奈落の男33
警察病院を退院した和美は、一度官舎の自室へ戻り身支度を整えると、PCX屋上駐車場に止めてあるスピーダーへと赴いた。スピーダーが偽装指揮車である事、課長からは笹野管理官がどう言った目的でメガフロートに臨場したかの説明が無かった事から、今回の案件は秘匿性が高い物なのだろうと和美は判断した。和美が近くまで来るとスピーダー側面のスライドドアが自動で開いた。「入りたまえ」これと言った感情も示さず、座席に座りプロジェクションゴーグルをしたままの笹野が声を掛ける。和美がスピーダーに乗り込むと再びスライドドアが自動に閉じた。車内は前方運転席、中央部、後方部と区切られており、中央部は複数のディスプレイとコンピュータ、記録用の機材やIASFIAが据え付けられている。車内後方に目をやるとガーディアンドロイドが六体、直立待機状態で係留されていた。笹野管理官以外に車内には人は居ない。これがどう言った事かを和美は理解する。笹野管理官は一人でこの偽装指揮車と六機のガーディアンドロイドと積載機材を操作出来る技能を持っていると言う事を。そして、本案件に笹野管理官以外の人員を割く気が本社には無いと言う事を。
「着席しなさい、離陸します」笹野管理官に促されて和美が空いてる座席に座ると、スピーダーはゆっくりと離陸した。
「今回の案件については以後、私の管理下外ではその捜査活動を行ってはならない。これは厳命だが」笹野管理官は形式的な捜査方針を告げる。
「はい」和美も同様にそれを理解し返答する。
「宜しい。それでは状況を説明しよう」笹野は車内に据え付けられているディスプレイに映像を表示させた。「このディスプレイには本案件で調査中のエクステの使用者位置情報をメガフロート最下層の地図上に表示している」提示された情報を目の当たりにした和美は本社の方でここまでの情報を掴んでおきながら、その情報の一端さえも今の今まで現場には一切降りて来ていなかったと言う現状に憤りに近い感情を覚えた。だが、その不満をこの場で顕にしても笹野管理官は毛ほども気に掛けないであろう事も、和美は理解していた。笹野管理官は更に機械的に説明を続けた。「そして昨夜から今朝にかけてこの位置にエクステ使用者が集まりつつある。荒川警部補、君にはここに捜査に向かって貰いたい」和美は笹野管理官が言おうとしている事を理解した。佐伯さんは今、他の者と同様にエクステを着用している。ならば、今エクステの反応が多く集まっているこの場所に居る可能性が高いのは当然と言えよう。
「笹野管理官は、ここに佐伯雅臣が潜伏していると思われますか?」和美は笹野管理官の意図する事を確かめるべく質問した。
「その可能性は高いだろうな」笹野管理官は答えた。「もし君が、それよりも効率よい捜査方法を提案してくれるのなら、それを検討するのもやぶさかではないのだがね」笹野管理官のこの物言いは、恐らく和美と雅臣の関係を疑っての事なのだろう。
「教えて下さい。このエクステは一体どんな物なんですか?」
「我々も概要しか掴んでいないのだが、エクステ使用者間で特定のアプリケーションソフトを使用する事による相互通信とデータの共用が出来る、と言う機能を持っている物だと思われる」もちろん笹野は嘘を和美に告げる。
「思われる、とは?」
「入手出来たエクステを用いた科捜研でのシミュレーションによって導き出された結果を元にしているのでね」
「位置情報を特定するソフトウェアは科捜研で作られたのですか?」
「いや、違う」そして笹野はきっぱりと言い放った。「そして、これ以上は君には聞く権利は無い」
「分かりました」
「ガーディアンドロイドを二体君に貸そう。IDを入力してコマンド操作出来る様に調整しておきたまえ」笹野はガーディアンドロイド調整用の入力装置とモニタグラス(ディスプレイ表示機能を持った透過型のサングラス)を和美に渡す。和美は自分の警察IDを調整装置から入力し、ガーディアンドロイドの各種オプション設定を入力していく。基本動作はモニタグラスからの脳波スキャンによる思考コマンドがガーディアンドロイドに送信される様に設定する。
スピーダーがO―183商業区画の外れに着陸する。打ち捨てられた周囲の建物からは人の気配は感じられなかった。最下層での度重なる暴動の所為で商業区画と言えどもゴーストタウン同然に成り果てたこの区画では、スピーダーのセンサに人間と思われる生命反応も、そのサイズの動体反応も検知されなかった。恐らくこの周辺は安全だと思われた。スピーダーの後部ドアと側面ドアが自動で開くと、後部から銃を構えたガーディアンドロイド二体が降り立ち、後部ドアは閉じた。まだコマンド入力を受けていないガーディアンドロイドは、基本自立行動パターンに基づきスピーダーの左右両側で死角を作らない様に銃を構えて周囲を警戒する。和美は側面ドアから車外へと降り立つ。
「エクステの位置情報はそのモニタグラスに表示される様に設定してある。行ってきたまえ」そう言うと、笹野管理官は側面ドアを閉めた。そしてスピーダーはそのまま離陸し、ゆっくり上昇しながら飛行高度に達すると彼方へと飛び去って行った。
和美はモニタグラスを装備する。モニタにはエクステ装着者の位置情報と方角が表示されていた。視界の左上部に通信呼び出しの表示が点灯する。和美はモニタグラスの通信回線を開いた。「通信簡明は良好ですか?」笹野管理官からの通信だった。
「簡明良好です」
「よろしい、回線はこのままで。状況報告は逐次願います」
「了解しました」笹野管理官は安全な後方から指示をする。予想はしていたが、こうも露骨に立場を明確に分けるのは和美の前向きなやる気を若干萎えさせた。和美は思考コマンドで二体のガーディアンドロイドに随行命令を出すと、エリアの奥深くへと進んで行った。
上空のスピーダーの中から和美の動向を確認した笹野管理官は、思考コマンドで引き続き周囲を飛行する様にスピーダーを操縦した。それと同時に三次元地図のデータで、この付近にエクステ使用者が取り囲んでいる件のビルに対して適度な距離で視線が通るビルを探していた。結果、該当するビルは三ヶ所見つかった。スピーダーは早速その中の一つのビルに向かうと屋上に着陸する。後部ドアが開いて重装備のガーディアンドロイドが屋上に立つとスピーダーはすぐさま次のビルに向かった。降り立ったガーディアンドロイドはそのまま屋上からビルの中に入り、窓から目標ビルの入り口付近が確認出来る部屋に向かった。無人のビルには障害になる物も無く、ガーディアンドロイドは問題無く部屋に辿り着くと、狙撃ポイントを確保して対物ライフルを構えた。次のビルにも同様にガーディアンドロイドを展開させると、最後に屋上から目標を確認出来るビルへと向かう。屋上にスピーダーを着地させると、笹野は三体目のガーディアンドロイドを狙撃ポイントに着けた。残り一体のガーディアンドロイドは自立行動でスピーダーが着陸した屋上を警戒する様に展開させる。
笹野は、展開したガーディアンドロイドがセンサで確認している情報を、プロジェクションゴーグル越しで確認しながら事態の推移を見守る事にした。




