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Angel:Vanish  作者: 桂里 万
第二章 風を斬り走れ
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4.果ての紫嵐 (その1)

 ジェイは足を動かそうと必死に意識を集中した。『暗示』や『強制』は、対象の感脳に対して感応波で直接働きかけ、脳の一部を支配してしまうという現象である。であれば、自身の感応波で感脳の制御を取り戻すことができれば、支配状態が解けることになるのである。

 しかし、ジェイの足はピクリとも動かなかった。

 ハ・ラダーの圧倒的な感応力の前では、ジェイ程度の力では小波さざなみひとつ立てることができないようだ。

 愕然とするジェイだったが、まだ逆転のチャンスがあると、かすかな望みを抱いていた。足が動かなくなった今でも、それ以外の部分は自由だったからである。

『暗示』をかけるには、相手を視認していることが必須になる。相手の脳に直接働きかける以上、相手の頭がどこにあるのかを把握しておかなければ、正確に干渉することができないためである。

 そうなれば、ジェイが暗示にかけられたということは、ハ・ラダーはジェイを完全に視認していたということになる。完全に視界に納めていたにもかかわらず、ブラスターの一つをお見舞いするのではなく、わざわざ『暗示』をかけて標的の足を止める。ジェイはそこにハ・ラダーの思惑を感じ取っていた。


『そんなことより、精一杯抵抗してくれないと、こっちとしては張り合いが無いぜ?この傷のお返しはたっぷりとさせてもらうからな』


 ハ・ラダーは確かにそう言っていた。一思いにジェイを殺害するよりも、ジワジワと嬲り殺しにする機会を待っていたとしか思えない台詞だった。だからこそ、ジェイを『暗示』で足止めして、あとは好きにするつもりなのだろう。

 しかし、そこに最後の隙がある。チャンスはもうほとんどゼロに等しいものだったが、それに縋るしかない。

 ジェイの切り札自体はまだ敵に見られたわけでも、悟られたわけでもない。

 そして、手がまだ動く以上、一か八か、その切り札を使えるチャンスを作り出すしかない。

 ジェイはその隙を作る時間を稼ぐために、ジェイが走りぬけた建物の隙間から同じように姿を現すハ・ラダーに話しかけた。


「『暗示』とは恐れ入ったよ。なぜ一思いに殺さない?」


 罠にかかった獲物を前にした狩人のように、ハ・ラダーは笑みを浮かべながらジェイに近づいてくる。だが、その目はまだ油断なく光っていた。ジェイを慎重に値踏みするような視線を向けながら、襲撃者はジェイに返答する。


「ふん。お前の事務所でもらったプレゼントのお返しがしたくてね」


 これ見よがしに、ハ・ラダーは顔の火傷跡を指差し、自嘲的な笑みを浮かべた。

 間近で見ると、その火傷はかなり酷いものだった。病院に担ぎ込まれたのは恐らくこれが原因だったのだろう。しかし、ざっと見たところ、フロアの床を四散させるほどの爆発に巻き込まれた割りには、顔の他には負傷していないようだった。


「気に入ってもらえなかったかな? しかし、顔以外は無事だったのか? ずいぶん頑丈にできてるんだな」

「はっ」


 襲撃者は鼻で笑った。ジェイの減らず口を楽しんでいるようでもあるが、ジェイを心底馬鹿にしているようにも見える。


「おかげさまで、強化人間なんてやってれば、あの程度の爆発なんぞ物の数じゃないんでな」


 ハ・ラダーは喋りながらも慎重に歩を進め、もう15メートルほどの距離でジェイを真正面から見据えている。近付きすぎるのは危険と判断したのか、その場所でピタリと止まり、ゆっくりとブラスターを構える。

 その動作を見たジェイは、ここで時間切れだと悟った。有効な隙を作ることはできなかった。あとは、一か八か懐から切り札を取り出し、やけくそと言ってもいい攻撃を試みるしかない。

 表情は変えないまま、全神経を手に集中させ、一呼吸のうちに抜き撃ちを見せるべく、意を決した。

 その瞬間。


「おっと、動くな」


 ジェイの決意を見抜いたかのようなタイミングで、またも、ハ・ラダーの大音声が響き渡った。

 先ほどと同様に、今回も見事に『暗示』の感応力が込められていたらしい。今度は足だけではなく、身体のすべてが襲撃者の支配化に入ってしまった!

 指一本どころか、どうやら視力・聴力といった五感すらも奪われてしまったらしい。

 急速に萎んでいくジェイの視界の向こうでで、敵は容赦なくはブラスターの引き金を絞ろうとしていた。


『ぐあああああああああああああああああああああ』


 ハ・ラダーのブラスターが殺意の光を閃かせ、その銃身から放たれた純粋な悪意がジェイの顔に命中した。

 身動きできないまま、肌を焼かれるおぞましい感覚。

 ジェイは自分の意思で動かすことができなくなった役立たずの口から、声にならない悲鳴を上げている。

 人間が考え出したあらゆる刑罰のうち、もっとも苦痛を生むのは火刑だという。

 ジェイの肌を焼く苦痛は、まさにその説を裏付けるにふさわしいものであった。

 しかし、ジェイは気づいた。確かに、敵のブラスターはジェイの肌を焼いてはいるが、ジェイの命を奪っているわけではない。薄れゆく視界の向こう側で、ハ・ラダーは確かに満足げな表情を浮かべていた。


「ふん。これでこの傷の借りは返したぞ」


 ジェイは頬の痛みに耐えながら、ハ・ラダーの言葉を聴いていた。襲撃者はどうやら頬の傷と同じ火傷を

 ジェイに負わせるためだけにブラスターの出力を絞って撃ち込んできたらしい。そして、襲撃者の表情とその言葉が持つ意味を察したジェイは、絶望的な思いに囚われた。ハ・ラダーが次に口にする言葉が容易に想像できたからだ。


「これで、何の遠慮もなく貴様を仕留められるな」


 やはりそうか、とジェイは既にまともに動かない口で歯噛みした。全身の機能を奪われた今、ジェイにできることは最早何もない。あとは、三人が無事に逃げ切れることを祈りながら死を待つくらいしかできない。

 ジェイは観念した。

 そのジェイの目に、再度軍用銃の引き金を絞るハ・ラダーの姿が映った。今度は恐らく最大出力でブラスターを放ってくるのだろう。まともに食らえば、万に一つの生存の可能性さえない、圧倒的な死刑宣告だった。


「死ね」


 無慈悲な一言を耳にしたその瞬間、ジェイの衰えた視界は紫色に包まれた。


『なんだ!?』


 ジェイの驚きは、更なる驚きによって上書きされた。体中に巻きついたと思われる、その紫色の何かによって、全身が真後ろに引っ張られている。

 その衝撃は、先ほどのビル崩壊による爆風に勝るとも劣らぬ凄まじいものだった。ジェイの全身の骨が一斉に悲鳴を上げる。動かすことも適わない身体だけに、衝撃を吸収できるような体勢をとることも適わない。全身の骨が軋むいやな音を聞きながら、その流れに身を任せるしかジェイにできることなどなかった。

 たっぷり何10メートルか無理やり宙を舞わされたジェイの肉体は、数瞬のうちにそっと地面に下ろされ、紫色の視界も解けることになった。その時、目に飛び込んできたのは、鮮やかな金髪碧眼であった。

 そう、ヴァニッシュが自身の紫色のドレスの長い布地の一部を感応力で操り、ジェイに巻き付けて強引に自分の方に引き寄せたのだ。

 ジェイは混乱した。


『なぜ、反対側に逃げたはずのヴァニッシュがここにいるのか?』

『なぜこんなことをしているのか?』


 突然、目の前のヴァニッシュが、その華奢な身体の全身を引き絞り、輝くばかりに美しい美術品のような右手を上空に掲げた。そして、その右手は正確に、そして容赦なくジェイの頬を捉えた。


「ジェイ! 起きなさい!!」


 それは強烈な激だった。ヴァニッシュよりも体格のいいエリザですら、ここまでのビンタの威力は望めないだろうと、ジェイは心底感服した。焼けた頬の反対側を打たれたとはいえ、それでも激痛が全身を駆け巡った。

 ジェイは激痛に顔をしかめた。

 ・・・顔をしかめる?

 ふと気づくと、ジェイは自由に身体を動かすことができていた。

『暗示』が解けている!と、ジェイは驚愕しながら、信じられないという面持ちで自身の両手、身体を見回す。そこには、暗示など何もなかったかのようにジェイの意思のとおりに動く、いつもの身体があるだけだった。

 そして、まだハ・ラダーに狙われていることを思い出し、素早く振り返り、敵の様子を見た。

 ハ・ラダーはジェイと同じく驚愕の表情を浮かべていた。つい先ほどまで、その生死を握っていた獲物をあっという間に攫われた上、自身が施した『暗示』すら解除されている。これで驚くなというのが無理と言うものだろう。

 ジェイは急いでヴァニッシュの手を取り、間近のビルの間の路地に飛び込もうとする。しかし、その距離は10メートルはあり、ジェイはまたしても絶望的な思いに囚われた。

 いくら驚愕しているとはいえ、ジェイへのお礼参りを済ませた敵が、この距離を走り抜けることを許してくれるとは思えなかったからだ。

 全身を焼くブラスターの衝撃、あるいは全身を止める『暗示』、もしくはジェイたちの動きを封じるためのロープ状の感応物質による拘束。

 ジェイは、そのいずれかがその身に降りかかることを半ば以上確信し、衝撃に身を備えた。

 だが、何も起こらない!

 ブラスターどころか、周囲の瓦礫一つもジェイたちの逃走を阻むことはなかった。これにはさすがのジェイも驚いた。何が起こっているのかと、路地に飛び込む寸前、思い切って後ろを振り返り、ハ・ラダーを見た。

 襲撃者はジェイたちにブラスターを構えていた。先ほどジェイに止めを刺そうとしていた、その姿のままだった。そして、ジェイたちを殺害しようという確固たる意思、いわゆる殺気も全身で感じ取ることができた。

 だが、ブラスターの閃光は発せられず仕舞いだった。

 ハ・ラダーの表情は、奇妙に歪んでいた。それは、こんなはずではなかった、というものにジェイの目には映った。



 ジェイが路地に飛び込んだと同時に、ジュージューの姿も目に映った。完全に肩で息をしており、ここまで走り通しだったことが察せられる。

 ジェイはジュージューの手も取り、半ば引きずるように強引に路地の奥に駆けていく。そして、なぜ二人がここにいるのかを確認する。


「おい、何でお前たちがここにいるんだ!?」

「いや、ちょっと待て。こんな状態でまともに喋れるわけ・・・」

「いいから! 早く!」


 息も絶え絶えでまともに会話することもできないジュージューに代わり、ヴァニッシュが答えようとしてくれる。ヴァニッシュは特に息も上がらず、平常どおりの表情をしている。体力もそうだが、この絶体絶命の状況の中で普段どおりでいるなど、その精神も見事なまでにタフだと、ジェイは内心舌を巻いた。


「ごめんなさい、指示に背いて。でも、あなたが心配で、追いかけてきたの」

「追いかけてきた!?」

「うん。まっすぐ追いかけると、あいつに鉢合わせする可能性もあるから、少し迂回しながら追いかけたの」


 ジェイは驚いてヴァニッシュの顔を見つめた。ジェイも可能な限りの速度で逃げていたはずだが、それに追いついたという事実に驚愕していた。ハ・ラダーに気付かれていなかったということは、「少し」迂回しただけではなく、かなり大きく迂回したはずである。

 さらに言えば、高機動型の強化人間すら追い越してきたことになる。

 ジェイはジュージューにちらりと目をやった。ジュージューはジェイの疑問を正確に察知したらしく、あわてて補足してくれた。


「あ、ヴァニッシュはメチャメチャ足が速いんだよ!! ビックリした! ボクはほとんど彼女にしがみついてここまで来たたようなものなんだ・・・」


 ジェイはとても信じられないという目でヴァニッシュを眺める。気になることは他にも山のようにある。しかし、今は詳しく詮索している時間もない。


「それはどういう・・・。いや、それは後でいい。とりあえず助かったよ。ありがとう」


 ジェイがぶっきらぼうに礼を述べると、ヴァニッシュも少しだけ笑みを見せた。


「しっかし、依頼人にふっつ~に助けられるなんて、私立探偵様も大したことないね!」


 ジェイは息も絶え絶えなはずのジュージューの横槍を断固無視し、路地を走り続けた。ふと気づくと、路地の先にエリザが待っているのが見えた。さすがのエリザもヴァニッシュのスピードに追いつけず、そこで待機していたようだった。

 数十秒後、三人はエリザとも合流した。

 エリザはジェイの顔の傷を見て、驚いて声を掛けようとするが、時間が惜しいジェイはそれを手で制した。

 ジェイが見たところ、エリザも特に怪我などはしておらず、表面上はいつもどおりだった。足元を見ると、いつものハイヒールではなく、ヒールが無いジョギングに適した形状の靴に変わっていた。ジェイの視線に気づいたエリザは、肩をすくめながら、事もなげに告げた。


「いつもの靴は逃走には不向きですから、さっき作り変えました」


 どうやら、自身の感応力で靴の感応物質を操作し、望む形状に作り変えてしまったらしい。さすがと言うべきか、エリザの感応力の精密さは相当なものだと、ジェイは改めて感服せざるを得なかった。


「よし、とりあえず、路地を逃げるぞ。あいつは高機動型の強化人間だ。人一人通れるかの狭い路地の追跡には不向きなはずだ。そういう路地を伝って、先で罠を張る。ジム、パルサー! マップデータを駆使して先導してくれ!」


 ジェイが改めて指示を出し、一行は頷いてその指示に従った。ジュージューは体力の限界が近そうだったが、もう無理やりにでも引っ張っていくしかない。ここが踏ん張りどころだと、ジュージューを叱咤し、ジュージューも弱々しくはあるが頷いて、必死に足を動かしている。



 ジェイは走りながらも、先ほどのハ・ラダーの様子が目に焼き付いて離れなかった。

 なぜ、ジェイとヴァニッシュに対し攻撃を加えなかったのか?

 あの表情の意味は?

 これまでずっと襲撃者に対し覚えていた同様の違和感が、一気に噴出する。

 そこでジェイはまたもスパイ説が頭に浮かんできた。


『スパイが俺と一緒だったから、攻撃できなかった・・・?』


 ジェイが一人の時は、頬に自身と同じ火傷を刻むという歪んだ目的があったせいか、多少は攻撃が手緩かった。しかし、昨日の襲撃などに比べれば、明らかにジェイを害そうとする意思が感じられた。しかも、ヴァニッシュが助けてくれなければ、間違いなく死んでいたはずだった。

 となれば、ジェイの傍に襲撃者にとっての味方であるスパイがいたから攻撃できなかった、というのは一応の説明にはなる。


『いや、馬鹿な』


 しかし、ジェイはその考えを否定して首を振った。

 そもそも、ヴァニッシュかジュージューのどちらかがスパイであれば、ジェイが抹殺されようというその瞬間に、現場に飛び込んでくる理由が皆無である。そのままジェイがあの世に旅立つ場面を傍観していれば済む話である。

 しかも、ハ・ラダーにとって、スパイの人命をジェイという標的以上に大事にする理由が無い。こういった密偵役というのは、原則として使い捨てのものだからだ。

 さらに、ヴァニッシュはジェイの命を救ってくれた。ヴァニッシュはジェイの命の恩人であると言い切っても、一言一句間違いではない。

 そして、ジュージューにいたっては、昨日の襲撃の現場に居合わせていなかった。ということは、昨日の襲撃が手緩かったことへの説明には全くならない。

 ジェイは思考を中断した。

 どう考えても、三人のうちの誰かをスパイだと仮定しても、その理屈は絶対に成り立たない。

 しかし、どうしても敵の行動原理が掴めないことに、自然と思考が向かってしまう。

 ジェイの本能は、ハ・ラダーの行動の矛盾こそが、事態を好転してくれる鍵だと告げていた。



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