4.見果てぬ世界 (その6)
「ちょっと、ジェイ、私と一緒に最上階層を目指すって、どういうこと!?」
ジェイはまだぎこちない動作ながらも、ヴァニッシュに向き直り、小さく笑みを浮かべた。
「悪いな。俺のわがままに付き合ってもらう。というか、お前にとってもメリットがある。この刑罰は、お前にかなり不利だ。俺みたいなちっぽけな人間、いつ死んでも不思議じゃない。これから、ルクレツィア以上の刺客が大挙押し寄せてきたら、かなり厄介だ。しかも、逃げ切れたところで、アリアが帰ってくるという保証は、実はないんだ。だから、俺たち自身の力でアリアを取り戻そう。こっちから攻め込んで、どこかに隠されているアリアを見つけ出そう」
ヴァニッシュは唖然とした。
だが、ジェイの言うことにも一理あった。この第一階層で一年間暮らしながら刺客を退け続けるのは、ヴァニッシュの力でも相当な難易度だった。
なぜなら、ハ・ラダー程度の感応力の持ち主が刺客であっても、第一階層に与える被害が尋常ではなく、さらに高位の刺客が相手であれば、周りの人間に被害を出さないように戦うのは至難の業だからだ。
今回は、根が善人であるルクレツィアと、その彼女に無用な被害を出さないよう『強制』されていたハ・ラダーが相手だったから、この程度の被害で済んだと言える。しかし、次回もそう都合よく行くとは限らない。
であれば、最初から高階層で戦うほうが、被害を抑えられるというものだった。
例えば、1000階層から刺客が送り込まれたとしても、もし戦いの舞台が2000階層であれば、刺客の感応力の強さでは2000階層を構成する感脳物質を操ることが出来ない。もちろん、ヴァニッシュも操ることは出来ないが、その場合は、両者とも戦場周辺の感脳物質を破壊的なまでに使用することは出来ず、被害を防ぐことが出来る。また、周辺住民に『暗示』や『強制』をかけて、無理やり戦わせるといった手段も使えなくなる。
どうせ待っていても高階層から刺客がやって来るならば、いっそ舞台も高階層に移したほうがいいという、一見乱暴ながらもよく考えられた作戦だった。
それに、もし自力でアリアの脳を取り戻せるのであれば、わざわざ一年間待つ必要もない。
だが・・・。
「ジェイ、あなた、正気ですか? それは違法に階層間移動を行うという宣言ですよ? そうなれば、この刑罰の刺客以外に、治安警察や統合軍もあなたたちを捕らえようと動き出すでしょう」
「ふん、そんなのは承知の上さ。だが、聞き分けのない秘書を連れ戻すには、それしかないんだから仕方ない」
エリザはいつの間にか口調が秘書時代のものに戻っていた。しかも、エリザはその事実に気付いていなかった。彼女はジェイの真意を測りかねているようだった。
「まあ、好きにすればいいでしょう。どちらにせよ、最上階層まで辿り着くというのは、夢のまた夢です。好きな死に場所を自分で決めるというのも、一興というものでしょう」
「さてね。無事に最上階層まで上り詰めて、お前を驚かすことになるかもしれないぞ? その時はまた褒美でも、いただくかな。・・・ところで、口調が秘書時代に戻っているぞ? いいのか?」
エリザはハッとした。口調が変わっていたことに、ようやく気付いたらしい。
小さく苦笑し首を小さく振った彼女は、また踵を返し、今度こそジェイたちに別れを告げるべく歩き始めた。そして、いつの間にか倒れていたルクレツィアも抱きかかえていた。
「では、今度こそさらばです。また会える日を楽しみに待っている、と言っておきましょう!」
エリザはその言葉を残し、一気に空の彼方に飛び去った。今度こそ、ヴァニッシュの刑罰の第一回目の結果を、第四席に報告するために去ったのだろう。
ジェイはその姿を見ながら、もう一度最上階層を目指す決意を固めていた。
気付くと、ヴァニッシュとジュージューも立ち上がっていた。ようやく、エリザの『暗示』が解除されたらしい。もちろん、エリザ自身の手による解除だった。
「ジェイ・・・。最上階層を目指すというのも、メリットがあると思うけど、やっぱり無謀だと思うよ。今回のような地の利も無くなっちゃうわけだし・・・」
「すまんな。確かにそのとおりだが、俺はメリットを重視したい。それに、エリザにもう一度会わないとな。俺はあいつの真意を知りたいんだ」
ヴァニッシュはジェイの心境を察して、押し黙った。周りが感じていた以上に、ジェイはエリザのことを大切に思っていたらしい。ヴァニッシュがアリアのことを大切に思っているように。
しかし、ジュージューはお構いなかった。ようやく強敵を撃退し、様々な謎に対する答えを得たからか、いつも以上の陽気さを発揮し、ニヤニヤとした表情を浮かべながら、ジェイをからかう。
「ジェイの旦那、かっこよかったね。『勝手に退職した秘書を、無理やりにでも連れ戻す!』だってさ! でも、どうせなら、『エリザ! 愛してる!』くらい言えばいいのに」
「お前な・・・」
ジェイは苦笑を浮かべつつも、いつもの調子に戻ったジュージューを見て、ホッとしてもいた。エリザの裏切りには少なからずショックを受けているだろうし、無理をして元気に振舞っているだけかもしれないが、落ち込んでいるよりはよほどいい、とジェイは思った。
「そういえば、ジェイ。あなた、よくエリザさんの『強制』を破ったね? 私でも手も足も出なかったのに。さすが、十二人委員会と言うべきなんでしょうけど」
「あ! そうだよ! ボクも動けなかったのに!」
ジェイは別に自慢げな様子を見せることもなく、淡々と説明する。
「俺たち三人にかけられた『強制』は、絶対に同じ強さじゃない。そうじゃなければ、ヴァニッシュが手も足も出なかった『強制』を俺が解除したことになるからな。あれは、エリザの職人芸だろう。俺たちそれぞれ別々に、俺たちが解除できないギリギリの強さで『強制』をかけていたんじゃないかな?」
「それにしても、ジェイの旦那はよく解除できたな」
ジェイはエリザが飛び去った方向の空を眺めた。もちろん、エリザの姿は見えないが、空の先にいるエリザの姿を思い浮かべていた。
「まあ、それなりに必死だったからな。俺の感応力も、今回の一件で多少は強くなったのかもしれん」
「うんうん、分かるよ、旦那。エリザさんを取り戻すためだもんな。そりゃ必死にもなるさ」
ジュージューは先ほどの話題を蒸し返すかのように、ニヤニヤしながら告げてきた。ジェイはややうんざりしながら、話題を変えた。
「それより、ジュージュー。お前はどうするんだ? 俺とヴァニッシュは最上階層を目指すことになるだろう。お前はそれに付き合う必要はない。というか、付き合っていたりしたら、お前死ぬぞ?」
ジュージューは、ジェイをからかっていた時のニヤニヤした表情から、真剣なものに変わった。ジェイの言うとおり、第一階層に住む単なる情報屋が最上階層を目指すとなると、ほとんど自殺行為といってもよかった。
だが、ジュージューの気持ちは、ジェイの言葉を聞く前から固まっていた。
「ボクも一緒に行くよ」
「ダメだよ! ジュージュー!」
ジュージューはヴァニッシュの言葉を手振りでやんわりと遮った。そして、ヴァニッシュの目を真っ直ぐに見つめながら、続きを話す。
「いや、もう決めたんだ。ヴァニッシュはボクにとって、たった一人の友達なんだ。だから、助けてあげたいんだ。そして、ヴァニッシュの友達のアリアも助けてあげたい」
「でも・・・」
「それに、僕の情報屋としての技能も捨てたもんじゃないって。むしろ、上階層に行くほど、情報の重要性は上がると思う。絶対に足手まといにはならないからさ」
ジュージューの決意を聞いて、ヴァニッシュは困惑していた。友達として手助けしてくれるのは素直に嬉しいが、ヴァニッシュとしては、こんな無謀な行動に友達を巻き込んで危険に晒すのは絶対に避けたいことだった。
ヴァニッシュには、この場で無理やりジェイを連れて行き、ジュージューを置き去りにするという手もあった。そうすれば、ジュージューは諦めてくれるかもしれない。
いや、とヴァニッシュは思い直した。例えこの場に置き去りにしたとしても、ジュージューならば一人で後を追ってくる可能性が高い。
困ったヴァニッシュは、助けを求めるようにジェイに振り向いた。
ジェイは腕組みをし、ジッとジュージューを見つめていた。そして、ゆっくりと語りかけた。
「ジュージュー、本当に死ぬかもしれないんだぞ?」
「だから、ボクはもう決めたんだ。嫌だって言われても、絶対付いていくからな!」
真っ直ぐ見つめ返してくるジュージューの視線を、ジェイは正面から受け止め、やがて小さく嘆息した。
「・・・そうか、分かった。一緒に行こう」
「ちょっと! ジェイ!?」
「こいつは置いて行ったとしても、絶対追いかけてくるぞ。それなら、最初から連れて行ったほうが、まだ安全だ。まあ、情報屋がいてくれると助かるのは、そのとおりだしな」
「でも・・・」
ジェイは顔をしかめながら、しかし目の光は不承不承ながらもジュージューの決意を称えながら、ヴァニッシュに告げた。
「それにな、分かってやれ。男がこういう決心をした時は、誰にも覆せないものなのさ」
「ジェイ!! ちょっと!!」
ジェイの言葉を聞いたヴァニッシュが、今度は見たこともないほど慌てていた。ハ・ラダーやルクレツィアと対峙していた時ですら、これだけ慌てた様子は見せたことがなかった。
ジェイはそれを見て困惑した。
その時、ジュージューの低く抑えた声がジェイに投げかけられた。
「ジェイの旦那・・・。よく聞こえなかったよ。もう一回言ってもらえるかな?」
「うん? ああ。男が決心をした時は、誰にも覆せないものなんだ、って言ったんだよ」
ジェイは困惑しながら、先ほどの言葉を繰り返した。
ふとヴァニッシュを見ると、右手を額に当てて、見るからに「あちゃー」といった表情をしていた。ジェイはますます困惑した。
突然、ジュージューの感情が爆発した。
「ボクは女だ!! ふざけんな!!」
ジェイはジュージューの言葉に、呆けた顔を返すしかなかった。反射的に聞き返そうとするが、かろうじて踏みとどまった。ジェイが聞いた言葉が間違っていなければ、聞き返せば火に油を注ぐ結果になりかねない。
「確かに、こんな若さで、しかも女が情報屋なんかやってたら舐められるから、女だと思われないようにしていたさ! でも、長い付き合いのジェイが知らないとは思わなかったよ!」
「ちょ、ちょっと待て!」
ジュージューは頭から湯気を出さんばかりに激怒していた。ジェイは慌ててなだめにかかった。
ヴァニッシュは、いつの間にか二人から距離を開けている。そして、澄ました顔のまま、あらぬ方向を見つめて、我関せずという態度を示していた。
ジェイはうなり声を上げた。そういえば、ヴァニッシュとエリザはジュージューの事務所で、ボロ服を洗濯してやったことがあった。ヴァニッシュはその時にジュージューが女だと気付いたんだろう、とジェイは推測した。
『その時に、俺にも教えてくれればよかったのに』
そんな愚痴が思わず漏れそうになるが、今となっては後の祭りである。
激怒したジュージューを全力でなだめるという、ある意味ルクレツィア撃退以上に厄介なミッションに取り組む羽目になったジェイは、胸中では辟易としながらも、この場を収めるために全力を挙げるしかなかった。
ジェイは少しずつジュージューから離れるように、歩き始めた。
その足は、大通りの先、半壊したであろうジェイの事務所の方角を向いていた。そんなジェイに引っ張られるかのように、ヴァニッシュとジュージューの足も動き出した。
ジュージューの早口の怒鳴り声は、まだ勢いは衰えていない。
そのまま三人は、ルクレツィアの『暗示』が解け、まばらに人が現れ始めたいつもの大通りを歩いていく。
ジェイはふと上空を見た。
そこには見事に晴れ上がった偽りの青い空があった。その先には第二階層がある。更にその先には二千を超える未知の階層が待っていた。先ほどはああ言ったものの、この先の困難な旅を思うと、とても明るい気分にはなれない。
やがて、ジェイは首を振って暗くなりそうな気分を振り払った。
そして、これからの困難を一時でも忘れるように、ジュージューに対してもう一度なだめにかかった。
力強い一歩を、真っ直ぐに踏み出しながら。
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そんな三人の様子を眺める人間がいた。
その人物は、終戦塔の頂上に優雅に立っていた。
もちろん、ジェイたちはその人物がいることに気付いていなかった。しかも、ルクレツィアとの戦いもすべて、特等席から見物していたその人物には、ルクレツィアも、あろうことかエリザですら気付いていなかった。
十二人委員会のエリザですら気付けないというのは、ありえない出来事だと言ってもいい。エリザ自身はおろか、周辺にあるあらゆるユニット、エリザの『法衣』の持つ索敵能力すら全て無効化していたということになる。
だが、その人物は、ありえない出来事を淡々と実現していた。
「ふふっ。あの子たち、何をやっているんだか」
その人物は小さく苦笑していた。
そして、エリザが去った空と、歩いて立ち去るジェイたちを見て、今度は嬉しそうに微笑んだ。
彼女こそ、エミリア・フラッシュフォートと呼ばれる人物だった。
やがて、ジェイたちの姿が見えなくなると同時に、彼女も別の方角に飛び去った。ジェイたちの旅路の先で起こるであろう出来事に、少しだけ心配しながら。
「思ったよりも早く、あなたたちに再会できるかも知れませんね」
エミリアが最後に残した言葉が、緩やかな風とともに青空に舞った。
雲ひとつ無い快晴は、ジェイたちの旅路の先に待つ希望を暗示しているのか、それとも偽りの希望を暗示しているのか、それはこの時点ではまだ誰にも分からなかった。
ということで、Angel:Vanish第一部完結です!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本当に感謝の念しかありません。
お読みになった方は、「なんで、こんな中途半端なところで完結?」と疑問を持たれるかもしれませんね。
Angel:Vanishは全四部構成を考えておりまして、今回は「起承転結」のうちの「起」に当たる、物語全体の導入部になります。
ジェイたちが2000階層を超える世界を踏破する決意を固め、旅に出るまでという、本当に物語の序盤部分です。
この先、長い旅の中で多くの人に出会い、多くの敵と戦い、やがて世界の秘密を知ることになるでしょう。
そんな第二部を書き始めるのは・・・ちょっと先になりそうですorz
物語の大枠は考えていますが、細部は全く煮詰められていませんので、時間がかかりそうです。
それから、他にも書きたい題材があって、そっちを先に書くかもしれません。
その間に、書き上げた第一部の推敲はしっかりやろうと思っています。
書き溜めていた第一章はともかく、第二章と第三章は書く速度を重視していて、推敲が完全ではないからです。
誤字脱字もそれなりにあるでしょうし、変な言い回しや、人物の言動の継続性がおかしいなど、探せばいくつも粗がありそうです。
そんな感じで、一本の小説としては、突っ込みどころの多い完成度だったと思います。
ですが、そんなAngel:Vanish第一部を最後まで読んでくださった皆様に、もう一度お礼を申し上げます。
ありがとうございました!
あ、ここまで読んでいただいた感想や評価などをいただけますと、とっても嬉しいです。
それでは、第二部でまたお会いしましょう!