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Angel:Vanish  作者: 桂里 万
第二章 風を斬り走れ
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2.情報屋 (その3)

 ジェイはその日に起こった出来事を、かいつまんでジュージューに説明した。細かい話は省略しても、説明にはそれなりの時間がかかった。正体不明のアラームの存在、ヴァニッシュの来訪、襲撃者の来襲、ヴァニッシュと襲撃者、アラームの全てから感応物質を検知できないこと、そしてヴァニッシュの記憶障害のこと。ジェイは、改めて今日起こった出来事の膨大さを噛み締めることになった。

 当初はエリザたちが気になり、ジェイの話の半分くらいは頭に入っていなさそうなジュージューではあったが、襲撃者の来襲のあたりから真剣な表情に変わり、情報屋らしい抜け目のない鋭い目つきでジェイの話に耳を傾け始めた。

 長い話に対して特に口を挟むことなく聞き終えたジュージューは、ふんふんと小さく頷きながらジェイに言った。


「なるほどね。事情は大体分かったよ。とても信じられないこともあるけどね」

「おい、残念ながら全部真実だぞ。冗談で自分の事務所や専用カップを燃やしたりするものか」

「ああ、疑うのは職業病みたいなものだから、気にしないでいいよ」


 ジュージューは左手をジェイにヒラヒラと振りながら、右手は椅子の傍に置いてある小さな机の上に置かれた、中身が一体何なのか全く判別できない飲み物が入った容器を手に取り、ドロリとした液体を口に含んだ。ジュージューいわく、特製の栄養ドリンクとのことだが、その匂いを嗅いでしまうと、とても身体に良さそうな成分が含まれているとは信じられない。しかし、ジュージューは特に何の表情を見せることもなく、その液体を飲み込んだ。


「まあ、疑い出したらキリがないから、全部真実だと仮定して話を進めるよ。まず、追っ手を撒くという目的のためにスラムに来たのは、大正解だったと思う。ボクが同じ立場だったとしても、そうしていたと思う」

「そりゃどうも」


 お褒めに預かり恐縮です、と皮肉でも言いたげな表情でジェイは答えた。ジュージューはジェイの茶々に気を止めることなく、先を続ける。


「正直言って、襲撃者云々のところはかなり眉唾っぽいけどね。そんな高階層の人間が、こんな最果ての最下層の第一階層の、それもジェイの旦那のビルに現れるだなんて、とても信じられない」

「おい、信じられないなら、ジムのデータを洗ってくれればすぐ分かることだぞ」

「もちろん、その必要があればそうさせてもらうよ」

「それにな、あいつは別に俺に用があったわけじゃなく、こちらの淑女レディを追いかけて・・・おい、どうした?」


 ヴァニッシュのほうに向き直ったジェイとジュージューは、彼女がソファに座りながらエリザの肩に小さな頭を預けて寝入っている姿を発見した。エリザはジェイにウインクしながら、人差し指を立てて唇に当て、ヴァニッシュを起こさないように気を付けるようメッセージを送っている。

 無理もない、とジェイは呟いた。ヴァニッシュは昼に事務所に現れた時点で既に疲労困憊であった上、その後の逃避行もある。事務所で多少睡眠をとって回復したとはいえ、さすがに疲れがピークに達したということだろう。

 ジェイは先ほどまでよりやや声を落とし、ジュージューとの会話を続ける。


「まあ、その、なんだ。奴はこのヴァニッシュさんを狙った刺客だと思われるんだ」

「この子、何者なんだろうね?」


 奇妙な表情でヴァニッシュを見つめているジュージューの当然の疑問に、ジェイは首をすくめてその答えを持っていないことを言外に告げる。


「さあな。とっとと記憶が戻ってくれれば一番手っ取り早いんだがな」

「うん、それは確かにそうなんだけど、医者を呼ぶわけにも医者の仮想人を呼び出すわけにも、もちろん病院に直接連れて行くこともできないぜ」

「そういうことだ。下手に動くと、あの野郎に察知される可能性もあるからな。とくにネット経由はマズイ。それにしても、あいつの生死が不明なままだと、こっちとしてもどう動くべきか決めることもできんな」


 その言葉を聞いたジュージューが、話の向かう先を察知したかのように、うんざりした表情でジェイに問いかける。


「で、今後どうするつもりなのさ? スラムに隠れるのは間違った対策じゃないと思うけど、なんでボクがそこに絡んでくるんだよ?」

「おいおい」


 ジェイは意外そうな表情を浮かべて、ジュージューに目的を告げる。


「スラムでの協力者がいなければ、ここでの生活なんて難しいに決まってるだろ。さっき話したとおり、俺たちには協力者が必要なんだよ」

「だから! 何でボクが協力しなきゃいけないのかってことだよ!」

「おいおいおい。俺たちは長い付き合いじゃないか。持ちつ持たれつで協力し合わないと」

「おい、ふざけんなよ! 厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだぞ!」


 ここでジェイはさらに真剣な表情になり、ジュージューを諭すように話を続ける。


「もちろん、仕事としての依頼だ。俺たちをまず匿ってほしい。そして、ここで生活できるよう協力してほしい」

「あのな、ボクは情報屋なんだぞ。そんな仕事を請けるわけないだろ。もし襲撃者の話が本当だったとしたら、ボクが無用な危険に巻き込まれるだけじゃないか!」

「問題はそこだ」


 その言葉に目をパチクリとさせたジュージューに、ジェイはさらに畳み掛ける。


「いいか? あれだけの能力を持った相手だ。俺の素性なんてあっという間に掴んでいるだろう。そもそも事務所を乗っ取られた時点で、俺のデータは全てあいつが握っているはずだ。そうなると、俺がスラムに逃げ込んだと知ったあいつが、次に何をすると思う?」


 ここでジェイの言いたいことを悟ったジュージューは、うめき声を上げながら呟いた。


「もちろん、あんたの交友関係の中から、スラムに関係がある人物を片っ端から洗う・・・」

「そういうことだ。俺たちは厄介ごとを持ち込んでいるわけじゃない。俺たちがここに来なくても、厄介ごとはお前を襲っていた可能性が高いんだ」


 ジュージューは観念したかのように目を瞑り、椅子の背もたれに全体重を預けた。確かにジェイの言うことには一理ある、とジュージューも認めざるを得ない。何の事情も知らないまま襲撃されていた可能性もあることを考えると、ジェイたちの到来は、貴重な警告となったのかもしれない。


「ああ。そうかもしれないね。でも、その態度は気に入らないな。自分たちで事故の原因を作っておきながら、その事故の警告をしてやったと、それを恩に着せるのは筋が違うんじゃないか?」


 腹立ち紛れか、ジュージューの声が先程までよりも大きくなった。ジェイは人差し指を唇に当て、顎をヴァニッシュの方にしゃくった。ここで、ジュージューはジェイの言いたいことに気付いた。


「・・・悪かった。あんたの言葉を信じるなら、その子が襲撃されたんだもんな。記憶喪失の子を責めるのも筋が違うよな」

「こっちも悪かったと思っている。ただ、お互い平和な生活を取り戻すには、協力が不可欠だとは思わないか? 荒事は俺担当、情報はお前担当、事務処理と感応力操作はエリザ担当。うちの自慢のジムも、もちろん協力する。どうだ?」


 ジェイの提案にジュージューはクスリと笑い、おかしそうに目を細めながら答える。


「荒事担当って言うけどさ、桁違いの感応力を持った、しかも強化人間相手に何をどうするつもりなのさ?」

「・・・ふん。何事も知恵と勇気さ。荒事担当と言っても、別にあいつに力比べを挑んだり、武器の練度を競ったりするわけでもあるまい。相手の土俵に乗らないことが肝心さ。それに、あいつが死んでるなら、そんな心配も無用ってもんだ」


 ジェイのぶっきらぼうな言葉にジュージューは一つ頷き、小さな右手を差し出した。


「まあ、しょうがないな。ただ、これはあくまでも仕事として請け負うからな。やったことに対してはキッチリ請求するからな」

「ああ、それで結構だ」


 ジェイは差し出された手を静かに握り返し、二人の契約は成立した。何を思ったか、エリザもその上に手を重ねて、にこやかに微笑む。

 ジュージューは手をさっと離すと、もう一度飲み物の容器を手にし、またもや怪しげな飲み物を口に含みながらジェイに問い掛ける。


「で? 今後どうするのか、何か案はあるのか?」

「まあ、あるにはある。詰まるところ、襲撃者が死んでいれば何も問題ないんだが、そうじゃなく怪我をしているのであれば、状態を知りたい。あまり考えたくはないが、無事でピンピンしているなら、そうだという確証がほしい」

「うん。それは当然必要な情報になるね。ただ、問題はそれをどうやって手に入れるかだよ?」


 確かにそこが問題だと、ジェイも心の中で相槌を打った。

 方法自体は、思いつくままでもいくつか考えられる。例えば、ジムとジュージューの情報処理能力があれば、ジェイの事務所周辺の映像ユニットなどをハッキングして、事務所の様子を探ることも、周辺の病院の情報にアクセスして当日運び込まれた患者がいるかどうかを探ることも、もっと極端な手段を採るとすれば、治安警察の情報にアクセスすることも可能かもしれない。

 しかし、それで襲撃者の情報を掴むことができたとしても、逆にジュージューたちの工作の痕跡をトレースされる可能性もゼロではないところに問題がある。

 今回の襲撃者は、第一階層の人間から見れば規格外の相手であるため、どれだけ用心しても用心しすぎることはないと、ジェイもジュージューも心得ており、必然的に足が着く可能性がある方法を除外してしまうしかない。

 こういった思考はジュージューの情報屋としての腕前を疑っていることにも繋がりかねないため、本来であれば激昂しても不思議ではないのだが、ジュージューは自らの技術を過信することなく、万が一の可能性を用心することができ、これこそが、まだ子供といってもいい年のジュージューを一流の情報屋と呼ばれる領域に押し上げているのである。

 もちろん、ジェイはジュージューのそういった性質を非常に信頼しているため、今回の相棒として迷いなく選択できたのである。


「・・・腹案はある」

「へえ、そいつは興味があるな。分かってるとは思うけど、ハッキング系は止めておいたほうがいいよ?」

「もちろんだ」


 ジュージューは椅子から僅かに身を乗り出して、ジェイの提案を待った。


「直接様子を見てくる、ってのはどうだ?」


 ジェイは唇の端を歪ませ、ニヤリとしながらジュージューに提案した。

 その提案に対するジュージューの返答は、口を大きく開け、ポカーンとした魂が抜けたような表情であった。


「まじめに聞いて損したよ!!」


 ジュージューは失笑を通り越して、心底呆れたような表情でジェイを睨みつけた。エリザもさすがにこの提案には顔をしかめていた。


「ジェイ、それはいくらなんでも・・・」

「そうだよ! エリザさんのほうがよっぽど物の道理が分かってるよ! いいか? 今あんたの元事務所に近付く人間なんて、襲撃者からしたら格好のチェック対象になるに決まってるだろ。あんたのさっきの話を信じるなら、あんたのビルどころか周辺の映像ユニットはまず間違いなくハッキングされている状態なんだから、近付いたら即捕捉されるに決まってるだろ!」


 ジェイは小さく笑いながら返答する。


「いや、悪かった。説明不足だったな。そんなことは言われなくても、もちろん分かってるさ。俺が言いたいのは、何も事務所に近づいて見る必要はない、ってことさ」

「・・・どういうことさ?」

「お前の言うとおり、今事務所に近づくのは自殺行為だ。となれば、離れた場所から観察するしかない。しかし、離れた場所の映像ユニットをハッキングしても、その痕跡が残って跡を辿られる危険性がある」


 ジュージューは腕を組んで、まだジェイを睨み付けながら彼の話の続きを待った。


「終戦塔って知っているか?」


 ジュージューはジェイの意外な一言に面食らった。この話の流れの中で、なぜ観光地の名前が出てくるのか?一瞬ジェイの頭がおかしくなったのかとジュージューは訝しんだが、計画の続きを察知したのか、表情が驚きに変わっていった。


「おい、まさか・・・」

「ああ。終戦塔には旧い光学式の双眼鏡が備え付けられているはずだ。あれなら、事務所の周辺を探ることができる。映像ユニットと違い、さすがにこれは奴の注意は引かないだろう。そもそも、高階層の人間であれば、終戦塔の存在も、そこに光学式の双眼鏡があることも知るはずがない。そして、ジムの能力なら、事務所周辺にいるはずの治安警察や野次馬の連中の読唇も可能だ。襲撃者の死体が出ているなら、その話が会話に出てくるだろうし、病院に担ぎ込まれたなら、その話も然りだ」

「で、爆発の原因も犯人も不明、ということになれば・・・」

「ああ、奴は逃げ延びている可能性が高い」


 なるほどな、とジュージューは不本意ながらも少しだけ感心した。これは確実な方法というわけではない。しかし、襲撃者の生死を確認するという目的に対し、ハッキングがほぼ使用できないという、ジュージューにとってほとんど手足を封じられたような状況の中では、かなり実現性の高い計画であるように思われた。

 それでも、エリザは懐疑的な表情だった。


「そんなに上手くいくものなのでしょうか?」

「なあに、それで奴の生死を確認できなかったからといって、こちらが失うものは何もない。やってみるだけの価値はあるはずだ」


 ここでジュージューは、一つの問題点を発見した。それは致命的ともいえる問題だった。


「いや、ちょっと待ちなよ。終戦塔はスラムの外だぞ? あんたかエリザさんがスラムの外に出たら、あっという間に敵に捕捉されるんじゃないか?」

「そりゃそうさ。でも、大丈夫だよ」


 ジェイが肩をすくめながら、こともなげに言い放った。


「終戦塔に行くのはお前なんだからな」


 その答えを聞いたジュージューは、文字通り椅子から飛び上がって仰天した。自分の事務所からすらほとんど出ないジュージューにとって、外出などもっての外である。それがさらにスラム街の外となると、想像すらしたことがない出来事と言えた。

 結局、ジュージューの猛反対は、ジェイの無愛想な説得とエリザの粘り強い説得により、ジュージューが渋々納得するという結果に終わった。


 明日、ジュージューが終戦塔に向かい、情報を収集してくる。

 端的に言えばそれだけのことであるが、これが、その結論に向かうまでの「昨日の出来事」の顛末である。










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