2.見えざる意志 (その1)
赤ドレスとの邂逅の後、残されたジェイたち三人は、キングキャッスルに構えたジュージューの隠れ家に一旦退避することにした。ハ・ラダーとの追跡劇、死闘を経て、三人揃って疲弊しきっていたため、数々の疑問を吟味することなく、黙々と隠れ家に向かっていた。
もっとも、歩きでの移動となると、またしても数時間は掛かろうかという、特に体力に乏しいジュージューにとってはかなりの難事業だったため、ヴァニッシュの飛行能力で一気に向かうことにしていた。ヴァニッシュもハ・ラダーとの全開戦闘の後だったため、ジュージュー程ではないにせよ消耗していたが、二人をドレスの布で持ち上げ難なく飛行し、少なからずジェイを驚かせた。彼女にとっては、飛行程度は目を瞑ってでもできる仕事なのだろうと、ジェイは舌を巻いた。
数分の飛行の後、無事ジュージューの隠れ家にたどり着いた一行は、玄関から屋内に上がりこむや否やそのまま倒れこみ、あっという間に夢の世界に旅立つことになった。それも無理もないことだろう。ハ・ラダーからの逃走、戦闘で肉体的に疲労困憊な上、さらにハ・ラダー以上の敵だと目される赤ドレスから新たな謎を投げかけられて、精神的にも大きく疲弊していたためである。
ジムとパルサーは優秀な制御ユニットらしく、三人に無駄に話しかけるでもなく、倒れこむ三人に合わせて床材を柔らかく変えて、そっと肉体を受け止め、さらにはそのままベッドの様に組み替え直し、三人の休息を全力で手助けしていた。
そのまま、三人はほぼ一日眠り続けた。
やがて、充分な睡眠と休息を得た三人は揃って起き出し、カード式食料でささやかな食事を済ませた。当然ながら、この状況で味に文句を付ける者はおらず、黙々と食べ続けた。特にヴァニッシュは旺盛な食欲を見せ、5人前はあろうかという量を、ぺろりと平らげた。普段のジュージューであれば、ヴァニッシュがそんな行動をすれば何らかの反応を見せても不思議ではなかったが、まだ疲労が抜けきらないのか、眠そうな目でヴァニッシュの大食を静かに見守り続けていた。
こうして食事を済ませ、ようやく人心地ついたところで、ジュージューの事務室に集まり、ヴァニッシュの過去を話してもらうことになった。赤ドレスの話は、詰まるところヴァニッシュに全てを語ってもらえ、ということであったため、ジェイとジュージューはやや緊張しながら、自身が巻き込まれている事態の原因を興味津々に聞くことになった。そして、話が進むにつれ、内容を理解するために、まだ疲れが抜け切れていない頭脳を全力で回転させなければならない事態になっていた。
ヴァニッシュの語った内容は、二人の想像をはるかに超えていた。
その内容の凄絶さもそうであるが、確かにヴァニッシュの過去を知ることで判明したことが数多くある一方で、新たに生まれた謎も多くある。ジェイは率直に言って、どこから情報に手を付ければいいのか分からないくらいの混乱に巻き込まれていたと言ってもいい。さらに、過去の情報の整理だけではなく、三日後、いや、その時点では二日後に迫った赤ドレスとの戦闘の対策も立てなければならない。
『エリザがいればな・・・』
エリザであれば、こういった情報の整理はお手の物である。彼女であれば的確に情報を整理し、ジェイの思考を作戦の立案に集中させてくれたことだろう。だが、今エリザはいない。そのエリザを取り戻すためにも、赤ドレスに何としても勝たなければならない。
過去の情報、赤ドレスとの戦闘、考えなければならないことはいくつもある。
しかし、ジェイはヴァニッシュの話を聞いて、ある一点が非常に引っ掛かっていた。彼女が今ここにいる理由は分かった。彼女が戦う理由も分かった。しかし、その姿勢に危うさを感じてしまっていた。
ヴァニッシュは、アリアを元に戻すことを、己の全てとしすぎているのではないだろうか?
是が非でも彼女との再会を目指すということなら、素晴らしいことだとジェイも思う。
だが、ヴァニッシュは、アリアのためなら自分の命も喜んで差し出しそうな危うさがある。
もっとも、ヴァニッシュが死ぬということはアリアの肉体が死ぬことと同義であるため、自分から命を差し出すということまでは無いだろう、とも思うが、そう確信しきれないほどの危うさがヴァニッシュにはあった。
いずれにせよ、目的のために自らの身を犠牲にするというのは、ジェイの信条的にも、そして心情的にも受け入れることはできなかった。
それは、エミリア先生の教えに反することであり、それは美桜の育ての親の教えにも反しているはずだからである。
『エリザがいたら、彼女はどうしていただろう?』
思い返してみると、エリザは最初からヴァニッシュのことをあれこれと気にかけており、ヴァニッシュもエリザに懐いていたように見えた。そんな彼女であれば、ヴァニッシュに柔らかく忠告するくらいのことは、当然行っていただろう。
ジェイは説教のようなものは苦手だった。彼自身、他人に説教できるほどの知恵も経験も、そして立派な精神も持ち合わせていないことは、重々承知していたからである。だが、ここはエリザの代わりになって、ヴァニッシュを一つ諭してやらなければならないと、ジェイは腹を決めた。
泣いているジュージューが落ち着くのを待って、ジェイは静かに口を開いた。
「いろいろと質問させてもらう前に、俺の方からも話したいことがある。いいかな?」
ヴァニッシュとジュージューは、ハッとした表情でジェイを見つめ、二人同時にうなずいた。
二人の表情を見たジェイも軽くうなずき、再び口を開いた。
「そうだな。どこから話せばいいのかな? ・・・ふふっ。ヴァニッシュの前置きと同じ感じになってしまったな。まあ、そうなるのも仕方ないか。俺の過去について、ちょっとばかり話させてもらおうと思う」
「あんたの過去だって? ・・・そうだ! ジェイの旦那にもいろいろ聞きたいことがあったんだった! 『原初弾』なんて代物、どこで手に入れたのさ!? それから、エミリア先生のことだよ!」
ジェイは苦笑しながら返答する。
「ああ、その辺りのことも触れることになる。とりあえず、聞いてくれないか?」
二人が再びこくりとうなずくのを見て、ジェイは腰を据えて話し始める。
「ヴァニッシュの過去と俺の過去には、いくつか共通点があって、俺も驚いたよ。ああ。エミリア先生のことは、その筆頭だな。もう一つの共通点は、今住んでいる階層と、生まれた階層が違うってことだな。」
「あれ? ちょっと待ってよ、ジェイの旦那。ここは最下層だよ? ヴァニッシュは生まれの階層の平均的な能力とかけ離れてた強さだったから、最上階層に移されたんだろ? あんたの能力が生まれの階層とかけ離れていたってのは、どういうことだい? ・・・あっ」
「うん。たぶん、ジュージューが察したとおりだと思う。幼少時の強制移住は、能力が強すぎた時だけが対象じゃないんだ。能力が『弱すぎた』時にも、移住の対象になるんだ。階層政府にとっては、同一階層内の感応力の強さを平均的にならす事が目的だから、私と逆のパターンもありえる話だよ」
まさしく、ヴァニッシュの説明のとおりだった。突然変異で、ありえないほどの強さを持つ子供が生まれるならば、逆もまた然りである。そういった、感応力の弱い子供は、その力にふさわしい階層に強制的に移住されることになる。
だが、ジェイの場合は違っていた。
ジェイは苦笑しながら、先を続ける。
「ああ、確かにそういった事例もあるだろう。だが、俺の場合は、ヴァニッシュと同じだったんだ」
「ちょっと、ジェイの旦那!? 何言ってんだよ。その階層の平均とかけ離れた程の強さを持って生まれた子供が、力が一番劣っている最下層の第一階層に強制的に移住させられたってことか? それ、論理的におかしくないか?」
「いえ・・・まさか・・・!」
ここでヴァニッシュは気付いたようだった。
「そう。ヴァニッシュが察しているとおりだよ。俺は、お前たちが言うところの『旧人類』なんだ。この第一階層の下に封印された、旧地表面出身なんだよ」
ジュージューとヴァニッシュは、あまりにも想定外な話に驚愕し、口をあんぐりと開けてジェイを見つめることしかできなくなっていた。
二人の驚きも想定内だったジェイは、淡々と先を続ける。
「階層社会に住む現人類と旧人類を分け隔てているものは何だ? 言うまでもなく、感応力だ。だが、現人類も人類史の最初から感応力を備えていたわけじゃない。旧人類から突然変異を起こし、感応力を得たものが現人類になったんだ。旧人類と現人類の違いなど、その程度でしかない。いみじくも、さっきヴァニッシュが言ったとおりだよ。突然変異ってのは足を止めたりしないんだ。だから、旧人類の中にも、突然変異を起こして感応力を得る者が、今でも現れるんだ!」
「・・・じゃあ、まさか、あんたは」
「ああ、旧人類として旧世界に生まれながらも、感応力を得て生まれた鬼子だったのさ」
ジュージューとヴァニッシュは、さらに目を丸くして、ジェイを呆然と見つめるしかなかった。確かに突拍子も無い話ではあったが、これまでのジェイに関するいくつかの疑問を照らし合わせると、納得せざるを得ない説得力もあった。
「じゃあ・・・あんたの古代趣味や、『原初弾』は・・・」
「ああ、そうだな。お前たちから見ると、俺の生活様式は古代趣味に見えただろうが、俺にとっては子供の頃に慣れ親しんだものでしかない。・・・この話に興味がありそうだから、少しだけ解説しておくよ。今でも旧地表面では旧人類が生活しているよ。ただし、はるか以前に現人類との最終戦争に負けたからな。現人類たちに管理されながら、細々と、な」
ジェイは昔を懐かしむような遠い目をしながら、先を続ける。
「空には階層世界っていう忌々しい天井が出来上がったせいで、当然のように本物の太陽を見ることはできなくなった。そうなると、植物は育たないから、酸素は合成されず、作物は採れず、草食動物も肉食動物たちも人間も絶滅するしかない。だが、現人類たちは、隷属を条件に人工太陽を与えてくれた」
ジェイの目に一瞬怒りの炎が点った。
「それは断じて哀れみの感情などからくる行動じゃない。体よく奴隷を手に入れるためだけの口実なんだろう。以前であれば原人類と戦った勇敢な旧人類たちも、人工太陽という生殺与奪を自由にされる代物がある限り、手も足も出ない。結局、完全な隷属状態のまま、科学技術の発展も極端に制限されたまま、今日に至ってるわけさ」
ジェイはふと苦笑を浮かべた。旧人類の歴史を語るのは、本題からいささか話が外れていた。長い話が苦手なジェイは、より要点だけを話すべく、気を引き締めなおした。
「まあ、そういうことで、今も地表に暮らしている旧人類の中から、現人類と同様に感応力を操ることができる俺が生まれたんだよ。そして、10歳の頃だったかな? ヴァニッシュと同じように、階層政府の連中に人攫い同然に、この第一階層まで連行された」
「・・・その、ジェイの家族は・・・?」
ヴァニッシュの当然の疑問に、ジェイは小さく嘆息し、目を瞑って当時のことをまぶたの裏に思い浮かべたようだった。
やがて、小さな声で返答した。
「・・・両親と、兄と妹がいた。もちろん、俺が連行されるのを必死で止めようとしていた。だけど、止めるなんて無理な話だよな。ただ、幸い、係官からの攻撃などは無かったから、今でも地表で元気に暮らしている・・・と思いたいな」
ヴァニッシュとジュージューはジェイにかける言葉が見つからないように、押し黙ってしまった。その沈黙に気付いたジェイは、同情を買うためにこの話をしているわけではないと、努めて明るい口調で続きを話す。
「まあ、お前たちが気にするような話じゃない。第一階層に住んでいる人間だったら、大なり小なり同じような話に見舞われているんだから、俺だけ不幸ぶるわけにもいかん。それはともかく、近い将来こういう事態になることを見通していたんだろうな、親父は。階層社会に一人で放り込まれるだろう俺のために、いくつか武器を持たせてくれた。その一つが『原初弾』だよ。もっとも、あっちの世界だと感応物質なんて存在しないんだから、向こうのごく普通の実態弾がこっちの世界では『原初弾』になる、ってだけの話だよ」
「でも、階層社会に入る前に、『柱』で検問を受けるはずでしょう? どうやってそんな物を持ち込んだの?」
またもやヴァニッシュの当然の疑問があった。原初の素材の流入を極端に警戒している階層政府が、なぜジェイの持込を見逃してしまったのか?
ジェイは苦笑しながら答える。
「確かに検問はあったよ。ただ、何て言えばいいんだろう? 俺は必死だった。自分の身を守ってくれるかもしれない唯一の物だったし、ここで没収されるわけにもいかなかった。だから、従順な振りをしながらも心の中では必死で念じたよ。この場は見逃してほしい、って」
「まさか・・・」
「ああ、多分、必死で念じた成果なのか、偶然にも係官に『暗示』がかかってしまったのかもしれないな。さっきヴァニッシュも言っていただろう? どうやら、俺の感応力は第一階層の人間の中ではかなり強いほうらしい。そのおかげで係官は『暗示』にかかってくれたんだと思う。・・・まあ、もう一回やれといわれても無理だ。ほとんど奇跡だよ」
「そうやって、まんまと旧人類の武器をここに持ち込んだってのかい?」
ジュージューが半ば呆れたような表情を浮かべながら、ジェイに問いかけた。子供ながらに、かなり危険な橋を渡っていたことに、ジュージューは呆れ半分感心半分といった心境なのだろう。
ジェイ自身もかつての自分の行動に呆れている部分があるのか、ジュージューと同じような表情を浮かべていた。
「ああ・・・。ただ、今から考えると、奇跡的に『暗示』がかかったってのも妙な気がする。ひょっとすると、エミリア先生が裏から手を回してくれたのかもしれないと、今では半分くらいそう考えてる」