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Angel:Vanish  作者: 桂里 万
第二章 風を斬り走れ
10/42

2.情報屋 (その4)

 

--


「そういうことだったんだね・・・」


 ヴァニッシュはエリザから昨日の顛末を聞き、ようやく合点がいったようだ。ヴァニッシュはジュージューと顔を合わせた程度だったが、エリザの話から推察すると、ジュージューがかなりの苦痛を伴って終戦塔まで出掛けたことは手に取るように分かった。

 彼女が振り向くと、後ろではまだジェイとジュージューが口論めいたことを続けている。エリザは半分呆れたような顔をしており、特にその諍いを止める気はないようだ。その表情は、もう好きにしなさい、と告げているようにも見える。


『まるで、家族の喧嘩を見守る母親みたい』


 ヴァニッシュはエリザの態度を見て、微かに笑った。とは言え、このままでは話が先に進まないのも事実なので、ヴァニッシュはジュージューに思い切って話しかけた。


「あ、あの」

「なんだい!」

「え。いや、あの・・・」


 口論の勢いそのままの興奮した口調で返答されたヴァニッシュは一瞬言いよどんだが、一つ息を吐いてから、もう一度ジュージューに切り出した。


「ごめんなさい。私のせいでいろいろ面倒をかけてしまって・・・」


 ヴァニッシュの消沈した表情と、小さな頭をぺこりと下げたその姿を見て、ジュージューは冷や水を浴びせられたかのように、一瞬で興奮が収まった。


「あ、いや、ヴァニッシュさんが悪いわけじゃないから! 声を荒げてごめんな。悪いのは全部このオッサンなんだから」

「でも、やっぱり私が面倒ごとを持ち込んだせいだし・・・」

「あー、もう! そんなことは無いから! ジェイの旦那とのこれも、いつもの挨拶みたいなものだから、気にしないでいいって!」


 ジュージューは慌ててヴァニッシュをなだめにかかったようだ。多くの修羅場を潜り抜けた一流の情報屋といえども、やはり美少女には弱い子供なんだと、ジェイは苦笑する。もちろん、ジュージューにその表情を見られないように努力した上で。


「でも・・・」

「あー、もう! 分かったよ! じゃあ、こうしよう? 面倒事を持ち込んだお詫びに、一つお願いを聞いてくれないかな?」

「おい、ちょっと待て」


 突然予想外のことを言い始めたジュージューを、ジェイが慌てて抑えようとする。子供とはいえ、男ならばおかしなことを言い出しかねないと、ジュージューの性格を知っているはずのジェイですら、半ば本気で心配している。

 慌ててジュージューに手を伸ばしかけたジェイだったが、その手にエリザが自らの手を重ねると、小さく首を振って、二人に任せましょう、というメッセージを送る。

 ヴァニッシュは突然の申し出に驚いたようだったが、決意を込めて口を結び、可愛らしい小さな首をうなずかせた。


「じゃあ、いいね? ボクのお願いは・・・『ヴァニッシュ』って呼び捨てにしてもいいかな? あ、ボクのことはジュージューって呼び捨ててくれて構わないから」


 さすがにこの展開には、ジェイたちも面食らった。言った本人のジュージューは、顔を見たことも無いほど真っ赤にしている。

 ここでジェイは気付いた。このスラムでたった一人で生き抜いてきたジュージューにとって、同年代の友達などこれまでいなかっただろうということに。

 口やかましくて皮肉屋ではあるが、中身はまだ子供らしさを存分に残しているということに、ジェイは奇妙な納得を覚えた。ジェイにやたらと絡んでくるのも、子供らしい自己表現というべきものなのだろう。


「・・・うん、もちろんいいよ。よろしくね。ジュージュー」

「へへっ。こちらこそよろしく、ヴァニッシュ。改めて自己紹介するね。ボクはジュージュー・タッカーノ。このスラムを根城にしてる腕利きの情報屋さ。その証拠に、ジェイの旦那をよくお世話してるんだよ」


 二人は満面の笑みで握手を交わしている。その余韻を壊さないよう、ジェイも多少は遠慮していたが、脱線した話を元に戻すため、適当なところでジュージューにもう一度話を振った。


「よし、納得してくれたところで、ジュージュー。報告を聞かせてくれないか?」


 ジェイの言葉を聞いたジュージューは、目をパチクリさせている。どうやら、報告のことなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていたらしい。


「あ、そうだったね。よし、終戦塔から事務所を観察したジムの記録映像と、事務所を取り囲んだ治安警察官の読唇記録、あとはその時に拾ったニュースメモリーの報告をするよ。あ、ニュースメモリーは公共パブリックのものだから、足が付く心配は無いし安心していいよ」


 ニュースメモリーは、いわばインターネット上のニュースのようなものである。ニュース配信業者に購読を申し込む有料ニュース放送とは別の、ニュース配信業者が公共の感応波ネットにより不特定多数に無料で垂れ流しているものであるため、誰が受信したという記録も特に残らない。もっとも、有料ニュースほどの詳細な情報ではなく、あくまでも最低限のそれしか配信されていない。

 しかしながら、ジェイのビルを襲った派手な襲撃と、それを撃退したさらに派手な爆発は、さすがに犯罪が多発するあの地区でも目立つニュースには違いなく、無料のニュースメモリーにも記載されている可能性は僅かながらある。



 ジュージューの報告を要約すると、謎の襲撃者はどうやら怪我を負ったようで、重要参考人として近くの治安警察病院に収容されたということらしい。

 治安警察官同士の会話で、そのような話が出てきていたのだと、ジムが告げた。ジムの読唇も100%の精度ではないが、複数の治安警察官で同じ唇の動きがあったらしく、ジムによれば、ほぼ100%と言っていい内容とのことだった。


「最高の結果ではないが、最悪の結果というわけでもないらしいな」

「でも、さすがに怪我の具合までは掴めなかったよ。病院のユニットをハッキングするわけにもいかないしさ」


 あの爆発で襲撃者が死んでいれば最高の結果だったが、最悪の場合は無傷ということも考えられた。病院に運ばれるような怪我であれば、怪我の程度にもよるが、昨日の今日でジュージューの事務所を襲撃するようなことは無さそうだと、ジェイは判断した。

 多少なりとも次の作戦を練るための時間があることは、非常にありががたい。


「ニュースメモリーでは何か報じていたのか?」

「いや、それがさ。どの配信業者のニュースを見ても、全く触れていないんだよね。まあ、他に配信すべき凶悪事件もたくさんあるし、仕方ないかもしれないけどね」


 ニュースメモリーには特に期待していなかったジェイではあるが、それでもいささか落胆した。有料であれば配信されてる可能性もあるが、今はささいな痕跡も残したくないので、利用することもできない。あんな第一階層のスラムのすぐ傍にある探偵事務所の爆破事件など、関係者以外に誰が興味を持つと言うのだろうか?ジェイは冷静に自己判断を下していた。

 ここでまた、ジュージューがいつもの調子でジェイをからかい始める。


「まあ、報じられないのも仕方ないよ。ジェイの旦那の事務所が全部吹っ飛んだならともかく、一部の爆発と出火程度じゃね。それに、話の内容も眉唾物だしなあ」


 ジュージューはニヤニヤしながら話を続ける。


「はるか高階層からの刺客の襲撃! 謎の美少女を守る騎士ナイト様は、なんと専用カップを応用して、刺客を華麗に撃退! そんな話を真に受けて記事にする配信業者もいないだろうしね」

「また蒸し返すのかよ・・・」

「特に眉唾なのは、専用カップのくだりだよなあ。何でそんな分不相応なモノ持ってたのさ?」


 ジェイ以外の人間にとっては当然の疑問ではあるが、本人は特に話したくはないらしい。しかし、ジュージューだけでなくエリザやヴァニッシュまでも、口には出さなくても興味津々の目をジェイに向けていた。

 ジェイは小さく首を振り、渋々口を開いた。


「別にお前たちが期待しているような話でもないぞ?」

「いいからいいから。話してみ?」


 ジェイはこれ見よがしに大きなため息を一つ吐き、口を開いた。


「あれはな、俺の恩師からもらった物なんだ」

「恩師?」

「ああ、学問の師というだけじゃなく、俺の人生の師でもある人だ」


 ジェイはポツリポツリと先を続ける。


「昔の俺は本当に駄目な人間でな。正直に言って、まともな感応力操作すら覚束なかった。ここで学校に通ったこともない。そうなれば、あとはご想像通りの転落人生一歩手前だよ。もう犯罪に手を染めるしか生きる道はないと諦めかけていたその時に出会ったのが、エミリア先生だったんだ」

「エミリア様・・・ですか?」


 エリザが突然口を挟んだ。どうやら、ジェイの昔話にかなり興味があるようで、ソファから身を乗り出して話を聞いている。ジェイはエリザの過去を特に詮索しなかったが、逆に自分の過去もほとんど話したことがなかった。そのため、初めて聞くジェイの過去が、エリザには新鮮に映るらしかった。


「ああ。エミリア先生から、俺はすべてを学んだ。感応力操作といった技術的なこと、字の読み書きも含めた知識的なこと。それ以上に俺に必要だった信念も叩き込んでくれた」

「信念?」

「ああ。『とにかく生き延びる』ということと、『そして、真っ直ぐ生き延びる』ということさ。人間、誰だっていつかは死ぬ。いくら老化防止処置を施しても、人間の寿命なんて精々400年が限界だ。だが、諦めたらその寿命すら迎えることなく、何も成さないまま、くたばっちまう。だから、どんな辛い状況でもまずは生き延びることを優先すべきだと、俺は教わった。特に何かを成そうとしている者にとっては、生き延びることが最も重要なんだ、とな」

「生き延びること・・・ですか」

「ああ。だから今回の件でも俺は生き延びるためなら、何でもする。真っ直ぐ生きていくためにも、お前たちを守るなら何だってする。そうじゃなきゃ、エミリア先生に顔向けができん」


 ジェイは一つ大きな息を吐き、口が寂しいのかタバコを探して上着のあちこちを探るが、ここは自分の事務所ではないことを思い出し、タバコを諦め両手をズボンのポケットに突っ込んだ。


「そのエミリア先生が、ある日『今日で卒業だ』と俺に告げて、その時に卒業記念としてもらったのが、あの専用カップとジムなんだ」

「ジムもそうなのかよ!?」


 専用カップの話だけではなく、今日自身の窮地を救ってくれたジムの話にまで広がって、ジュージューは驚いている。エリザも宝石のような赤い目を大きく見張っている


「ああ、そうだ」

「この階層の一般的な制御ユニットに比べて、やたらと高性能だとは思ってたけど、そんな経緯があったのかよ。専用カップを用意できたり、エミリアさんって一体何者なんだ?」

「さてね・・・。俺にとっては最高の師だったが、今から考えると謎多き人だったな。専用カップをホイホイと用意できるほどの金持ちには見えなかったしなあ」


 肩をすくめるジェイに対して、いつも以上に真剣な眼差しでエリザが問いかける。


「エミリア様のフルネームはご存知なのですか?」

「うん? ああ、エミリア・フラッシュフォート・・・だったと思う。それがどうかしたか?」

「いえ・・・。それで、エミリア様はその後どうされたんですか?」

「それは・・・」


 ジェイは続きをあまり話したくないのか、少し言いよどんでいる。しかし、興味津々のジュージューと真剣なエリザの表情を見て、嫌々といった様子で付け加えた。


「俺の卒業後、行方が分からなくなった。方々探したんだけどな・・・。俺の他にも何人か弟子がいたらしいんだが、そっちにも別れを告げて、どこかに旅立ったらしい。理由は未だに不明だ。特にトラブルを抱えているようにも見えなかったがな・・・」

「ひょっとして、ジェイの旦那が探偵なんてやってるのは・・・?」

「・・・ああ、もしかしたら、心の奥底でエミリア先生を探していたのかもしれないな」


 しんみりとしたジェイの言葉を聞いて、エリザも顔を曇らせ、ポツリと呟いた。


「エミリア様は、あなたに多くの影響を与えているんですね・・・」

「うん? ああ、もちろんだ。いや、それより、エミリア『様』ってどういうことだ? エミリア先生に敬意を払ってくれるのは嬉しいが、その敬意の何分の一かでも俺に差し向けてもらいたいもんだね」

「何だい? ジェイの旦那? ひょっとして、『ジェイ様』とか呼ばれたいのか? 気持ちわりーな!」


 ジェイにしては珍しく軽口ともいえる冗談を言うと、それが笑いのツボに入ったのか、エリザが『ジェイ様』と呼んでいる姿を想像してしまったのか、ジュージューがゲラゲラと笑い始めた。その姿を見たジェイは、『話すんじゃなかった』という意思を遠慮なく表情に浮かべ、そっぽを向いてしまった。そんなジェイの様子を見て、慌ててエリザが間に入った。


「あ、いえ、すみません、ジェイ。上司のあなたの恩師とのことでしたので、思わず「様」を付けてしまいました。気に障ったのなら、謝ります」

「別にいいさ。それに、エミリア先生に敬意を払ってくれるのは嬉しいもんだよ」


 ニヤリとするジェイに対し、いつもの調子に戻ったエリザが、ウィンクしながら一言付け加える。


「それに、私はジェイに対して充分敬意を払っていますからね。あれ以上の敬意を払ってほしいなら、こちらの要求水準も高くなりますよ?」


 エリザのこの言葉に、ぐうの音も出ないジェイは、観念したかのように両手を大きく広げ、この話題はここまでだと態度で宣言し、脇道に逸れた話題の軌道修正を行うことにしようとする。

 しかし、その試みには、思わぬ方向から邪魔が入った。


「エミリア・フラッシュフォート・・・? どこかで聞いたことがある・・・?」


 その声の主に顔を向けると、ヴァニッシュが眉根を寄せて一心不乱に考え込んでいた。記憶喪失のはずのヴァニッシュに聞き覚えがある名前、しかも自分の恩師のことである。予想外の出来事に仰天したジェイが話しかけるよりも先に、まずジュージューが反応した。


「ヴァニッシュ! 何か思い出したの?」


 自分の世界に入っていたヴァニッシュは、ジュージューの大声に白昼夢から覚めたかのように、ハッと意識を取り戻し、目をパチクリさせながらジュージューの方を向く。しかし、エミリアの名前で一瞬戻るかに思えた記憶も、トランス状態の解消とともに霧のように消えてしまったらしい。ヴァニッシュはすぐに目を伏せ、小さな頭を下げる。


「ごめんなさい。何だか一瞬だけ、その名前に覚えがあったような気がしたの」


 ヴァニッシュは改めてジェイに向き直り、再度頭を下げた。


「ジェイ、ごめんなさい。エミリアさんのことを聞き出したいでしょうけど、思い出せないの」

「・・・まあ、いいさ。記憶を取り戻したら、何もかもハッキリするんだ。医者にかかることができれば、記憶障害なんてあっという間に治せるはずだしな。それまでのお楽しみにしておくよ」


 ジェイの言葉を聞いて、ヴァニッシュは見るからにホッとした表情を浮かべている。ジェイにとって、ヴァニッシュの一言は思わぬ横槍だったが、話の流れを本題に戻すことができそうで、それはそれでよかったと納得していた。


「ヴァニッシュさんの記憶を取り戻して依頼料をいただくためにも、まずは目の前の状況を何とかしないとな」

「そうですね。襲撃者が怪我を負っていることは分かりましたが、そこから先が問題ですね・・・」


 ジェイはエリザの言葉に一つ頷いて、まずは状況を整理してみた。


「俺の結論から言うと、襲撃者を殺すか、最低でも治安警察に引き取ってもらって、この階層から追放する必要がある」

「だよなあ・・・」


 察しのいいジュージューはジェイの言葉に頷いているが、キョトンとしているヴァニッシュとエリザのために、ジェイは補足説明を行う。


「あいつがヴァニッシュさんを狙っている限り、俺たちに気の休まる時は二度と訪れないと思ったほうがいい。今回は運よくスラムに逃げ込むことができた。ジュージューの助けもあれば、しばらくスラムで生活することも可能だろう」


 ここでジェイは小さくため息をついた。


「しかし、永久にというわけにもいかない。あいつだって永久に俺たちと鬼ごっこをしたくはないだろう。じゃあ、このスラムから逃げ出して離れた地区に逃げ込むとしても、まともな街区に入った途端、数万どころか数億以上の映像ユニットに見張られる以上、あいつのハッキング能力で必ず居場所を特定される」


 ジェイは苦悩するかのように右手で頭を掻きながら、話を続ける。


「逃げることもできない、ここに隠れていてもいつかは見つかる。となると、どうやっても奴に退場してもらうしかないんだ」

「でも、スラム内で居場所を転々とすれば、そんなに簡単に見つからないんじゃ?」


 ヴァニッシュの反論に、ジェイはさらに一つため息を重ねて返答する。


「相手が普通の相手なら、それで上手くいくかも知れん。ただ、今回の相手は桁違いの感応力の持ち主だ。一番怖いのが、『暗示』や『強制』による人海戦術なんだ」


 またもジェイの言葉にうんうんと頷いているジュージューが、その先の言葉を引き取った。


「ボクたちの使っている感応力は、感応物質を自由に操作できるだけじゃない。同じ感脳を持っている相手の意識に干渉することもできるんだ。小さい力だったら、相手の脳内にメッセージを送るくらいしかできないんだけどね。でも、強い力の持ち主が、それほど強くない力の持ち主に対した場合は、話が変わってくる。ある行動を起こしやすくする『暗示』や、下手をすると、行動を意のままに操れる『強制』のようなこともできてしまう」


 ジェイとジュージューの言葉に、エリザは目を見開いていた。


「そんなことって・・・」

「ああ、同じくらいの力同士であれば、そんな現象は起こすことはできない。ただ、奴のような桁違いの感応力の持ち主であれば、話は別だ。あいつの力の上限は全く見当も付かないが、第一階層の人間が相手だったら、数百人同時に『強制』できたとしても不思議じゃないと思う」

「それにね、エリザさん。もっと極端な力の行使だと、相手の記憶すら自由に書き換えることもできるらしいんだ」


 ジェイは思わずジュージューを見つめた。ジェイの話の向かう先を正確に予想して、的確な補足を加えてくれる。しかも、記憶操作能力は本来秘匿されている感応力の使用方法であり、その情報を押さえているあたり、さすが一流の情報屋だと、胸中で密かにジュージューを賞賛する。


「そうだ。もし奴がその気になれば、治安警察の何部隊か、スラムの住人も何百人か支配下において、人海戦術で俺たちを探そうとしても不思議じゃない。そうなったら、完全にお手上げだ」

「じゃあ、一体どうすればいいんでしょう?」


 ジェイにしてみれば、かなり見通しが暗いことを話したつもりだったが、ヴァニッシュはまたしても慌てることなく、冷静であった。ひょっとすると、記憶を失う前のヴァニッシュは、こういった事態に慣れているのではないかという疑念が、ジェイの心に浮かんできた。しかし、今はそんなことに気を取られている暇は無いと、すぐに思い直した。


「ああ、そうなんだ。奴を倒すとしても、正面からぶつかったんじゃ、まず勝ち目はない。行き当たりばったりでは絶対に無理だ。となると、方法は一つしかない」


 ここでジェイは勿体つけるかのように一呼吸置き、続きの言葉を発した。


「待ち伏せして、罠にかけるしかない。今、俺たちが唯一有利な点があるとすれば、このスラムの地理に精通しているジュージューがいることだ。罠をかけるのに絶好な地点ポイントを探し出し、おびき出して一気に叩く」


 ジェイの言葉を聞いたジュージューが、素早くその案の問題点を指摘する。


「いや、その罠を考えるのが大変なんじゃないか? そんな化け物を、どんな罠で仕留めることができるって言うんだ?」

「ああ、そこは安心してくれ。腹案がある。・・・成功率はそこまで高くは無いかもしれんがな。ただ、言い忘れたことがあった。奴が俺の事務所を襲撃してきた時に思ったんだが、奴の攻撃は妙に手緩い。何か裏があるのかもしれんし、油断しているのかもしれん。こっちがそこを上手く突くことができれば、成功率はかなり上がると思う」


 そして、ジェイはもう一つ思い出したことを付け加えた。


「それと、さっきは奴が人海戦術を使うかもとは言ったが、現実的には今すぐに大規模なことはできないと思う。俺の事務所のハッキングの手際を見ても、奴はそこまで器用じゃないように思える。だから、『暗示』ならともかく、『強制』や『記憶操作』となると、精密な感応力操作が必要になるし、一度に大人数を操るのはかなり難しいと思う。それでも、じっくり時間をかければ可能なはずだから、時間が経てば経つほど、俺たちが不利になる。勝負を賭けるなら、早いうちがいい」

「確かにその通りだとは思うけど、まずはその罠とやらを教えてくれよ。判断するのはそれからだよ」


 ジュージューの言葉に一つ頷いて、罠の詳細を語ろうとしたジェイに、またもや邪魔が入った。しかも、今回は先程よりはるかに驚きに満ちたものだった。


「ジェイ様、ジュージュー様。緊急の通信が入っております。内容を考慮すると、今すぐにでもお耳に入れるべきかと存じます」


 それは、ジュージューの事務所の制御ユニット「パルサー」の合成音声だった。まるで少女のような合成音声ではあったが、その口調は不吉な予感をはらんでいた。

 ジェイとジュージューは目を合わせた。ジムほどではないが、パルサーもジュージューによってカスタマイズされた高性能な制御ユニットである。その彼女がこういった形で話に割り込んでくる以上、緊急性の高いものであるのは明白と言えた。

 ジュージューはパルサーに通信内容を開示するように命じた。


「先程、この通信文が送り付けられてきました。読み上げます。『ネオ・トーキョースラムに潜む、ジェイ、そしてドレスの少女よ。貴様らが潜伏している先は既に分かっている。ジュージューなる情報屋の隠れ家だな。覚悟せよ。これから狩りの時間を再開する。破壊者ハ・ラダーの名に懸けて、今度こそ息の根を止めさせてもらう』。以上です」


 その通信文と共にスクリーンに表示されたのは、顔半分が焼けただれた、昨日の襲撃者の映像だった。


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