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奈落の男  作者: HYG
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奈落の男8

 メガフロート署と、東京湾警察病院は共に〈出島〉の上層部中央にあった。これは、どちらもが緊急時にヘリやスピーダー(空陸両用車の俗称)による離発着を可能にしておかなければならない事に起因していた。〈出島〉上層部中央のこの区画はPCX(Police complexの略、PCはパトロールカーの略称で使用されているのでこの様な略語表記となっている)、或いは“ポリコン”と言う俗称で呼ばれていた。区画内にはメガフロート署や警察病院の他に、警察学校、科捜研、高機能装備隊(いわゆるサイボーグ警官が所属する組織)、官舎等が存在していた。

 荒川和美警部補は、警視庁メガフロート署の隣にある東京湾警察病院の、集中治療室前の廊下にいた。先程、御岳巡査部長が四階の手術室から六階の集中治療室に移されたばかりだった。御岳巡査部長は運良く、爆発の際に盾になったハヤシのお陰で即死を免れていた。執刀医の説明では手術は困難を極めた様だが何とか成功し、現在では脳死の心配はないが、ほぼ全身が2a度の火傷を負っている為、最低でも一週間は治療タンクでの処置が必要との事だった。電脳化や、義肢化、人工臓器移植等の必要も無いらしい。

 とりあえず殉職者が出なかった事については幸運としか言い様がなかったが、和美はどの様に報告書を作成するかを考えると、軽い眩暈に襲われた。今回の事故で御岳巡査部長の負傷とガーディアンドロイド一体の損失、加えて、御岳巡査部長の報告が正しいとすると、事件解決に役立つ唯一の証拠となるエクステさえも喪失した事になる。もっとも、これらは全て御岳巡査部長の独断先行が招いた結果ではあるが、管理者責任は和美に圧し掛かってくる事だろう。

 和美は、時計を確認する。時刻は二十三時を過ぎていた。今日はもうあらゆる事を先送りにしてただ眠りに付きたいと和美は思った。報告は明日でも良いだろう、少なくともすでに帰宅している課長に夜分連絡を入れるほど重要な報告はない。帰宅する前に、一度デスクに戻ろう。和美は、そう思った途端に自虐的な笑みを浮かべ、自分は今時稀に見る、生真面目な日本の公務員なのだと自己分析していた。

 和美が刑事課のフロアに戻ってきた時には、もうフロアには誰も居なかった。和美は内心ホッとしていた。あとは自分のデスクを片付けて帰宅するだけだ、そう自分に強く言い聞かせた。しかし、その決心は脆くも崩れ去った。フロア内に内線の着信音が鳴り響いたのだ。このまま電話を無視して片付けを済ませて帰宅出来ればどれだけ楽か。現に、今は勤務時間外になる。だが、向こうもこんな時間まで仕事をしていたかった訳ではなく、恐らく誰も居ないであろうこのフロアに電話を掛けたかった訳でもあるまい。諦めて和美は受話器を取った。

「刑事課です」

「……、ああ刑事課ですか」やはり相手もこの着信で誰も出なかったら、今日は帰宅しようと思っていたに違いないと、うかがい知れる声色だった。そして、明らかに落胆していた。「そうです。そちらは?」和美は電話の主を確認する。

「あー……、私、鑑識課の小暮巡査部長です」

「ひょっとして、荒川警部補に用事ですか?」そうではない事を祈り、聞き返す和美。

「はい、そうです。ひょっとして……、もう帰宅されました?」小暮巡査部長も同様に空気を読んで聞き返してきた。

「ごめんなさい……、私が荒川です」

「……」二人の間にしばしの沈黙が流れた。

「えーっと、警部補にお知らせがありまして、この電話なのですが……」沈黙を破ったのは小暮巡査部長だった。「今日、御岳巡査部長が使用していたガーディアンドロイドのレコードが、メモリから一部復元出来たのですが」

「本当か!」

「ええ。ボイスレコードとグラフィックレコードはサルベージしました」

「スキャンレコードは?」

「そっちはまだです。ひとまず、捜査に優先的に必要なレコードを先出しで復元する様に作業していたので……」

「復元出来たレコードは、今から私の端末に転送出来る?」そう言いながらも、和美は今日これからこの二つのレコードを確認するのは、多分集中力が持たないだろうと思った。

「それが、うちの課長の承認が必要なので、今日は無理です。最近は捜査情報の管理について結構うるさく言われてまして」

「分かった。それじゃ、今からそっちに行くので触りだけでも確認させて下さい」

「今からですか……?」小暮巡査部長はウンザリした様な口調で聞き返す。時計を見ると零時を過ぎていた。「IASFIA(Information Analysis System For Investigation Assistance:捜査支援用情報分析装置。証拠の簡易分析を行う事が出来る装置。造語)の準備だけしておいてくれたら、後は自分でやります」

「解りました。お待ちしてます」

 和美は受話器を置くと、自分のデスクまで行き、鑑識での確認が終わったらまっすぐに帰宅出来る様、片付けを開始した。デスクには電話連絡があった事を知らせる付箋紙が十枚近く張られていた。何枚かは、小暮巡査部長からの連絡があった事が書かれていた。それらは全部剥がして、袖机の一番上の引き出しに放り込んだ。次に、メモリチップが添えられている紙束を手に取る。それらは御岳巡査部長が作成した報告書だった。恐らく御岳が作成した報告書ファイルのコピーが入っていると思われる。紙束はそれをプリントアウトした物だった。和美は少し悩んだ末、メモリチップを懐のポケットにしまい、プリントアウトは付箋紙にメモをつけて、課長のデスクの上に置いた。その後、自分のデスクの引き出しに鍵を掛けると、フロアの出口に向かう。出口の脇にある行き先表示板の自分の欄には“外出中、帰署時間不明”を記入されていた。和美は、それを消して、ペンで“鑑識課、直帰、13:00出勤”と書き込んだ。振り返って中を見回すと照明を消して刑事課フロアを後にした。

 日付を丁度跨いだころ、鑑識課フロアのドアを和美が開ける。ここも同じくほぼ人気が無かった。奥のデスクで神経質そうな男が作業している。彼が小暮巡査部長だろう。

「ご苦労様です。刑事課の荒川です」和美は鑑識課フロアに入り、作業中の男に声を掛ける。男は、顔を上げて答える。「ご苦労様です。自分が小暮巡査部長です」

「無理を聞いてもらってすみません。早速ですが、準備してもらったIASFIAはどれですか?」和美は、小暮巡査部長の作業しているデスクに歩み寄る。

「これです。セッティングは終わってますんで、好きに使って下さい」

「ありがとう。何か注意点はありますか?」

「トップの階層にファイルがおいてあります。それ以外は触らないで下さい。アプリケーションとの関連付けは終わっていますので、ファイルを選択して実行するとスキャナが起動します。終了時は必ずシャットダウンして下さい。再起動時にはパスコードが必要になりますが、それは服務規程上、お伝えする事が出来ませんので注意して下さい。それと……」

「それと……?」

小暮巡査部長はフロアの一画をさして説明を続ける。「あそこに電気ポットと使い捨てのカップとコーヒーキューブ(インスタントコーヒーの一種。コーヒーを圧縮したタブレットで、水分を加えると瞬時に溶けてコーヒーになる)がありますんで、募金箱にお金を入れて勝手に飲んで下さい。但し、絶対に端末デスクでは飲まないで下さい」

「分かった。他には?」

「本日の勤務時間帯に、事後処理になりますがIASFIAの利用申請フォームに必要事項を記載して必ず送信して下さい。とりあえずは以上です」

「説明ありがとう。ご苦労様でした」

「では本官は帰宅します」そう言うと、小暮巡査部長は自分のデスクの荷物をひったくる様に取って、鑑識課のフロアを後にした。

 静まり返る鑑識課のフロア。いや、唯一IASFIAが小さな鈍い作動音を発している。和美は時計に目を移す。もうすぐ深夜の一時になろうとしていた。和美はIASFIAの置いてあるデスクのイスに座ると、レコードの解析作業を開始した。

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