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Angel:Vanish  作者: 桂里 万
第三章 絆を抱いて
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3.死を告げる者、あるいは・・・ (その1)

 刺客である赤ドレスが指定した日、その日は久しぶりの快晴だった。もちろん、それは天候局が設定した予定通りの天気であり、赤ドレスには晴れ上がった偽の空を喜ぶ気持ちなどまったく無かった。

 だが、荒天であれば、戦いに紛れが起こる可能性もゼロではない。極端な話、台風のごとき突風が吹き荒れようものなら、敵を視認するのも一苦労である。そういった万が一の懸念を払拭するために、赤ドレスはわざわざ快晴の日を決戦の日に選択したのだった。

 ジェイの読みどおり、赤ドレスは3日の猶予期間中に、『暗示』による終戦塔周辺の人払いと、周辺の感応物質制御を行っていた。他にもいくつか戦いの準備を済ませ、ジェイとヴァニッシュを迎え撃つ用意はすべて整ったと、赤ドレスは満足していた。

 3日間のうちに奇襲を受けることも想定し、終戦塔内部に寝ぐら兼簡単な要塞まで築いていた。もっとも、これはあくまでも万が一に備えてのことであり、赤ドレスが把握しているヴァニッシュの性格から考えて、あえて一か八かの奇襲を選択するとは思えず、また見届け人もその意見に同意していた。そして、ジェイにとっては泣き所の『人質』までいる。そういった理由から、奇襲の可能性は低いと考えていた。

 その見届け人は、この3日という猶予にやや不満があるように赤ドレスの目に映った。赤ドレスは見届け人の性急さにやや苦笑しながらも、見届け人の受けた命令を考えると多少同情もしていた。見届け人はあくまで見届け人であり、赤ドレスが勝とうがヴァニッシュが勝とうがどちらでもよく、一刻も早く自身の所属する階層に帰り、十二人委員会に結果を報告したいのだろうと、赤ドレスは推察していた。

 赤ドレスにもその気持ちはよく分かった。赤ドレス自身も一刻も早く自身の階層に帰りたいと願っていたからである。しかし、それは手ぶらでは意味がなく、自身の望む成果とともに帰ることを切望していた。そのためにも、3日という時間をかけて、万全の体制を整えたのである。

 それにしても、ハ・ラダーを使ったのは正解だった、と赤ドレスは満足げにうなずいた。

 アリアの身体に移った美桜が、どの程度の戦闘力を維持しているのか、当初は皆目見当が付かなかったが、ハ・ラダーのおかげでほぼ正確に把握することができた。赤ドレス自身、美桜の全盛期の戦闘力には到底抗しきれないことは知っていた。相手は戦闘のエリートである実働部隊の最精鋭の一人で、複数の同僚との戦闘でも二人を戦闘不能に追い込むことができた猛者である。実働部隊の中でも、美桜と一対一で戦って勝てると断言できる者が何人いるのだろうか。だが、今のヴァニッシュであれば・・・。

 また、予想外の産物として、標的であるジェイの持つ切り札まで確認することができた。『原初弾』の存在を知っているかどうかで、戦いの行方が左右される可能性もあった。その存在を知らなければ、ハ・ラダーと同じ結末を迎えた可能性もゼロではなかった。この一点だけでも、ハ・ラダーに感謝しなければならないな、と赤ドレスは、すでに病院に運ばれた統合軍くずれに心の中で謝辞を述べた。


「ムーンフェイズ、時間は?」


 赤ドレスは虚空に向かって声をかけた。その声は、赤ドレスの制御ユニットに向けたものだった。先日のジェイたちに対峙した時の機械的な声ではなく、年頃の女性を思わせるような、可憐さを残した声だった。


「ルクレツィア様、あと10分ほどで正午です。外で戦うおつもりでしたら、そろそろお出になられたほうがよろしいかと」


 赤ドレスの問いかけに、その制御ユニットは鮮やかなバリトンの声で返答した。

 そうか、とルクレツィアと呼ばれた刺客は立ち上がった。建物内の戦闘はヴァニッシュに一日の長があると判断したルクレツィアは、外でヴァニッシュとジェイを待ち構えることにしたようだった。


「ルクレツィア様、変声ユニットは装着されないのですか?」


 赤ドレスは一瞬考え込んだが、懐から小さなシールのような物を取り出すと、自らの喉にぺたりと貼り付けた。そのシールのようなものが、変声ユニットと呼ばれるものだった。これを貼り付けるだけで、声音だけでなく、声紋すらも自由に変えられるという優れたユニットだ。

 本来であれば、機械的な声音だけではなく、どんな声にでも化けることは可能だったが、ルクレツィアはあえて機械的な音声を選択していた。自身が男であるのか女であるのかすら、敵に情報として与えるつもりはないという決意であった。とはいえ、こんなドレスを着ていて、男だと思う者もいないだろうとも思っており、一種の気休めのようなものだと自覚していた。


「よし、やつらを迎え撃とう。敵の位置は?」


 先ほどまでの声とは打って変わり、機械的なざらついた独特な声で、ルクレツィアは制御ユニットに問いかけた。


「終戦塔まで約300メートルといったところです。スラムの方角から、徒歩で来ているようです。映像ユニットで確認しました」

「何か特筆すべきことは?」


 ムーンフェイズは一瞬考え込んだかのように間を空け、はっきりとした口調で返答する。


「ヴァニッシュが徒歩のついでに、自身の半径15メートル前後の範囲で感応物質を制御下に収め、さらに各種ユニットの一部をハッキングしている程度です。何か対応しますか?」


 ルクレツィアはぞんざいに手を振り、その意見を一蹴した。


「その程度なら構わない。どうせ、戦場はここだ。そんな離れた場所のユニットなどどうでもいい。そんな場所を再ハッキングするなど、感応力の無駄遣いはしたくない」

「了解しました」


 赤ドレスは、今はまだ離れた場所にいる敵がおかしな素振りを見せた際はすぐに教えるよう、制御ユニットに一言告げ、終戦塔の外に向けて足を運び始めた。

 ルクレツィアにとっても、これからの戦いは人生を賭けるに値するものだった。彼女の究極の目標まで、あと一歩という地点に来ている。一階に直通のエレベーターに乗り込む直前、彼女は武者震いを抑えることができなかった。


 --


 ジェイたちは、赤ドレスに補足されたとおりの行動を見せていた。ヴァニッシュはゆっくり歩きながら、周辺の感応物質を制御下に収めていた。もっとも、戦場がここに移ったとしても、今制御下に収めている感応物質やユニットも、敵がその気になればあっという間に奪い返されるだけのことであり、ヴァニッシュの行動は気休め程度の効果しか見込めなかった。

 だが、ヴァニッシュは丹念にその作業を行っていた。戦いには何が起こるか分からないことを、そして今打っている布石が未来を左右する可能性はゼロではないことを、彼女は知っていた。それが、どんなに可能性が低かろうとも。

 とはいえ、ヴァニッシュの遅々とした歩みに多少焦れたのか、ジェイが急かすような素振りを見せた。ヴァニッシュはやや苦笑しながら、ジェイを満足させるかのように、少しだけ歩みを速めた。

 二人は並んで歩いていた。そこにジュージューの姿はない。

 この快晴の下、並んでいる二人は、遠めに見れば親子と勘違いする者がいても不思議ではなかっただろう。ジェイは実年齢よりも老けて見え、ヴァニッシュはその逆であったためだ。もっとも、二人を眺める見物人など一人もおらず、ジェイは自身の推測が正しかったことを確認した。

 ジェイの表情は厳しいが、先日ハ・ラダーに付けられた火傷痕はほとんど消えていた。ジュージューの隠れ家に避難した後、スラムの医者に来てもらい、医療ユニットの治療を受けたためである。もちろん、特急料金を取られたのは言うまでもない。だが、火傷の痛みが戦闘の邪魔になってしまっては、せっかくの作戦も元も子もない。それに、ジェイたちの居場所は赤ドレスは当然把握しているはずで、ヴァニッシュの記憶障害の時とは事情が異なっていたことも大きい。

 それにしても、とジェイは違和感を拭いきれない。無関係の人間を巻き込みたくないからなのだろうが、多くの一般人を『暗示』によって終戦塔から遠ざける。ジェイが推測し、実際にそのとおりになっているこの状況が、やはり信じられなかった。赤ドレスの過度のヒューマニズムの発露、と言っても過言ではないだろう。これも、赤ドレスが実働部隊の人間ではないという推測の裏付けになると、ジェイは考えている。確かに、目的のためなら無感情にどんな行動でも起こすであろう、そんな実働部隊のイメージとはかけ離れた行動であった。

 そんなことを考えていたジェイに、ヴァニッシュがいきなり声をかけた。


「ジェイ。とりあえず、戦闘が始まったら、私は半径3メートル程度に感応力を集中して感応物質の制御を行うよ。それだけ範囲を絞ったら、広範囲に感応力を飛ばしている赤ドレスの力にも負けないで、私の制御下に収めることができると思う。だから、少なくとも私は盾を作ったりは自由にできると思う。ただ・・・」


 ジェイはヴァニッシュの言葉にうなずいた。今聞いている話は、昨日の作戦会議の確認作業だった。


「ただ、やっぱりジェイの周辺までは手が回らない可能性が高いと思う。私の感応力が赤ドレスより上だったら、ジェイのサポートに回す力もあるんだけどね・・・」

「まあ、仕方ないさ。ヴァニッシュは全力で赤ドレスにぶつかってもらわないと。お前が持ちこたえてくれないと、どうしようもないからな」


 ヴァニッシュは頭では分かっていても、無防備な状態でジェイを戦いの場に放り出すことに抵抗があるようだった。そして、申し訳なさそうに一言付け加えた。


「隙を見て、いくつか盾を作るから、まずはそこに身を隠してね。あいつの視界に入ったままだと、危険度が跳ね上がるから」


 ジェイは一つうなずいて、前を向いた。目的地である終戦塔までは、あと一歩というところだった。



 終戦塔に通じる長い大通りを抜け、二人はようやく目的地に辿り着いた。ジェイはともかく、終戦塔に初めて訪れたヴァニッシュは、その建造物の巨大さに、やや目を奪われたようだった。しかし、ここはすでに敵地であることを思い出し、すぐに気を引き締めた。

 それと同時に、終戦塔の内部から赤ドレスと見届け人が並んで現れた。しかし、エリザの姿はなかったため、彼女は終戦塔の中に囚われているのだろうと当たりをつけた。

 赤ドレスたちはジェイたちを視認し、大胆な足取りで近づいてきた。そして、その距離が25メートル前後になったところで、二人同じタイミングで足を止めた。


「時間通りだ。よく逃げ出さずにここに来た! ヴァニッシュに過去を確認したようだな」


 赤ドレスが、ざらついた声を張り上げた。ジェイは、その声に気圧されまいと、負けないよう大声で返答する。


「ああ。今では俺が狙われていることも知っている。だが、お前は何者だ? ただの刺客なのか?」


 赤ドレスは鼻を鳴らして、ジェイを馬鹿にするかのような口調で返答する。


「さあな。お前が勝ったら、名乗ってやってもいいがな」

「それはどうも。それと、もう一つ・・・。エリザはどこだ!? 無事なんだろうな?」


 赤ドレスは先日と同じように、少し面白がるような素振りを見せた。ジェイのその質問が、よほど気に入ったらしい。


「ああ、もちろん、無事だ。お前が勝った暁には、帰ってくることだろう。それがどういう形になるかは知らんがな」

「何? それはどういう意味だ!?」


 ジェイは赤ドレスの物言いに不吉なものを感じ、思わず声を荒げてしまった。

 しかし、赤ドレスは肩をすくめて、ジェイの追及を軽くかわした。


「気にするな。お前が勝つ見込みはゼロなんだから、気にするだけ無駄だぞ」


 その返答を聞いて歯噛みするジェイと、彼を落ち着かせようと彼の肩に手をかけるヴァニッシュ。そんな二人を赤ドレスは眺め、不意にあることに気づいて声を上げた。


「おい、こないだ威勢のよかった、あの情報屋はどうした?」


 今度はジェイが肩をすくめて、ニヤリとしながら軽い調子で返答する。


「本質的には無関係な人間だから、置いてきた。・・・と言ったら信じるか?」

「・・・もちろん信じない。まあ、あの程度のねずみはどうでもいいがな」


 その一言が合図になったのか、ヴァニッシュと赤ドレスの間に緊張が走った。そして、次の瞬間には、二人とも『極衣』を戦闘形態に変形させ、自らの身体を覆わせていた。


「行くぞ!」


 それはどちらの声だったのか、ジェイには判別できなかった。しかし、その掛け声と同時に、二人は一気に距離を詰めた。その速度は、先日ヴァニッシュが見せた超スピードと同じものだった。やはり、赤ドレスも『極衣』を着て、それを感応力で自在に操っていることになる。

 直後、二人の激突のすさまじい響きが辺りにこだました。

 当然のように、二人の激突によって生まれた衝撃波が、二人を中心に同心円状に広がっていった。その衝撃は、堅固に作られているはずの地面の構造材の芯にすら影響を与えたのか、まるで階層世界では起きるはずのない地震が発生したのではないかとすら錯覚させる。

 不意に、ジェイの周りにいくつかの小型の盾が作られていた。小型とはいえ、ジェイが身を隠すには充分な大きさだった。ヴァニッシュは、事前の言葉通り、隙を見て盾を作ってくれたようだ。


「あいつ、無茶しやがって・・・。自分のことで手一杯だろうに」


 ジェイは襲いかかっくる衝撃波を盾の陰でやり過ごし、ヴァニッシュに感謝した。

 戦いはまだ始まったばかりである。ジェイの渾身の作戦は、まずはヴァニッシュの粘りにかかっていた。


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