3.招かれざる客、あるいは死を告げる者 (その1)
確かにパルサーの言うとおりだった。これは何にも増して重要なメッセージだった。
襲撃者からの突然のメッセージは、ジェイたちに最大級の衝撃を与えた。ジェイは急いで、映像に出てきた『ハ・ラダー』なる者の映像と、昨日の襲撃者の映像の比較をジムに命じた。もちろん、昨日の映像は遠目から撮ったもので精密な比較には不向きではあるが、ジムの処理能力があれば、かなりの確度で特定することができると予想された。
結果はすぐに報告された。映像の人物は、98%以上の確度で昨日の襲撃者と同一人物だと、ジムはあっさりと結論付けた。
ジェイは腹立ただしさを表に出さないよう注意を払いながら、他の三人を見渡した。
エリザは、いつもの柔和な表情ではなく、唇を真っ直ぐに引き結んでモニター内のハ・ラダーを見つめている。
ヴァニッシュは、多少青ざめてはいるが、またしても落ち着いた表情で、まるでジェイの指示を待っているかのように彼を見つめている。
そして、ジュージューは、モニターに向かって様々な指示を出していた。1分ほどパルサーと会話しながらモニターを見つめていたジュージューだったが、大きく息を吐き出すと、ジェイたちに振り返って悔しそうに一言告げた。
「どこから発信されたのかまでは、分からなかったよ。あと、事務所の周囲を走査させたけど、見たことがない人影は無いみたいだ」
ジュージューとしては、ここは一流の情報屋の腕の見せ所だったはずだが、空振りに終わってガッカリしているようだ。さすがにそんな甘い話は無いかと、ジェイはあっさり納得し、今後どうするべきかを一心不乱に考え始める。幸運なことに、この事態でも大騒ぎするような者はおらず、ジェイは全神経を集中して思考に没頭できた。
さらに1分ほど経っただろうか。ジェイがようやく口を開いた。
「とりあえず、ここから離れることが最優先だ」
ジェイの言葉に、他の三人は同時にうなずく。
「ただし、罠の可能性が高い。無秩序に外に出ても格好の的になるだけだ」
「それはどういう?」
エリザの当然の疑問に、ジェイは確信を持った力強さで答える。
「簡単なことだ。こんな襲撃予告など本来であればまったく意味が無い。ヴァニッシュさんを殺害するのが目的ならば、こっちの居場所を掴んでいることをわざわざ伝える必要が無い。さっさと襲えばすむことさ。この通信は、俺とこれまで取引があったスラムの情報屋全員に送っていると思って、間違いないだろうな。獲物を追い立てるために」
「ジェイの旦那の言うとおりだろうね。で、慌てて外に出たところを補足されるってオチだろうね。ん? ってことは、ハ・ラダーはうちの事務所の外で見張っているってことか? さっきの走査では見つからなかったけど」
「いや、俺と付き合いがある情報屋は10人以上いる。さすがに一人ずつにこんなまどろっこしいことをしているとは思えないな。おそらく、この事務所の周囲には、暗示か強制を受けた奴が何人か、それか超小型のドローンあたりが見張ってるんじゃないかな。で、他の情報屋も今まったく同じ状況だと思う」
「ああ、そういうことか。で、ボクたちが慌てて外に飛び出したら、その密偵からご主人様に居場所が通知されるって仕組みか。どの情報屋からジェイの旦那が飛び出すかは、出てきてからのお楽しみってわけだ」
「多分な」
ジュージューはジェイの言葉に納得しているように、大きく首を縦に振った。ジェイはさらに先を続ける。
「とは言え、見つかるのを恐れて、ここに閉じこもっているわけにもいかない。奴の操り人形がここに踏み込んできたら、結局、居場所がバレるだけだ」
「では、どうすべきなのでしょうか?」
エリザの声には、昨日の襲撃時以上の緊張感が込められていた。ジェイはエリザを安心させるためにも、いつも以上の力強さを込めて、ハッキリと告げる。
「また地下道から逃げるしかないな。ただし、慌てて逃げるのではなく、整然とな」
ここで、ジェイはジュージューに一つうなずき、言外に指示を伝える。
「あいよ。スラムの地下道のことなら任してくれよ。階層政府すら把握していないような、最新の地下地図があるからな。でも、どこへ逃げるんだ?」
「まずは追跡を撒くのが先決だ。なるべく複雑な地下道を選んでくれ。逃げる先は、なるべくスラムの中心近くがいいな」
ジュージューはジェイの言葉を聞きながらも、同時にパルサーに指示を送り、最適な逃走ルートの選定に入っていた。さらに、手を動かしながら、ジェイに答える。
「中心街? まあ、キングキャッスルの近くに、誰にも内緒にしている隠れ家があるから、一旦そこを目指そうか。ここはさすがに奴にも把握されていないはずだよ。あ、キングキャッスルってのは、スラムの王様を自称しているチンピラの頭目が住んでいる街区さ。チンピラだらけのクソみたいな場所だけど、それだけに外部からの侵入者には容赦がない。奴が現れたとしても、チンピラたち全員を片付けるのは、ちょっと苦労するだろうさ」
ジュージューの言葉を聞いたエリザが、驚いたように問いかける。
「え? スラムの人を盾にするような形になりますけど、それでいいんですか?」
ジュージューはエリザに対し、半ばあざ笑うかのような表情を見せ、答える。
「ふん。あいつらみたいな、スラムの弱者すら食い物にするような奴らなんて、ボクの知ったこっちゃないね。それに、王様を自称するなら、自分の王国は自分たちで守るべきだよ。スラムの人間は、『自分の身は自分で守れ』が鉄則だからね」
よし、とジェイは大きくうなずいて、三人に指示を出し始める。
「じゃあ、急いでここから脱出するぞ。この建物の地下から地下道へ抜ける。エリザはヴァニッシュさんを見ていてくれ。二人は特に荷物もないだろうし、こっちの準備が整うまで待機していてくれ。ジュージューは準備を済ませろ。時間はないぞ。1分以内に支度してくれ」
三人は同時にうなずくと、それぞれの準備作業に入った。ジェイはその間に、ジムに命じてハ・ラダーの情報を収集させた。わざわざ相手から名乗ってきたというチャンスを有効に生かし、対峙した時のために有用な情報を仕入れておくことは、必須である。詳細な情報を入手できれば、あわよくば、ハ・ラダーの思考パターンを読むことも可能かもしれない。
ジュージューは身の回りの品は完全に無視して、パルサーをはじめとするユニット類の携行を最優先に準備を行っている。
ジェイが事務所から脱出した際には、あまりにも切羽詰った状況だったため、ジムをリストユニットに退避させ、極々少数のユニットを持ち出せたに過ぎない。
しかし、今回のジュージューは隠れ家を転々としている状況が多いせいか、ユニット類の退避も手馴れたもので、制御ユニットであるパルサーをはじめに、事務室で愛用している各種ユニットを手際よくアタッシュケースのようなカバンに次々と退避させていた。情報屋にとって、使い慣れた道具、特に制御ユニットの存在は死活問題になる。そのため、何よりもまずパルサーの退避を優先させたのは、当然の行動であった。
「準備完了! お待たせ!」
準備が整ったジュージューは、先ほどのカバンを右手に持ち、ジェイに振り向いた。驚いたことに、時間は40秒ピッタリだった。
ジュージューの表情は、最悪の場合であれば、この事務所を放棄することになるというこの事態を、悲観的には捉えていないように見える。それどころか、ヴァニッシュに向かって、ボクが守ってあげるから、など威勢のいいことを言っていた。
ジェイは苦笑を抑えつつ、地下道からの脱出の指示を全員に出した。
一行は念のためエレベーターの使用は避け、スラムなので移動体を使用することもかなわず、旧人類よろしく階段を駆け下りることになった。普段であればジュージューの文句が飛び交う状況だったが、なぜかヴァニッシュを守るという使命感に目覚めたらしく、何も言わずに付いて来てくれていた。エリザはヒールを履いているせいか、移動に手こずっているようではあるが、彼女も特に何も言わずに走っていた。
ヴァニッシュは相変わらず裾の長いドレスを着ていたままなので、こういった脱出劇には非常に不向きなはずである。しかし、特に苦労を見せることも無く、見た目どおりの若さを見せながら軽快に歩を刻んでいる。あのドレスを着て、なぜそんな軽快に動けるのか、ジェイには見当も付かなかった。
階段を降り地下室に出た一行は、隣接している地下道にそのままの勢いで駆けていった。もちろん、ハ・ラダーの手が伸びていないかどうか確認するために、周囲の警戒はジムとパルサーに命じた上でのことである。もっとも、ジェイの最初の目論見どおり、このスラムにはユニットがほとんど存在しないため、ジェイの事務所の時のようなユニットのハッキングまでは考慮に入れる必要が無いのは、ありがたかった。さらに地下道を進む限りは、第一階層の天井の映像ユニットも気にする必要は無く、このまま何事も無ければ、ジュージューの隠れ家にすんなりと逃げ込むことができそうな気がしてくる。
ジェイはもう一度気を引き締めて、地下道を進み始めた。
地下道は光源が乏しく、かなりの薄暗さだった。
ジュージューの宣言のとおり、どうやら階層政府発行の地図データにも記載されていないような脇道が数多くあり、スラム地区全体に張り巡らされた迷宮といった趣になっている。さすがに、何のデータも無くこの迷宮を踏破するのは、感応力の大小に関係なく困難を伴うものと予想される。幸いなことに一行は、案内役のジュージューとパルサーのおかげで、特に迷うことも行き止まりに当ったりすることも無く、順調に歩を進めることができている。
地下道を逃走する道すがら、ジェイは先ほど調査を命じたハ・ラダーについての情報を、ジムに報告させた。
・氏名:ハ・ラダー
・経歴:第112階層(工業階層) 北半球カリスト国内第三スラム街出身。両親は不明。15歳にして統合軍に志願し、起動歩兵大隊第三中隊(通称:デスサイズ中隊)に配属、強化手術を受ける。最終的な階級は軍曹。15年前に第89階層で起こった、反乱勢力「ブラオヴィーゼ」による大規模な武装蜂起に対する鎮圧作戦に投入され、一定の軍功を上げる。しかし、第89階層での一般人に対する暴行・略奪・殺人の疑いがあり、戦後軍事法廷にかけられることになる。証拠不十分のため無罪となるも除隊し、その後はフリーランスの傭兵となる。しかし、傭兵とは名ばかりのもので、実態は大規模な破壊工作屋として名を馳せている。5年前に起きた、第5階層(農業階層)の食料プラントに対する大規模な破壊活動の首謀者の一人ではないかと目されている。
・主要装備:軍用複合銃をメインにし、各種爆弾、近接戦闘用のレーザーナイフなども好んで使用。任務により柔軟に装備を換装するタイプの強化人間。
ジムの淡々とした報告を聞いて、ジェイは顔をしかめた。予想していたとおりとはいえ、生粋の戦争屋のようだった。しかも、第112階層出身というのは、ジェイの予想を超えていた。
一般的に10階層上がれば、感応力の強さは2倍になると言われており、第112階層となると第1階層の者から比べると、1000~2000倍の力を持っていることになる。まともにぶつかっては、到底かなう相手ではないことを再認識させれらた。
ジェイはこういったことを考えながらも、いくつかの疑問を覚えずにはいられなかった。ジェイの事務所での襲撃の時と同様である。
なぜ、こんな襲撃予告を出してくるのか?
獲物を追い立てるためとは一応言ったが、意味がなさ過ぎる。他にいくらでも手段はあるだろうに、こんな確実性の低い方法を選択する理由がない。
なぜ、いきなり襲撃してこないのか?
そもそも、暗殺ではなく破壊工作が専門ならば、ジュージューや他の情報屋の事務所ごと爆破すれば簡単な話だ。しかも、ここはスラムであり、やっかいな治安警察の介入もほとんどありえないのだから、いきなり荒事に訴えても、何の不都合もない。
なぜ、わざわざ自分から名乗るのか?
名乗ることによるメリットなど何も存在しない。実際に有効な対策手段を立てられるかはともかく、その足がかりを与えてしまう結果になりかねない。実際、そのおかげで奴の主要装備などを知ることができた。
とはいえ、いつまでもこれらの疑問を考えていられるような贅沢が許されるような場面でもない。もちろん、何がしかの理由はあるのだろう、とジェイは一旦自分の中で結論付け、今は逃走に集中することに専念した。
その時、ふとジェイの頭の中にある疑念が浮かんできた。
もし、一行の中に既に密偵が紛れ込んでいたとすれば?
そうなったら、一行の潜伏先や逃走先など、感応波によるイメージ通信であっという間に把握されてしまう。もし、ハ・ラダーがジェイたちをいたぶることを目的としているならば、この逃走劇ほど愉快なショーはあるまい。
いや、とジェイは首を振った。
そもそも、エリザは全幅の信頼を寄せている相棒だから、その可能性はゼロだ。そもそも、ジェイを裏切る理由が全くない。
ヴァニッシュは、どう考えてもハ・ラダーの標的である。彼女がスパイというなら、奴は一体誰を狙っているのか?それ以前に、彼女がスパイだとすると辻褄の合わないことが多すぎる。
しかし、ジュージューは?
もちろん、ジェイが信頼を置く情報屋ではある。だが、より高額の金になびくのもまた情報屋である。
ジェイはこれまでのジュージューの言動を思い出し、そこに不審なものが有ったかどうか、必死に思い出そうとした。
そこで唯一気になったのは、ジュージューの協力態度である。終戦塔への偵察にはかなりの抵抗を見せたはずが、今ではヴァニッシュを守るためにと、この地下道の案内も率先して行ってくれている。先ほどまでは、ヴァニッシュに対する淡い恋心が原因の、子供らしい行動によるものだとジェイは苦笑交じりに納得していた。
しかし、こういう疑念が芽生えてしまえば話は別である。
もし案内役がスパイであったとしたら?もちろん、この先に待っているのは死刑台である。このままジュージューの案内に任せていいものかと一抹の不安がよぎる。
ここでジェイはもう一度首を振った。
そもそもジュージューがスパイであれば、こんな回りくどいことをしなくとも、ハ・ラダーにジェイたちを襲わせる機会を作ることはいくらでもできたはずである。たとえば、ジュージューが終戦塔に向かっている際に、事務所に残った三人を襲わせれば、おそらく一たまりも無かったはずである。
そう考えると、ジュージューがスパイであるという合理的な証拠など何もなさそうに思える。
とはいえ、予想外の出来事が立て続けに起こっているのも事実なので、ジェイはこれらの考えを頭の片隅に一応留めておくことにした。