2.情報屋 (その2)
早速経過を報告しようと口を開きかけたジュージューだったが、ふとある事を思い出し、突然ジェイに苦情を言い始めた。
「いや、ちょっと待った。その前に言っとかないと! 今回の仕事はちょっと割に合わなかったぞ! ネット中心の情報屋に対して外に出ろって仕事を頼むのは、やっぱりどう考えてもおかしいぞ。そもそもだな・・・」
ジェイはややうんざりしながら、ジュージューの意見に口を挟み、きっぱりと反論する。
「おい、ちょっと待て。そこのところは、昨日散々話し合ったじゃないか。今さら蒸し返すなよ」
「いや、昨日は話し合ったというか、あれはほとんど有無を言わせない口調だっただろーが。何となく空気に流されたボクも、悪いっちゃ悪いんだけどさ。でも、いろいろとおかしいだろ」
エリザとヴァニッシュをそっちのけに、ジェイとジュージューは口論を始めそうになっていた。特にジュージューは口角泡を飛ばさんばかりというほど、興奮し始めている。ジェイもいつも以上の無愛想さで応戦しているところを見ると、意外に興奮しているのかもしれないとエリザは推測した。
ヴァニッシュは二人のやりとりを完全に無視し、昨日の話し合いとやらを何も聞いていない彼女は、小さく首を傾げエリザに確認する。
「昨日の話し合いって?」
「ああ、そういえば、ヴァニッシュさんは疲れからか、ここに着いてからずっと寝ていたわね。そうね。昨日ここで何があったのか、簡単に説明しましょうか」
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ジェイたちが言っていた昨日とは、ヴァニッシュがジェイの事務所に現れ、正体不明の襲撃者に襲撃された日のことである。
ジェイの機転により襲撃者を撃退し、無事に事務所を脱出したジェイ、エリザ、ヴァニッシュの三人は、ここからどこに向かうべきか悩むことになった。
最大の懸念は、襲撃者があの爆発で死んだという確証が無いことだった。もし襲撃者が完全に無事であったとすると、ジムの能力すら軽く凌駕するハッキング能力により、あらゆる建物、道路、設備に備わっている映像ユニットを使用して三人の行方を追うことは、造作も無いことと予想できた。
仮に怪我をしていたとしても、意識さえハッキリしていればハッキング作業自体には大きな支障は無いため、三人の居場所を追いかけられ続けた上で、傷が癒えてから再び襲撃されることだろう。
もちろん、至近距離であの規模の爆発を受けた襲撃者が無事である可能性はそう高くないと、ジェイは踏んではいた。しかし、そうでない可能性も考えられる以上、予防措置を講じておくのは、生き残るための当然の義務であると言えた。
ここでジェイに考えられる予防措置は、襲撃者の追跡を確実に撒くことにあった。映像ユニットのハッキングによる追跡を逃れるには、いくつかの方法が考えられた。
まず、映像ユニットをあらかじめジェイ側がハッキングし、偽の映像情報を流す方法がある。
しかし、ジェイは即座に心の中で即座に却下した。映像ユニットは極小型であり、一つの建物の壁面にすら万単位の数が設置されているため、これら全てをハッキングするには、ジムの能力をもってしても不可能であった。しかも、ジムは事務所破壊から逃れるために、今はジェイの小型リストユニット内に緊急避難している身分であり、本来持つ能力を最大限発揮することができない。
次に、遮蔽装置の使用も考えられたが、これも先ほどの案と同様の理由で断念せざるを得なかった。
遮蔽装置の一般的な効果範囲は数メートルといったところであり、その範囲内であれば映像ユニットの動作を止めることができる。しかし、それも100%の保証は無く、しかも効果範囲外の映像ユニットはそのまま生きているため、建物の上部にあるユニットなどには到底影響を及ぼすことができず、万を超える全ての映像ユニットを止めることができない以上、結局は何の役にも立たない対策ということになる。
こうして、最後に残った案をジェイは採用せざるを得なかった。
それは、そもそも映像ユニットどころか、あらゆる公共のユニットがほとんど存在しない、スラム地区への逃避である。もちろん、スラム地区に入るまでは映像ユニットに逃亡風景を撮影されることにはなるが、スラム地区に入ってしまえば、その先の追跡は極めて難しくなる。また、スラム地区は現代の東京都の23区とほぼ同じ広さを誇っているため、一度スラム地区に入ってしまえば、襲撃者がどれだけ強力な感応力があろうとも、その力とは無関係に、しらみつぶしに探すことも困難になる。
これらの理由により、スラム地区への逃亡は、ジェイたちが採り得る唯一の案であると言えた。
スラム地区は階層政府から単に見放され放棄された地区なので、廃墟同然とはいえ無人の建物はいくつも存在しており、雨露をしのぐことは特に問題ない。しかしながら、どのくらいの期間スラム地区に潜伏するか不明瞭なため、相当の期間スラムを基盤にして生活していく可能性があることも考慮すると、そこで実際に生活している人間の助けが必要だと思われた。
特に食事の問題が大きい。
事務所からの脱出の際に、カード式食料をいくつか持ち出したとは言え、三人分をまかなうには十分な量とは言えず、どこからか調達する必要がある。しかし、他の地域では一般的な、感応波によるドローンや自立式のロボットによる食料配送は、スラム地区ではほとんど期待することができない。どんなにがめつい商売人であろうとも、治安が最悪と言えるスラム地区の住人と取引しようとは思わないだろう。
そうなると、必然的に自ら食料品を扱う店に向かう必要が出てくる。(もっとも、新鮮な野菜、肉、魚といったものは非常な貴重品であるため、一般的に販売しているのは長期保存が利くカード式食料、単に栄養補給のみを目的としたスティック型の栄養バーなどといったものが店頭に並んでいるだけの店である)
しかし、食料調達のために建物を出ることには一つの問題があった。
第一階層の空を覆う天井とも言える、上空にある第二階層の地下最下層部の、灰色の金属層に設置されている映像ユニットの存在である。
これは、現代で言うスパイ衛星のようなもので、階層社会の管理に神経質な階層政府が、第一階層はいおろか全ての階層の全天を覆う天井部分に、無数の映像ユニットを設置し住人を監視している。それは公式に存在を発表されているわけではないが、住人にとっては公然の秘密というやつだった。もっとも、階層政府直轄のユニットであり、おいそれとハッキングできる代物ではないことも確かではあるが、襲撃者の桁違いの感応力をもってすれば、絶対に不可能というわけではないと、ジェイには思えた。
幸いなことに、昨日は天候が雨で上空には厚い雲がかかっていため、スラム地区のどこに逃げ込んだかまでは追うことができなかっただろうという希望を持てたが、今後はそうもいかなくなる。
ジェイはやむをえず、他の者に頼らざるを得なくなった。
そこで思い付いたのが、スラムを根城にし、何度も商売上で使ったことがある情報屋の存在である。思い当たる者は幾人かいたが、最も付き合いが長く、比較的信頼できるとジェイが判断している、最も近くに事務所を構えているジュージューを最上位の候補者として選択し、助力を請うことにした。
早速ジュージューに連絡を取るべく、ネット経由で音声通話を行おうとしたジェイは、はたと手を止めた。ネット経由ということであれば、どんなに巧妙に隠したとしても、ネット上に何かしらの痕跡が残るものである。その情報を襲撃者に掴まれてしまっては、元も子もないことである。
自身の感応波により、直接ジュージューの脳内、もしくはジュージューの事務所の制御ユニットにアクセスすることも考えられたが、ジェイはそういった細かな感応力の行使が不得手であり、思わぬ事故に繋がりかねないため、早々に断念した。
繊細な感応力の行使という面ではエリザの得意分野だったが、残念なことにエリザはジュージューに会ったことがなく、事務所の正確な場所も知らないため、こちらの案も断念せざるを得なかった。
そうなると、直接会って話をする以外に方法が無い。結局、三人揃ってジュージューの事務所に押しかけるという、ジュージューが事前に聞いていたら猛反対しそうな案を採用するしかなかった。
念のための用心として、街路を歩くのではなく、スラム地区にクモの巣のように張り巡らされた地下道を使うことにした。地上を歩いていれば、目撃者が発生しやすいというだけでなく、美女二人を引き連れているという状況のせいで、無用なトラブルに巻き込まれる可能性もあるからである。特にヴァニッシュのドレス姿は他の人間の目を異様に惹きやすいから、なおさらである。
地下への入り口で、その漏れ出た通路の匂いにエリザが閉口し顔をしかめたが、文句は口に出さず後を付いてきてくれたことは、ジェイにはありがたかった。また、ヴァニッシュは意外にも平然としており、昨日の出来事も合せて考えると、意外なほどに肝が据わっていると評価せざるを得ない。
こうして三人はジュージューの事務所に突然押し掛けたわけだが、当然、事務所の主人からは歓迎されなかった。スラムゆえに来客との会話用のスクリーンさえ無い建物のため、旧式の通話ユニットを介して、顔を合わせないままジェイとジュージューの間でしばらくの間口論めいたやり取りがあり、最後にはジェイの粘りに根負けしたらしいジュージューが不承不承ながらも事務所の扉を開いた。
ジュージューの事務所に初めて入ったジェイは、最初の一歩目からいきなり面食らった。玄関はおろか、廊下にも様々な雑多なモノが積み上げられており、人ひとりが通るだけで精一杯といった有様だったからである。
ジェイは、積まれたモノにうっかり触れてこれ以上ジュージューの機嫌を悪くしたりしないように、慎重に足を踏み出し、エリザとヴァニッシュもそれに倣うかのように、抜き足差し足の、泥棒もかくやという慎重さでジェイの後に付いて行った。
廊下を少し進み、小さく開けられたドアを覗くと、そこには壁面に据え付けられた6枚のスクリーンを覗き込んでいる一人の小柄な子供が見えた。ジェイを先頭にその部屋にゆっくりと入ると、ジュージューが文句を言いながら、椅子をくるりと回転させながら振り返った。
「おい、ジェイの旦那。これはさすがにルール違反じゃないのか? って・・・」
ジュージューの文句は、口の中でモゴモゴといった意味不明なうめきに変わり、やがて完全に消え失せてしまい、後にはジュージューの魂が抜けたような顔だけが残された。ジェイはこの情報屋とそれなりに長い付き合いではあるが、こんな表情をするジュージューはこれまで見たことがなかった。
「ジェイの旦那・・・? その二人は?」
ジュージューはどうやら、エリザとヴァニッシュという二人の美姫を見て、言葉を失ってしまったようだった。無理もない、とジェイは心の中で苦笑した。ジェイ自身もエリザとヴァニッシュの美貌には未だに慣れることができないのだから。美人は三日で飽きるという俗説は絶対に嘘だと、ジェイはエリザに初めて出会った日から固く信じていた。
「まあ、その辺も含めて、今から説明するよ。緊急事態なんだ。力を貸してほしい」
ジュージューにとっては予想外の二人のおかげで、普段は口やかましい情報屋もすっかり毒気を抜かれて、おとなしく話を聞いてくれそうな雰囲気になっている。こんなことなら、先程のすったもんだの時も、エリザかヴァニッシュにジュージューの説得をお願いすれば、もっと手っ取り早く済んだのではないかと思うと、ジェイの顔には自然と苦笑が浮かんでしまう。自分を含め、男というものは常に美人に弱い生き物であると、ジェイは改めて思わされた。