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彼女と僕と、スケッチブック

作者: 逢坂 遥

 転校生、ではない。


 ある冬の日。

 4月から、僕が入学してから、今まで一回も座られることのなかった椅子が、初めて仕事をした。


 その椅子に座る少女も、僕は初めて見る人であった。


 名前なら、ずっと前から知っている。

 一回も教室に来たことはなかったが、きちんと在籍はしていたからだ。


 彼女は僕とは違う小学校だったので、彼女に対する知識はほとんどない。


 彼女の名前と、彼女が病気で小学校の半ばからずっと入院していたこと。それしか僕は知らない。


 松木 菜名。2学期の終わり頃に、初めて会ったクラスメート。


 *


 彼女の席は窓際一番後ろで固定されていた。なぜならば来ないから。

 例えば弁当を食べるときの班にしたり、授業で話し合いなんかをしたりするときに空席があるとめんどくさくなる。端っこが一番、それらに差支えないのだ。


 僕の席は、窓際から2列目の一番後ろ。彼女の隣だった。もっとも、先週までは、隣の人がいないというか、空席の隣というか。


 僕はちらりと、椅子に姿勢よく座る彼女のほうを見た。


 まず目に入るのは、髪を切ったことがあるのか、と問いたくなるほど長い髪。色素薄めの綺麗な髪は三つ編みされている。

 座ると髪は、もうすぐ床についてしまいそうだ。


 次いで顔を見た。


 窓の外を見つめ、わくわくしているような、それでいて少し儚げな、そんな彼女の表情に惹き込まれてしまった。


 「……悠人くん、だっけ?よろしくね」


 僕が見惚れて、彼女の方をじっと見ていたのを気づかれてしまった。彼女はおっとりとした口調で笑いかけた。


 「ゆ、悠人くん!?」


 僕の声は裏返ってしまった。


 「え、名前、ちがかった?ごめんね。なんていうんだっけ」

「いや、僕は悠人だよ。でも、悠人くんなんて呼ばれたこと、もう何年もなかったから」

「そっか。じゃあ、なんて呼べばいい?」


 僕は、大抵の人からは苗字の呼び捨てで呼ばれている。彼女にも同じように苗字で呼ばせるか迷ったが、なんとなく彼女のイメージとは違かった。


 「なんでもいいよ、でも君付けされるキャラでもないんだよな」


 「じゃあ、悠人?」

 彼女の声がくすぐったかった。頬が緩んでしまうほどに。


 「よろしくね、えーと、何て呼べば良いかな」

「菜名、でいいよ」


 「菜名?」

 彼女の名前を呼ぶだけで顔が赤くなってしまう。

 「うん」


 僕はもう気づいていた。一目見て、一言話しただけで、彼女に惚れてしまったのだ。


 *


 菜名は、退院はしたものの、やはり体は弱いらしい。体育は、常に見学をしている。


 ボールの代わりに、濃いめの鉛筆とスケッチブックを抱えて。


 「絵、描いてるの?見せて」


 見せてきたのは、今描いているものとは別のページ。


 「綺麗な花だね」

「お見舞いに、持って来てくれたコスモスなの」


 絵から、花の芳しい匂いがしてきそうだった。

 それほど、菜名の絵は、上手くて、そして、やさしい。


 「それで、さっきは何を描いていたの?」

「みせない」

 僕がつまらなそうな顔をすると、少し顔を赤くしながら見せてきた。


 そこには、体育のバスケでゴールを決めた瞬間の僕が描かれていた。

 そんなに似ていないな、と思ってから、じゃあなんで僕のことを描いたのだと気づいたのだろうと自分に問いたくなった。


 「僕?」

「うん」

「かっこよく描きすぎだよ」

「私には、そう見えたの」


 僕は、自意識過剰気味だと思いながらも嬉しかった。

 彼女の瞳に映る僕が、かっこよかったということなら。


 *


 菜名と、一回だけ、遊びに行った。


 菜名は、海を見てみたいと言った。


 僕は海岸沿いに菜名を連れて行った。真冬なのに海に行きたいと言ったのは、決して泳ぎたい訳ではなくて、おそらく絵を描きたいのだろう。

 自分の見たことのない、海、という景色を。


 時期の問題だろうが、砂浜の周りに人がいる気配はなかった。

 僕たちは並んで堤防に腰掛けた。


 「どう?ここなら誰もいないし、スケッチも落ち着いて出来るんじゃないかな」

「ありがとう」


 そう言って、菜名は僕の肩に頭を乗せた。

 僕の心臓は飛び跳ねた。


 菜名は、あまり男について知らないのかもしれない。

 無意識で僕を惹きこませていく彼女は罪深いやつだ。

 それも、長い病床生活の後だから仕方がない、とも言えるが。


 隣で静かに海を描く彼女を感じているうちに、僕は我慢が出来なくなった。


 「菜名」

 菜名は僕の肩から頭を離した。どちらかというと、ビクッとしたと形容できるように。

 「ご、ごめん、肩」

 彼女は顔を赤らめて俯いた。


 「菜名、好きだよ」


 僕は、自分が今そんなことを言ってしまったと気づいた途端どうすれば良いか分からなくなった。

 拒絶の意思を伝えられたら、もう僕はどうしようもなくなるから。


 菜名の返事は、はいともいいえとも受け取れないものであった。


「私、悠人のこと、好き。だけど、付き合ったりは、できない。ごめんね」


 なんでだろう。好き、の意味が違うのか。友達ってこと?

 それとも、何か事情があるのか。

 聞きたかったけど、聞いてはいけないような気がした。


 「そっか。ごめん、急にこんなこと言って」


 ふと目線を落とすと、もう彼女のスケッチブックには綺麗な海が描かれていた。


 「ううん、私こそ」


 「じゃあ、これからも……友達として、よろしく」


 菜名は力なく笑っただけで、頷くことはなかった。


 *


 海に行った日から1ヶ月も経たないうちに、菜名はまた入院することになった。

 僕たちは進級した。中学二年生。クラス自体は今年も菜名と一緒だが、もう教室で菜名と会うことはなかった。


 「大丈夫だよ」

 「また学校行くから、ね」


 その言葉を、残念ながら僕は信じることが出来なかった。


 隣の市の総合病院。家からそれなりに遠いから毎日会うことは出来ないが、それでも1週間に1回は必ずお見舞いに行っていた。

 いつしか「土曜日の昼過ぎに会う」という約束が出来ていた。


 日に日に菜名の体が痩せ細っていくのが分かる。


 あの長くて綺麗だった髪も、いつの間にかところどころ痛んできていて、量が少なくなっていて、短く切られてしまっている。


 どう見ても元気ではないのに、元気なように振舞う菜名を見ているのは辛かった。


 「言いたくないならいいけど……もう少し、ちゃんと、菜名の症状について、知りたいんだ」


 「なんで」

 訊いた途端に、菜名は泣きそうな顔をした。僕は彼女を泣かせたいなんて思っていない。

 でも、知りたいんだ。


 「菜名が、好きだから。大切だから」


 菜名はついに泣いた。


 「悠人を悲しませたくなかったんだもん、だって、だって」


 菜名は、病名及び今どのくらい進行しているのかを僕に告げた。

 確かに、僕を、悲しませるものであった。


 *


 僕がお見舞いに行くときには、菜名はいつも、窓の外を見つめて絵を描いていた。

 顔がやせ細ったことと髪の毛が短くなったことを除けば、その表情はその姿は僕が惚れたあの時とまったく変わらなかった。


 空の絵や、花の絵は、いつも見せてくれた。線の力は無くなっていっているのが分かってしまうが、それでも彼女の描いた絵は美しかった。


 それでも、僕がお見舞いに来る直前に菜名が窓の外を見つめているときに描いていたものは、見せてはくれなかった。


 *


 菜名は、鉛筆を握ることが出来なくなった。

それでも、自由の利かぬ腕で常にスケッチブックを抱えていた。


 「もし私が死んだら、スケッチブック、あげるね」


 初めて話した時と変わらぬ、優しい笑顔だった。


 菜名は、病気が進行していくこと以外、以前と何も変わらないように笑う。

 それも、もしかしたら苦しんでいる姿を僕に見せないためなのかもしれない。


 「そんなこと言わないで」


 菜名が笑うのに僕が泣く訳にはいかない。溢れそうな涙をこらえて言った。


 *


 だんだん菜名は、記憶も薄れていった。

 いつの間にか、僕の名前も、忘れてしまったようだ。

 

 「あなたの名前が思い出せないの」

 そういわれる度、僕は何度も「悠人だよ」と答えた。

 

 いつの間にか、自分の名前も、忘れてしまったようだ。

 「君は菜名だよ」

 菜名が忘れていなかったのは、笑うことだけだった。何を忘れても、僕の前では、笑っていてくれた。


 *


 夏になった。

 当たり前かもしれないが、前なら花を持っていけば喜んでスケッチして1週間後に見せてくれたけど、今はひまわりの花を持っていってもじっと見つめることしかしない。


 そして、「綺麗だね」と笑う。腕は、ほとんど骨と皮のみであった。


 考えないようにしていた時が、もう既に迫っていた。


 いつものように菜名の病室に行く。菜名は、僕を見てまた笑う。名前も覚えていないだろうし、顔も忘れているかもしれないのに。


 「あなたの名前は」

といつもなら聞かれるところだった。

 病室の扉を開ける。


 「ねえ、ゆうと、ゆうとっていうんだよね」


 菜名は、覚えていないはずの僕の名前を言っていた。


 「そうだよ、僕はゆうとだよ」


 僕の目は涙でよく見えなかった。

 人前で泣いたことなど幼稚園以来ではないか。


 「わたし、いま、おもいだしたの、いっぱい」

 まるで幼稚園児が話すみたいにおぼつかない話し方だった。


 「うーん、でも、なんていうんだろう。もう、ことばが、わからないの」


 僕は叫んでいた。

 「あのね、菜名、大好きだよ!!」


 「そうだ。それだよ。わたしね、ずっと、ゆうとのこと、おもいだせなかったけど、おぼえてたことね、ひとつだけ。ゆうとのこと、だいすきだったの」


 嬉しすぎて、何も言えなかった。僕が鼻をすする音だけが響く。


 「きてくれて、ありがとう。じゃあね。……ゆうと、わたしと、であってくれてありがとう。だいすきだよ、ゆうと」


 いつもなら10分くらいは話すところなのに、思い出してくれたのに、僕に大好きだと伝えてくれたのに、あっけなく「じゃあね」と言われてしまった。


 わざわざ改まって、出会ってくれてありがとう、なんて言われたのも少し引っかかった。でも、菜名は急に僕を思い出したから言ったのかな、みたいに自分の中で理由付けていた。


 そのまま彼女は眠った。そうか、眠かったのか。また今度来よう。そのときいっぱい話せればいいな。


 *


 次の日、学校に、連絡が来た。昼休みにそれを聞いた。

 「松木さんが、意識不明だそうです」


 僕は何も考えずに学校を出た。授業なんてどうでもいい。今もっているお金もギリギリで、帰りの交通費が無いこともどうでもいい。


 「菜名!!!」


 何度通ったか分からない病室。今は、菜名のお父さんもお母さんもいた。


 看護師さんに僕は止められそうになったが、菜名のお母さんは僕のことを知っていたらしく、僕を入れるように看護師さんに言ってくれた。


 「分かりやすく言えば、植物状態です。もう目を覚ますことは無いでしょう」


 医師に淡々と告げられた真実。

 僕は大声をあげて泣いた。僕は、永遠に止まりそうも無いほど涙を流した。


 「悠人くん、でしたっけ。初めて顔を合わせますけど、いつも菜名から聞いてました。本当に、ありがとう」


 僕より早く泣きやんだ菜名のお母さんが、僕に頭を下げる。僕の推定だが、きっとある程度覚悟はしていたのだろう。

 ありがとう、と言われても、僕は何を言えばいいのか分からなかった。


 「菜名の、意識が無くなったほんの少し前に、悠人くんが来てくれたみたいで。菜名も、最期に悠人くんと会えて幸せだったと思いますよ」


 僕の方こそ、菜名が――まだ意識のあるうちでの――最期のときに一緒にいられて、幸せだった。

 愛する人の、さいごのさいごに言った言葉が、僕に対する――


 「あと、これ。たくさんあって、申し訳ないんだけど……菜名が、悠人くんに見てほしいって」


 かつて『死んだら、あげるね』と言われていたスケッチブック。

 僕が菜名の絵をはじめて見た頃のスケッチブックから、鉛筆が持てなくなっても腕に抱えていたスケッチブックまで、合わせて20冊を超えていた。


 最初に見た菜名の絵であるコスモスと、妙に美化された僕。

 最初から絵はとても上手かったが、ページを捲るごとにさらに生き生きとしてくる。


 「菜名、もう長くないことは去年から分かってて。どうせ死ぬなら中学校に行ってみたい、て言っていたから……」

「馴染めないかもしれないし体調的にも無理かもしれないなあ、と思いながら行かせてみたんだけど。菜名が悠人くんに出会えて、本当に良かった」


 菜名のお母さんの声を()()ながら、さらにスケッチブックのページを捲っていく。


 僕に絵を見せてくれなかった理由が分かった。


 最初の方こそ風景画や花、物の絵がほとんどであったが、いつの間にか菜名のスケッチブックは僕でいっぱいだった。体育の時間の大半、僕の絵を描いていたのかよ。ちょっとだけ突っ込みたくなる。


 この絵は、あの日見た海。するつもりはなかったのに告白しちゃった日だ。

 あの時はめちゃくちゃ恥ずかしかったが、今となっては無意識的な告白ではあったが良かったと思う。


 もしあの日何も言わなかったら、本当に何も伝えられないまま終わってしまったかもしれないから。


 その次のページには、僕の横顔がさらさらと描かれていた。

 その下に小さく、『私が元気なら、悠人と一緒にいられたのにな』なんて書いてあった。


 十何冊目、となってくると入院した後のスケッチになる。スケッチというか、記憶半分想像半分で描かれた僕というか。

 本物の僕はこんなにイケメンじゃないのにな~、と思いながら目に焼き付けるように見ていく。


 「窓の外を見つめている時、何を描いているのかなって。見せてもらったら私までびっくりしちゃったんですよ。病気があろうとも、やっぱりこういう年頃なのね」


 僕は見ていてかなり恥ずかしかったが、嬉しさが勝っていた。


 菜名も本当に、僕のことを好きでいてくれたんだ。


 菜名は、()()()()()()の少し前、僕のことを想い、スケッチブックに描きながら窓の外を見て待ってくれていた。


 僕はなんて幸せ者だったのだろう。


 20冊以上あったスケッチブックの、最後から数枚のページを開いた。


*


 悠人へ


 最初に会った時、隣の席だったね。やっぱり私も病気とかあるからあまりクラスに馴染めなかったんだけど、悠人がいろいろ話してくれて嬉しかった。私の運、全部そこで使っちゃったかもね(笑)


 スケッチも、あんまり人に見せるの好きじゃないんだけど、なんとなくだけど、悠人には見せたいなって思った。もちろん、悠人を描いたやつは恥ずかしすぎて見せられなかったけどね。

 いつの間にか悠人のことをいつも見てたの。だからたくさん描いた。やっぱり見せるの恥ずかしいけど、これを読んでるんだからもう遅いよね。


 真冬なのに海行ったよね!あの日のこと、最近はほとんど毎日思い出してる。すごく嬉しかったんだ。

 もちろん海一回も見たこと無かったからっていうのもあるけど、『悠人と』行けるって方が嬉しかった。


 堤防座って悠人の肩に私の頭なんかのせちゃって、無意識でやってたんだけど、それに気付いたときどうしようって思った。気持ち悪がられちゃったら、悠人にまで避けられるようになっちゃったら、って。


 まさか告白されるとは思ってなかったし、今なら死んでも良いやって思えるくらい幸せだった。

 でもその「死んでも良いや」が私の場合比喩とか形容とかじゃなかったんだよね。本当に数ヵ月後死んじゃうから。


 私が元気だったら、悠人といっぱい遊びにいけたのにな。

 隣にいられたのにな。

 もしかしたらお嫁さんにだってなれたのかも……なんてね。


 でも、私にはそんな時間が無かった。

 本当にごめんね。私だって、悠人の気持ちに負けないくらい、それ以上、好きだったんだよ。


 今はまだ鉛筆を持てるけど

 もう腕に力があんまり入らなくて、多分もうすぐ悠人の絵を描けなくなっちゃう。

 もしかしたら悠人のことも忘れちゃうかもしれない。ひどいこと言っちゃうかもしれない。


 でも、私は悠人のこと、死んじゃう瞬間まで好きでいたいと思ってるよ。


 これを見ているということは、私が死んだ後なのかな。何回も何回も、私が死ぬまで会いにきてくれてありがとう。


 私は悠人を幸せには出来なかったから、思いっきり幸せになってね!!

 私の分まで、とは言わないよ。だって、私は悠人と出会えて幸せだから。多分、全世界の死んじゃう人の中でも一番、幸せって思いながら死ねると思うよ。

 私のこと忘れてもいいよ。

 大好きな人に絶対出会ってね。その人のこと、私以上に幸せにしてあげてね。


 こんな私でごめんね。元気な人じゃなくてごめんね。悲しい思いしかさせられなくてごめんね。今までありがとう。好きになってくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。


 悠人、大好きだよ。


 松木 菜名


 *


 夢中でスケッチブックを見ては泣いてを繰り返すうちに、いつしか夜になっていた。

 僕の家には、菜名のお母さんが連絡してくれた。もし菜名に何かあったら僕に伝えようと、僕の家の電話をケータイに登録してくれていたらしい。


 僕は未だに泣き続ける。もう一生涙が止まらなくてもいいや、とすら思う。

 言葉にならない声で何かを呟き続ける。傍から見たら不審すぎるが、僕はそんなこと考える余裕も無かったし、菜名のご両親もそっとしてくれた。


 *


 「卒業証書、届けに来ました」

 僕はすごく久しぶりに、菜名のもとを訪れた。

 見た目は人工呼吸器をつけていること以外は眠っているようにしか見えない。


 「こんな状態だけど、年齢としては15歳になって、中学を卒業して。――これを区切りに、菜名みたいに体の弱い子たちを救おうと思うんです」


 菜名のお母さんは、淡々と言った。


 臓器提供。


 複雑だが、このまま目を覚まさない眠りを続けるよりは、誰かの役に立った方がいいのかもしれない。

 その気持ちは僕よりも、菜名の肉親であるお母さん、お父さんの方が強いだろう。


 僕は頬に涙を伝わせながら頷いた。


 「一人でも、菜名みたいな、お父さんやお母さんみたいな、僕みたいな思いをする人が減ってくれればいいですね」


 *


 僕は、菜名のスケッチブックを全部貰っていた。


 僕は寂しくなったら、スケッチブックを見た。

 そして、泣いた。こんなことしたら余計に寂しくなるかもしれないが、同時に、寂しくなるということはまだ僕の中にしっかりと菜名がいてくれるということだと思った。


 今頃誰かの体の中に菜名がいる。僕の中にもずっと菜名がいる。


 菜名は、死ぬ瞬間まで僕のことを好きでいてくれた。

 僕もまたいつか恋をするかもしれない。

 その時は菜名の最後の手紙にも書かれていたように、僕は誰よりも幸せになってやる。僕のまだ知らぬ相手も幸せにしてやる。


 でも、一つだけ、菜名の手紙には従わない。


 僕は菜名を、死ぬまで忘れない。

お読みいただきありがとうございました。


よろしければ、またの機会に。

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