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Angel:Vanish  作者: 桂里 万
第三章 絆を抱いて
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4.見果てぬ世界 (その4)

 エリザは小さく嘆息した。ヴァニッシュが記憶障害だと知った当時の困惑が甦ったかのように。


「まさか、記憶障害で刑罰のことはおろか、自分の名前さえ覚えていないとは思いませんでした。彼女がヴァニッシュだと名乗った時は、耳を疑いました。その時だけは、この秘書の仮面も剥がれかけていたかもしれませんね。そして、そこで私は決断を迫られたのです。当初の予定通り、その場で秘書役を辞めて刑務官に戻るのか、それとも、別の方法を採るか」


 エリザはもう一度嘆息した。


「私は、そのまま秘書役を継続し、少なくとも美桜の記憶が戻るまでは一緒にいようと決めました。まあ、記憶障害とはいえ、医者に診せれば時間をかけずに治るでしょうし、記憶を取り戻した時点で改めて刑罰が既に開始していることをを告げて、秘書役を辞めるつもりでした。ところが・・・」


 エリザはさらに嘆息した。今度のため息は、それまでのものより明らかに深いものだった。


「まさか、間髪を入れずにハ・ラダーが攻め込んでくるとは・・・。もう少し、偵察とか考える頭脳は無かったのかしら? おかげで、美桜を医者に診せることもできず、そのままずるずると逃避行に巻き込まれたという次第です」


 ここまで話したエリザは、いきなり両手の平を、まるでジェイに許しを乞うかのように顔の前で合わせた。そして、ジェイにひとつウインクした。


「ごめんなさい。あなたが疑っていたスパイは、私でした。この刑は、美桜がジェイを守り刺客と戦うことに主眼がありますから、追いかけっこをすることが目的じゃありません。ですから、ジェイたちの位置は、常に私からルクレツィアに情報を流していました。ハ・ラダーにはルクレツィアから情報が流れています。ちなみに、ハ・ラダーは、ジェイの秘書エリザが何者なのかは知りませんでした。そして、ハ・ラダーとの戦いで美桜が記憶を取り戻したのを確認し、ようやく本来の刑務官役に戻れたというわけです」

「いや、ちょっと待て。ヴァニッシュの記憶が取り戻せていない状況で、俺たちの位置情報を流していたのか? ヴァニッシュを医者に診せて、記憶を取り戻してから戦闘開始、のほうがお前にとっても都合がよかったんじゃないか? そうしなかったから、ヴァニッシュは記憶を取り戻せないまま、お前はハ・ラダーとの戦闘に巻き込まれているじゃないか」


 エリザは小さく鼻を鳴らした。


「ええ、そうしたいところでしたよ。ですが、第四席にあらかじめ念を押されていました。アラームが鳴った時点で刑罰は開始だから、どんな事態になっても戦闘開始を遅らせることをしてはならない、と」


 そこまで話したエリザが、突然深く眉根を寄せた。右手をあごに当て、何か考え込み始めたようだった。その姿は、ジェイの記憶の中にある、集中しているエリザの姿のままだった。

 10秒程度黙って考え込んでいたエリザが、ジェイたちの耳に届かないほどの小さな声で呟いた。


「まさか、記憶障害も計画のうちだったってこと? 彼らが脳移植手術などで記憶障害を引き起こすような未熟者のわけがないし・・・」


 自分の声を聞き、ふと我に返ったエリザは、たった今の考え事など無かったかのように、ジェイに真っ直ぐ向き直った。


「こんな返答で、ご満足いただけましたか?」

「・・・ああ。大体事情は分かったよ」

「そうですか。それは何よりです」


 エリザは屈託の無い笑顔を見せた。

 だが、ジェイたちには、まだまだ確認しなければならないことがある。

 次はジュージューが質問を発した。


「エリザさん、次はボクの質問だ」

「ええ、どうぞ。回答するのは一問だけですから、よく考えてくださいね」

「うん。話を聞きながら、ずっと考えてたよ。じゃあ、ボクの質問だ。美桜に対するこの刑罰に、一体どんな意味があるの? さっき、エリザさん自身が言ってた。この刑罰は前代未聞だって。そんな刑罰をわざわざ考え出して実行している、その理由は何?」


 ジュージューの質問に対し、エリザは何度も首をうなずかせた。


「うん、あなたたちの疑問はよく分かります。特に、こんな事態に巻き込まれた、ジェイとジュージューは、その疑問が強いでしょうね」


 エリザはジェイとジュージュー二人を交互に見て、そして小さく頭を下げた。


「ごめんなさい。その質問には答えることができません。私にはその権限がありませんから」

「・・・権限って?」

「この刑罰が、ある目的に沿ったものだということは知っています。決して、行き当たりばったりの、無目的な刑罰ではありません。ですが、その内容を話すことは、『天上の四人』によって禁じられています」


 ジェイたち三人は一様に驚いた。神流 美桜に対する刑罰には、十二人委員会が関わっているというのは、ある程度予想していた。美桜に対し、判決を下したのは十二人委員の誰かである可能性は、ヴァニッシュ自身が指摘していた。

 だが、その十二人委員会すら束ねる『天上の四人』が関わっているというのは、予想外だった。

 十二人委員会直属の実働部隊の問題とはいえ、たかだか兵士一人の反逆行為に、なぜそこまで関心があるのか、不思議としか言いようが無い。


「今の私が言えるのは、二つだけです。まず、この刑罰自体、より大きな計画の一部だということです」

「計画、だと?」

「ええ。あなたたちが知る由もない、人類にとって不可欠な計画の一部です。第四席が中心になって進められている、『プロジェクト・サクラ』と呼ばれる遠大な計画のね」

「『プロジェクト・サクラ』・・・だって?」


 ジェイたちは混乱してきた。一兵士の反逆を罰することが、人類にとって不可欠な計画の一部である、と告げられても、まったくピンとこない。これがもし、エリザ以外の人間から告げられたとしたら、ジェイはその人間を容赦なく狂人だと決め付けたことだろう。それ程、エリザの発言内容は突拍子もないことだった。

 そんなジェイたちの混乱に気付かないかのように、エリザは淡々と先に進めた。


「そうです。ですが、その計画内容を話すことはできませんし、話すつもりもありません。私から言えるのは、精々頑張って生き延びてください、ということくらいです」


 エリザは肩をすくめた。


「そして、もうひとつ。ジェイ、あなたがこの刑罰の対象に選ばれたのは、偶然でも何でもありません。・・・まあ、私もあなたの経歴を見るまでは気付かなかったんですけどね」


 エリザは急に真剣な表情になった。そして、特にジェイとヴァニッシュに対して語りかけた。


「ジェイ、あなたの先生はエミリア様です。そして、ヴァニッシュの育ての親はエミリア様。あなた達も気付いていたんでしょう? これは決して偶然なんかじゃありません」

「どういうことですか・・・?」

「要するに、この刑罰には偶然の要素はほとんど無いという事です。もっとも、ジュージューが巻き込まれたのは、完全に偶然ですけどね」


 エリザはジュージューに微笑んだ。その表情には、特に悪びれた様子もない。


「へん! ボクはヴァニッシュを守るために、自分から進んで巻き込まれたんだよ! 友達を見捨てる趣味はないからね」


 ジュージューは誇らしげに胸を張っている。

 ヴァニッシュは嬉しそうな表情で、ジュージューを見つめていた。

 そして、驚いたことにエリザも、そんなジュージューに暖かい視線を投げていた。


「それは素晴らしいことです。実際、あなたがいなければ、ルクレツィアは撃退できなかったでしょうしね。まあ、それはともかく、私を含め、エミリア先生ゆかりの者がここに集められた理由まで語る権限を、私は持ち合わせていません。実のところ、私も詳しくは知らないんですけどね。私も第四席の計画全てを把握しているわけではありませんから」


 ジェイは眉をひそめた。エリザの言葉を額面どおり受け取るならば、この刑罰は十二人委員会の彼女ですら全貌が分からない計画の一部ということになる。自身が巻き込まれたこの事態にそのような裏があるとは、どうにも信じられない。


「結局のところ、この刑罰の詳細についてお前が話せることは特に無い、ということでいいのか?」


 エリザは肩をすくめた。


「ええ。歯がゆいでしょうが、そういうことです。もっとも、一年間無事に生き延びて、この刑罰が解除された暁には、第四席から何かしらの説明はなされるかもしれません」

「なるほどな。そうなると、ますます俺たちは死ぬわけにはいかなくなったな」


 ジェイの言葉を聞き、エリザはふと何かを思い出したようだ。この刑罰について、補足説明を加える。


「そうそう、言い忘れていました。この刑罰は、期限がピッタリ一年間と決まっています。その間、様々な刺客が、絶えずジェイの命を狙い続けます。もちろん、これから現れる刺客は、ルクレツィアやハ・ラダーなど比較にならないほどの強者もいるでしょうね。精々気を付けることです」


 ジェイは、そのエリザの言葉が気になった。


「ん? ということは、ルクレツィアはもうお役御免ってことか? ・・・まさか、口封じなんか考えたりしていないだろうな?」


 エリザはその質問に、いささかウンザリしたようだった。まるで子供に噛んで含めるかのごとく、ジェイに対して辛抱強く言い聞かせるように返答する。


「ジェイ・・・。さっきもそうでしたが、私を何だと思っているんです? 彼女自身も言っていたではありませんか。人の命は道具じゃない、と。私を裏切っていたならともかく、単に彼女が任務に失敗したからといって、始末するようなことはありえません。それは無駄な労力です。彼女には金銭的な報酬を与えて、それでおさらばです。もう二度と会うことも無いでしょう」


 そうか、とジェイは呟いた。ルクレツィアを救うために、すべての力を使い果たしたジェイである。十二人委員会のエリザにより直接的に彼女の安全が担保されたことで、ひとつ肩の荷が下りた気がしていた。

 これで、蘇らせたアリアとルクレツィアを再会させるという、ジェイのささやかな希望は残ることになった。

 あとは、俺たちが一年間生き延びればいいだけの話だ、とジェイは一人うなずいた。


「さて、あとはヴァニッシュの質問が最後になりました。何か聞きたいことはありますか?」


 ヴァニッシュは質問の内容を迷っていた。ジェイとジュージューの質問で明らかになったことは数多くある。だが、まだ明らかになっていないことも無数にあった。今はたった一度の質問の機会であり、おそらくは十二人委員会から直接答えをもらうことなど、この先あるかどうかすら疑わしいという、非常に貴重な機会でもある。

 だが、ヴァニッシュはようやく質問をひとつに絞ったようだった。エリザの紅玉のように燃える瞳を真っ直ぐ見つめながら、心の中にある最大の疑問を声にした。


「フレア、ううん、エミリア・フラッシュフォートさんについて、知ってることをすべて教えて?」


 エリザはその質問を予期していたようだった。ひとつうなずき、あらかじめ用意していた答弁のように、よどみなく答え始めた。


「あなたたちにとって、それはとても重要な疑問でしょうね。ですが、これも話せる範囲は限られます。その点は許してね」


 ヴァニッシュもその答えは予想していたようだった。同意の印に、小さく首をうなずかせた。


「先ほども申し上げましたが、エミリア様は先代の第十二席です。30年前に失踪された後、彼女の秘書を務めていた私に、次期第十二席の白羽の矢が立ちました。そういう意味では、私にとってもエミリア様は師匠と言ってもいい存在でしょうね」

「なんだと!? エリザもエミリア先生の弟子ってことか?」


 エリザは小さく笑い、ジェイをいつもからかう時の口調で応じる。


「ええ。あなたにとって、私は兄弟子ならぬ姉弟子、ということになりますね。そんな先達を秘書にしようだなんて、エミリア様に怒られますよ?」

「ふん。見た目と落ち着きっぷりは俺の方が年上だ。何の問題も無い」

「・・・そりゃ、老けてるって言うんだよ、旦那」


 ジュージューがジェイには聞こえないよう、小声でボソッと呟いた。

 ヴァニッシュは三人のやり取りを聞いて、思わず笑顔になった。しかし、笑ってる場合じゃないと、慌てて気を引き締める。気を抜くと、いつもと変わらないエリザのペースに巻き込まれてしまう。


「そして、エミリア様が美桜を育てているのも知っていました。ただ、ヴァニッシュには悪いんですが、なぜ第十二席たるエミリア様が、わざわざ偽名まで使って、単なる実働部隊の兵士候補の子供を育てていたのか、私にもその理由は分かりません。エミリア様のことですから、何か理由があるのだとは思いますが・・・」


 エリザは突然表情を暗くし、下を向いた。


「そして、今から30年前に突然失踪されました。理由は未だに不明です。私を含め、十二人委員会すべての者のコネクションを使い、階層世界全体で大捜索がありました。もちろん、十二人委員会のメンバー構成は極秘でしたから、エミリア様は元老院上位の議員の娘だと偽っての大捜索です。十二人委員会の人間が失踪するなどありえないことでしたし、あってはならないことだったからです」


 エリザは遠い目をし、当時のことを頭の中で思い描いている様子だった。


「当初、彼女は暗殺されたのではないかと疑われました。それは、自ら十二人委員会を辞そうなどという、戯けたことを考える者がいるとは思えなかったからです。エミリア様捜索活動は、やがてエミリア様を害した者を探す方向へシフトしていきました」


 エリザにとって、当時の記憶はつらいものなのだろう。その口調が少し苦痛の色を帯びているように、ジェイには感じた。

 そんなエリザを見て、ジェイはエミリア先生との別れの日のことを思い出していた。

 そして、ヴァニッシュも育ての親フレアとの別れの日のことを思い出していた。

 思えば、三人ともエミリアとの不意の別れを経験しているのだった。それが何を意味するのか、当の三人には何も分からない。だが、何かしらの意味があることのように思われた。


「しかし、そんな日々は突然終わりを告げました。エミリア様の消息が判明し、私を含めた十二人委員会は、胸をなでおろしました。ですが、それは次の瞬間には失望に変わることになりました。そう、あの方は我々十二人委員会の敵となっていたのです」


 ジェイが初めて聞くような、エリザの憂いを帯びた小さな声が、ジェイの耳にかろうじて届いた。

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