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Angel:Vanish  作者: 桂里 万
第三章 絆を抱いて
34/42

3.死を告げる者、あるいは・・・ (その4)

 ルクレツィアは冷たい笑みを浮かべたまま、ゆっくりとヴァニッシュに近寄った。その歩みは胸中の余裕を感じさせるかのように、ゆったりとしたものだった。

 ヴァニッシュは膝をついたまま、まるで幽霊でも見るような目つきで、先ほどまで死力を尽くして戦っていた相手を見つめていた。よく見ると、ヴァニッシュの膝は細かく震えていた。

 対して、ジェイはルクレツィアの告白を額面どおりには受け取っていなかった。顔や髪など好きなように変えられるこの世界である。アリアと同じ容姿をしているからといって、双子の姉だと即信じるわけにもいかない。それに、この赤ドレスがアリアの姉だとすると、辻褄の合わないことが多すぎて、彼女の言い分を真に受けることができない。

 とはいえ、まずはヴァニッシュの戦意をもう一度回復させないことには、ジェイたちにとっては勝機など見出せない。ジェイの最優先事項は、まずそれに定まった。


「ヴァニッシュ! よく考えろ! そいつがアリアの姉とは限らん! 顔をアリアに似せた刺客の可能性が高い!」


 ジェイは少し離れたヴァニッシュに向かって、必要以上の大声で怒鳴った。この結果、ルクレツィアの意識がジェイに向けば、たちまちジェイの命は風前の灯になっていまう、だが、ヴァニッシュに活を入れるためなら、ジェイはそんなことに頓着するつもりはなかった。

 案の定、ルクレツィアが優雅に髪をなびかせながら振り向き、ジェイに向けて冷たい視線を投げかけた。赤ドレスは、ほんの数瞬ジェイをにらみつけていたが、すぐに顔をほころばせて愉快そうな声で告げた。


「なるほどな。そう思うのも無理はない。だが、ヴァニッシュはそう思ってはいないようだぞ?」


 ジェイは慌ててヴァニッシュの表情を見た。そこには、絶望的なまでの痛みと、畏敬の念さえ込められた憧憬を浮かべた表情があった。ジェイはうめき声を上げたくなった。それでも、再度ヴァニッシュに活を入れようと声を上げかける。だが、その前にヴァニッシュの言葉がジェイに届いた。


「違うよ・・・。私が初めてアリアを見た時と同じだよ・・・。彼女の美しさは、絶対に人工のものじゃない! それに・・・」


 ヴァニッシュは両腕で自分の身体をかき抱いた。今や、震えはヴァニッシュの全身に伝播していた。


「このアリアの身体が知ってる! 彼女に会えて嬉しいって叫んでる! たぶん、この身体と彼女は、双子の不思議な繋がりがあるんだよ!! 震えが止まらないんだよっ!」


 ジェイはにわかには信じられなかった。実際に双子に会ったことなどなく、双子の間での奇妙は結び付きというものを、話のネタとして知ってはいたが、その例が目の前にいきなり現れて、はいそうですかと信じるわけにはいかない。しかも、そのうちの一人は、厳密に言えば双子の片割れではないのだから、なおさらである。


「そうか。だが、私の双子の妹はアリアだ。お前はアリアではないということを忘れるな」


 ルクレツィアは苦々しげな表情でヴァニッシュに告げた。そして、またヴァニッシュに近付きはじめた。

 ルクレツィアの言葉が仮に真実だとすると、まさか、妹の身体であるヴァニッシュに対し、その身を傷つけるようなことはしないと想像はできても、ハ・ラダー以上の敵である彼女が何をしてくるのか、予想できない。

 ジェイは再度ヴァニッシュに呼びかけた。


「ヴァニッシュ! 思い出せ! お前は何のために戦っているんだ!? アリアを取り戻して、もう一度再会したいんじゃなかったのか? もう諦めたのか!?」


 ジェイの言葉を聞いて、ヴァニッシュは少しだけ顔を上げた。その瞳には、少しだけ光が点ったように見える。

 ヴァニッシュが戦う意味。

 この戦いの前に、ジェイが柄にもなくヴァニッシュに説教めいたことをしたのが、ここで功を奏しそうな雰囲気が漂ってきた。

 しかし、ルクレツィアがヴァニッシュに対して、最後の一撃を放った。


「ふふっ。アリアを取り戻したいのか。ならば、私と目的は同じだな! 喜べ、ヴァニッシュ!! あの刑務官は、私がジェイを殺したら、アリアの脳を本来の肉体に戻してくれると確約してくれた!」


 ルクレツィアが指差す先には、彼女とともに現れたもう一人の人物がいた。やや離れた場所に立っていたその刑務官は、ルクレツィアの言葉が聞こえたのか、彼女の言葉を肯定するかのように、小さくうなずいた。

 その人物が刑務官だという、ジェイの事前予測は当たっていた。だが、今はそれに満足している暇もない。ルクレツィアの言葉は、ジェイが最も危惧していたものだったからだ。


「そうだ! ジェイはここで死ぬ。そして、ヴァニッシュの脳は、アリアの肉体から取り出されて処分される。だが、その結果、アリアは生き返るんだ! ヴァニッシュ、お前が一年間無謀な戦いに勝ち続けるというギャンブルをしなくても、今ここでジェイが死ねば、『確実に』アリアは蘇るんだ!」


 死刑宣告とも言えるルクレツィアの言葉は、すでに壊れかけていたヴァニッシュの心をしたたかに打ちつけた。ジェイとヴァニッシュの命さえ犠牲にすれば、アリアは確実に蘇る。その考えの誘惑は、麻薬のようにヴァニッシュの心を蝕み始めていた。

 ジェイは歯噛みした。

 この戦いの前、ジェイが危惧していたことが、まさか現実になるとは思っていなかったからだ。

 ヴァニッシュには危うさがある。いざとなったら、自分の命を捨ててでも、アリアが生き返ることを選択するような危うさが。

 しかし、『ヴァニッシュが死ぬということはアリアの肉体が死ぬことと同義であるため、自分から命を差し出すということまでは無いだろう』と、考えていた。だが、まさかこんな事態が到来するとは想像できなかった。ジェイは自分の想像力の限界を知り、思わず笑い出しそうになった。ここ一週間の怒涛の出来事の後でも、まだ驚くべきことが残っているとは思っていなかった。


 ルクレツィアの言葉は、ヴァニッシュに究極の二択を迫っていた。

 ここで、アリアの姉であるルクレツィアを倒し、その後一年間迫り来る刺客をすべて退け、そしてようやく蘇らせたアリアと再会する道。

 もうひとつは、ここでヴァニッシュとジェイの命を投げ捨てることで、確実にアリアを蘇らせる道。

 先日のジェイの質問が、ヴァニッシュの脳裏に浮かんできた。


『お前は、アリアにもう一度会いたいのか? それとも、自分を捨ててでもアリアを甦らせたいのか?』


 ヴァニッシュは、アリアにもう一度会いたい、と答えた。その時は、それが心の底から発せられた、偽らざる自分の願望だと思っていた。

 だが、そんな決心など何も無かったかのように、彼女の心は揺らいでいた。

 目の前に、確実にアリアを蘇らせることができる道が示されている。それに対し、ここから一年間も手練れの刺客を相手に、自身の衰えた感応力で立ち向かい、ジェイを守り続ける。その道は困難極まりないことに思えた。アリアを蘇らせるだけならば、ルクレツィアの方法がはるかに確実であると、ヴァニッシュにとって麻薬に等しい考えが、徐々に彼女の中で支配的になり始めていた。

 だが、これはヴァニッシュを責めるわけにもいかないだろう。

 彼女とアリアの別れは、ほんの10日前の出来事なのだ。あまりにも生々しいその記憶は、彼女の心を責め苛み続けていた。そんなヴァニッシュが、目の前の安易な道を選択したとしても、それを責められる人間がいるのだろうか?

 ヴァニッシュの心は千々に乱れていた。

 気付くと、目の前にルクレツィアが立っていた。この至近距離からルクレツィアの姿を見て、ヴァニッシュは確信した。確かに、ルクレツィアはアリアの姉であると。ルクレツィアとアリアは、鏡に映る像のように、何から何まで瓜二つだった。姉の頬に走る、妹を守る時に負ったという傷跡を除いては。幾百万の言葉も、このたった一つの真実の前には無力だった。

 ルクレツィアは眼下に膝をついているヴァニッシュの姿を、冷徹な視線で眺めた。ヴァニッシュは見るからに戦意を喪失しており、おびえたような視線をルクレツィアに向けている。

 ヴァニッシュの中にいる美桜は、ルクレツィアにとって憎んでも憎みきれない、アリアの仇である。だが、ここでヴァニッシュを害することは、アリアの肉体を害することにもなるので、迂闊な事はできない。今の様子を見る限り、放っておいても問題はなさそうだが、ジェイに止めを刺す段階になって、急に戦意を回復したヴァニッシュに邪魔をされたら面倒なことになる。

 ルクレツィアは小さく嘆息すると、一声発した。


「手足の指一本動かすな」


 その一言で、ヴァニッシュは首から下を動かすことができなくなった。そう、『暗示』にかかったのである。『暗示』は通常、かなり力の大きさが離れた者にしかかからないはずである。だが、精神的にひどく弱ってるヴァニッシュが相手だったため、『暗示』にかかりやすい状態だったようだ。


「首から上は動かせるようにしておいた。あとは、己の罪の深さを噛み締めながら、ジェイが処刑される場面を目に焼き付けるがいい」


 ルクレツィアは無表情のままヴァニッシュに一言告げると、直後に踵を返してジェイの方向に向き直った。しかし、視線の先には誰もいなかった。どうやら、先ほどの戦いでいくつか作られた盾のどれかに身を潜めたらしい。


「相変わらず、姑息なことだ」


 ルクレツィアは小さく嘆息し、ヴァニッシュの傍に落ちていた、花の形を模した大仰な帽子を優雅な仕草で拾った。それは、先ほどヴァニッシュに脱がされた、自身の極衣の一部であった。そして、瞬時に感応力を使用し、帽子を再び極衣として頭部にまとわせた。三人が苦労して実行した計画も、これでご破算である。完全装備に戻ったルクレツィアをヴァニッシュ抜きで倒すなど、天地がひっくり返ってもありえない出来事だからだ。

 そして、ルクレツィアは一番手前の盾に、無頓着に歩み寄っていった。


 ジェイはまだ生き延びることを諦めていなかった。確かに、状況は最悪だったが、ヴァニッシュの戦意を回復させれば、まだ望みはあると信じていた。ジェイの『原初弾』にはまだ残弾があり、ジュージューの狙撃もまだ健在だったからだ。

 ヴァニッシュの戦意を回復させるためにも、まずはルクレツィアが本当にアリアの姉なのか、それを確認することが必要だった。目の前のルクレツィアとアリアが無関係であると証明できれば、ヴァニッシュが戦いに躊躇する理由は無くなる。そして、彼女の感応力をもってすれば、かけられた『暗示』を解くことも可能だろうと、ジェイは踏んでいた。

 ジェイは身を隠している盾の裏から、慎重にルクレツィアに問いかけた。


「ルクレツィアさんよ。あんたは何のために戦ってるんだ?」

「・・・はあ? お前はさっきの私の言葉を聞いていなかったのか? もちろん、妹を救うために決まっているだろう」


 ジェイから少し離れた位置の盾が破壊された音が、ジェイの耳に届いた。


「そうか。だったら、聞かせて欲しい。ヴァニッシュから聞いたアリアの話では、お前の妹が連れ去られてから随分経つはずだ。それなのに、お前さんも15歳程度の容姿のままというのは不自然じゃないか? おたくの一家が裕福なら、老化防止処置を施すこともできただろうが、そうではなかったというのは聞いているぞ」

「ああ、お前はまだ私が姉だということを疑っているのか? ふん。確かにお前の言うとおり、私は老化防止処置は受けていなかったから、普通に年を重ねた、年相応の容姿だったさ。だが、今回の刺客に選ばれた時に、若返り処置を施してもらった。そのおかげで、この容姿を取り戻したというだけの話だ。この姿であれば、ヴァニッシュに対する切り札になるからな」


 またひとつ、盾が破壊された音が聞こえてきた。


「そうか、もうひとつ聞かせてくれ。お前は何か戦闘経験があるのか? 『極衣』を着て、曲がりなりにも実働部隊の精鋭だったヴァニッシュとここまで戦えるというのは、下層階層でのんびり暮らしていた女の子にはありえないことだと思わないか?」


 ジェイの言葉を聴いたヴァニッシュは、目を見開いた。戦っている最中は気付かなかったが、確かに不自然だった。もしかすると、アリアが攫われた後に統合軍なりに入ったのかもしれないが、彼女の身体は軍隊に鍛えられたものとは程遠い華奢なもので、さらには極秘の兵装である『極衣』を使いこなしている点もおかしい。

 だが、ルクレツィアは、その疑問にも淀みなく答える。


「もちろん、戦闘経験なんて無かったよ。ごく普通の家庭に生まれ、妹が攫われた以外はごく普通に生きてきたんだから」


 さらにもうひとつ盾が破壊される音が響いた。ルクレツィアは確実にジェイが隠れている盾に近付いてきていた。


「じゃあ、なぜ!?」

「いや、戦闘経験なんて後付けなんだ。『刷り込み』で得たものだよ」


『刷り込み』と聞いて、ジェイは眉をひそめた。ルクレツィアが何を言っているのか、よく分からなかった。だが、それを知る者が身近にいた。


「何だって? 『刷り込み』だって!?」


 その素っ頓狂な声は、ジェイの耳元の通信機から、流れてきた。


「ジュージュー、お前、知っているのか!?」

「・・・よく知ってるよ。『刷り込み』っていうのは、感応力による『記憶操作』の一種だよ。必要な知識と経験の記憶だけを、相手の感脳を通じて植えつけるんだよ!」

「お前、何でそんなことを知ってるんだ?」

「・・・あまり言いたくないけどさ。ボクのハッキングスキルも、一番最初は『刷り込み』で手に入れたものなんだ。馬鹿みたいに金がかかったけどね」


 ここで、ジェイはひとつ納得した。以前の会話で、ジュージューは秘せられていた感応力の使用方法である、『記憶操作』を知っていることを告げていた。それは、エミリア先生から習ったジェイはともかく、この第一階層に住む一般人が知っていい知識ではない。

 だが、それは自身が『記憶操作』に近い『刷り込み』を受けていたというなら、話は別だった。ジュージューの年齢に似合わないハッキング能力の高さも、これで合点が入った。

 さらに、もうひとつの疑問にも答えを得た気がした。

 なぜ、ルクレツィアはハ・ラダーとの戦いから3日間の猶予をジェイたちに与えたのか?それは、ジェイたちに過去を知る時間を与えてことと、ルクレツィアが戦場となる終戦塔での事前準備に時間が必要だと、そう予想していた。

 だが、それだけではなく、『刷り込み』により、戦闘経験を身に付けるための時間も必要だったからだ。ヴァニッシュの戦闘能力を確認し、それを上回るだけの『刷り込み』を行う必要があったからだ。確かに、戦闘のプロであるヴァニッシュを、つい最近まで一般人だった人間が上回るためには、必要な手順に思われた。


 そして、ジュージューの大声は、ルクレツィアの耳にも届いてしまったらしい。赤ドレスは少しだけ顔をしかめた。


「なんだ、あの情報屋は『刷り込み』も知っていたのか。まあ、そいつの言うとおりだよ。私は戦闘能力の高い者の知識、経験といったものを、植えつけられただけにすぎない。そうでもしなければ、ごく普通の生活しか知らない、私のようなか弱い女に、刺客役など勤まるはずも無いからね」


 言葉の終わりと同時に、さらに盾が破壊される音が聞こえてきた。もはや、ルクレツィアはジェイの目と鼻の先にまで迫ってきていた。


「もっとも、『刷り込み』も万能じゃない。あくまでも記憶として刷り込まれるだけだから、身体に染み付いた経験という類のものじゃない。だから、格闘能力は最初からヴァニッシュに敵わないだろうということも知っていた。そして、『極衣』は・・・」


 ルクレツィアは小さく肩をすくめた。


「最上階層の方々と比べ、はるかに感応力に劣る私のために、刑務官がわざわざ特別に用意してくださったものだ」


 ジェイはうめき声を上げたくなった。ルクレツィアの言うことには、確かに筋が通っていた。

 一体誰の経験を『刷り込み』に使ったのかは知らないが、ヴァニッシュの経験に勝るほどの者がそうそういるはずも無く、また、ルクレツィアが言うように、単なる記憶として植え付けるだけなら、本物の経験の7割を実戦に生かせればいいところだろう。

 だから、赤ドレスの格闘能力は、ヴァニッシュが『思ったほど強くない』と評する程度のものだったのだ。

 ここまでのやり取りの中で、ジェイはルクレツィアが偽の姉だという尻尾をつかむどころか、彼女が本当のことを話しているという確信を深める結果になっていた。これでは、ヴァニッシュの戦意を蘇らせることなど夢のまた夢だった。

 そして、刑務官には盛大に文句を言いたくなった。刑務官という立場である以上、双方の陣営にとって中立なのかと考えていのだが、ルクレツィアには手厚いほどの協力を与えている。これは、どう考えても公平・公正といった考え方から外れている。

 ジェイは、この戦いを生き延びたら、刑務官に嫌味のひとつでもぶつけたくなった。


 ジェイがそんなことを考えている間に、ルクレツィアはかなり近くまでジェイに接近していた。このままではジリ貧だと身に染みているジェイは、こうなったら一か八かで飛び出して、何とか『原初弾』を当てることができないかと、無謀な行動に身を任せようとすら考え始めていた。

 だが、ルクレツィアはいつの間にか足を止めていた。そして、ポツリと呟いた。


「そういえば、情報屋がいたんだったな。関わるなと言っておいたのに・・・」


 呟き終わるや否や、ルクレツィアは少し離れた場所にあったモニュメントを、感応力で盛大に引き抜いた。そのモニュメントは『旧・東京タワー』と書かれた、巨大な石造の板だった。

 それを手元に引き寄せ、おもむろに放り投げた。それは、先日のハ・ラダーとの戦いで、ヴァニッシュがビルを引き抜いて敵に投げつけた様に似ていた。

 ジェイはルクレツィアの狙いが分かり、慌てて通信機に向かって叫んだ。


「逃げろ! ジュージュー!」


 だが、その声と同時に、通信機から物凄い音とジュージューの甲高い悲鳴が聞こえてきた。そして、少し遅れて、ジェイの元事務所の方角から何かが崩れる音がハッキリと聞こえてきた。


「ジュージュー・・・」

「おめでとう。お前の事務所はこれで半壊状態だ。これで、超長距離狙撃なんてふざけた真似はもうできないよ」


 ルクレツィアは淡々と恐ろしいことを告げていた。彼女の言うとおり、ジェイの耳元の通信機からは、建物が崩壊する音しか聞こえてこない。ジュージューの声もジムの合成音声も、まったく聞こえてこなかった。

 ジェイは歯噛みした。

 ジュージューの安否は気になるが、まずはジェイ自身の危機を乗り越えるほうが先決だった。とはいえ、ヴァニッシュの戦意も取り戻せない今、ジェイにできることはほとんど無いと言ってもいい、絶望的な状況だった。


『真っ直ぐ、生き延びる!』


 ジェイは自身を奮い立たせるかのように、エミリア先生と自身の信念を心の中で唱えた。そのおかげか、一か八かの無謀な行動を起こそうという気が完全に失せていた。最期を迎えるその瞬間まで、考えて考えて考え続けることを改めて誓っていた。

 そんなジェイの耳に、赤ドレスの呟きがまたもや届いた。その声音は、隠しようのない悲痛さをにじませていた。


「情報屋。馬鹿な奴だ・・・。無関係の人間を殺すつもりは無いと言っただろうに・・・」


 その時、ジェイは覚悟を決めた。ここに至った今、ジュージューに『どんなヒューマニストだよ』と評された、ルクレツィアのこの甘さこそが、最後の頼みの綱だった。

 もはや、それは作戦などというものではない。

 ルクレツィアの情に訴えるという、ほとんど結果が見えている行動だからだ。

 だが、今できることはこれくらいしかないと、ジェイは自覚していた。

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