4.果ての紫嵐 (その6)
ジェイは謎の二人に対し、どう対処すべきか迷っていた。
ハ・ラダー以上の感応力の持ち主である可能性が高い以上、真正面から事を構えるのは自殺行為と言えた。頼みの綱はヴァニッシュの謎の戦闘力と、あとは辛うじてジェイの『原初弾』が通用するかどうかという、非常に心許ない状況である。
しかし、この開けた場所から逃亡することもまた絶望的である。
この状況で戦うにせよ逃げるにせよ、相手の隙を伺うためにも情報を引き出すためにも、ジェイは会話を続けるしかないと判断した。ヴァニッシュの記憶が戻ったとはいえ、敵の思惑をすべて知っているとは限らないから、尚更である。
口を開こうとするジェイを遮るかのように、まずはヴァニッシュが声を上げた。
「私は神流 美桜じゃない! ヴァニッシュだ!」
この言葉を聞いた赤いドレスの人物は、少し笑ったようだった。顔は見えないが、小さな笑い声が聞こえてきた。そして、口を引き結び、険しい表情をしているヴァニッシュに対して、優しいとさえ言える声で返答する。
「確かにな! 今の貴様は、神流 美桜でもなければ、アリアでもない。まさに、ヴァニッシュという名にふさわしい存在よな」
「お前! なぜアリアを知っている!?」
『何のことを言ってるんだ?』
ジェイは二人の会話の意味が分からず、戸惑っていた。さらに、ドレスを着た両者の間に漂う剣呑な空気が、二人だけの世界を作り上げているようでもあった。だが、ここで気後れしても何も始まらない。ジェイは、意を決して二人の会話に割り込んだ。
「お前たちが、ハ・ラダーの依頼人か!?」
赤ドレスはジェイの声を聞き、久しぶりにジェイの存在を思い出したかのように、ジェイの方向に顔を向けた。だが、やはり帽子の影で顔は見えなかった。赤ドレスは頷きながら、もう一人の大柄な人物に指を向け、説明した。
「ああ。依頼人は私だ。こっちの人間はただの見届け人だ。お前を狙っているのは私だけだ」
「なぜ俺を狙っている!?」
「なぜ、だと? ふん。その辺りの事情は美桜に、いや、ヴァニッシュに聞くといい」
これは一つ有益な情報になった。いざ戦うとなっても、一人を相手にするだけでよさそうだと、ジェイは少しだけホッとした。だが、相手の言葉を丸々鵜呑みにするのも危険であり、ジェイはもう一度気を引き締める。
「なぜ、ハ・ラダーなんて使ったんだ? 奴に『強制』をかけるくらいだ。お前のほうが遥かに強いはずだろう?」
ジェイのこの質問に対し、赤ドレスは、ふんと鼻を鳴らしながら答える。
「ヴァニッシュの戦闘能力を、この目で見ておきたかったからだな。程ほどの戦闘力を持ったあいつをけしかけることで、ヴァニッシュの力を計ることができそうだったからな。ああ。ついでに、お前の『原初弾』とやらも拝むことができたのは、幸運だったな」
ジェイは悔しそうに歯噛みした。原初弾の存在がバレているということは、闇雲に撃ってもまず当たらないことを意味している。だが、感情を表に出さないように努めながら、話を続ける。
「じゃあ、なぜあいつに『強制』なんかかけていたんだ!? ハ・ラダーとヴァニッシュを戦わせて情報を得たいなら、その行動は矛盾しているじゃないか」
「お前もなかなかしつこいな・・・。いいだろう。『原初弾』を見せてくれた礼に、教えてやってもいい」
赤ドレスの口調に面白がるような空気が含まれ始めていた。ジェイが威勢のいい獲物だと知り、気分が高揚しているのかもしれない。
赤ドレスは勿体つけるように数拍置いた後、澄んだ声で話し始めた。
「確かに、私はヴァニッシュの力を見ておきたかった。だが、彼女を倒すのはあくまでも私の役目だ。断じてハ・ラダーのごとき小者の役目ではない。だから、彼女に不要な攻撃をしないよう、念のため『強制』しておいた。もっとも、さっきの戦闘を見る限り、ハ・ラダーがヴァニッシュに勝てる可能性など皆無だったようだし、とんだ取り越し苦労だったというわけだな」
赤ドレスは愉快そうに笑っていた。ハ・ラダーを完全に使い捨ての駒として利用し、完全にその目的を果たして、満足しているのだろう。だが、その上機嫌は不意に反転し、さらに言葉を続ける。
「そして、もう一つの理由は、ヴァニッシュの記憶障害だ」
その口調は、忌々しげな感情を隠そうともしていなかった。
「どういうことだ!?」
「ふん・・・。それは私がなぜお前を狙っているのかという理由にかかってくる」
ジェイは思わず喉をごくりと鳴らし、赤ドレスの言葉を待ち受けた。
「これは、ヴァニッシュの罪が招いたものだ。後で彼女に聞いてみるといい。彼女の罪深い行動を。私は彼女を罰するために、貴様の命を狙っているのだ!」
予想外の答えにジェイは仰天し、思わずヴァニッシュを振り返った。そして、さらに驚くことになった。
ヴァニッシュの顔は血の気が完全に失せ、真っ青になっていた。しかも、その目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。
ヴァニッシュの様子を心配したジュージューが、彼女の手を握り、必死になだめようと話しかけている。だが、ヴァニッシュの耳にはジュージューの言葉は届いていなかった。赤ドレスの言葉だけが、ヴァニッシュの意識を支配していた。
「そうだ! その顔だ、ヴァニッシュ! お前は、自分の罪を自覚しながら私に敗れるべきなのだ! 記憶障害で自身の罪を思い出せない状態の貴様を倒したところで意味はない! だから、貴様が記憶を取り戻すまで、ハ・ラダーに遊ばせていただけの話だ!」
「彼女の罪って何なんだよ!? 何でジェイの旦那の命が関わってくるんだよ!?」
先ほどからビルの屋上の二人に気圧されて沈黙していたジュージューが、赤ドレスの物言いに思わず挑戦的な口調で質問を投げかけた。
赤ドレスはジュージューを一瞥し、すぐに興味なさそうに視線を外した。
「さっきから言ってるだろう。その辺りのことは彼女自身に聞けと。それよりも、お前は完全に部外者なのだから、さっさと逃げたほうが利口だぞ」
「うるさい! ボクは友達を見捨てて逃げたりなんかするもんか!!」
赤ドレスはジュージューの言葉に何かを感じたのか、もう一度視線を向け、今度はまじまじと見つめた。やがて、苦笑交じりに返答した。
「まあ、好きにすればいい。無駄な犠牲は望んでいないが、私の最大の目的を邪魔するというのならば、容赦はしない。ハ・ラダーには無関係な人間を巻き込まないよう『強制』しておいたが、私自身もそう行動するとは勘違いしないことだ」
赤ドレスのこの言葉を聞いたジェイは、ふと閃いた。先ほどの疑問に対する答えは、これではないのかと。
「おい、ひょっとして、キングキャッスルの人間が人っ子一人いなかったのは、お前が何かしたのか?」
「うん? ああ。ハ・ラダーとヴァニッシュの全力の戦闘となると、無関係な人間が大勢巻き込まれると馬鹿でも想像できる。だから、ここら一帯の住人に『暗示』をかけて、強制的に避難させておいた」
ジェイはまたも驚かされることになった。ハ・ラダーに『強制』がかかっていることを見破った時に、依頼人の人物像に対してジュージューは『どんなヒューマニストなんだよ!』と評していた。確かにそのとおりだった。無関係の人間の命を極力尊重する、ジェイの命を狙っているとは思えないほどのヒューマニスト。
無関係の人間を極力巻き込まないように配慮し、既に関係者の一人になってしまっているジュージューに対してすらも配慮する。
これは、テロリストや暗殺者などの思考とは、まったく異なるものだった。
「ああ、そうそう。これを忘れていた」
赤ドレスはおもむろに右手を差し出した。不意を突かれたジェイは、歯噛みしながら身構える。だが、赤ドレスの行動は攻撃に結びつくものではなかった。
ジェイの後ろで何かが動く気配がし、思わず振り返った彼の目に、空に浮かぶハ・ラダーの身体が映った。
赤ドレスは、その感応力でハ・ラダーを『闘衣』ごと持ち上げ、自身の方向に引き寄せ回収しようとしていた。
そして、ゆっくりと慎重に引き寄せた赤ドレスは、そのままもう一人の大柄な人物にハ・ラダーを渡した。
「うん、まだ息があるみたいだ。手当てしてやってほしい」
「・・・よかろう」
大柄な人物は懐から一枚の布を取り出すと、虫の息のハ・ラダーにふわりと掛けた。
「驚きました。あの布のようなモノは、医療ユニットの一種です。しかし、まさかこんな低階層でお目にかかることができるとは」
ジムが感嘆したかのような口調で、補足説明をしてくれた。どうやら、傷ついた身体に掛けるだけで、自動的に傷の修復が始まる、高階層に存在する優れものらしい。
「おい、ハ・ラダーはお前にとって使い捨ての道具だったんじゃないのか?」
ジェイの言葉に、今度は赤ドレスが驚いたようだった。そして、感情を害されたのだろうか、若干の怒りを込めながら、反論する。
「確かに、私の目的のために使いはした。だが、使い捨てるつもりなどない! 人の命は道具じゃない」
「まったくだ。そのご立派な意見には大いに同調させてもらいたいところだよ。・・・ところで、その中には、俺の命の勘定は含まれていないのかな?」
「はっ! お前とヴァニッシュだけは別だ。必ず私の手で殺して見せよう」
ハ・ラダーを回収し、ジェイとヴァニッシュを狙うことを宣言した赤ドレスは、そろそろ攻撃態勢に入っても不思議ではないと、ジェイは判断した。
勝算など何もないが、まずは四人が一箇所に集まることを考えるジェイ。だが、ここで、ある事に気付いた。
ヴァニッシュは、ジェイのかなり近くに悄然とした様子で立っている。
ジュージューは、心配そうにヴァニッシュに寄り添っている。
だが、エリザの姿がどこにも見えなかった。
ジェイは急いでエリザを見た最後の記憶を掘り起こそうとした。しかし、ここである可能性に気付いて、思わず怒りとともに声を張り上げていた。
「おい! エリザをどこへやった!?」
その言葉を聞いた赤ドレスは、一瞬キョトンとした後、今度は盛大に笑い出した。そして、愉快そうな声のまま、ジェイに返答する。
「おいおい、いまさら何を言っている。鈍いにも程があるな、お前は! まあ、その秘書のことなら、こいつに聞けばいいさ」
赤ドレスは笑いながら、もう一人の大柄な人物に顎をしゃくってみせる。
ジェイは自分の不注意を心底呪っていた。大柄な人物の周りに漂っている布は、もちろんただの布であるはずもない。ヴァニッシュがそうできたように、布を伸ばして人一人を引き寄せるなど、おそらく造作もなく行えることだろう。
謎の二人の登場後、赤ドレスとの対話に神経を集中させていたことで、もう一人の人物の行動には無頓着だったことを、ジェイは後悔した。
三人の視線と注意が完全に赤ドレスに向いている隙に、もう一人の人物が密かにエリザを攫う。むしろ普段であればジェイが使いそうな作戦だけに、後悔も痛切だった。
「ふざけるな! 無関係な人間を巻き込むのは、お前の本意ではないんだろう? それなら、今すぐエリザを返せ」
赤ドレスはまだ笑いながらジェイに返答しようとしかけるが、ふと何かを思い付いたかのように一瞬間を空け、改めて真剣な口調で返答する。
「よし。では、こうしよう。秘書を返してほしいなら、三日後正午! 三日後正午に・・・そうだな、終戦塔とやらに、ヴァニッシュとジェイが出向いて来い! 私に鬼ごっこの趣味はないんでな。その場その時に決着を付けようではないか」
「・・・今戦うんじゃないのか?」
赤ドレスは鼻を鳴らして、ジェイを馬鹿にしたように返答する。
「事情は彼女に後で聞け、と言っただろう? お前も自分が死ぬ理由くらいは聞いておいたほうがいいだろう。それに三日後としたのは、終戦塔の周りの無関係な人間を排除するためだ。あくまでも決着は三人だけの舞台にしなければな」
赤ドレスは、もう一人の人物に振り返り、首を頷かせて合図を送った。
「では、さらばだ!」
謎の二人組と、抱えられたハ・ラダーは、赤ドレスの哄笑をまといながら、空の向こうに一気に飛び去ってしまった。
そして、その場には二人が飛び去った方向を憤怒の目で見つめ続けるジェイ、打ちのめされたかのようなヴァニッシュ、呆然と立ち尽くすジュージューが残されることになった。
何とか一息つくことはできる状況になったが、山積された難問のこともあり、声を発する者は誰一人いなかった。
ジェイが見つめる二人が飛び去った方角に、人工太陽が沈もうとしていた。
この長い一日がようやく終わろうとしていた。
第二章 了