2.情報屋 (その1)
「おかえりなさい、ジュージュー」
たまたま、廊下に出ていたらしいエリザが帰宅したジュージューに気付き、小さく微笑みながら声を掛けた。
ジュージューは見るからに疲労困ぱいといった姿で、玄関からほとんど足を引きずるようにして中に入ってきた。さすがに、ここまでの疲労はエリザも想像していなかったらしく、わずかに息を呑むと、反射的に感応力を使用してジェイの事務所と同様に、このジュージューの事務所兼私室の床からソファを出してジュージューを休ませようとしたが、さすがに他人の部屋の造作を勝手に変更することは憚られたらしく、一歩前に出てエリザより二回り小さな体格のジュージューの腕を支えることにしたようだった。
「ちょっと、大丈夫ですか?!」
エリザの心配そうな声を聞いたジュージューは、とりあえず笑顔を浮かべて、エリザを安心させようと持ち前の軽口を叩いた。
「大丈夫大丈夫。何なら、今からもう一回終戦塔に行ってもいいくらいだよ! ・・・いや、それはやっぱりお断りしたいかなあ。まあ、大丈夫だよ。エリザさんみたいな綺麗な人に心配されるのも乙なものだけどね」
「んもう、何を言ってるんですか。とりあえず、まずは部屋に行って休みましょう」
エリザは苦笑めいた表情を浮かべ、ジュージューの腕を支え気遣いながら、慎重に事務室に運んで行った。
事務室にはジェイとヴァニッシュが、ソファの端と端にそれぞれ座っていた。エリザを含めた三人は、ジュージューの帰宅を今や遅しと待っていたのだった。
ジュージューの疲労の度合いを見たジェイとヴァニッシュもエリザと同様に驚き、手を貸そうと腰を上げかけるが、ジュージューはそれを手で制して、フラフラと倒れ込むように愛用の椅子に座り込んだ。
「ああ、やっと落ち着いたよ・・・。やっぱり外なんて出るもんじゃないね」
「お疲れさん。仕事とはいえ、面倒なことを頼んで悪かったな」
「何だよ、ジェイの旦那。いつもの無愛想だけじゃなくて、そんな気遣いもできるんじゃないか」
自分の部屋に戻り、愛用の椅子に座ってくつろいでいるだけで、ジュージューは普段の元気を取り戻しつつあった。結局のところ、普段は絶対行わないであろう肉体労働を行ったことで、身体が一時的に悲鳴を上げていただけであって、特に怪我をしたわけでもない若い身体は、自然と回復していった。
「ははーん。さては、美人のエリザさんやヴァニッシュちゃんにいい所を見せたいとか、そんなことを考えていたりして?」
「お前な・・・。それだけ軽口を叩ける余裕があるなら、さっさと結果を報告しろよ」
「おっ? 図星かな?」
ジュージューは意地の悪い笑みを浮かべたまま、なぜか立ち上がった。体力を消耗したジュージューが、居心地のいい椅子からわざわざ離れることを不審に思ったジェイが眉根を寄せるが、その疑問を敏感に察知したジュージューが先手を打って説明してくれた。
「ああ、ちょっと着替えてくるよ。余所行きの一張羅だと、くつろげないからさ」
一言残したジュージューは、さっと入口から廊下に出ると、隣部屋の物置に足を向ける。物置といえば聞こえはいいが、実際には当面必要ない雑多なものを押し込んだだけの、雑多な部屋である。ジュージューには整理整頓するという概念が無いのか、普段使用している事務室ですら、様々なモノが散乱していて足の踏み場もないくらいなのに、さらに物置部屋となればどうなるか。昨晩、初めて物置部屋を見た時の衝撃がジェイたちの脳裏に甦った。
「って、あれ??? 何で、ここがこんなに片付いてるの??? しかも、服までピカピカになってるよ!」
物置部屋からジュージューの素っ頓狂な叫びが事務室に届く。その声を聞いたエリザとヴァニッシュは、顔を見合わせてクスクス笑っていた。
「ああ、お前を待っている間に、エリザとヴァニッシュさんがやっておいてくれたんだよ」
「余計なお世話かと思いましたが、私たちが対応しておきました。まあ、私たちの寝床でもありますしね」
エリザの返答を聞いたジュージューは、早速新品同様の白さを取り戻した部屋着に着替え始めた。そのゴソゴソという音は、薄い壁を挟んだ事務室にまで聞こえてくる。
先ほどのエリザとヴァニッシュの共演を思い出して、ジェイはニヤリとした。雑多に積まれたよく分からないモノの山と、それを覆う無数のホコリ。普通の人であれば、いかに感応力があろうとも、整理するには二時間はかかるかという難物に対して、あの二人はわずか10分で成し遂げてしまった。エリザの感応力の精密さについて重々承知していたジェイではあったが、ヴァニッシュもエリザと同等かそれ以上の精密さを持って事に当たったことに、心底驚いていた。
ジェイといえば、精密作業であれば一つのモノをかろうじて動かすことができる程度であるが、あの二人はなんと同時に100を超える数のモノを操作していた。
その数のモノをまとめて外に放り投げる、ということであればジェイにも可能であっただろう。しかし、精密作業となれば話は別である。それぞれのモノに対して異なった動きを命令する必要があるため、ひどく繊細な感応力の使い方が求められる。100を超えるモノを同時に動かすとなると、ジェイには想像もできない世界であった。
「それにしても凄いね! 服がこんなに真っ白になるとは思わなかったよ。自慢じゃないけど、年季が入ったボロ服だったしなあ」
「ああ、それにはコツがあるんですよ。通常の衣類洗浄用ユニットの超音波洗浄だけですと限界があって、油脂分解用のナノマシンユニットも併用しているんですよ。通常はキッチンスペース用のユニットですけど、衣類にも応用できるんです」
「へえ、エリザさんは物知りだなあ。ボクはどうも家事には疎くってさ」
素直に感心したようなジュージューの声が響いた。
「さすがに洗濯もできないのはマズいってことで、外から衣類洗浄用ユニットくらいは買って備え付けていたんだけどね。でも、あれ? キッチン用にそんなナノマシンユニットなんて入れてた覚えはないんだけど?」
「それは、たまたまジェイの事務所から我々が持ち出すことができたユニット一式の中に、偶然有ったってだけですよ」
「へえ、ジム以外にも使えるユニットがあったんだね」
名うての情報屋であるジュージューも、こういう会話をしている時は年相応に聞こえるものだと、ジェイは一人で納得している。
やがて、パタパタとスリッパの足音を響かせて、着替えたジュージューが事務室に再び姿を現した。
「じゃじゃーん! どうだい? さっぱり綺麗な衣装に着替えたボクは?」
その場でクルクルと回っているジュージューはなぜか自慢げで、その着ている服は、確かに真っ白で清潔感あふれるものだった。とは言え、所詮はボロ服であり、擦り切れてあちこち破れている服を何枚も重ね着しているその格好は、お世辞にも上等であるとは言い難い。お世辞が苦手なジェイにとっては、適当な相槌を返すことすら困難な場面になってしまった。言葉に詰まるジェイを敏感に察知したエリザがすかさず口を挟む。
「あら、とても可愛らしくなりましたね。洗濯した甲斐があったってものです」
「へへっ」
なぜかヴァニッシュもエリザの隣で同意するかのように、何度か小さく首を縦に振っていた。いや、男に『可愛らしい』はないだろう、とジェイは内心苦笑していたが、子供らしい可愛さという意味では完全に間違った表現でもないかと思い直した。何といっても、まだ15歳の子供である。ジュージュー本人も、その褒め言葉に嬉しそうな素振りを見せていることもあり、ジェイも曖昧に首を縦に振った。
ジュージューは愛用の椅子に元気よく座り直した。服のことで機嫌が良くなったのか、先ほどまでとは見違えるような元気さである。
壁面に備え付けられた、全6枚の固定スクリーンユニットを眺めながら、先ほど入手した映像データを、リストユニット内のジムからジュージューの事務室の制御ユニット「パルサー」にデータを転送させる。
感応波による直接入力が可能なヘッドセットと、それを補助する3Dキーボードを使いながら、ジュージューは何の気なしに軽口を続ける。
「まさか、エリザさんみたいな美人で優秀な秘書がいるなんて、なんでジェイの旦那は教えてくれなかったのさ? ボクらの付き合いはそれなりに長いと思うんだけど。ひょっとして、ボクに取られるのが嫌で隠してた?」
「んー? 別に隠していたつもりはないけどな。お前と直接顔を合わせる機会なんてほとんどないし、うちの事務所に来たことは無いだろ? 特に紹介する機会も必要も無かったってことだろ」
「何だよそれ。持ちつ持たれつの商売仲間に対して酷い扱いじゃないか!」
クスクス笑いながらジェイとの会話を続けるジュージューの手は止まることなく、作業は進んでいる。
「いつからエリザさんを雇ったのさ?」
「ん? ああ、2~3年前になるかな? 大学を飛び級で卒業したエリザをスカウトした」
「スカウト? どうやって?」
「・・・誠意かな? ・・・まあ、スカウトしたというか、勝手にエリザがうちの事務所に飛び込んできたというか。エリザ様が『ぜひ雇ってほしい』ってことだったんだよ」
ジュージューはプッと吹き出して、顔だけ後ろに振り向き、エリザに向かって声をかける。
「エリザさん、何かジェイの旦那に騙されたりしていないよね? ジェイも33歳ってオッサンだから、下心には気をつけたほうがいいよ!」
「あら、ご心配なく。私は私で今の職場を気に入っていますから。それに、使い古された表現ですけど、きれいなバラには毒があるんですから大丈夫ですよ」
澄ました顔で返答するエリザと、その返答を聞いてさらにクスクス笑っているジュージュー。その二人のやり取りを聞いて、ジェイは閉口しながらも心の中で反論した。
『そりゃ、老化防止処置や若返り処置を受けていない33歳だから、オッサンと言われても不思議じゃないが、世間一般だとまだまだ駆け出しって年齢だぞ。それに、きれいなバラが持っているのは棘だろ。毒があったら、それはバラじゃなくて別の植物だ』
もちろん、賢明にもジェイは心の中の反論に留め、言葉はおろか表情にも出すことはなかった。
データの転送だけではなく、ジュージューの忙しそうな手の動きを見る限り、おそらくはデータの分析・加工まで行っていたのであろう。しかし、それらの作業もほんの2~3分で完了し、それを見届けたジュージューは、椅子をくるりと回して背後に振り返りジェイたちと顔を合わせた。
「よっと。それじゃご依頼の件の報告をいたしましょうかね」