3.死を告げる者、あるいは・・・ (その2)
ジェイの目には、紫色の物体と赤色の物体が高速で交差しているようにしか見えなかった。『極衣』の持つ人工筋肉に、桁違いの感応力が組み合わさり、二人の移動速度は目で追うのがやっとというものになっていた。二人が交錯するたび、辺りを揺るがすほどの轟音が響き渡り、お互いに打撃を与え合っていることが分かる。だが、どちらが優勢なのか、そこまでは判別できない。
ジェイはヴァニッシュが作ってくれた、彼女が感応力で地面からいくつも生やして作ってくれた盾に身を隠している。その場所は赤ドレスからは見えないであろうことは分かっているが、それでも何度か別の盾の陰に移り、居場所を特定されないように気を付けていた。
ジェイを倒せば赤ドレスにとっての勝利、ジェイを守りきれればヴァニッシュにとっての勝利、と、ジェイが最大の戦略目標であることは、この場の誰もが承知していた。ヴァニッシュにはジェイの守護よりも、赤ドレスに対する攻撃に専念してもらわなければ、想定される戦力差を埋めることができない。だからこそ、ジェイは少しでも赤ドレスの視界から外れて、自身が倒されることを防ぐ義務があった。
幸運なことに、赤ドレスはまだジェイに対して特に攻撃を行っていない。ジェイが盾の影から見る限り、赤ドレスもヴァニッシュとの戦闘に没頭しているように見えた。
ヴァニッシュは少し違和感を覚えながらも、赤ドレスに対して全力の攻撃を加えていた。使い慣れない身体とはいえ、『極衣』自体は実働部隊所属時に愛用していた装備である。その操作には何の迷いもなかった。
また、全盛期であれば、全身の『極衣』に同時に感応力を通すことにより、超人的な力を発揮していたヴァニッシュであったが、今はそこまでの感応力の強さを望めないことを自覚しており、全身均等に感応力を通すのではなく、ダッシュの瞬間であれば右足に重点的に通し、また、攻撃の瞬間には右手に重点的に通すなど、力の配分をこまめに行い戦力差を少しでも埋めようと試みていた。
そのおかげか、戦闘開始後2分を経過しても、赤ドレスが若干押し気味とはいえ、今のところ決定的な優劣の差は見られなかった。これは、ヴァニッシュにとっては予想外のことであった。事前の予想では、完全に攻め込まれて防戦一方になるだろうと考えいたのである。
ヴァニッシュは嵐のような赤ドレスの両手のラッシュを、辛うじて手で捌いた。ガードする両手に優先的に感応力を通しているとはいえ、その一撃を受けるたびに両手にはダメージが蓄積されていった。
『やはり、長期戦はこっちが不利ね』
ヴァニッシュは一つ舌打ちをして、両足のつま先に全感応力を向けた。感応力だけではない。空中を漂わせている『衛星』の半分程度を両足に追加で巻きつけ、人工筋肉の増強も図っていた。
こうして強化したダッシュ能力は、先ほどと比べ物にならないほどの激烈な速さを生み出した。
先ほどまでの戦闘で、ヴァニッシュの速度を把握していたつもりだった赤ドレスは、完全に虚を突かれた。慌てて自身の『衛星』を超硬度化しブレードにして、迫りくるヴァニッシュを迎え撃とうと構える。だが、『衛星』の刃がヴァニッシュに届くよりも一瞬早く、ヴァニッシュは赤ドレスの懐に飛び込んだ。
ヴァニッシュは両足に全感応力を通したまま、その勢いで右足を赤ドレスの頭部に向けて蹴り上げる。常人がこのハイキックを食らえば、まず間違いなく頭部が飛んでいくどころか、粉微塵に飛散するほどの勢いである。
赤ドレスの『衛星』が、即座にブレード形態を解除し、瞬時に頭部を守りに入る。その速度は、人間の反応速度を軽く凌駕していた。これこそが、『衛星』の誇る、自動防御機能であった。赤ドレスに向かって高速で近づいてくる感応物質に対し、防御体勢を築き上げるその様は、まさに鉄壁という形容にふさわしいものだった。
しかし、ヴァニッシュはそれすらも読んでいた。
人間の限界を超える速度で敵の頭部に向かう右足を、彼女は足に巻き付いた『極衣』の感応物質に感応力で働きかけることで、無理やり軌道を捻じ曲げた。それは、人体の構造的には大きな負荷がかかるものだった。ヴァニッシュは本物の筋肉と骨格が悲鳴を上げるのを断固無視して、軌道変更を完成させた。
赤ドレスの頭部に向かっていたはずの右足は、一瞬にして、胴に向かって軌道を変えていた。『衛星』の特性上、上半身近辺を漂っていることが多く、そういう意味で頭部近辺の自動防御はほぼ完璧なものに対し、胴より下は比較的手薄になる。ヴァニッシュはその特性を利用して奇襲をかけたのだ。
ヴァニッシュの右足が人体の限界を超える速度で赤ドレスの胴に吸い込まれるのかと見えた刹那、辛うじて赤ドレスの足によるガードが間に合っていた。
すさまじい炸裂音とともに、両者の足が激突した。
またもや、衝撃波が周囲に同心円状に広がった。
だが、今回は超速のダッシュのおかげで、ヴァニッシュに軍配が上がった。赤ドレスはヴァニッシュの蹴りの威力を吸収しきれず、小さく飛ばされた。その様子を見る限り、この戦いが始まって初めて有効打が加えられたようだ。赤ドレスは小さく舌打ちして、距離を取るために背後に大きく飛び退いた。その時、左足を少しだけ引きずっているように見えたのは、ジェイの期待が見せた錯覚なのか、実際に足が痺れているのか、ジェイには判断できなかった。
赤ドレスが一旦退いたのを確認し、ヴァニッシュもジェイの近くにまで下ってきた。その過程で、ジェイが隠れるための盾も追加で作成し、下がる時間すら無駄にしない、ヴァニッシュらしさも見せる。
「ジェイ、いい?」
ヴァニッシュは盾の群れから少し離れた場所から、赤ドレスから目を離さず、ジェイに小声で話しかけた。
ジェイは緊張しながら小さくうなずいた。
「何か変・・・。あいつ、思ってたほど強くない。たぶん、あなたの推測どおり、あいつは実働部隊の人間じゃない」
「あいつが誰だか分かったのか?」
ヴァニッシュは小さく首を振った。
「いえ、戦闘モードになる前は深くフードを被っていて顔は見えなかったし、格闘の癖みたいなものも、私の知っている人間のものじゃなかった。それにね、感応力が弱すぎるよ。あいつ、私との戦いに精一杯で、ジェイを襲うことができないみたい。あなたに対して、絶対何かしてくると予想していたのに」
ジェイは予想外の言葉に面食らった。作戦会議で様々な事態を想定していたが、赤ドレスが思っていたほど強くない、というのは想定していなかった。
懐疑的なジェイの表情をちらりと見たヴァニッシュが、慌てて付け加える。
「誤解しないで。それでも、あいつの感応力は今の私よりも結構強い。気を抜いたら、圧倒されると思う。・・・ただ、格闘能力は私のほうがそこそこ上かな? とりあえず、このままでもそれなりにいい勝負はできると思う」
「・・・このまま普通に勝てるのか?」
ヴァニッシュは眉根を寄せて、様々なシミュレーションを頭の中で行ったようだ。そして、やや自信なさげな口調でジェイに返答する。
「・・・どうかな? あいつが手を抜いている可能性もあるし、額面どおりには受け取れないと思うよ。ただ、私の専用刀『歌仙兼定』があれば、勝てたかもしれない」
「何だ? それは?」
「『極衣』での戦闘にも耐えるよう設計された、私専用の刀なんだけど、どっちにしても今ここには無いんだから、気にしないで。それより、どうする?」
ヴァニッシュの問いかけは難問だった。相手が予想していたほど強くなく、今のヴァニッシュでもそれなりに戦うことができそうなのは僥倖だった。ただ、その僥倖に恃んで、このままヴァニッシュに通常の戦闘を続行させるべきなのか、それとも当初の予定通りジェイの作戦を遂行すべきなのか、ジェイは判断に迷った。
このままヴァニッシュが押し切れるならば、それが一番問題ない。ジェイの作戦はどうしても一か八かの要素が含まれているからである。
だが、ヴァニッシュの言うとおり、赤ドレスは手を抜いている可能性を捨てきれない。もし、このままヴァニッシュをまともに戦わせると、作戦を発動するための刹那の瞬間を逃す可能性もある。あの作戦は、ジェイ、ヴァニッシュ、ジュージュー、ジム、パルサーのタイミングを合わせた行動が鍵になる。
ジェイの迷いは一瞬だった。
自惚れるわけではないが、自身の作戦のほうが成功率が高そうに感じた。
「予定通り、作戦開始だ。ヴァニッシュ、パルサー」
ヴァニッシュは小さくうなずき、パルサーは、了解しました、とジェイのリストユニットから返答した。ヴァニッシュは意を決して、赤ドレスに向かって一気にダッシュする。その途中で、またもや盾をいくつか生み出すことも忘れていなかった。
パルサーは、作戦に必要な地点をヴァニッシュに指示を出していた。ヴァニッシュは頭に巻き付いている『極衣』の一部を通信用ユニットに組み替え、パルサーからの指示を逐一確認する。
ヴァニッシュの役目は、赤ドレスをある地点まで引っ張り込むことにあった。もちろん、戦いながらそれを行うことは、ヴァニッシュといえど容易ではない。相手に気取られたら、罠の存在に気づかれてしまう。ヴァニッシュはあくまでも自然に、その地点まで敵を誘導しなければならない。
事前の予想では、ヴァニッシュは防戦一方となると見ていたため、最悪の場合は、ヴァニッシュは全力でその地点まで逃げる必要があった。しかし、敵の強さを把握した今、わざわざ逃げたりせずとも乱戦に持ち込んで敵を誘導することは可能だろう。
ジェイも自身の役割を全うするため、準備を始めた。
ジェイの切り札は、もちろん『原初弾』である。しかし、敵から50メートル以上離れたこの場所から撃ったとしても、『極衣』の自動防御うんぬん以前に、ジェイの腕では命中させることもできない。
感応物質を織り込んでいる通常の拳銃であれば、ジムやパルサーの照準補正によって名人もかくやという腕前を見せることもできるだろう。だが、ジェイの『原初弾』を撃つ拳銃も原初の素材でできているため、ジムたちの擬似感応波による照準補正は役に立たない。『原初弾』を感応物質でできた拳銃によって撃ち出すことも考えたが、その場合は敵の感応力で拳銃自体が弾き飛ばされる危険性が高すぎるため、戦場では役立たずになってしまう。
だから、ジェイが『原初弾』を確実に当てたいのであれば、敵に近づくしかない。それは、猛獣同士の戦いに近寄るという暴挙にも似ていた。自分で考えた作戦ながら、一番へまをしそうな確率が高いのは自分自身だと自覚しており、ジェイは小さく苦笑した。
そして、おもむろに隠れていた盾から身を出すと、別の盾の陰に移動した。
ヴァニッシュが目的の地点に敵を追い込んだとしても、ジェイがいなければ何もならない。ジェイも慎重に身を隠しながらも急いで目的の地点を目指した。幸いなことに、ヴァニッシュが多くの盾を作ってくれており、ジェイも目的の地点に行くことは、事前の予想よりも楽な作業に見える。
だが、戦いには何が起こるか分からない。
ジェイはもう一度気を引き締めて、再び移動を開始した。