3.招かれざる客、あるいは死を告げる者 (その2)
一行は、ジュージューの案内に従い、薄暗い地下道を黙々と歩き続けていた。ジュージューは複雑に入り組み他の住人が通らないような道を選択したようで、一行は大きな障害もなく、歩き続けていた。とはいえ、地下道を進むうちに何人かのスラムの住人とすれ違った。
彼らは一様に胡散臭げな眼差しを一行に向け、特にキングキャッスルに近づくにつれ、好戦的な人間が目立ってきた。しかし、無用なトラブルに巻き込まれないよう、先導役のジュージューが上手く話をつけてくれたようだ。時には口八丁手八丁で切り抜けたと思えば、紙幣の束を渡していたり、ジェイにはよく分からない、おそらく彼らにとっては貴重なブツを差し出すなりして、特にトラブルもなく進むことができた。
ただし、トラブルと言えない程度ではあるが、一つだけ問題があった。それは、ジェイたちの服装である。
スラムの住人は、基本的にジュージューと同様に、ボロ着を普段着としているが、そんな中でジェイたちの服装は場違いの極みといえた。いくらくたびれたスーツ、しかも最も安物の部類とはいえ、ジェイの服装と似たような格好のスラムの住人など、まずいない。エリザの魅力的なスーツ姿や、ヴァニッシュのドレス姿に至っては、この場においては自らの存在を強烈にアピールする代物でしかなく、誰がどう考えても、ハ・ラダーの追跡を容易にする手助けをしているだけである。
ジュージューの事務所から脱出した直後は、当然逃走を優先するために服装に構っている暇などなかったが、ある程度引き離したと思える距離を稼いだなら、話は別である。
ジェイは特に服装に頓着しない人間だったため、ジュージューがカード型のホルダーに保管して持ち出していたボロ服を借り、早々に着替えた。名刺サイズのカードに圧縮されたボロ服を取り出しながら、ジェイはこのボロ服を綺麗に洗濯してくれていたエリザとヴァニッシュに心の中で感謝した。そして、脱いだ服を逆にカード型のホルダーに収納し、いつでも着替えなおすことができるよう準備した。
エリザは着替えることに、当然のように難色を示した。いつも真っ白な輝くようなブラウスを身に付け、常に清潔な服装を保ってきたエリザにとって、洗濯したてとはいえボロ服に袖を通すのは抵抗感があるようだった。
ヴァニッシュに至っては、それ以上に激烈な反応を示した。ドレスを脱ぐどころか、帽子を取ることにすら絶対的な拒否反応を示したのである。ヴァニッシュのドレス姿は、逃亡という行為には完全に不向きなものである。その理屈はヴァニッシュも納得はしているようではあったが、実際に脱ぐとなると、どうしても決心ができないらしい。生命の危険があるこの事態にも拘らず、そのドレスを着続けなければならないという強迫観念に近いものに支配されているように、ジェイの目には映る。失われた記憶に何か関係があるのかもしれないな、とジェイは心に留め、妥協点を模索する。
結局、エリザとヴァニッシュは、今の服装の上から大き目のボロ服を何枚か重ねて着ることで納得してくれた。ボロ着を洗濯していた事を、特にエリザは自分を褒めてやりたいだろうと思うと、ジェイは微笑を浮かべずに入られなかった。
しかし、さすがにそれだけの厚着をして動き回るのは暑いだろうとジェイは心配したが、どうやら二人の服は、温度の自動調節ユニットが内蔵されていたため、それは特に問題にならなかったようだ。
こういった経緯を経て、ようやく二人はダボダボのボロ服を着込み、パッと見はスラムの住人と認識される程度の変装が完了した。
多少時間を無駄にしたが、これで服装の心配はしないで済むとジェイはホッとし、逃亡再開の合図を発した。
ジュージューの事務所から脱出して、およそ三時間が経っただろうか。移動体を使わず、徒歩での移動となると、体力に自身があるジェイはともかく、他の三人の体力が心配されるところである。しかし、ヴァニッシュは特に疲れた様子も見せず、黙々とジュージューに従い、一歩一歩進んでいた。エリザも緊張した顔つきではあったが、ヴァニッシュと同様に疲れた様子は見せていなかった。そんな中で、唯一ジュージューだけは疲労困憊といった態だった。それでも、何も泣き言は言わず、次々にパルサーに指示を出しながら一行を先導し、ようやく目的地近くまで辿り着いたようだった。
もっとも、キングキャッスルに近づくつれ、すれ違う住人が見るからにチンピラ然とした男に変わっていき、それに比例して袖の下の金額も増えていったようで、言葉には出さないがジュージューの機嫌が加速度的に悪くなっていったように見える。
ジェイはジュージューに状況を確認する。その返答は、ごく簡単なものだった。
「そろそろ目的地に到着だよ。ただ・・・」
ジェイが静かに問い質す。
「ただ?」
「うん、一度地下道から地上に出ないといけないんだよね。ほんの30秒程度の距離だけど。ここの隠れ家は、ほとんど廃墟で、地下室が崩れてしまってるんだよね」
「おい、それは?」
「うん、ちょっと危険はあるかもね。今日もありがたいことに天気は曇りだから、階層の天井の映像ユニットは大丈夫だと思うけど、キングキャッスルの住人に見られる可能性も増えるし、万が一だけどハ・ラダーの下僕が、上で網を張ってる可能性もあるよね」
ジュージューは足を止めて、ジェイの判断を仰ぐかのようにジェイを見つめた。ジェイは手を額に当て、しばし考え込んだ。ここまで来たからには、その隠れ家に逃げ込むしかないのだが、先ほどの疑念が未だに拭えず、それがジェイを迷わせている。
キングキャッスルという大仰な名前が付けられているにせよ、ここもスラムであることには変わりないので、誰も住んでいない廃墟はゴロゴロ転がっており、地下室が生きている建物を選んで避難することも考えられる。
しかし、その場合は、キングキャッスルの住人とのトラブルを避けることはできないように思える。例え廃墟とはいえ、キングを自称する人間がその所有権まで放棄しているとは思えず、無断で使用していた場合は、確実にチンピラ連とのトラブルになると予想できる。
その点では、ジュージューの隠れ家であれば、キングにいくばくかの使用料を払って、合法的に使用しているのだろうから、そういったトラブルとも無縁であろう。
ジェイはしばし黙考し、メリットとデメリットを天秤にかけた。そして、結局はジュージューの隠れ家に行くことを選択した。
30秒程度地上を歩くだけであれば、リスクはほとんど無いと判断したためである。そして、その判断が間違っていたことは、数分後に明らかになった。
ジュージューの先導により、一向はとある地上への出口へと案内された。他の出口と同様に、半ば廃墟と化している階段が目の前にあった。
「じゃあ、外に出るよ? さっきの打ち合わせのとおり、外に出ても慌てて走ったりせず、目立たないようにボクの後を歩いてきてね」
ジュージューの言葉に他の三人は同時に無言でうなずいた。先ほど、地上に出た際の行動について簡単な打ち合わせをしており、落ち着いて目立たないように歩くことと、万が一の事態が発生した場合は、何よりもまず建物の陰に隠れること、そして荒事にはジュージューが矢面に立ち、ジュージューは情報屋らしく情報面からジェイをサポートすること、エリザはヴァニッシュの傍で彼女を守ること、などを確認しあっていた。この逃避行で最初の関門である。本来であれば、もっと綿密に打ち合わせをしておくべきだったが、生憎そんな贅沢な時間の使い方をするほどの余裕は、ジェイたちには無かった。
「よし、行くぞ」
覚悟を決めたジェイの合図とともに、ジュージューの先導で一行は慎重に階段を上り、外に出た。
地下の薄暗さから一転し、曇り空とはいえ明るい地上に出た一行は、その眩しさに目を細めた。スラムに暮らし地下道に慣れているジュージューはいち早く視力を取り戻し、隠れ家のある建物に他の者を先導しようと声をかける。
しかし、そんなジュージューの言葉を遮るかのように、周囲一帯に大音声が響き渡った。
「よう、遅かったじゃないか。待ちくたびれたぜ」
その聞き覚えのある声は、紛れも無く予告映像で聞いたハ・ラダーの声だった。
「何だと!?」
予想外の声に度肝を抜かれたジェイであったが、瞬時に地下からの出口のすぐ傍にある建物の影に飛び込んだ。建物の影から周りを見ると、他の三人も事前の打ち合わせどおり、通りを挟んだ向かいの建物の影に隠れている。完全に想定外の事態ではあるが、少なくとも事前の打ち合わせ自体は役に立ったようだ。
ジェイは矢継ぎ早にジムに周囲の探索を命じた。しかし、スラムにはユニットがほとんど無く、手持ちのユニットもほとんど無いことを思い出し、ジムとパルサーを介した感応派通信でジュージューに連絡を取った。情報屋のジュージューならば、探索用の各種ユニットを持って逃亡しているはずだった。
「声の出所はどこだ!?」
「今走査中だよ・・・いた! 二つ先のビルの屋上に立ってる奴がいる! 映像をジムに送るよ!」
ジェイは急いでリストユニットから簡易用のスクリーンユニットを出し、ジュージューから送られた映像を確認した。
その姿は、ジェイの事務所を襲ってきたものと同様に、大きなのマントを羽織った大柄な人間の姿だった。そして、その顔には襲撃予告の映像と同様に、真新しいやけどの生々しい痕が残されている。
『まさか、ハ・ラダー本人なのか!?』
ハ・ラダーの暗示や強制により密偵に成り下がったスラムの住人が待ち構えていることは、予想の範囲だった。しかし、まさか本人がこのタイミングで現れるとは、とても信じられなかった。
100%襲撃者を撒いたとは言えないにせよ、それでも万全の注意を払い逃走してきた自負がある。いつか追いつかれることは充分予想できるが、まさか地下道から出た30秒間というピンポイントのタイミングで襲撃者と遭遇するなど、絶対にありえない事態だった。
しかも、ハ・ラダーは「待ちくたびれた」と言っていた。偶然出会ったのではなく、ジェイたちがここに現れることを知っていたということになる。となると、必然的に先ほどの疑念がまた首をもたげてくる。一行の中にスパイがいれば、この出口から出てくることなどお見通しではないか。
ジェイは慌てて通りを挟んだ向かい側に顔を向け、三人の様子を見た。
エリザは目を見開いているが、ヴァニッシュを背中に隠す格好を見せており、事前の打ち合わせ内容を忠実に守っている。
ヴァニッシュはエリザの陰に隠れているのでよく見えないが、特に取り乱した様子も無く、エリザの影で小さく縮こまっている。
そして、スパイがいるとすれば最も疑わしいと感じていたジュージューは、顔を真っ青にし愕然とした表情で、ジェイを見返していた。その顔は、どうすればいいんだよ?とジェイに問いかけているようであった。
「くそっ」
ジェイは小さく毒づいた。三人の中にスパイはいるのかもしれないし、いないのかもしれない。それが表情を見ただけで分かるようであれば苦労はしない。それに、今はそのことを詮索するよりも、目の前の事態に対処するほうが、はるかに重要である。
「おい。そんなに慌てなくてもいいじゃないか。ここでお前たちは終わりなんだから、覚悟を決めればいいだけさ」
ハ・ラダーは侮蔑を隠そうともしない声音で、ジェイたちに声をかけた。
またしてもジェイは疑問を覚えた。ヴァニッシュ殺害が目的であるならば、なぜ彼女が地上に出た直後に即座に実行に移さなかったのだろうか?わざわざ自分から声をかけるなど、意味がある行動には思えない。
それとも、圧倒的な感応力に胡坐をかいて、油断しているだけなのだろうか?
ジェイは策を練る時間を稼ぐために、ハ・ラダーの大音声に負けじと声を張り上げる。
「なぜ、ここから出てくるのが分かった?」
「ああん? そんなもん、今から死に往くお前にはどうでもいい話だろう? そんなことより、精一杯抵抗してくれないと、こっちとしては張り合いが無いぜ?この傷のお返しはたっぷりとさせてもらうからな」
ハ・ラダーは自身の顔の火傷痕を指差している。
「お前の目的は何だ?」
「ふざけてんのか? 標的の抹殺に決まってるだろう? 俺を何だと思っているんだ? 教会の牧師さんにでも見えるのか?」
当然ではあるが、ハ・ラダーは有益な情報を与えてくれはしなかった。
ジェイはどうすべきか頭脳をフル回転させる。しかし、ここで採れる選択肢など多くは無い。完全に捕捉されてしまった以上、逃げることすらほぼ不可能な状況になってしまった。例えば、何かの奇跡が起きて何事も無く地下に逃げ延びたとしても、その直後に地下道を崩されたら万事休すである。地上を走って逃げるとなると、さらに絶望的である。
となれば、巨大な感応力をもつ相手を倒す、もしくは逃げるだけの隙を作ることが、皆が生き残るための必須条件になる。
ジェイは懐に手を入れ、彼のとっておきの切り札を使用する覚悟を決めた。