リリオスの街からは赤の山脈の方が近いよね
お食事中の方はご注意下さい
リリオスの街はコンバの街より南西に位置しているが、赤の山脈に近いため標高がやや高い。
領内は赤の山脈から流れ出た清流で潤っていて、森がたくさんあり平地は少なめなようだ。
だからこの領地では平地での小麦の栽培、山脈に近いところでは特にリンゴの生産で有名だ。
リンゴはそのままの果実も高値で売れるが、そのほとんどは林檎酒に加工してから王都に運ばれている。
森では養蜂も行っているため蜂蜜がよくとれるし、蜜蝋はワックスやハンドクリーム、ろうそくなどに加工されているようだ。
「ろうそくかぁ。仏壇にあるもの以外でろうそくを使う機会はなかったな」
アロマキャンドルとかお香とかが好きだった時期もあったけれど、それは二十代までだった。
祖父が亡くなってからは、家の中には線香の香りが漂っていたし、ろうそくも五分くらいで燃えつきる小さなものを使っていたよなぁ。
鎌倉のお店で白檀の香りの線香を奮発して買った記憶があるね。あれは素晴らしく私の好みの香りだったよ。
この国には白檀の木は生えているんだろうか。
レアンドラさんから聞いたのだが、ここでは線香をあげるという風習はないし家に仏壇のようなものも置かない。
個々にお墓を作ることはなく共同墓地に葬られる。貴族は一族の墓所があり、代々の当主とその家族が同じ場所に埋葬されるらしい。
だから祈りの場は祈祷所や神殿だけど、墓地は神殿のそばとは限らないのだと言っていた。
遺体は神官などにより骨を残して浄化されるから、火葬や土葬にはしない。日本では火葬すると教えたら、レアンドラさんはものすごく驚いていた。
驚くべきことにこの国では魔道具の光源も増えてはいるけれど、一般的にはいまだに明かりはろうそくを使っているらしい。
だから基本的には暗くなったら夜更かしせずに寝てしまうのだろう。
私もこの一年で早寝早起きの習慣が身について、ずいぶんと健康的な生活を送ってきたような気がするね。
「建物の雰囲気もちょっと違うよね」
この街は木造の建物が多いし、家同士の間隔が広くとられていて、ほとんどの家には小さいが庭がついている。
赤の山脈から吹き下りてくる冷たい風により、夏でも気温が上がりすぎないおかげで、果樹生産や放牧、養蜂のほか、家具職人や木工細工師が多くいるようだ。
もちろんハンターの仕事も多そうだね。
「赤の管理者様がこの街に来るのは初めてですよね?」
手をつないでいるお姉さんがかしこまってそう言うので、どうリアクションするか悩んでしまった。
人違いだとはっきり言わないといけないのだが、ほかの五人も私を見下ろしながら頷いている。
「聞いていたより小さいな」
「噂はあてにならないよな」
おぃ! 君らはいったいどこを見ているのかね。私の胸は十歳らしいと思うぞ。夢と希望に満ちあふれた未来あるお胸様に対して、そんな視線を向けるのはやめろよ!
たしかに私のクーパー靭帯は仕事をしているとは言いがたいよ。アルメンドラなんて、立っても座っても寝転がっても負荷がかかっていると思うけど、クーパー靭帯は働きすぎると伸びきっちゃうんだぞ。そして元には戻らないのだ。
働き過ぎ。ダメ、絶対!
「管理者違いだよ。私は青の森の管理者なの! あなたたちが言っているのはアルメンドラのことだね」
「…………」「…………」「…………」
絶句すんなよ。そしてガン見するのもやめて!
「このあたりは赤の森が近いもんね。青の森の管理者が代替わりしたのは一年前だけど、知らない人が多くても仕方がないのかな」
ネットやテレビがあるわけではないからね。
「ウィルフレド様が、もう何百年も管理者を務めている話は、あたしもお祖母さんから聞いたことがあるわ」
「管理者様とは初めて会ったから、てっきり赤の森のだと思ったよ」
「まあね。基本的に管理者は四色の森にいないといけないから、王都の人ほど見かけることはないのかもしれないね」
あとはアセデラの街の人は遭遇する機会が多いのかな?
パパガヨ王国の北側や東側に住んでいる人たちは、管理者なんて実在しているのかわかっていないかもしれないな。本当にレアな生き物だよね。見つけたら幸運が舞い込む的なご利益があったらおもしろいのに。
街の中心はやはり広場になっていたが、噴水の部分は長方形で二段だけだった。
高さが百二十センチくらい、幅が三十センチで長さが二メートルほどの上段からは、キレイな水が湧き出ている。そして二段目はそれを挟むように、幅が同じくらいで長さが倍くらいのプールが作られていた。高さは四十センチくらいだから、大人が縁に座るには難しいのかもしれないな。
そして私の宿敵であるトリャフェンたちが悠々と泳いでいるが、数はそんなにいなくて十匹程度だった。
その広場の南側にハンターギルドが建てられていた。
「なんか勢いでついてきたけど、私はリリオスに寄るつもりはなかったんだよ」
「あら、そうなの? リリオスの家具は有名よ。それにとなりの村には有名な弓作りの職人がいるわ」
「家具も掘り出し物を探しに、よく王都から商人が来ているみたいだぞ」
そうなのかぁ。でもどちらにも興味がないなぁ。弓をひける気がしないもの。それに家具はいまのところ間に合っているんだよね。
プリ先生からもらった木がまだ鞄に入っているから、素材もいらないよ。板にするのも魔素を使えばすぐだしなぁ。でもカップは買い直した方がいいな。
「それよりこの街で食べられるおいしいものを教えてほしいです。お昼の間食にはまだ早いから屋台の料理が知りたいです」
ハンターギルドでリーダーが報告しているあいだ、このあたりの特産品を聞き込みしていたが、狩りの結果で中身が変わる煮込み料理をオススメされてしまった。
ヤマドリが旨いらしいけれど、尾羽が赤いのが旨いとか、灰色に縞模様の方が臭みが少ないだとか、実物を見ないことにはさっぱりわからなかった。
鳥もつの屋台は王都で買ったけれど、このあたりではヤマドリのほかキジやウサギのような小動物が屋台料理の食材になっているようだ。
もちろん熊やハバリー、シエルボのような大型の動物が狩れるときもあるらしい。つまりジビエ料理が主流なのだろうね。
私は彼らとわかれると、ハンターギルドを出て正面に並んだ屋台に寄ってみた。
特産品らしい林檎酒の屋台はいなかったけれど、串焼きを売っている屋台は二、三あったので食べ比べてみることにした。
きょう売られていた串焼きは、トロリとしたタレに漬けこまれたシエルボ肉の串と、ヤマドリの塩ふり肉の串だった。こちらにはネギらしき野菜が挟まっているから、ネギマにちかい味だと思われる。
最後の屋台はピリ辛の香辛料がふってあるヘビ肉のようだ。
「うわぁ~。とうとうこの時が来ちゃったかぁ」
ヘビ肉はリーズナブルなのか、串についている肉の大きさは一番大きく見える。ぶつ切りではなくつくねのような見た目だからか、それほど忌避感はないみたいだな。
失敗したくないので、まずは一本ずつ購入して味見をしてみると、シエルボの肉は意外と柔らかくてジューシーだった。
味は塩と山椒だろうか。それとクルミのような木の実をすりつぶして絡めているのか、香ばしくてこってりした味だった。
「あ~。これはアリだね。十本追加だな」
味付けになにを使ったのかは、残念なことに教えてもらえなかった。どうやら秘伝のタレのようだ。
続いてヤマドリのネギマを口にいれる。
うん、これはネギマだ。モモ肉なのか肉汁と脂が口いっぱいにひろがった。けれどギトギトしていないので、飽きることなく一本を食べきってしまった。
お店のおじさんに、このヤマドリはどんな羽の色だったのか訊ねると、ヤマドリと呼ばれる鳥は十種類以上いるから、どれとは言えないらしい。きょうは三十羽くらいを仕込んでいて、その中には尾羽が赤いのも灰色に縞模様のヤマドリもいたようだ。
同じ屋台では奥さんらしき女性がもつ煮込みを売っていた。
「おばさん、手羽は売らないんですか?」
ニンニク醤油に漬けて唐揚げにしたらすごくおいしいのにな。醤油がないから塩ニンニクでもいいだろうね。
「それは『森のどんぐり亭』っていう宿屋に納めちまったよ。そこの女将はアタシの妹なんでね。料理が旨いって評判の宿屋だよ!」
ずいぶんとかわいらしい名前の宿屋だね。そして宣伝上手だな。
宿泊予定はないけれど、ちゃんと覚えておくことにしよう。
「この器ひとつにもつ煮込みをください。それと串焼きは十本追加でお願いします」
「おや! そんなにおいしかったかい。うれしいねぇ」
相好を崩しておばさんが豪快に笑い、竹製の器にお玉三つ分のもつ煮込みを入れてくれた。
葉っぱに包まれた肉串と竹の器を鞄にしまうと、いよいよ最後のメニューを味わうとしようか。
「ヘビかぁ。ワニは鶏肉っぽいってテレビで見たような気がするけどなぁ」
唐辛子となにが混ざっているんだろう。匂いは悪くないのだが、なかなか口に入れることができない。
辛さは子どもでも食べられるくらいの強さらしいのだが、味をごまかすために辛いのではないかと疑ってしまうと、どうしてもためらってしまう。
「よし、お腹がすいたら食べようかな」
私は問題を先送りすることにした。
串焼きの屋台は離れているから、私がヘビ肉串だけ追加購入しなかったことには気がつかれないだろう。
大丈夫! あのときもっと買っておけばよかった~と悔しがる可能性はかなり低い。
木工品はたぶん青の森に近い村や町にもあるだろう。私は迷いを振り払うように広場を出た。
けっきょくリリオスの街を出たのは十一時を過ぎた頃だった。入ったときとは違い北門からリリオスの街を出ると、人目がつかないところで認知不可をかけてから、街道から離れて走りだした。
川沿いに走ると目立ちそうなので、街道を無視してコンバの街への最短距離である、ひたすら北西に進む方法をとった。
ブレソの街に着いたら、また湖の西側を行くことにはなるだろうけど、それまではまだ歩いたことがない場所を進むことになる。きっとオレンジ色のビカルボナトも見つかるだろう。
私は所々に生えているビカルボナトの穂を刈り取って、オレンジ色の株を掘り起こすことができた。この根が庭に植え替えても枯れないことを祈ろう。
「それにしてもなぁ。ヘビ肉にまごついていたわりに、爬虫類がダメってわけでもないんだよね」
草地でラガルトを見つけたのだ。しかも二匹も。そしてそれを速攻で捕まえた。
だってサキイカはおいしいよね。ソーハ村で食べた丸焼きの味が忘れられなかったし、イカの一夜干しは買ったけど、サキイカの旨さには勝てなかった。
「なんかなぁ。私って思ったよりもこの国での生活に馴染んでいるんじゃないかな」
レアンドラさんの狩りの成果を見て、ちょっとマヒしているだけなのかもしれないから、これからは慎重に行動したい。おいしいと知ったら狩りまくるような人には、絶対になりたくないからね。
そういう理由で絶滅させることになったら、管理者のくせに風上にも置けない最低な人になってしまうよ。
しばらくするとブレソの街をとおりすぎて、湖のほとりに着いた。たぶんまだお昼前だろう。
私は湖に浮かぶ小舟を遠くに見ながら、荷馬車を追い越してコンバに向かった。
「もう遠話魔術で話しかけなくともいいはずだよね」
北門から街に入り、まずは領主館に訪問した。
街はなんだかいつもよりもざわついていて、領都いちばんの商家が犯した事件にたいする噂話でもちきりのようだ。
レオナルド様はお忙しいとのことだから、鉄の棒とお金を受け取ったらエウリコさんに差し入れをしに行こうかな。
「管理者殿、こちらが回収した六十二オーロと鉄の棒です」
対応してくれたのはマルシオさんで、レオナルド様から言付かっていたようだ。
私はお金を財布に入れ、杖の形をした鉄の棒を八本手に入れた。
「ありがとうございました。レオナルド様にも感謝していたとお伝え願えますか?」
「ええ、承知しました。トーレス家の皆さまも、一時間ほど前に領主館を発ちましたが、管理者殿には是非とも邸を訪れてほしいと言っておりましたよ」
「そうでしたか。わかりました」
もちろんおじゃまはする予定だ。お肉や果物をたくさん預かっているのだから、ちゃんと渡さなくてはいけない。
ディオ君のウリも二本入っているし、もちろんレアンドラさんが解体した熊の毛皮や干し肉も持ってきている。
「エウリコさんはいまはお忙しいでしょうか?」
「いまは使用人たちの食事時間ですが、管理者殿なら控え室に入っても大丈夫でしょう。ご案内します」
そう、私はエウリコさんに渡したジャボチカバが嫌がらせではないと、面と向かって言い訳をさせていただきたいのだ。
マルシオさんとともに間食中の人たちに近づくと、緑色のサヤが山盛りになった皿を囲んでいるところだった。
「エウリコさん、ウリはお好きですか?」
差し入れはバナナ味のウリにしよう。これなら大きいから、使用人たちとわけあって食べることができるはずだ。
「ぬっ! お主はアリではないか」
私に話しかけられたことで、腕を組んでテーブルを見下ろしていたエウリコさんが、こちらにようやく気がついた。
「はい! アリでしゅ」
うへぇ。また噛んじゃったよ。エウリコさんの迫力に、なにかと圧されぎみなんだよな。
「ちょうどよかった。いまワシらは大豆を茹で終えたところでな」
「えっ!?」
つまり枝豆か! 話をしたばかりなのに仕事がはやいね。さすができる男は違うよ。
「けさ収穫したばかりのものを大豆農家が枝ごと届けてくれたのだ」
枝つきのままってところが重要なんだよね。うん、枝豆は鮮度が大事だからね。
「塩もみは?」
これは絶対に忘れてはいけないのだ。味が染み込みやすいし、枝豆は思っているより剛毛だ。
「滞りなく」
エウリコさんは腕を組んだままコクリと頷いてそう言った。
「つまりこれから試食するんですね」
「うむ」
じゃっかん表情が固いのは、食用ではないものを食べるからなのかな?
「私もいただいてよろしいでしょうか?」
是非とも食べたいです! 期待を込めて一心にエウリコさんを見上げていると、周りの使用人たちから頭を撫でられてしまった。
すまねぇ。枝豆に視線が釘付けで、みんなのことは視界に入っていなかったよ。
一歩下がろうと思ったら、一番に口にいれる栄誉を授かってしまった。
目で訴えるのも大事なんだな。たしかに目は口ほどに物を言うらしい。
誰が最初に食べるのか牽制しあっていたとも知らずに、私は生まれて初めての枝豆を口にした。
サヤから口に飛び込んできた豆を、ゆっくりと味わいながら咀嚼する。
茹で加減も絶妙で固さがちゃんと残っているし、塩あじもほんのりと感じられ、豆の甘さを引き立てていた。つまり完璧な枝豆である。
「エウリコさん! すばらしいですよ。これはやめられない旨さです」
あ゛ぁ~。ビールが飲みたい! これは絶対にエンドレスで豆とビールを口に運ぶ動作がループしちゃうヤツだよ。
ニコニコとそう断言すると、私が食べ終わるまで見守っていた人たちが、ようやくお皿に手を伸ばし始めた。
「うおっ! 意外とイケるな」
「うめぇ」
「思っていたよりおいしいわね」
そんな高評価が集まるなか、エウリコさんの眉間の谷はかなり深い。料理長の舌をうならせることはできなかったのかと、固唾をのんで見守っていると、次から次へと手がのびて豆を食べていることに気がついた。
「あぁ! エウリコさんが食べきっちゃうよ!」
私の悲鳴にも似た声に、周りの使用人たちも再起動しはじめて、そこからは争うように豆を口に運んでしまった。
「ん゛ん゛ん゛っ!」
咳払いに正気に返ると、山ほど枝豆がのっていたお皿は空っぽになっていた。
「御領主様の分は残っているのですか?」
マルシオさんのことばに対して沈黙が落ちる。つまりは否ということだね。
気まずい空気のなか、エウリコさんにウリをふたつ渡し、テーブルにはザクロを十個ほどのせて、私は領主館から逃げ去った。