奈落の男37
雅臣はシミュレータ環境内の右手を動かしながらも、エクステ使用者の位置表示が一斉に動き出したのを見逃さなかった。ビルを取り囲む様に表示されていたそれらは、ビルの入り口に集まり、少し時間を置くと順にビルの中に入ってきた。位置表示がどんどん雅臣に近づいてくる。処置室の扉が勢い良く開かれた。驚いた医師はそちらに振り向いた。開いた扉から数人の男が入って来た。廊下にも十数人程の人間がいる様だった。彼らは皆、エクステを頸部に装着していた。
「邪魔するぜ」口を開いたのは黒人の男だった。男は装着した翻訳用エクステで訳された日本語を話す。
「騒々しいな。何事だルイス?」医師は特に驚く様子もなく黒人の男に声をかけた。医師のこの対応を見て雅臣は、医師とこのルイスと呼ばれた黒人の男は顔見知りなのだろうと判断した。
「生憎先生には用はない。そして、先生のこの場での権利の主張は尊重する。だから、その男をこっちに渡しな」
「今治療中なんだ。見てわからないのかね?」
「ああ、だから病院の外にその男を連れ出す事にしたんだ。それなら先生には迷惑がかからないだろ?」
雅臣はこの二人のやり取りを見て、先程医師が説明したここでの取り決めは嘘では無かった事を理解した。そして、ここにやって来たルイスと言う黒人の男がそれにのっとって行動を起こそうとしているの見てひょっとしたら上手く懐柔出来るのではないかと思った。それには、彼らが何をしたいが為にこの場にやって来たのかを正確に知る必要が有った。
「一つ聞いて良いか?」雅臣はルイスに尋ねた。
「何だ」
「俺を外に連れ出してどうする? 殺すのか? 賞金に目が眩んで?」
「……」
「賞金が貰えるとして、それをどうするんだ? ここに居るお前達で分けるのか?」
「ああ、そうだ。そうだとも……」ルイスの答えは何処と無くおぼろげだった。
「受け取り手続きが出来るのは一人だけだよな。誰が受け取る? 受け取る奴は信用出来るヤツなのか?」雅臣から次々と繰り出される質問にルイスは何も答えられなかった。エクステ使用者に課せられたルールに従うなら、雅臣を殺してその賞金を入手しゲームから抜けられるのは一人しかいない。恐らく彼らは、このゲームでそんな状況に晒されてもうかなり疲弊しているのではないか。だから、雅臣をどうにかした後の事なぞ深く考えずに、短絡的に皆でここまで来たのではないか。雅臣は勝算は十分に有ると確信した。
「受け取ったヤツを他のヤツが賞金目当てで殺したりしない保証はあるのか?」雅臣はわざと相手側に不信感を煽る様に、それを理解させる様に話した。ルイスや周りの連中は何も答えなかった。雅臣は状況が悪い方に転がり出す前に、痺れを切らした誰かが凶行に走る前に、一か八か仕掛ける事にした。「なぁ、提案があるんだが?」
「お前の御託を聞く気はねぇよ」ルイスは相当に焦っている様だった。
「まぁ、落ち着け。きっとお前達にとっても悪い話じゃあないと思う。お前達のその頸部に付いている忌々しいエクステを外す事が出来るソフトを俺は持っている」雅臣の話を聞いた男達はざわついた。思惑は間違いではなかったと雅臣は思った。ルイスは顔を顰めて雅臣を睨んだ。
「ああ、今帰って行ったバイク便の連中が持ってきたこれがそうさ」雅臣は処置室のコンピュータに接続されている媒体を示して言った。
「それは本当か?」ルイスが聞き返す。雅臣はさらに続けた。
「俺に手を出さないと言うのなら、そのソフトでお前達のエクステを外してやる」場の空気が明らかに変わったのを雅臣は感じ取った。
「それとも、俺が死んだ後にお前達で誰が儲けを独り占めするか殺しあって決めるか? そうなったらもう俺には関係無い事だから好きにやってくれとしか言えんがね」雅臣は一気に畳みかける様に話した。ルイスや周りの連中はどうするか決めかねている様だった。
「言っておくが、そのソフトは俺じゃなきゃロックが外せないぞ。どうする」雅臣は最後に精一杯のハッタリをかました。皆どよめいて各々がお互いを見合う。
『洋子! 首尾はどうだ?』雅臣はすかさず洋子を呼び出す。
『もう少し』
雅臣は焦りつつもそれを気取られない様に務めて冷静にルイス達を見守った。
「なぁ……」すると一人が口を開いた。「俺はもう、こんな事はウンザリだ。こいつを外せるならそうしたい。もう賞金首を探し探されてオドオドと生きるのは嫌だ」
「俺もだ」
「俺も」他の男達も咳を切った様にそれぞれ、心中を吐露し出した。ルイスは周りに伝搬したそんな空気に気圧されて、雅臣に尋ねた。「本当にこれを外してくれるのか?」
「ああ、嘘は言わない」
『出来ましたー!』雅臣はこの洋子声が天使の声の様な感じに思えた。
『良いぞ、良いタイミングだ! で、どうやって使うんだ?』
『そのまま差し込めば起動してアンインストールするよ』
『分かった』
雅臣は、コンピュータからプログラムの入った媒体を外すと、ルイス達に見える様にそれを掲げて見せながら言った。「今からこれを使って俺のエクステを外すのを見たら、俺が行って無い事が本当だと分かるさ」雅臣は自分の頸部の空きスロットにそれを差し込んだ。雅臣の補助電脳が媒体にアクセスしプログラムを読み込むと、視界内に警告表示が次々と表示されて消えて行く。そして処理終了のポップアップが表示された。雅臣は思考操作でポップアップ表示を消すと、おもむろにエクステを外した。皆固唾を飲んで見守ったが、雅臣自身に特に何か変調が起こる様子はなかった。「ご覧の通りさ」雅臣は媒体を外してルイスに投げて渡した。場がざわめきに包まれた。媒体を受け取ったルイスは、恐る恐るさずそれを装着した。「大丈夫なんだろうな?」ルイスは雅臣に問い質す。
「大丈夫だ、ビビるな。どうだ?」
「処理終了のポップアップが出たぞ」
「外してみろ」
ルイスは恐る恐るエクステを取り外す。「やった! 外れたぜ! 見たか?!」その場に居た皆から歓声が上がった。ルイス達は皆が次々と雅臣の渡した媒体を頸部に接続して、次々と頸部に付いているエクステを外して床に投げ捨てた。その様子を見て雅臣は、これでひとまず落ち着いて今後を考える事が出来ると思った。
『せんせー、盛り上がってる所すみませんがー』
『どうした?』
『大野達、慌ててるっぽい』洋子が大野達のワゴン車を撮影したカメラ映像を視界内に表示した。雅臣はその画像を見て、ひょっとしたら意外に状況が好転するのではないかと思った。『分かった。引き続き頼む』
このままここにあるエクステが全部外れてしまえば、その反応をモニタしていた大野達はそれを確かめにここに来るに違いない。そこを上手く取り押さえる事が出来れば……
「皆、そのままで聞いてくれ。この中に李や、その他取り纏め役からから事について話しを聞いてる奴はいるか?」雅臣は誰に話すと無く問いかけた。すると、その場にいた外国人の中で、雅臣の言葉を聞いた何人かの男達は頷いた。
「それがどうした?」ルイスは雅臣に聞き返す。
「俺はこのエクステについての調査を李に依頼されている。そして李は手の者にはそれを助ける様に触れ回っている筈だ」
「ああ、その話なら聞いてるよ」何人かが答え手を上げる。
「俺を手伝ってくれたら、李はその事について幾ばくかの礼をする事をいとわないと思うんだが」雅臣の話を聞いて何人かは驚いた様子だった。
「その手伝いって、何をすれば良いんだ?」誰かが雅臣に尋ねた。
「危ない話じゃあないだろうな?」また誰かが雅臣に尋ねた。
「今更何を危ない危なくないって言うんだ?」雅臣は少しニヤついて答えた。「大丈夫だ。今までそのエクステを着けていたのを放っておいていた事に比べると全然問題無い」雅臣の軽口にその場は少し和んだようだった。雅臣は良い感触を感じ話を続けた。「これだけの人数が居たら絶対に上手くいく。お前達を騙してこれを着けさせた奴にも一寸した仕返しが出来る。そうしたら俺がお前達に手伝って貰った、助けて貰った事を李に口利きしてやっても良いんだが」
「良いぜ。話してみろよ」ルイスが雅臣を促した。
「段取りはこうだ……」雅臣はその場に居る皆に計画を話し出した。




