3.招かれざる客、あるいは死を告げる者 (その3)
ジェイは懐中に隠し持つ切り札を取り出そうとした。だが、この状況でそれを使用したとしても、万が一にも効果を発揮することはできないことにすぐに気付いた。確かに、切り札になり得る武器ではある。しかし、タネが割れてしまえば何の変哲もない、ガラクタよりはましという程度の、ただの道具に成り下がってしまう。
天と地ほどにもかけ離れた感応力、戦闘力といった彼我の戦力差を考慮すると、恐らくその切り札しかハ・ラダーには通用しないと、ジェイは半ば確信していた。
となれば、その切り札をここぞというタイミングで使用することに全力を傾ける必要がある。そうすることでしか、生き延びることができない。エリザたちを守ることもできない。ジェイはエミリア先生の顔を思い浮かべ、彼女の教えをもう一度反芻し、決意を固めた。
ジェイはスクリーンをもう一度見つめ、まずはハ・ラダーの足を止めることを優先した。
「ジム、奴の足元のビルの感応物質をお前の擬似感応波で操作して、奴の足を床に縫い付けてみてくれ」
「了解しました」
ジェイは一応そう命じてみたものの、効果があるとは端から期待していなかった。そして、ジムの返答は予想通りのものだった。
「駄目です。ハ・ラダーは自身の周辺の感応物質をすべて制御下に置いています。こちらからの干渉は不可能です」
「だろうな。半径はどの程度だ?」
「約30メートルと思われます」
これにはジェイも面食らった。30メートルというのは予想をはるかに超えていたためである。
感応波により感応物質を操れるとなれば、周りの物すべてを様々な形で応用することができるというのは、この世界では常識である。しかし、当然ながら敵も同様に応用することが可能であるから、一般人の喧嘩ならいざ知らず、純粋な戦闘行為となると、戦闘時にはまず自分の周りの感応物質をすべて制御下に置き、敵に利用されないよう妨害するのが鉄則である。自分が踏みしめている床ですら、相手に利用されれば凶器となるのだから、それは当然である。ただし、それが30メートルの範囲というのは規格外である。
もちろん、これは感応力が桁違いに強いからこそできる芸当である。しかし、感応物質を支配し続けるということは、感応波を出し続けることも意味しており、強力な力を使い続ければ使い続けるほど、自身の体力を大きく奪っていくという、大きなリスクを生むことにも繋がる。
そのリスクを考慮した上で、それでも30メートルという段違いの範囲を支配することを優先しているハ・ラダーの胸中を、ジェイは察していた。
『さては奴め、事務所での専用カップ爆弾に相当懲りたと見える』
事務所での不意討ちのような一撃を再度食らわないためにも、必要以上に広い範囲の感応物質を制御下に置くつもりになっても不思議ではない、とジェイは感じていた。しかし、それは襲撃者にその時のような致命的な油断がないことも意味している。
ここでジェイは、ふと気付いた。
ジェイも戦闘開始してから、自身の半径2メートルの感応物質を制御下に置くよう、自身の感応波とジムの擬似感応波で既に操作済みである。これは、戦闘開始と同時に無意識のうちに行っており、もはやエミリアによって体に刻み込まれた反射行動と言ってもいいレベルに達していた。
しかし、それが有効なのは、あくまでも同程度の感応力を持っている相手の場合である。例え、周りの感応物質を制御下に置いていたとしても、それよりはるかに強い感応力で命令を上書きされてしまえば、格下の制御などまったく意味を成さない。そして、今相手をしているのは、まさにそういう敵であった。
ジェイは慌てて建物の影を飛び出て、隣の建物との間の路地に飛び込んだ。
間一髪というところでジェイの判断が間に合った。先程までジェイがいた場所には、地面から無数のロープ状の感応物質がいきなり生えてきて、ジェイを拘束しようとウネウネと蛇のようにのたうっている。
ジェイはジムを介し、感応波通信で通りの向こうにいる三人に指示を出した。
「じっとしていると、間違いなく捕まる! そっちも路地の間を抜けて逃げろ! ここは俺が時間を稼ぐ!」
「了解だ! 逃げるにしても、どこで落ち合う?」
「お前に任せる! パルサーと最適な場所を探してくれ! いいか、わかってるとは思うが・・・」
「ああ、複雑に入り組んでいて、敵を見つけやすく、こちらは見つかりにくく、そして逃げやすい場所だろ!?」
「結構だ! 任せた! 場所を見つけたら、ジムに送ってくれ!」
ここで通信は突然切れた。早速、三人は路地を駆け出したらしい。気のせいか、『そんな都合のいい場所、簡単に見つかるわけないだろ!』という、ジュージューの愚痴が聞こえてきた気がして、ジェイは少しだけニヤリとした。
あとはジェイも逃げるだけだが、三人を安全に逃がすために、敵をこちらに引き付ける必要がある。ジェイは懐のホルスターから、旧式のブラスターを抜いた。これは別に切り札でもなんでもなく、高出力に対応するよう改造済みとはいえ、ベースとなっているのは市販されているただのブラスターである。
ジェイは敵の位置を確認した。ジュージューは先程ハ・ラダーの居場所を見つけたユニット、おそらく極小型のドローンはそのままにしていてくれたらしく、敵は先程と同じ場所にまだ立っていることを確認した。
「ジム、照準補正! 二発撃って、あいつの足元を突き崩す!」
ジェイは直接敵を狙っても、命中させることは難しいと悟っており、まずは足元の床を崩すことを目的とした。ハ・ラダーは屋上からジェイたちがいる路上を見るために、屋上のかなり端に立っており、うまく足元を崩すことができれ、30メートルはあろうかという屋上から落下することになる。
もっとも、それでハ・ラダーを倒せるとは微塵も考えていなかった。幸運にも落下させることができたとしても、落下先の道路の感応物質も制御下にある以上、材質をスポンジのように柔らかくすることも可能である。それでは、倒すことなど到底できはしない。
しかし、その間に時間を稼ぐことはできる。
ジェイはブラスターを右手に持ち、路地から半身だけ外に出し、ハ・ラダーの立つ屋上に向けて最大出力で二射放った。ジェイの姿をハ・ラダーの肉眼に捉えられたままでは極めて危険なため、目的の二射を放った後は、すばやく踵を返して、路地の奥に走り出す。
案の定、ジェイが先ほどまでいた地点には先ほどと同様に地面から無数のロープが一瞬にして生え、ジェイを捕らえようとその身をうねらせていた。
ジェイは走りながら、先ほどの攻撃の成果をジムに確認させた。
ジムが簡易スクリーンに、ジェイが攻撃を加えた直後からのハ・ラダーの映像を映し出してくれた。
ジェイの攻撃を察知したハ・ラダーは、自身の足元の床や建物の壁から、一瞬にして攻撃を防ぐ盾を生み出していた。恐らく、ジェイの持つブラスターの感応物質を察知して、何かしらの飛び道具を使用してくると踏んだらしく、その攻撃を防ぐために、盾を作り上げていた。
実体弾であれば、飛んでくる弾丸の感応物質に働きかけて、その軌道を変えることができるため、わざわざ盾を作って防ぐ必要はない。しかし、ブラスターやフォトンブラスターのようなエネルギー兵器では、感応力で弾を逸らせるということ自体が不可能なため、避けるか盾などで防ぐしかない。
相手がどんな武器を使用してくるか現時点では不明だったため、ハ・ラダーはわざわざ盾を作り防御していた。
もっとも、それはジェイの狙い通りでもあった。
ジェイはそもそも最初からハ・ラダー自身ではなく、その足元を狙っていたため、盾を作られようが一向に構わなかった。しかも、盾を作るということは、一瞬の間とはいえ、相手を自身の視界から外してしまうことに繋がる。そうなると、必然的にハ・ラダーは自身の足元を狙われていることへの反応が遅れることになる。
最大出力のブラスターの熱線は、ジムの照準補正もあり、見事に狙い通りの場所に着弾していた。
轟音とともに盛大に崩れ落ちるビルの最上部。着弾地点が大きく爆ぜ、先ほどまでビルの一部だった哀れな破片を無数に撒き散らしている。しかし、ブラスターの一撃で散弾のごとくハ・ラダーに襲い掛かった破片のすべては、感応力で軌道を捻じ曲げられて、まったく無関係な空に飛び散るのみだった。
そして、ハ・ラダーは少しも慌てず、そのまま自身が地面に落ちるに任せていた。予想通り、地面の材質を変化させて着地するのかとジェイは踏んだが、襲撃者は予想外な行動をとっていた。
地面に激突する寸前、襲撃者は地面の材質を変化させるのではなく、自身の落下スピードを見事に殺し、硬いままの地面にふわりと着地したのである。これは、身に付けている服か装備か、これを自身の感応力により上に引っ張り上げることにより、空中でブレーキをかけるという技であった。
『さすがに、戦い慣れていやがる!』
ジェイは敵の見事な感応力操作に舌を巻いた。ジェイにはとてもできない、高精度な感応力操作を必要とする芸当だったからである。
地面をスポンジ状に柔らかくした場合、怪我をしないで済むのは当然であるが、一つ大きな欠点がある。そうした場合、落下した距離が大きければ大きいほど、そのスポンジに身を沈みこませることになり、次の動作への展開が遅れることになるのである。
ジェイの狙いはまさにそこにあった。一秒でも時間を稼ぎたいジェイにとっては、その遅れこそが望む成果なのである。
しかし、ハ・ラダーの選択は違っていた。
地面に激突する直前にブレーキをかけることにより、何の怪我を負うこともなく、一秒たりとも無駄にすることもなく、文字通り地面に舞い降りてきてしまった。
そして、着地した瞬間に走り出し、ジェイの後を追い始めていた。
どうやら、ハ・ラダーは強化人間といっても、一般的な高出力高硬度の鈍重なタイプではなく、珍しい高機動型のようで、その速度はジェイをはるかに上回っていた。
この調子では、さほど時間をかけずにジェイは追いつかれることになるだろう。
『くそっ。想像以上に厄介な敵だぞ、こいつは』
言葉とは裏腹に、ジェイは不敵に笑いながら、頭の中では必死に次の作戦を講じていた。