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奈落の男  作者: HYG
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奈落の男31

 洋子は雅臣が眠りに落ちたのを確認してからパーソナルスペースに戻ると、多重起動しているアプリケーションウィウを眺めていた。洋子を中心として展開されているウィンドウスフィアにはあらゆる場所に仕掛けて置いたツールから送られてくる通信ログが次々と吐き出されていた。それはリアルタイムで、雅臣が入院している病院の周辺に設置されている公共の無線ネットワーク通信機器に仕掛けた解析ツールが、フィルタリングして表示するMMCIポート制御信号のログを送信し続けている。制御信号の通信量は今の所目立って増大していないし、通信内容も特に目立って変な物は見掛けられなかった。もし通信量が増大したとするならば、それはこの周辺で雅臣が使用しているエクステと同等の物が通信を行っていると推測出来た。更に、増大が観測された場合、可能であれば通信が増大した付近に設置されている監視カメラで、視覚情報もすぐに収集出来る様に仕掛けを施していた。これは、雅臣が現在いる地点が病院だと気付いた他の参加者が、ターゲットが入院して治療を受けている今がチャンスとばかりにポイントを稼ぐ為に接近してきた時に検知する為の仕掛けであった。一先ずはこれで問題無いだろうと、洋子は思った。

 洋子は、漠然と数秒間思考する。その思考は、雅臣がここ数日、数時間での雅臣の洋子に対する扱い方の変化について巡らされていた。明らかに雅臣が洋子の事を気に掛ける様になったからだ。洋子は、その変化になんとなく居心地の悪さを感じていた。洋子自身は今は単純に自分が楽しみたい為だけに、雅臣の意識にアクセスしている。そして、時には何か事件が雅臣の身に起こると、動画配信サイトの興味を引く様な動画を見る様な感覚で雅臣の身を通してそれを体感した気分になったり、時にはその事件を、雅臣の身を通してパズルゲームを解く様に解決する事が純粋に洋子にとっての娯楽に過ぎなかった。だから、雅臣が洋子に気を掛けた態度を取るよりは、素っ気なくぞんざいに接してもらった方が、気が楽だった。もちろん、洋子自身が当てにされるのは構わない。問題解決に対して何か要求されるのも同じ事だ。それを軽くいなすのもいわゆるパズルを解く楽しみの一つとなる。だが、それを雅臣の為に洋子自身が献身的に行っているのだと気を使われるのは気に入らない…… その洋子の思考は、雅臣の補助電脳経由で意識に勝手にアクセスして、雅臣の日々の生活を掻きまわす事への負い目が、洋子をそう思わせているのかも知れなかった。このイラつくような感じは洋子にとっては初めての経験だったのかもしれない(いや、初めての経験だったのだろうか?)。 洋子は今の自分がいつもの自分らしくないと把握し思考を中断した。今の自分の思考のノイズ、いや、感情のノイズを楽しむのは後回しにしよう…… そう考えると、いつも通りの思考に切り替えた。気の向いた事、楽しい事、やりたい事だけを、電気信号の赴くままに。それが最も自分らしいやり方。いつも通り、目の前の大きなパズルゲームに挑戦するだけだ。

洋子は気を取り直すと、この忌々しいMMCIポートの制御信号を、アラーム通知機能を持つ監視ソフトに任せて次に何をするかを考える。今、雅臣が呑気に低振幅不規則θ波やδ波を脳から垂れ流している間に、今後予想される危機的状況に対処出来る様に一通りの手を打っておいて、目覚めた雅臣に泣き付かれても問題無い様にして置くのも悪くは無いのだが、それだとただ単に都合の良い女みたいで気に入らない。そんな考えが頭の中に浮かんで、洋子は急に吹き出しそうになった。“都合の良い女”随分と有り触れた安っぽいメロドラマみたいな言葉だ。その言葉の響きを反芻しながら、洋子は取り敢えず使えそうなアプリケーションソフトを見繕って更に多重起動する。

 洋子はネットワークから警視庁が設立したサイボーグ部隊に関するあらゆるデータの検索収集を開始した。と言うのも、それは一つの推測に過ぎないが可能性としては十分にあり得たからだ。洋子が突破しようとしたMONONOFUの使っていたセキュリティコードが雅臣の提示したそれに酷似していたという事は、MONONOFUは実は警察関係者なのではないか、という事だった。そして、もしそうならばある部分の疑問は線で繋がる事になる。その疑問は、雅臣の言葉を借りるならば、件のエクステを使って〈出島〉の最下層に巣食う人間を駒にして行われているゲームが、何故今まで秘密裏に行われ続ける事が可能だったのか。そのゲームについて本腰を入れて捜査を開始したメガフロート署の署員が立て続けに二人も事故に遭っているのは何故か。雅臣はこの事に気付いているのだろうか? 雅臣自身からこの事を聞かれる前に洋子が情報を教えるのは何となく癪に障るが、この事を雅臣から聞かれた時に回答出来ないのは、洋子自身のプライドが許さない。

洋子は警察のサイボーグ部隊について情報収集を開始した。昨今のサイボーグ事情では、高度なサイボーグ化を行った人物は重要な官職に就く事は出来ないと言う暗黙の風潮があった。この風潮は政府機関に対するサイバー攻撃を警戒して二十一世紀後期に可決された俗に言う、公務員サイボーグ雇用制限法案――現在ではサイボーグ人権協会の働き掛けや、改正法案、付加条項が整備され法案自体が形骸化されている――の名残で現在でも、高い役職にサイボーグを置く公的機関はほぼ無いに等しかった。だが、警視組織で警備部だけは例外的に特殊部隊や機動隊にサイボーグ隊員を採用していた。その切っ掛けはメガフロート最下層ので何回か発生した不逞外国人達による大規模暴動で、この暴動鎮圧に参加して回復見込みが無いほどの負傷を負った機動隊員に対する配慮であった。洋子はMONONOFUもその中の一人であるに違いないと判断した。次に洋子は、サイボーグ部隊設立式についての警察公式発表から、サイボーグ手術に携わった医療機関の情報を追った。その結果、国立城南大学医学部付属城南病院が浮かび上がった。最後に洋子は、城南大学に手術用のサイボーグボディを納品したメーカーを洗い出す。これも警察の備品調達情報とそれに該当する納品メーカーから簡単に突き止める事が出来た。メーカーの名はミツツルギ工業。国内屈指の工業メーカーである。ミツツルギ工業はガーデァンドロイドを警察に納入しているコマツ社の親会社である事でも知られていた。洋子は普段自分が興味の無い情報が、今回の雅臣のサポートで徐々に自分の所有するデータベースの中に系統だてて蓄積されて行くのを面白く感じた。そして、こうして逐次形成されていく情報の網の目がいずれまた洋子自身を助ける武器になる事も理解していた。こうして三ヶ所の調査対象が浮かび上がってきて次に行う行動方針が決まったが洋子はしばし沈黙した。

『これはちょっと厄介だわ……』

これ以上詳細な情報を追うには、警察、国立病院、そして国内屈指の大企業を相手にする事になるのだ。このまま正面からこの三ヶ所の調査対象にハッキングをかけるべきか否か。洋子は思い悩んだ。この様なハッキングを正面から行う力技は洋子が最も得意として、最もエレガントではないと思うやり方だからだ。もう少しこの対処方法悩んで――遊んで――いたかった。他のスマートなクールな方法を閃いて達成する方が爽快感がある。だが、それを考える時間は無い様だった。パーソナルスペースに展開しているアプリケーションの一つが雅臣の付近のMMCIポート信号通信の増大を知らせた。洋子は素早くそのウィンドウを手繰り寄せて表示内容を確認する。増加した通信トラフィックのログは、その一部が雅臣のエクステに通信しているのを表していた。洋子はすぐさま雅臣のエクステのプリケーションをモニタしている別のウィンドウを手繰り寄せ確認する。そのウィンドウ内に表示されている雅臣の情報は書き換えられていた。雅臣が保持するポイントが増加していたのである。これは、他のエクステ使用者が雅臣をターゲットとして処理した場合に入手出来るポイントの増加を示していた。

洋子は、更に面倒事が増えたのにうんざりした。取りあえずは、雅臣のポイントを上昇させたコマンド実行データログから固有識別子を記録し、後でコマンド実行者特定に利用する為に使おう。モニタ上では他に特に動きは無かった。時間をかけている余裕はあまりないと思った洋子はもう悩むのを止めて、久しぶりに量子コンピュータ“ファリス”――洋子を電脳女王足らしめる力の根源――にアクセスした。

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