1.終戦塔 (その2)
『東京タワー・・・ねえ』
その直接的な名称からして、スラムを含むこの地区の「ネオ・トーキョー」という名称と関連があることは明白だった。この巨大な建造物が、古代の東京に住む者にとって象徴的なものであったことは間違いないと思われ、また、このネオ・トーキョーにおいても、観光地とはいえ一種の象徴であると言っても過言ではないだろう。
ジュージューは看板の陰に隠れ人目に付かないよう気を付けて、ガイドロボットの説明に耳を傾けた。
「・・・であります。このように、多くの犠牲を出しながらも徐々に旧人類を追い詰めていった我々人類ですが、旧人類も最後まで抵抗を試みました。」
どうやら、旧人類からの独立戦争についての説明の大半は終わっているようだった。まあ、教科書通りの、どれだけ真実を含んでいるかすら胡散くさい話だろう、とジュージューは当たりを付け、むしろ彼が嫌悪するその話を延々と聞かされなくて済んだことを、幸運と感じていた。
「そして、その最後の激戦区となったのが『東京』と呼ばれた土地なのです。かつて、このネオトーキョーは東京の真上に建造されていました。もちろん、今では地表部分はプレートテクニクスにより、大陸の位置が大きく移動していることと推定されます。しかし、当時は地表にある東京と、天空にそびえるネオ・トーキョーにそれぞれの陣営の精鋭が集結し、最終的な決着を付けるべく戦いました」
ここで、期待感を煽るように、ガイドロボットは一拍を置いた。
「・・・その決着とは、皆さんご存知のとおり、我々現代人側の勝利となりました! しかし、旧人類の攻撃も激しく、この第一階層にもかなりの損害が発生することになりました。この終戦塔から周囲を眺めてみれば、そこかしこに当時の戦火の爪痕を探すことができます。多くの人の無念の上にこの第一階層は成り立っていることを、我々は忘れてはなりません」
聞いている聴衆の一部には、なんと目にうっすらと涙を浮かべている者すらいた。ジュージューにとってみれば、それはガイドロボットの通り一遍の説明に対する予想外の反応であり、心底驚いたが、涙を浮かべている者は、凄惨な過去を乗り越えたご先祖様に対する哀悼あるいは感謝の念でも生じたらしい。途方もなく純真なことだ、と呆れて、ジュージューは小さく首を振った。
「そして、当時の元老院は、終戦の記念、勝利の記念、そして平和への祈念を込めて、この地に終戦塔を建造することを決定しました。独立戦争の最後の舞台となったこの地に相応しい、旧東京を象徴する、この全長333メートルに達する『東京タワー』のレプリカを!」
なぜレプリカなんだろう?とジュージューは素直な疑問を持ったが、そこはガイドロボットが絶妙なタイミングで解説してくれた。
「当初は地上にあった東京タワーを移設することも考えられていたようです。しかし、二つの理由から断念せざるを得ませんでした。一つは、この階層世界は感応物質を含まないモノを受け入れられないからです。この階層世界は感応力を持つ現人類のために作られた理想郷です。旧世界の象徴たる『東京タワー』は感応物質を含んでいないため、この第一階層に移設することは認められませんでした。そして、もう一つの理由は、最後の戦いの激しさにより大きく傷付いた『東京タワー』は崩壊寸前で、移設作業が困難だったためです」
なるほどね、とジュージューは納得した。自分たちの勝利に酔いしれるために、勝利の証を永続的に残すという目的のためには、その証自体はは本物であろうとレプリカであろうと大差はないということらしい。将来的な保守も考えれば、自己修復機能を備えた感応物質でレプリカを作成した方が、はるかに安上がりで済むというメリットもある。
「そのため、『東京タワー』のレプリカをこの地に建造することとなりました。もちろん、レプリカとはいえ、精密に複製されているため、本物と寸分違わぬ立派なものです。ああ、ただし、本物の『東京タワー』のような、電波塔としての機能はございませんが」
ここで聴衆から、かすかな笑いの波が起きた。感応波を持たず、電波などに頼って生きていた旧人類に対する侮蔑の念が、少なからずあるのだろう。しかし、この時代でも一部の分野では電波、電磁気、その他旧人類が使っていた技術も数多く使われている。その程度のことすら知らないのかと、ジュージューは半ば呆れつつも、彼らのような人種には、その程度の知識すら必要ない生活を約束されているという事実が裏に隠れていることを悟り、純粋な嫉妬心も湧き上がった。
「さあ、皆さま。歴史の証人たる終戦塔に足を踏み入れ、我らの歴史の重さをその肌で感じ取ってください! 内部には独立戦争時の貴重な資料の展示などもございます! また、展望室からはこの辺りを一望することもできます! 存分にお楽しみくださいませ」
ジュージューは隠れた場所からそっと抜け出し、なるべく目立たないように終戦塔の入り口に向かった。ガイドロボットの説明は期待していたほどのものではなかったが、終戦塔のあらましについて、ざっと知ることができたこと自体は満足だった。
結局のところ、本物ではないのであれば、終戦塔もジュージューにとっては価値が無いものと等しくなってしまった。情報屋をやっている以上、「本物」の情報の価値が極めて高いことを痛切に実感しており、必然的に情報以外でも「本物」に対する畏敬の念は深くなる。そんなジュージューからすれば、いかに精巧な作りであろうとも、レプリカである終戦塔に価値を見出せなくなるのも仕方ないことかもしれない。
「悪鬼の如き旧人類に対し、勇敢に戦った現人類の英霊たちに・・・」
入り口に向かいながらも、背後からガイドロボットの説明がかすかに聞こえてきたジュージューは、ここで初めてクスッと笑った。
『悪鬼の如き現人類様から、ついさっき勇敢に逃げてきたのが、何を隠そう、このボクですよ!』
トロルの姿を脳裏に浮かべ、勇敢に戦った現人類の英霊たちも、悪鬼の如きトロルの姿を見たら腰を抜かすんじゃないか、と想像して、ジュージューも少しだけ愉快な気分になっていた。
入り口で50階層ドルという大枚をはたいて中に入ってみると、想像していたよりも広い空間が待っていた。
この世界では2000メートル上空には次の階層世界が建造されているため、次の階層に届き得る高層建築は絶対的に禁止されている。それどころか、ほとんどの地域では200メートル程度が上限と定められているため、300メートルを超える建造物である終戦塔を支える基底部は、他の建造物よりも大きく広がっていて当然である。しかも、元の設計は、感応力制御どころか重力制御すら行うことができなかった旧人類のものであることを考えれば、この規模の基底部の広さが必要になるのも納得である。
ジュージューは多くの人をかき分けて、エレベーター前に辿り着いた。
驚いたことに、そのエレベーターは感応力が動力ではなく、電気式という旧人類由来の建物に相応しいものだった。
さすがのジュージューも、電気式のエレベーターに乗るのは初めてで、やや緊張しながら乗り込み、目的地である展望台を目指してボタンを押した。
展望台も同様に多くの人で賑わっていた。大きなはしゃぎ声が響き渡っていることから推察するに、子供たちには大うけしているようだった。この終戦塔を建造した人たちの思惑とは別に、子供たちにはアトラクションの一種と受け取られているようで、旧人類との戦いの歴史そっちのけで展望台から外の景色を眺めて歓声を上げている。
ジュージューも年齢的には子供と言われる範疇ではあったが、さすがに歓声を上げたりすることもなく、展望台の奥に歩を進める。今日の長い道程の先、ようやく目的のものが見えてきた。
それは、展望台に備え付けられた、今時珍しい光学式の双眼鏡である。
「こんなもののために、わざわざここまでなあ・・・」
ジュージューは今日味わった様々な災難を思い出し、ブツブツと文句を言いながらも、双眼鏡に手をかけレンズを覗き込んだ。が、予想とは裏腹に、そこに何の像も映されていなかった。
ジュージューは慌てて双眼鏡を確認し、双眼鏡の横に備え付けてあった説明文に目が留まった。
「おい、金取るのかよ!」
少額ではあるが、料金を支払うことにより、一定時間双眼鏡が使える仕組みらしい。本日何度目か分からない溜息を一つ吐き、ポケットに手を突っ込んで小銭を出し、双眼鏡の脇に備え付けられた機械に投入する。
これでようやく双眼鏡は、ジュージューが望む展望台から下界を見渡す映像を映し出してくれた。
『レトロ趣味にも程があるよなあ。これじゃ、むしろジェイの旦那向けの仕事だろ・・・』
ジュージューの知り合いの中で随一の、そして唯一と言ってもいい古代趣味のジェイの顔を思い出し、更にイライラが増した。ジュージューがこんな所までやってくる羽目に陥ったのは、まさにジェイの依頼が原因だったからだ。ジェイが最も喜びそうな、古代のロマンに溢れた終戦塔で、そんなものとは無縁のジュージューが四苦八苦している現実が、本人には気に入らないらしい。
一つ息を吐き、双眼鏡を目的地の方角に向ける。しかし、倍率が大きすぎるためか、上手く目的地を見付けることができなかった。
そこにすかさずジムが助け舟を出す。
「倍率を小さくして、少しずつ倍率を上げながら対象を絞ったほうが効率的ですよ」
「分かってるよ!もう!」
ジュージューは双眼鏡のダイヤルを操作し、倍率を変更しながら、少しづつ目的地に照準を合わせていく。慣れない双眼鏡の操作に手こずり、コインをさらに2枚投入したところで、ようやく目的地をハッキリと双眼鏡で捉えることができた。
「ジム、映ったぞ」
「了解しました、ジュージュー。お疲れ様でした」
リストユニットに格納されたジムの命令で、リストユニットから一本の細い線がするすると双眼鏡に向かって伸び、その線の先が双眼鏡を覗き込む形になった。
「こちらでも映像を受信できました。確かに、ジェイの事務所です。いえ、ジェイの事務所跡と言うべきですかね」
双眼鏡の先には、焼け焦げたジェイの事務所跡と、その周りを取り囲んだ治安警察の一群と、わずかな野次馬たちを捉えていた。