異世界における最大の課題は眼鏡である
短編だとあらすじが見えないのでこちらに記載。
ちなみに、作者は眼科医でも眼鏡の専門家でもありません。単なるネタ物語としてご賞味ください。
ーーあらすじーーー
この度異世界に召喚された、勝尾真二郎という者です。職業は学生。高校2年生。成績は優秀な方です。毎日塾に5時間通っていました。
こんな僕がどうしてファンタジーの世界に呼ばれたのかよくわかりません。何かの手違いでもないようです。聖女を名乗る方が僕を勇者様と敬称して、「邪悪な魔王の手からこの世をお救いください」と、目の前で膝をついていらっしゃいます。
よくわかりませんが、僕にしかできないことなのですね。人助けをするのは構わないのですが。
「お願い事をしてもよろしいでしょうか?」
「はい、勇者様」
「この世界に眼鏡がありましたら、一ついただきたいのですが」
「眼鏡……ですか?」
ーーーー
課題は、「ここに眼鏡はあるのか」ということでした。
いえ、RPGの世界に、憧れがなかったわけではありません。
ゲームは積極的にやる方ではありませんが、技術的な特技として趣味です。ゲーマーな弟の対戦プレイなどに付き合って、影響を受けました。漫画雑誌やテレビの録画枠も弟と共有しているので、僕も多少のオタク知識には通じているはずです。
召喚される直前、僕は家で眼鏡のクリーニングをしていました。日用品は毎日手入れをしないと、気が済まない性分なもので。
ところが、突然現れた不思議な渦に体を吸われて、思わず眼鏡を手放してしまいました。僕は眼鏡がないまま、異世界に飛んでしまったのです。
「僕の視力は両眼とも0.01以下です。強い乱視もあります。眼鏡がないと、視界がぼんやりとしてよく見えないのです」
「……私の顔も分かりませんか?」
「はっきりしません。他に人がいることや、聖女さんが白い服を着ていらっしゃることはわかります。ですが、今の僕の目では、聖女さんの体のあちこちが重なったまま、3つか4つに分裂しているようにしか見えないのです」
眼科医がうなるほど乱視のひどい僕は、近くの文字すら読めません。しかも近眼なので、遠くも全然見えません。
眼鏡は僕の必需品です。黒板を見ながら文明の利の感慨に浸れるほど、眼鏡は僕の命や人生を守ってくれる、大切なものなのです。
「眼鏡ですか……近くを見るためのものはございます」
聖女さんが人伝いに眼鏡を持ってきてくださりました。さっそくかけてみましたが……。
「……見えないですね」
ここが中世ヨーロッパと同じ文明レベルだと仮定すると、近視用の眼鏡が存在している可能性はあります。
元いた世界における資料によると。世界で初めて眼鏡の存在が出てきたのは1290年前後と推測されているようです。ちょうど日本は鎌倉時代後半、モンゴル帝国のチンギス=ハンがユーラシア大陸において勢力を拡大し、ヨーロッパでは大空位時代をへて、後の百年戦争に入って行く、中世後期の入り口ですね。
しかし、その時作られていたのは遠視用です。近視用眼鏡は、それから約200年後に開発されました。
今僕がかけているのはおそらく老眼鏡のようなもので、近くのものをよく見るための凸レンズでしょう。
「凹レンズの眼鏡はありませんか?」
「おう……レンズ?」
……どうやら近視用眼鏡はなさそうですね。
昔は眼鏡が贅沢品だったと、何かの参考書に載っていました。あまり需要がなかったということでしょうか。例えこの世界で凹レンズが発明されていたとしても、近視の矯正は一般の人に必要ないのかもしれません。
問題になったのは、老眼によって文字が読めなくなることでしょう。だから遠視用眼鏡が先駆けて開発されたのだと思います。
また、僕は乱視があるので、普通の近視用レンズでは完全な矯正ができません。
多少は見えるようになったとしても、視界のゆがみは変わらないということになります。
大学に上がったらコンタクトレンズに変えて、成人して給料が入るようになったらレーシック手術を受けてみようかと考えていたのですが。
父に頼み込んで、もっと早く手術をすればよかったかなと。今になって少し後悔しています。
「では、他に目を矯正する技術はありませんか? 例えば、魔法のような力は、この世にあるのでしょうか?」
「ええ、ございます勇者様。しかし……暗闇で視界を良くする魔法はありますが、見えない状態を正せるかはわかりません」
「……」
その魔法が「暗闇に目を慣れさせる」ことを目的としたものなら、たぶん僕の視界は直りませんね。
明暗に合わせて視覚を調整するのは目の奥にある網膜の細胞ですが、僕の目の問題は、もっと浅いところにある水晶体の不良なので。
「では、傷を癒やす、回復するといった魔法はありませんか?」
「……申し訳ございません。魔法は大きな傷を癒やすことはできるのですが、すでに失われたものを取り戻すのは不可能なこととされています」
……それも仕方がないですよね。
でも、僕は全く見えないわけではありませんから。「ない」ものを「ある」にするという素晴らしい魔法が存在していたとしても、本当に僕に効くかはわかりません。
しかし、困りました。相手の輪郭を捉えられない僕に、勇者なんて務まるのでしょうか。
武器の腕に覚えがないのはもちろんですが。
人は認識の80パーセントを視覚に頼っていると言いますから、このままでは戦いに不利だと思うのです。
この視界にも慣れてくれば、少しは何とかなるのでしょうか。
僕は勉学に自信はありますが、レンズを加工する技術は存じませんし、より専門的な眼鏡の原理はわかりません。乱視矯正のできる近視用眼鏡を作るのは難しいでしょう。
もし異世界に行くことがあったら、元いた世界の技術を再現し、よりよい文明を築くべきだと。そう弟から聞いていたのですが。
まさか、僕が異世界に飛ばされるなんて。
勇者も魔法も絵空事で、存在すらありえないと信じていました。
僕が勉強に励むのは日本社会で生活していく礎であり、そこで一生を終える前提でしたから。
人生、何が起こるかわかりません。これなら召喚にそなえて、もっと勉強をしておけばよかったなと思います……。
さて。
目の問題は、早いうちに対策が取れました。
この世界にある魔法の中に、「他人の視界を乗っ取る魔法」……通称「盗視魔法」なるものがあるため、それを習得することにしたのです。
この魔法を使うと、他人の視界を、自分が見ているかのように写し取ることができます。
視力が安定している人の「視界を見る」ことで、そのままクリアにものを見ることが可能です。魔法ってすごいですね。
ただ、「他人の視界を乗っ取る魔法」を使うと、不思議な気分です。
例えば、僕と向かい合っている聖女さんにこの魔法を使うと、僕が僕を見ている形になります。そして、目以外の体感はそのままですから、まるで鏡を見るように、自分の体を動かさなくてはなりません。
自分で自分を客観的に見ながら全身を動かすというのは、きっと異世界に来なければ味わうことのなかった感覚でしょう。三人称視点のゲームだと思いながら、少しずつ目と体を慣らしていきました。
また、魔法を使う時には、自分自身の中にある、"魔力"という特殊なエネルギーを消費します。
ということは、「盗視魔法」を使っている間は、僕も魔力を消費してしまうのです。
魔力が尽きてしまうと、魔法が発動できなくなります。さらに、血が抜けたようにふらふらになって、倒れてしまうそうです。
でも、勇者は魔王と戦うために、何とか魔法を覚えて、力をつけなくてはなりません。
僕は体でものを覚えるより、頭で覚える方が得意です。学習用にいただいた魔導書を紙が擦り切れるまで読みふけり、攻撃魔法を中心に学びました。
魔力を上げるために、特殊な薬も毎日飲みました。日本円に換算すれば、1本およそ20万円はするという、高価な水薬のようです。ですが、「1日でも早く勇者を強化するために」と、聖女さんを始め、国ぐるみで僕の魔力の底上げを支援してくださりました。
通常、どれだけ水薬を飲んでも、やがては魔力の絶対量が頭打ちになって、成長が見込めなくなってしまうそうです。
しかし、僕は聖女さんやプロの魔法使いよりも10倍近い魔力を手に入れて、大きな魔法を使っても倒れないようになりました。町1つを飲み込めそうな「火の玉を飛ばす魔法」を出して空に投げた時は、「さすがマジロー様ですね」と、聖女さんが褒めてくださりました。
魔法にも火や水といった種類があるようですが、僕は全種類と相性が良く、魔法に関してはほとんど制限がありません。天賦の才でしょうか。僕は自分が特別な人間だと思ったことがないので、うれしいと思う反面、「僕が勇者で大丈夫なのかな」という、不安な気持ちも強いものでした。
僕の元いた世界の人口はおよそ76億人。日本国の人口は約1億人。宝くじが当たるよりも低い確率で、僕がこの世界の勇者に選ばれたということです。
魔法の才能を開花したことからしても、僕にはこの異世界に適応した、潜在的な素質があるのは確かだと思います。「眼鏡があればもっと強くなれたのかも」という、ややおごったような気持ちもありましたが。
そういえば。日本にいた時はトラックが人にぶつかったというニュースが盛んに報道されていて、「前年度よりも交通事故における死亡者が20%増し」という社会問題になっていました。
運送会社の経営方針について騒がれる中、弟は「転生トラックかな」と、ブラックなことをつぶやいていましたが。僕は召喚で良かったです。ひかれるのは怖いので……。
僕は魔法の勉強のほかに、剣の素振りや近接格闘術といった、あらゆる肉体訓練も受けました。
硬そうな髭を蓄えた師匠の指導はスパルタ方式で、とても厳しかったです。僕は自衛隊のような肉体奉仕の活動に参加したことがないので、本職の人からみたらどうなのでしょう。まだ甘いものなのか、きついものなのか。僕にはわかりません。
ちなみに、"スパルタ教育"は、西暦350年前後の、古代ギリシャの都市国家スパルタで行われていたとされる、兵士の教育方法です。生死の境目を経験させることで、屈強な兵隊に育つそうです。
でも、師匠はいつでも必ず僕のそばにいてくれて、短剣1本でサバイバルな盗賊生活をしろとまでは言いませんでした。はい、原始のスパルタ教育とは、そういうものだったそうです。
訓練が終われば、師匠は豪快に笑って、僕を食事に連れていってくれます。怖いですけど、いい人です。
僕は師匠を信頼していましたし、勇者としての期待と責任がありますから。訓練で根は上げませんでした。視力の問題があっても、耳や体感、「盗視魔法」を駆使して、少しずつ、着実に。技を自分のものにしていけるように、工夫を重ねていきました。
この世界の生活にも慣れてきて、最難関の魔法も簡単に扱えるようになった頃。
ありがたいことに、聖女さんが近視用眼鏡をプレゼントしてくださりました。僕のために、物作りの得意なドワーフという種族にお願いして、開発したそうです。
さっそく眼鏡をかけました。細かいところを何度か直してもらって、ようやく少し、目の矯正ができました。
視界が通るというのは、いいものですね。眼鏡の装備によって、僕の戦闘技術は確実に上がりました。
そして、ある日突然、師匠が言いました。
「よし。これで少しはまともに戦えるだろう」
とのことで。
僕は実戦に出向くようになりました。ゲームで言うところの、モンスターと交戦します。
この世界では、そういった存在を"悪獣"と呼ぶそうです。僕は緊張半分、期待半分で、悪獣たちと対峙しました。
……ところが。
どういうわけか、悪獣たちは僕の顔ばかりを狙ってきました。スライムの酸も、コボルトの爪も、トロールの棍棒も、僕の首から上を集中狙いしてきます。
師匠がすぐに気がつきました。
「ありゃあ、眼鏡を狙ってるぞ」と。
度重なる戦闘により、せっかく作っていただいた近視用眼鏡を傷だらけにしてしまいました。
僕は眼鏡をかけることを諦めました。何度も眼鏡を狙われてレンズやツルが割れたら、顔に大怪我を負うかもしれません。傷ならまだ魔法で治せますが……最悪の場合、素材の破片で失明してしまう可能性もあるためです。
でも、事態はそれだけで終わりませんでした。
ドワーフの里が、悪獣の群れの襲撃を受けて、壊滅したのです。
また、眼鏡を持つ人が悪獣に襲われやすくなりました。異様なほど眼鏡族が狙われるため、眼鏡をかけた生活を禁止する王令が発布されたほどです。
「……魔王は眼鏡の存在をなくすつもりね。間接的に、勇者様に不利な状況をつくるなんて」
立て続けに届く報告を聞いた聖女さんが、顔色を悪くして、ため息をつかれました。
僕の弱点が眼鏡なのは事実ですからね。食料や武器など、何かの製造を妨害するというのは、古代からよくある戦法です。眼鏡を絶たせるのは当然なのかもしれません。
魔王というのは力技で恐怖支配をする存在なのかと思っていましたが、実は策士なんですね。
やがて、僕がこの世界に召喚されてから、1年と少しがたちました。
鍛錬を重ねて常人よりも格段に高い戦闘力を持つようになった僕は、とうとう、魔王と向かい合う日がやって来たのです。
僕と聖女さんは、ある小さな村を訪れました。
見渡す限りキャベツ畑しかない、本当に平穏な村。ここは魔王を崇拝する人たちの隠れ里です。
魔王といえばおどろおどろしいお城の中にこもっているイメージですが、この魔王はわざと目立つことを避けていました。この世界の"魔王"は「邪悪を率いる頂点」という意味なので、身分が王様とは限りません。
僕が勇者だということに気づかれると、和やかな態度を豹変させた村人たちが、僕を攻撃してきました。悪獣もどこからともなく現れて、飛びかかって来ます。
僕は自分の魔法で軽く翻しながら、魔王を探しました。村人や悪獣たちに「盗視魔法」を使えば、どこに魔王がいるか、だいたいわかります。
綺麗な女の人や幼い女の子も殺気を放っていますが、手加減はできません。「昏睡の魔法」で強制的に眠らせます。
「……妙な能力を持ったやつは殺されるって、マジなのかよ」
魔王は、村人の中に紛れていました。
何の変哲もない、僕よりもやや年上の男の人。悪態をついて、僕をにらんでいます。
「あなたは悪獣を使って実害を出してしまいました。人の命と眼鏡をたくさん奪ったそうですね」
「……は。何のことやら」
魔王は余裕のある表情でした。突然、いくつもの黒い魔法を発動しては、僕を狙ってきます。流れ弾が、魔法で眠っている人たちに当たりました。
村人たちはアンデットとして復活し、魔王を守るように囲います。死体は本体ではなく、中に憑依した霊が悪獣です。
この男の人の能力は、「悪獣を意のままに操る」もの。まさに、魔王にふさわしい能力です。
でも、ちょっとびっくりです。抜け殻だとしても、味方だった人を平然と盾にするんですね。
「どれだけ悪獣を集めても無駄です。僕の使える魔法は、最強の悪獣も1撃で倒せます」
「なら、この場に10体くらいドラゴンを呼んでやるよ」
「村の被害が拡大するだけですよ。やめた方がいいと思います」
自分で言うのも変ですが、僕は魔法使いとしては、実質この世界で一番の実力者です。
でも、ドラゴン10体を同時に相手にするのは大変です。1体ずつ狙えば15秒(魔法が発動するまでのタイムラグも加味しています)で倒せると思いますが。実際は複数の悪獣をいっぺんに相手にしますし、僕の魔法も100%の命中率を約束できません。倒しきるまでに倍以上の時間がかかるでしょう。ドラゴンに5分も10分も時間をかけたら、僕は魔王にすきを突かれるか、魔王が逃げてしまいます。
「聖女さん! また目をお借りします!」
聖女さんは遠目に僕や魔王を見ています。
大量のドラゴンを呼ばれる前に、決着をつけたいです。
僕は"僕"の周りにあるものを確認して、悪獣の攻撃や魔王の魔法がどこに飛んでくるか予測します。攻撃は「足を速める魔法」で回避するか、僕の魔法をぶつけて打ち消しました。
「くそ……ちょこまかと!」
「僕はあなたの目もジャックしています。魔法や悪獣をけしかけても、視線で狙いが丸わかりですよ」
右目に魔王、左目に聖女さん。
僕は、「盗視魔法」を片方ずつ発動できるようになっていました。
目は2つありますから、1つづつ、違う視界を乗っ取る方が、戦いの効率がいいんです。
もちろん、同時に違う角度からものを見るというのは難しく、慣れるまでは大変でした。朝から晩まで、訓練、訓練、の毎日です。
でも、僕はこつこつと日々学び続けるのが得意ですから。VRゲームを楽しむつもりで、頑張って技を身につけました。
ただ、魔王の視界は違和感があります。魔法が使われていますね。
全ての景色が半透明になる、「見えないところを見る魔法」。一種の透視魔法です。魔王の反対の目に「盗視魔法」を移すと、「遠いところだけを見る魔法」が使われていました。この魔法は千里眼のようなもので、僕も試したことがあります。近視は改善できますが、代わりに"超"遠視になるというデメリットがあるので、眼鏡の代用にはなりません。
魔王が自分の目に2種類の魔法を使っているのは、悪獣を見つけて自分の近くに呼び寄せるためでしょう。聖女さんの部下の人の調査報告によると、魔王の能力は「悪獣の存在を認識する」必要があるみたいです。
実際に、魔王の周りには多種多様な悪獣が集まっています。僕は「火の竜巻を起こす魔法」で自分の周りをたびたび一掃していますが、きりがないですね。悪獣は花に吸い寄せられる昆虫のように、次々と現れます。
支給された魔力を回復できる最高級水薬はありますが、手持ちに限りがあります。僕の魔力も無限ではないので、このまま数で押されたら、さすがに僕でもやられます。
でも、魔王の方が早く疲れ始めました。
魔法を使う頻度が減ったのです。魔力切れが近いのでしょう。
魔王はふとした拍子に懐から何かを取り出して、それを目にかけました。
「うっ……!」
がくんと右目の視界がぐらついたその瞬間、僕の横から悪獣が飛びついてくる。聖女さんが駆けつけて、「火の竜巻を起こす魔法」で悪獣を退けてくれました。
「マジロー様!?」
目が痛い。頭ががんがんする。
聖女さんを守らないと、と頭の一部が冷静に働いて、「全ての魔法が無効になる結界」「物を通さない結界」という鉄壁の大魔法を、僕と聖女さんの周りに広げました。
結界を殴るのは無意味だと判断したのでしょう。魔王側の攻撃が止んで、何だか静かです。
魔力切れ寸前のめまいと酔いそうな感覚が落ち着いてから、顔を上げると。
透明な結界の向こう側で、魔王が誇らしげに、眼鏡をかけていました。
「……マジロー様、大丈夫ですか?」
「はい。魔王から「盗視魔法」を外したので、もう目は平気です」
魔王がかけたのは、目に合わない眼鏡でした。度の強いレンズは、視神経を緊張させて、眼と体を疲れさせます。過矯正はよくありません。
僕ももう1年以上眼鏡をかけていませんから、いきなりきつい眼鏡で見る視界は、眼にとって毒です。
「……あなたも、近視用眼鏡の使用者だったのですね」
「俺も普段から目に魔法を使っているからな。魔力が枯れてきた時のために、眼鏡を持っているのさ」
魔王は僕の弱点を知っていました。おそらく、魔法や魔獣を使って、リサーチしたことなのでしょう。
魔王は僕と同じように、高い魔力を持ち、幅広い魔法を使えます。眼鏡をかける人だという情報はありませんでしたが。「見えないところを見る魔法」と「遠いところだけを見る魔法」。特殊な視界ばかりに注意が向いていて、魔王の近視には気がつきませんでした。
……魔王は転生者ですから、持っているのはこの世界で手に入れた眼鏡でしょう。ドワーフの里から奪ったのでしょうか? でも、度が強いということは、それだけ精密なレンズが使われている可能性もあります。もしかして、前世の知識を生かして作ったのでしょうか?
どちらにしても。勇者と魔王に、こんな共通点があるなんて。
同士が存在することに親近感が湧きましたが、不満のような怒りもありました。いくら何でも、強いんです。あまりにも、レンズの度が強すぎる。
「眼鏡を失った勇者さんよお。久しぶりに眼鏡と再会してどんな気持ちだ?」
「……良い気分はしません。そんなに強い眼鏡をかけていたら、いつか目が壊れますよ」
「魔法があれば関係ないさ。あくまで、眼鏡は緊急用だからな」
確かにそうかもしれませんね。魔力に自信があるのなら、物で自分の視界を矯正する必要はありません。
「あなたも眼鏡を使う人なのに、どうしてこの世界から眼鏡を奪ったのですか?」
「はぁ? 眼鏡なんか、勇者をつぶす戦略の一つに過ぎないって。見せしめの殺戮や経済テロよりはマシだろう? 正直、眼鏡なんか付け外しするの面倒だし、なくてもいいだろ。眼鏡がなくても、人は生きていけるんだからな」
「なら、わざわざ度の強い眼鏡をかけているのはなぜですか?」
「そんなの単純だ。強い方がよく見えるからだよ」
魔王。あなたにとって、眼鏡はそこまで安い価値なのですか?
僕みたいに、眼鏡に頼ってきた人の気持ちが、わからないのでしょうか?
度が強ければ視界はいいでしょう。ですが、根本的な勘違いをしています。眼鏡は、目をよくするものではありません。目の働きを助けてくれるものです。
「眼鏡を侮辱しないでください。僕にとって、眼鏡はかけがえのない相棒なんです」
僕が初めて眼鏡と出会ったのは、11歳の時でした。母に連れられて眼科に行き、眼鏡を作りました。
最初はすごく嫌でした。当時、「眼鏡をかけるやつはダサい」とクラスで囃されていたため、両親の意見に背きながら、眼鏡を使わない生活をしていたのです。
そしてある日、僕は学校の階段で足を踏み外しました。掴む距離感を誤ったみたいです。縫う必要があるほど強く頭を打ち、「どうして眼鏡をかけないの……!」と、母を泣かせました。
その事故をきっかけに僕は折れ、しぶしぶと眼鏡をかけることにしたのですが。
黒いケースから眼鏡を取り出してかけた時、とても驚いたのです。別の世界に行ったかのように、視界が綺麗だ、って。
……僕は、"眼鏡をかけた"のです。ですが、現実にかけていたぼんやりとした幕を、"取り払った"かのような気持ちでした。
人の"目"ばかりを怖がって、わざと視界をくらませていた。見るべきものを、ちゃんと見ていなかったんだって。
眼鏡は僕の人生を変えました。
逃げるだけの自分をやめようと、決意するきっかけになったのです。
眼鏡による優等生気分もあったのでしょう。僕は勉強を真面目に取り組むようになり、芳しくなかった成績が上がりました。
実際に、勉強が好きになりました。成績を褒められることで、自分に自信がつきました。
……だから、僕は眼鏡が大好きなのです。
僕の命を守り、人生を守り、助けてくれる。かけがえのない相棒なんです。
だから、眼鏡の存在を軽く見る相手は、許せない。
僕は急いで水薬の栓を抜いて、一気に飲み干しました。
「結界を解きます。聖女さん、すぐに僕から離れてください」
鉄壁がなくなると。
止まっていた時が動き出したかのように、魔王が悪獣に指示を出して、襲い掛かってきます。
「悪獣を操る」能力そのものは、魔力を消費しないようです。ゲームでいうところの固定スキル、でしょうか。
ただ、魔王は目の魔法が解除されているため、新たに悪獣を見つけて呼び寄せるのは難しいでしょう。
僕は自分の魔力を大きく削って、一直線に走る電撃を放ちました。
ばりばりと細いスパークがもやのように散る、「雷の柱を作る魔法」。一部が吹き抜けになった悪獣の輪に突撃し、魔王の前で、習った近接格闘術を繰り出します。足払いと同時に腕を引き、どさっと地面に倒しました。
「氷結を無効にする結界」を発動、続いて「氷漬けにする魔法」。
僕と魔王をドーム状に取り囲む結界の外で、僕に攻撃をしかけようとする悪獣がばたばたと倒れていきます。魔王が慌てた顔をして、悪獣を呼び寄せるのをやめました。
残っているのはゴブリン2体。僕への攻撃を諦めたのか、聖女さんの方に"向かってきました"が、「直進する火の球の魔法」で一気に焼かれてしまいました。聖女さんも魔法の力は強いです。ゴブリンくらいにはやられません。
これで悪獣は全滅。チェックメイトです。
魔王が大きくため息をつきました。
「いいのかよ? 世界で唯一現存する眼鏡族を、殺すのか?」
「命乞いのつもりですか?」
「勇者様はやけに眼鏡を大事にしているみたいだからな。それとも、眼鏡を取れば、俺はどこにでもいる裸眼族か?」
「挑発よりも先に、自分の行いを反省してください」
「反省? どうして俺が? 俺は衣食住に困らない程度に、静かに暮らしたかっただけなんだよ。そのために多少派手にやりすぎたのは謝るが、眼鏡に関しては別だ。命を狙われたら、対策練るのが普通だろ」
どうしてそんな風に開き直れるのですか。
何の罪もない眼鏡に関わった人たちが、たくさん苦しめられきたのに。
「だからって、好き勝手していいわけではありません。やりすぎて死んだ命は戻らないんです」
「よく言うよ、"勇者"は人殺しの訓練をしてきたくせに。俺は好きでこの世界に来たわけじゃない。お前も好きで眼鏡の乏しいこの世界に来たわけじゃねえんだろ? なあ?」
「……」
「待遇の違いに笑っちまうな。何だよ魔王って。俺は俺なりに、生き残る努力をしてきたんだ。どれだけ必死で眼鏡を壊したと思ってんだ。人を勝手に魔王に仕立てんじゃねえよ」
「……」
僕は魔王の目をじっと見ました。
……正確には、目より前にあるものを見ていたのですが。
「あなたもご存じですよね? 眼鏡はこの世界において、とても高価なものなんです」
「は?」
「ということは、眼鏡を持っていなくて困っている人もいるということです。あなたは悪獣を使って人を苦しめてきましたが、眼鏡は誰かを救ってくれます」
氷の魔法を解除して、「お願いします」と、僕は聖女さんを近くに呼びました。
「……神に仕える女が、何だ?」
聖女さんは一瞬だけ僕を見てから、魔王の前で祈りの姿勢をとります。
「魔王。汝はこの世界に紛れ込み、悪業を重ね過ぎました。このまま落命し、神の元へ向かっても、許されることはないでしょう。罪人の落ちる冥界に、閉じ込められることになります」
「神は見たことがあるが、あいにく俺は無宗教者だ。ったく……何なんだよこの異世界。もう一度やり直させてもらわねえと、割に合わねえな」
「口を慎みなさい。あなたは勇者様に慈悲をかけられているのです。少しでも罪を洗いたいと思うのなら、私は神に、魔王の善業をお伝えします」
「……はあ?」
魔王が訝しげな顔をしていますので、僕が補足します。
「眼鏡を渡してください。度の強い眼鏡でも、少し加工すればマシになります。あなたの眼鏡が、誰かの目を助けてくれる存在になるのです」
「眼鏡を?」
「教会へのお布施は、人の罪を少しだけ浄化してくれるそうです」
「宗教勧誘ならお断りだ」
「僕も無宗教者ですよ。僕が言いたいのは、あなたを殺したくないということです」
「……」
「エゴといえばエゴです。殺人をしたくないという、僕の勝手な気持ちですから。あなたしか持っていない近視用眼鏡を教会に預けることで、僕は、あなたを殺さなくて済むかもしれないんです」
「……眼鏡1個で、無理やり容赦の理由をつけるつもりか」
「もちろん、罪そのものは赦されませんよ。一生投獄かもしれません。でも、あなたは強いですから、きっと命は助かります。あなたが眼鏡を僕に渡すことは、魔王の降伏、そして、『停戦』の意味を持ちます」
魔王は、ぽかんとした顔をしていました。
そして、低い声を大きくして。高く高く、笑いました。
「馬鹿にすんじゃねぇ! これは俺の眼鏡だ!!」
「……そうですか」
交渉決裂。僕はありったけの魔力を込めて、真っ白な魔法を発動させました。
「……眼鏡に罪はありません。でも、あなたの相棒ですから。仕方がないですね」
白い魔法が、魔王の体を貫きます。
衝撃で弾け飛んだ魔王の眼鏡は、ぱきんとガラスの砕ける音を立てて、消えました。
無事、僕らは帝都に戻ってきました。
「あなたの活躍に感謝します、マジロー様。この世界は少しだけ平和になれました」
言葉の腰は低くても、聖女さんは僕の頭を動物を褒めるように、いこいことなでました。
聖女さんは僕より大人ですから、時々子供扱いされている気分になります。
ぼ、僕は褒められて伸びるタイプなので、嫌ではないですが……。これは聖女さんの手下である特権でしょうか。
「交渉、うまくいかなかったのが残念です。もし、またあの人のような"魔王"が現れたら、僕が"何とかしなくては"ならないのですね」
「……ええ」
一つの危機は去りました。でも、転生者がたくさん流れ込むというこの世界には、また世の理から外れようとする誰かが、現れるのでしょう。それは、遠い世界の神様から、特殊な力を与えられた人たちです。
ですから、この世界における勇者とは、"世の中を荒らす転生者への刺客"。
並外れた能力を持つ存在に困り果てた国々が、話し合いの末に、その異端者を「魔王」と呼び、同じく異世界から呼び寄せた「勇者」を育てて、戦わせることにしたそうです。
毒を以て毒を制するように、チートを以ってチートで制する。最強を相手にするなら、最強を当てがえばいいということです。そうすれば、世の中の"チート"が牽制しあって、結果として"チート"の脅威が中和されます。結構、超理論ですが。
詳細は省きますが、僕は聖女さんに逆らうことができません。「聖女を主人として使役される存在」だからです。
転生者の定義は、「前世の記憶を保持し、才色兼備である」こと。僕がこの世界に召喚される前から、あちこちの国が協力して、密やかに"転生者"をリスト化したそうです。
ただ、その人が本当に"転生者"であるか、確信するための証拠はありません。今回の僕の初めての標的は、明らかな転生者でしたが。
あの魔王は能力を悪用して身勝手な虐殺をしていましたから、僕も「その人を野放しにしてはいけない」と思ってはいました。
でも……能力が高いと目をつけられるという話を聞いた時に、僕は魔女狩りを連想してしまいました。
異世界は異世界なりの事情があって、大変なのでしょう。僕のような「勇者」は、表向きは神の化身として。実際は兵器として、扱われているわけですが。
僕が強くなっていく……いえ、皆さんに"強くしてもらっている"時に、肩に乗せられた「勇者」の重みに、何度か悩むこともありました。
だから、ある日、僕は聖女さんに我儘を言いました。「殺さなくてもいいですか」と。
聖女さんは、「マジロー様ならそう仰ると思っていました」と困ったように笑ってから、「魔王の力を削いでおとなしくさせることができたら、最悪の手を下さなくてもいいですよ」と、言ってくれました。
そこで考えついたのが、あの取引です。
中世ヨーロッパにおいて、罪人を禁固刑に処すことはほとんどなかったそうです。
ですから、その文明に近いこの異世界も、終身刑という懲罰はありません。多くは見せしめを兼ねて処刑してしまいます。
ですが、聖女さんは神の傍に仕える人として、「神判を下す」権利を持ちます。
聖道にのっとって神様のお告げを聞けば、「罪人を許すこと」も可能なのです。
眼鏡を交渉材料にしたのは、とっさの判断でした。あの場で魔王の持っていた貴重品が、眼鏡でしたから。
でも、相手も人間です。
白旗をあげさせようとしても、そう簡単にはいきませんね。
もしかしたら彼も、元々は僕と同じ世界の生まれだったのかもしれない。前世が眼鏡族かはわかりませんが。"同族"を失ったことは、胸が痛いです。
「……マジロー様」
ふいに、聖女さんが僕の前でかしづきました。
「勇者としてのお勤めを果たした暁には、一度元の世界に戻りたいとのことでしたが……私の力が足りず、なかなか他の者たちから許しを得られないのです。ですが、必ず故郷にはお返しします。どうかもうしばらくお待ちください」
他の者たちというのは、皇帝や宰相といった偉い人たちです。許可が下りないということでしょう。「召喚」に比べて、「送還」はあまり難しくはないそうですが。
リスト化された転生者のこともありますし、「最強の勇者」は、魔王の討伐以外でも役に立ちますから……。
聖女さんや師匠を置いて僕だけ平穏な世界に帰るというのも、本当は虫のいい話です。
だけど。家族が、学校の友達が、僕を心配しているんじゃないか。手放してしまった僕の眼鏡はどうなっているのかと。
胸の奥で、もやもやと気になって仕方がないのは確かです。
「……僕はここにいても大丈夫です。皆さんからとてもよくしてもらっていて、聖女さんもとても優しくて。生活に何一つ不自由や不満はありませんから」
「ですが、マジロー様の眼鏡は……」
「いいんです。眼鏡は無機物なので、放置されてもただ埃を被るだけですから」
相棒を取りに戻れないのは悲しいです。
手入れもしてあげたい。
でも、人は人、眼鏡は眼鏡。困っている人を助けず戻ったら、『眼鏡ごときで帰ってくるな!』と、きっと父に怒られます。
「では、これからどうされますか?」
だから、先んじてやるべきことはひとつです。
「はい。まずは新しい眼鏡を作りましょう!」
眼鏡こそが平和の証。
「よくわからんが眼鏡だった」「なぜか眼鏡に感動した」と思っていただけたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。