寄ったどの街や村にも案内板や道路標識がなかった。もちろん電柱も電線も見たことがない。ここで高い建物と言えば街を囲む石壁と見張りのための塔くらいで、騎士達が駐屯するための施設のほかには一部の貴族の屋敷しか三階建て以上の建物がなかった。この街路樹だって樹高は四メートル前後だろう。
これがこの国だけの景色なのかほかの国でも同じなのかは、いまのところ知るすべはない。森の奥深くで暮らしていると得られない感覚とともに僅かばかりの郷愁を抱いたことに、アリはため息をつきたくなった。
「だから前世の記憶なんていらなかったのに」
異世界の謎植物を感心しながら眺め、幹から背中を離して石畳の模様をブーツのつま先でなぞってみる。同じサイズに揃っているが色味はバラバラだから天然の石だと思ったが、本当に素材はただの石だろうか、アダマンタイトみたいにファンタジーなものかもしれないよね。
表面はザラザラしているので雨が降っても滑ることはなさそうだが、水はけが良いのかまでは一見しただけでは判断不能だ。
異世界の道路事情に興味があるのかと言われると正直まったくないのだが、普段は|人の気配がしない森の中にいるので、しばらくのあいだ人工物に目が引き寄せられてしまった。
「あんまり気にしてなかったけど、こっちも太陽は東から西に進むんだよなぁ」
レアンドラさんたちを送ってきたときに、『疾風迅雷』のみんなが教えてくれたから間違いはない。ついでに金属の蓋がついた方位磁石に似た魔道具を見せてもらったのだ。
仕組みはほとんど同じだと思うのだが、当然『N』や『S』などのアルファベットはなく、北をあらわす上部に水晶のような透明で少し青みがかった石が埋め込まれていた。そしてクルクルと回る針の片方には白い色が塗られていて、向いたほうが北なのは私が知っているものと変わりなかった。
顔をあげると枝葉の隙間から見える太陽は、南中を過ぎたけれどいまだに頭上高くに鎮座している。太陽が真南にあるときに正午近くになるのはここでも同じだったっけ? そういうこともしっかり質問しておけば良かったな。
いまは木影に入り込んでいるから、それなりに強くなってきた日差しから逃れることができている。しかし直射日光にあたることのない森で暮らしている私には、これからの季節はとても気が滅入るのだ。
森から出て以来なんとなく感じていたのだが、日本人らしい茶黒から薄灰色の瞳に変わったせいで日の光がやたらと眩しくて仕方がない。その代わりに夜目が効くようになったのは、わずかな星明かりさえも輝いて見える真っ暗闇の下、連日のようにふらふらと出歩いている私にはとてもありがたかった。
肌もほとんど日に当たらないため、青い血管が透けて見えるほど白さを保っている。これではすぐに赤くなって、火傷になるであろうことは容易く想像できる。
「日焼け止めのレシピって中巻に載ってたっけ? 王都でもサングラスをかけた人は見あたらなかったよね。……時計もいい加減買わないと」
貴族街の中心地である領主館の前なんて馬車で移動する人がほとんどだから、サングラスどころか眼鏡をかけた人すら見かけないのは仕方がないことなのか。
それでも街一番の大商会の不祥事に、報告なのか連絡なのか相談なのか、領主館へと向かう馬車や騎士が乗る馬がチラホラとアリの目の前を通りすぎていった。
おもむろに鞄の中からヘチマ水のビンを取り出し、ちょっとだけ冷やしてから手のひらにとると、熱をもった顔やうなじ、腕などにペチペチと浸透させていく。せっかく集めたのだからどんどん使っていこう。
「このビンは化粧水を数滴だけ取り出すには向いていないねぇ」
勝手にお国の資材を使っておいて図々しい発言だけど、ビンの口に取り付けるポリエチレンの中栓がないから、傾けただけドバドバと出てしまうのだ。今後のためにもビンの製造元と相談して、ピッタリな入れ物を作ってもらいたいね。もしかしたら貴族向けにオシャレな化粧水用のビンが売られているかもしれないな。
やけどの薬はレシピが数種類あったけれど、日焼け止めは作り方がわからない。日傘を差しているのは貴族っぽい人しか見たことがないが、町や村では麦わら帽子や手拭い、スカーフのような色鮮やかな布などで直射日光を避けていたから、日焼け止めが存在するのかもあやしいところだ。
紫外線カットのパーカーかラッシュガードは、この世界で売っているのだろうか? せっかく街に来たというのに買い物する時間も満足に取れないなんて……「キミ!」ひょえっ!!
「住まいはこのあたりなのかな? ご両親か友だちは一緒ではないのかい?」
そんなことを考えながらぼんやりしていたからか、巡回中の騎士に突然声をかけられた。すっかり油断していたから、騎士の容姿も相まって変な声が出てしまった。
目の前に立つふたりの若い騎士は夏が近づいているというのに、制服を着くずすことなくきっちりと襟までとめている。一人が魔馬を引いているのは追跡や連絡を迅速に行うためで、ここが貴族街の中心だからだろう。
きっちり革の手袋と軽防具まで着けているその姿に、二人の生真面目さが見てとれた瞬間、面倒な相手に捕まったとアリは少しだけうんざりした気分になった。
経験上、こういうタイプは融通がきかないんだよな。
「お仕事お疲れ様です。もう、ここからは離れますのでお気になさ「キミはひとりなのかな?」……」
面倒だとは思ったが努めて友好的に援助は要らないと言ったのに、苔色の短髪の方が被せて確認してきやがりましたね。話しは最後まで聞きましょうねって習わなかったのかよ! 人として大事なことだぞ。この人はマリモって呼ぼう。最初に声をかけてきた方は某野球チームのマスコットキャラクターに激似のホワイトライオンだった。
「これから神殿に行くので助けは不要です」
つっけんどんに返してやったぜ。私はイケメンには絆されないのである。ただしイケメンは除くというスタンスで生きているのだ。
「ここは貴族の屋敷が多いのだよ。街の子がひとりでこのような場所を歩くとは思えないが……本当に迷子ではないのかな?」
ニッコリ笑って断ったら、あちらも笑いながら返してきた。なんかしつこいな。貴族の子女が一人で行動するわけがないから、街の子だと思っている? それにしては不審に思ってそうだし……。まさか、これは犯罪者と思われているのか? 子どもに泥棒に入る屋敷の下見をさせているとでも思っているのかも。
管理者ですと言ったところでカードの確認は街門でするのだから、ここからだと西門が近いのか? これから向かう方角とは真逆になってしまう。
「親とはぐれたなら一緒に探してあげるよ?」
この国の特徴なのか、それともこの世界の常識なのかは知らないが、子どもがひとりでブラつくのをまともな大人は許さないようだ。それが真面目な騎士ともなれば、頭の固さは金剛石並みである。つまり私、迷子センターのようなやり取りをこれからせねばならないのか? 私の保護者は青の森から出られないと言うのにだ。
そうこうしていると魔馬がマリモを押し退けて、アリの頭に鼻面を押しつけ深くため息をついた。鼻息でアリの髪の毛はしっとりしてぺちゃんこになり、魔馬は温泉に入ったおっさんのごとく寛いでいる。
「あの、ちょっとどいて………うわっ!」
頬ずりはやめてくれよ! 図体がデカイし力が強いんだよ。もしかしなくてもこの子、私の魔素で回復しようとしてないか? 止めようとする騎士もなんのそのですり寄る巨体を必死に押し返す。なんでこんな目に合わなきゃいけないんだと、アリは心の中で号泣した。
「それではお時間をとらせて申し訳なかったが、あまり人気の無いところには立ち入らないようお願いしますよ、管理者殿」
「ふぇ〜い」
結局のところ領主館へと出戻って、門番さんから身元の保証をしてもらった。めちゃくちゃ恥ずかしかったので、返事が不貞腐れていても仕方がないと思われる。
魔馬の態度から管理者であることを白状させられ、青の森産のリンゴを与えて魔馬を落ち着かせた。その後一応詰め所までというところを、近くの領主館での確認に留めてもらったのだ。
騎士に連行されて戻ってきた私を見て、門番さんは目を丸くしていたんだよね。
職務質問には苦い思い出があったから、過剰反応してしまったんだろうか。
昔、友人とその子どもと私でデパートに行ったときに、友人がトイレに行ってくるとその場を離れた。小さな息子を私に預けて行くのはいつものことだから、私もその子も不思議に思わなかったのだが、警備員らしき男性から声をかけられたのた。
『ママと一緒に来たのかな?』そう聞かれて『ママじゃないよ』と私を見てその子は返してしまった。その後に『ゆうちゃんときたの』と続くはずだった言葉は、警備員の厳しい言葉と眼差しによって遮られてしまった。
私は友人がトイレから帰ってくるまで、誘拐犯の疑いをもたれたまま質問に応えていたのである。
この話は後々まで友人の持ちネタにされ、同窓会でも披露された哀しい思い出なのだ。
「はぁ~、これ以上の寄り道はしていられないな。薬はこれから調合しなきゃいけないから神殿へ急ごう」
思わず深いため息が出てしまった。時間があれば領都のお店をゆっくりと見て歩きたいのだけれど、なかなかそう上手くはいかないよね。買いたいものはいろいろあるのに、用事をすませて帰る頃には日が暮れているだろう。そうなると森の入り口に着くのは、またもや真夜中過ぎになってしまう。
アリはぶつくさと呟きながらも頭上に魔素で日よけをつくり、人であふれる中心部を避けるように通りすぎて、目的地である神殿にたどり着いたのだった。
「こんにちは~。アリですが神官長様はいらっしゃいますか」
「アリさん、ようこそおいでくださいました。少々おまちください」
玄関先での呼びかけに出迎えてくれた女の子は、普段から来客に慣れているのか元気にあいさつを返してくれた。けれど、そのあと対応してくれたお姉さんは、ちょっと複雑そうな顔をしてから、神官長が来客中であると教えてくれた。
神官長には昨日のうちに話しているから、治療の許可は必要ないかな。正直にいえば私の話のネタは尽きている。人づきあいが得意なわけではないので、用事だけ済ませて帰りたかったからちょうどいい。
天気や健康の話で間をもたせるにも限度があると思うのだ。
「それじゃあ医務室に行ってもいいですか? きょうの薬で完治するはずなんだけど」
完治はする。しかしその過程が子どもには辛いと思う。この薬の取り扱いが難しいのは、なんといっても角質を溶かして急激に真皮ができるところだ。
古い傷跡に沿うように塗布すると、皮膚が溶けるチリチリとした痛みと、回復のために目まぐるしく巡る魔素によって、転げ回りたくなるようなむず痒さに襲われるのだ。
触れば指の皮も溶けてしまうので、患部への塗布には器具を使うし、魔素の急激な変化についていけないので、三歳未満の乳幼児には使用が認められていない。
麻酔を使えば回復のための魔素の動きが阻害されてしまうので、治療の際はただただ我慢する他ないのである。
「話は伺っておりますので、どうぞお入りください」
許可をもらったので勝手知ったる他人のお家を先導もなしで歩いていくと、ピタリと足の運びが止まってしまった。
「――この娘は妹を見舞いたいと願い出たのですよ。家族が面会できない理由とはなんなのでしょうか?」
「――ですから――」
「グスッ、パウラはリアのことが嫌いなんだにゃ。ズビッ」
「それはあなたが――」
いや、コレは不可抗力ですよ。盗み聞きをするつもりはなかったんだけど、たまたま聞こえちゃったんだからしょうがないよね。
扉の向こうからは、苛立った感じはするものの話し方は丁寧な男性と神官長、そして若い女性の声がかすかに聞こえてくる。女性は語尾がにゃだから獣族のにゃんこさんなんだろうな。
落ち着いた神官長の声はあまり聞こえないが、ほかのふたりは興奮しているのか廊下まで響いている。それに女性は泣いているようで、話のあいまに嗚咽や鼻を啜るような音がしている。
「とりあえず鼻はかんだらいいのにね」
アリは眉間にシワを寄せて嫌悪感をあらわにした。
いつまでもズビスビという鼻水音を聞かれちゃうのは気の毒だと思う。異性の前だから年頃の娘さんならば、かなり恥ずかしい思いをしているんじゃないかな。
こんなとき、一緒にいる相手がイケメンならさらに羞恥心が増すんだよね。
花粉症だった同僚は、職場の仲間が不快にならないように、鼻の穴にティッシュを詰めて仕事をしていた。マスクをしているからバレないらしい。それでも我慢ができなくなれば、席をはずして鼻をかみにトイレまで行くくらい気をつけていた。
その同僚は、人前で鼻をかむ音がおならをするくらい恥ずかしいし汚いと言っていたから、きっとこの女性も困っているのに言い出せないんだろうな。
同席しているふたりは気が回らないのか、女性に紙やハンカチを渡していないようだ。
ちなみにアリはセマフォロの葉をあり余るほど持っているし、謎の生物柄の手拭いなどを何枚か持たされているから、困ることはまったくない。
さらに元来のデリカシーの無さからか、同僚と違って人前でも鼻をかめる。さすがに来客中や食事中はしなかったけれど、さっさとかんでなにごともなかったかのように振る舞うタイプなのだ。
「――妹に熱湯をかけたのですよ」
これはマノリト様の声だな。興奮している相手を落ち着かせるためか、ゆっくりと説明するように話している。そのためか、扉を隔てると話の内容はうまく聞き取れなかった。
「そんな! ですが継母には辛くあたられていたとの話でしたが――」
この男性は多分知らない人だと思う。若そうだし、声が一番大きいのだ。
「そうなのにゃ。グスッ、リアは悲しかったのにゃ。ワザとしたって嘘つかれたのにゃ。ズビッ」
悲痛な女性の訴えのあと、神官長はもう話すことがないのか無言だし、慰めている男性の声と鼻水音がエンドレスで続いている。
「ちょっとそれは聞き捨てならないな」
思考の海にダイブしていると思いがけないことばを拾ったために、アリはすぐさま覚醒した。気がつけば部屋のなかの空気が不穏になっているようだ。
なかにいる女性は熱湯をかけた姉らしい。だが私が聞いた話では、姉が妹に嫉妬して熱湯をかけたはずだ。九歳の子どもだから父親と親戚の家で謹慎中って言っていたよね?
このままドアに張りついちゃえば、もっと話が聞けるんじゃないかな。案内してくれた子どもの目があるから、そんな無作法はできないけれど、誰が話しているのかおおいに気になる。
この街がそうなのか、それとも孤児が集まる神殿という場所のせいなのか、どうやら家庭内のトラブルが多いらしい。
つまり、またしても私はトラブルにかち合ってしまったのだ!