2.見えざる意志 (その4)
赤ドレスが何者なのか、その正体までは分からない。だが、まだ勝算はあることを二人に示すため、ジェイはあえて力強い口調で、作戦の内容を開示することにした。客観的に見れば勝算の低い作戦ではあるが、二人の意見を取り入れることで、それが上がるとジェイは考えていた。特にヴァニッシュは常に最前線で戦ってきた戦闘のスペシャリストだけに、期待は大きかった。
「よし、二人とも聞いてくれ。俺にひとつ作戦がある。意見を聞かせてほしい」
「作戦? でも、昨日はほとんど寝ていたし、そんなの考える暇があったか?」
ジュージューのもっともな指摘に、ジェイは苦笑しながら返答する。
「まあ、な。だが、覚えているか? ジュージューの事務所で、ハ・ラダーからの通信が入る前の会話を。あの時、地の利を生かしてハ・ラダーを罠にかけるって話をしたよな? あれは、残念ながらハ・ラダーの行動が早すぎて実行できなかったが、今回の作戦はあれの応用だよ。だから、考える時間なんてそんなに必要じゃなかった」
「いや、覚えてるけどさ・・・。ただ、あの時と状況が違いすぎないか?」
うん?、とジェイはジュージューに続きを促した。
「いや、今だから何となく分かるけどさ。ジェイの旦那の罠って、『原初弾』を中心に据えたものじゃないの? あんた自身言ってたけど、『原初弾』は使う状況が重要なんだよね? その存在を知らなかったハ・ラダーならともかく、こないだあんたが使ってるのを見た赤ドレスは当然警戒してるだろ?」
「うん。それに、こないだの作戦は、スラムの地に通じたジュージューが、罠をかける最適な地点を探すって前提だったよね? 今回はそれどころか、相手に終戦塔って場所まで指定されているし、罠をかけようがないんじゃないの?」
ジュージューに続いて、ヴァニッシュも問題点を指摘してくれた。ジェイはその様子を見て、満足そうにうなずいた。二人とも冷静に分析してくれている。見掛けの希望にすがるでもなく、絶望して諦めるでもなく、冷静に考える。これこそ、ジェイが二人に求めていたものだった。
「ああ。そのとおりだ。普通に考えたら、罠をかけるどころの話じゃない。赤ドレスが俺たちに3日の猶予をくれたのは、余裕や温情というわけでもないだろうしな」
「と、いうと?」
「あいつは、終戦塔周辺の人間を人払いするといってた。まあ、心優しい赤ドレスさんは、一般人を巻き込まないように、『暗示』なりで人払いをするんだろうさ。だが、それだけのはずがない。おそらく、終戦塔を含め、周囲何十メートル、いや下手すると周囲数百メートルのあらゆる感応物質を支配下に置いて戦いに臨むだろうさ。そうすれば、戦いに紛れが起きる可能性は低くなる」
ジェイはニヤリとしながら、敵の思惑を二人に告げた。ヴァニッシュもうなずいているところ見ると、彼女もジェイの見立てに賛同しているようだった。
当然、ジュージューは苦虫を噛み潰したような表情で反発した。
「おい、自分で何言ってるか分かってるのか? そんな状況じゃ、終戦塔に近づいて事前工作するなんて不可能だろ! それでどうやって罠を張るつもりなんだよ!?」
ジェイはそのとおりだと言わんばかりに大げさにうなずき、ヴァニッシュに向き直った。
「赤ドレスも、今の俺たちと同じように考えるだろうな。だからチャンスなんだ。で、この作戦のためには、一つヴァニッシュに確認しなければならないことがある。いいか?」
ヴァニッシュはジェイの瞳をまっすぐ見つめ、うなずいた。
「ヴァニッシュの『極衣』の性能のことだ。例えば、俺が赤ドレスの隙を突いて『原初弾』を放ったとする。当たる可能性はあるのか?」
ヴァニッシュは質問の意図を計るように一瞬考え込み、慎重な口調で静かに答えた。
「どうかな・・・? かなり難しいと思う。『極衣』はわずかな感応力で意のままに動かせるけど、それ以外に自動的な防御機構も備わってる。エネルギー兵器相手はほとんど無視して構わないけど、実体弾の場合は、ほんのわずかでも衝撃が肉体に通じる可能性があるから、高速で接近してくる感応物質を検知したら、自動的に防御機構が働いて、感応力のフィールドを作ってくれる。こないだのハ・ラダーみたいにね」
「それなら、検知できない『原初弾』だったら、防御機構が働かないってこと?」
ジュージューは少し希望を感じ、やや興奮していた。だが、ヴァニッシュの返答は、ジュージューの期待を裏切るものだった。
「うーん。そうもいかないんだよね。例えば、何かの発射音を検知したら、自動的に私たちの周りを漂ってる『衛星』が超スピードで自動的に防御して、飛んでくる弾丸を弾き飛ばしちゃうんだ」
「衛星?」
「ああ、うん。『極衣』の戦闘形態の時、私たちの周りで余って漂っている布のこと。あれは、武器にも防具にもなるし、飛ぶときには翼にもなるし、便利な武装なんだ。だから、私たちの『極衣』は布地が多ければ多いほど強い。わざわざ布地が多いドレス調になってるのもそのためだろうね。まあ、護衛などで公式な場に同席することもあるし、それも理由のひとつだと思うけど」
なるほどな、とジェイは感心した。聞けば聞くほど、『極衣」は戦闘に特化した兵器だという事がよく分かる。もし、ヴァニッシュ抜きでこんな敵に襲われていたら、ジェイなどひとたまりもなかったことだろう。いや、ハ・ラダーが百人がかりでも相手になりそうもなかった。
「それじゃ、普通に撃ったんじゃ、当てるのはかなり難しいってこと?」
「・・・うん。そうなるね。かなり弾速の速い『原初弾』だったら、不可能じゃないけど、それでも、たぶん標的の1メートル前後まで近寄って撃つ必要があると思う。ジェイが使ってる小型の口径のものだと、もっと近付く必要があるかもしれない」
これはさすがにジェイの予想以上の性能だった。ジェイが赤ドレスの1メートルに近寄ることなど、辞書で『不可能』という単語を検索すれば、格好の例文として載っていそうなほどの難易度である。
いや、だからこそ、その性能こそが付け目なのだと、ジェイは思い直した。強大すぎる力だけに、その落とし穴には気付きにくいはずだった。
「じゃ、じゃあ、ヴァニッシュが『原初弾』を使ったらどうなんだい? ジェイの旦那が1メートル以内に近寄るってのは不可能すぎるでしょ。でも、ヴァニッシュなら!」
ヴァニッシュは暗い表情で首を横に振った。
「それも難しいかな・・・。『極衣』同士の戦闘は、肉弾戦になりやすいから。『極衣』相手の唯一有効な攻撃手段は、巨大な運動エネルギーをぶつけることだから、どうしても肉弾戦になりやすいんだ。そんな乱戦の中で『原初弾』を使うのはすごく難しいよ。気を抜いたら馬鹿力で握りつぶしちゃうだろうし、相手の攻撃であっという間に壊されるかもしれないし。だから、私たちは『極衣』以外の武器を戦闘に使わないんだ。ううん、使えないんだ。そもそも、ゼロ距離から撃ち込んでも、『極衣』はジェイの『原初弾』くらいの衝撃だったら全運動エネルギーを吸収できると思う」
「つ、つまり?」
「私が使ったとしても、全然ダメージを与えられないと思う。そもそも、赤ドレスのほうが感応力が上だろうから、私はまともに戦っても防戦一方になる可能性が高いよ」
ジュージューは、うーん、と呻いた。
ここでふと疑問を覚えたジェイは、ヴァニッシュにぶつけてみる。
「なあ、ヴァニッシュ。お前、アリアを逃がすために一度は実働部隊の仲間、『極衣』を装備した相手と戦ったんだよな? その時も肉弾戦中心だったのか?」
ヴァニッシュはジェイに向き直り、静かに告げた。
「うん。そうだね。『極衣』を着た者が感応力全開で殴れば、さすがにダメージを与えることができるから。ただ、他にもある技能が重要になってくるんだ」
「ある技能?」
二人の当然の疑問に対し、ヴァニッシュはなぜか顔を少し赤らめていた。その反応を見て怪訝な顔をする二人に、ヴァニッシュが先ほどまでよりやや小さい声で答えた。
「その・・・。脱がす技能なんだよ。いや、ちょっと! 誤解しないで!」
ヴァニッシュは益々怪訝な顔をする二人に、慌てて手を振り、誤解を解くべく詳細に説明する。
「だから、『極衣』といえども肉体と一体化してるんじゃなくって装備の一つなわけだから、それを一部でも脱がせることができたら、そこがそのまま弱点になるんだよ。まあ、脱がすといっても簡単じゃないんだけどね。何重にも包帯のように重なった布地を、打撃のついでにちょっとずつずらしていって、最後にえいやっと一気にずらすんだよね。とは言え、そう簡単には決まらないから、赤ドレス相手に決めるのを期待されても困るよ」
そこまで聞いて、ジェイには自身の作戦に自信が芽生えてきた。ここで、二人に作戦の全貌を明かすことにした。
「俺が持っている武器は、ここにある『原初弾』だけじゃないんだ。そいつと、ジュージューが切り札になる。いや、ジムとパルサーもそうだな。全員で力を合わせる必要がある」
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ヴァニッシュとジュージューは驚嘆しながら、ジェイの説明を聞いていた。素人のジュージューにも、これなら勝算がありそうだと映っていた。
「専門家としての意見はどうだ? ヴァニッシュ?」
ジェイは期待を込めて、ヴァニッシュに確認した。切り札はジュージューとは言え、作戦の根幹を成すのはヴァニッシュの戦闘能力である。彼女の意見が非常に重要だった。
ヴァニッシュは右手をあごに当て、考え込みながら静かに返答した。
「・・・正直、驚いた。細部を詰める必要はあるけど、これなら勝算があると思う」
「お姫様のお褒めに預かり、光栄です」
ジェイは内心の嬉しさを覆い隠すかのように、ヴァニッシュに向かって、優雅な所作で大げさに腰を折った。もっとも、それを見た二人が優雅と受け取ったか、それはまた別の問題である。
「もう、茶化さないで! いや、本当に感心してるんだから。ジェイ、あなた、戦術家の才能があるかもしれないよ?」
「おいおい、そっちこそ茶化すなよ。こんな一介の私立探偵をつかまえて、戦術家って言うのは褒めすぎだ」
ジェイは照れくさそうに左手を振り、急いで話題を変えた。
「それはともかく、なんとか明日一日で準備しよう」
ジェイの言葉に、二人は同時に勢いよくうなずいた。勝ち目が見えてきたことで、特にジュージューは見るからにやる気に満ちていた。ジェイは内心『現金なものだ』と苦笑したが、この作戦にはジュージューも欠かせないことを思い出し、この作戦に付き合ってくれることにも密かに感謝した。
「それから、他に気にあることはあるか?」
ジェイ一人の視点では見落としたこともあるかと、彼は他の二人に確認した。
「うーん、やっぱりエミリアさんのことかな?」
確かに、それも気になるところだった。ジェイはヴァニッシュに向いて、尋ねた。
「ヴァニッシュ。俺はお前が語ったフレアさんの印象は、エミリア先生のそれと一致してたんだ。話を聞いているうちに、懐かしさを覚えたくらいだ。お前はどう思う?」
ヴァニッシュは眉根を寄せて、少しの間考え込んだ。やがて、顔を上げて、キッパリとした口調で告げた。
「私も、あなたの話のエミリア先生の印象は、フレアに似てると思った。『生き延びること』って信念は、私が最後に聞いた『決して諦めないで』ってフレアの言葉にも通じるしね。それに・・・」
ヴァニッシュは机の上に置かれたスクリーンに向かって、感応波を飛ばした。すると、スクリーン上に、一人の女性の姿が浮かんできた。
「どう?これが、私の覚えてるフレアの姿。エミリア先生に通じる面影はあるかな?」
ジェイはヴァニッシュの力に感嘆した。自身のイメージをスクリーンに正確に投影するのは、よほど精密な感応力の使い方ができない限り、不可能なのだ。少なくとも、ジェイやジュージューには不可能な行為だった。ジェイが同じ事を行えば、スクリーンには人間とは思えない異形の物体が映るだけだろう。
しかし、ヴァニッシュは特に苦労することもなく、いとも容易く行ってしまった。
もちろん、感嘆ばかりしているわけにはいかず、ジェイはスクリーン内の像を見つめ、エミリア先生との共通点を探そうとした。もし、十二人委員会に追われているのであれば、顔を変えていて不思議ではない。だから、多少なりとも面影があるかと、それを確認しようとした。
しかし、ジェイの目は驚きで見開かれた。
スクリーンの中にいるのは、ジェイも知るエミリア先生の姿そのままだったからである。
ジェイは急いでそれをヴァニッシュに告げた。ジェイの言葉を聞いたヴァニッシュも驚いていた。
「まさか、顔を変えていないなんて、ね。どういうことだろう?」
時期的には、ヴァニッシュと別れたのが約30年前、ジェイに出会ったのが約23年前である。その間は、顔を変える必要もなかったということだろうか? 十二人委員会に追われることになったのは、最近のことなのだろうか? ヴァニッシュとジェイは首を傾げるばかりだった。
「・・・同一人物に間違いはなさそうだが、差し当たって俺たちに他にできることはない、な。まずは、二日後を生き延びてから、もう一度考えよう」
ジェイの提案に、二人は賛成した。作戦が決定し、その準備で忙しい今、あれこれと考える時間はなく、ジェイの提案は現実的なものであった。
三人は作戦の準備作業に取り掛かろうと、腰を浮かしかける。
「そういえば・・・」
ここで、ジュージューがある事をふと思い出し、何の気なしにジェイに確認した。
「ジェイの旦那から聞いた、アラームの話。あれ、何だったんだろう?」
ジェイは予想外の質問に面食らった。ヴァニッシュが事務所に現れてから、息つく暇もなく様々なことが立て続けに起こったため、アラームの存在をすっかり忘れていた。
あの日、ジムですら感応物質を検知できないものが突然3つも現れた。
ヴァニッシュのドレス。これは、『極衣』という最上階層の物だったため、低階層の者、低階層の制御ユニットには検知できない代物だった。
ハ・ラダーの装備。これも、『闘衣』という上階層の代物だった。
だが、アラームは未だに謎だった。あれにどんな意味があるのか? そもそも誰が仕掛けたものなのか? 様々なことが判明した今でも、謎のままだった。
ジェイは肩をすくめた。
エミリア先生のことと同様、今考えても答えが出るようには思えなかった。
ジュージューも特に答えを期待したわけではなさそうだった。ジュージューは椅子から立ち上がって、両手を天に伸ばして背伸びをしていた。座りっぱなしで体が凝り固まっていたのだろう。
ヴァニッシュはさっと立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。どうやら、トイレにでも行ったようだった。
自称紳士のジェイとしては、それに気付かない振りをしつつ、もう一本タバコを吸おうかと懐に手を伸ばした。
その時、指先が微かに金属に触れ、ジェイはハッとした表情でポケットからそれを取り出した。それは一対のピアスだった。白銀製でエリザの瞳の色と同じ小さな紅玉がはめ込まれた、簡素なデザインのピアス。それは、エリザのピアスだった。
それを目ざとく見たジュージューは、ジェイにそれは何だと問いかけた。
「ん?ああ、エリザがいつも付けていたピアスだよ。こないだ、攫われた時に外れたらしく、地面に転がっていたのを拾ったんだ」
ジュージューは、ジェイに同情の視線を向けながら、ピアスを持つ手をポンポンと叩いた。
「そっか・・・。絶対、エリザさんを助け出して、返さなきゃいけないね。ボクもエリザさんは大好きだからね。精一杯戦うよ!」
「・・・ああ、ありがとうな、ジュージュー」
ジュージューはもう一度ポンポンとジェイの腕を叩くと、ヴァニッシュに続いて部屋を出て行った。いつも生意気なジュージューから、意外な心遣いを見せてもらい、ジェイは驚くと同時に感謝していた。
思えば、今回の一件はジュージューにずっと迷惑をかけっ放しだった。しかも、今は依頼料をもらえるあてもない状況なのに、ヴァニッシュとエリザを救うための戦いに身を投じようとしてくれている。
『一時はスパイ扱いして、本当に申し訳なかったな・・・』
ジェイは苦笑しながら殊勝に反省した。職業病とはいえ、人を疑う癖だけはどうしようもない。しかし、ハ・ラダーとの戦いの中で、ジュージューがスパイだという疑念は完全に解消していた。
その時、ジェイの中でもう一つの疑問が突然湧いてきた。
『スパイがいなかったって言うなら、スラムの地下から出てきた俺たちをハ・ラダーはどうやって待ち構えていたんだ? 赤ドレスからの情報があったのか? いや、それにしたって赤ドレスはどこから俺たちの情報を掴んでいたんだ?』
しばらく考え込んだジェイは、いくつかの案を思い付いた。
赤ドレスは最上階層もしくは、それに匹敵する階層の人間だと思われる。したがって、その装備は当然ジムたちでは検知できない。ということは、彼らを見張る超小型のドローンでも飛ばしていたのかもしれない。
実際、ナノサイズの監視用ドローンは存在しており、それを使われた可能性は否定できない。
ジェイは急に薄気味悪くなって、周りを見渡した。
ひょっとして、今の作戦会議も聞かれていたのでは?と疑念に捉われた。
だが、会議の前に部屋全体の走査を行い、念のためにそういったドローン類を排除するための特殊電波放射も行っていた。ドローン類はあくまでも感応力をエネルギーとして動いているが、機械である以上、高電圧の特殊な電波を浴びると制御回路の一部に不調をきたし、正常に動作しなくなる。大型のドローンであれば、そういった妨害を防ぐ回路もあるが、小型のものはそうもいかず、ナノサイズであればなおさらである。
したがって、作戦会議まで聞かれた可能性は限りなく低いはずだった。
だが、ジェイは一抹の不安を拭い去ることができなかった。
やがて、小さく嘆息し、首を振りながらジェイも部屋から出て行った。
もはや、賽は振られたのだ。あとは、余念なく準備し、当日の一瞬のチャンスにすべてを賭けるしかなかった。