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奈落の男  作者: HYG
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奈落の男29

 荒川和美警部補は微睡の中、何者かの呼びかけを聞きゆっくりと目を開く。暗い室内で視界外から聞こえる電子音、ベッドの感触、消毒薬の匂い……

「荒川警部補、起きたまえ」聞き慣れた口調、山崎課長の声だ。和美はハッキリと目を覚ました。そして、自分が今どの様な状況に置かれているかも瞬時に思い出した。「気分はどうかね?」

山崎課長の問いかけに、「大丈夫です」そう答えてから、和美は貫頭衣姿の自分の体に違和感や痛み等を感じ無い事に気づいた。それが各所に貼付けられているナノマシンパッチの効能だと理解するのも容易だった。

「こちらは本庁の笹野管理官、君に聞きたい事があるそうだ」説明する山崎課長に何処となく釈然としないと言った態度が現れており、恐らく二人がここに来るまでの間舌戦を繰り広げたのであろう事を和美は容易に想像出来た。

「笹野です」そう名乗る男は、ピシッとしたスーツ、恐らく合成では無い本物の皮を使った革靴、そして顔の大部分を覆ってしまい口元しか見せないプロジェクションゴーグルと言った出で立ちだった。「昨日まで君が捜査していた出所不明のエクステに関する案件ですが、本庁が捜査を引き継ぐ事になりました」笹野管理官は無感情に話を続ける。「この案件は以前から本庁の方で内偵を進めていた物で、これを機に捜査を一本化する事になったのです」和美は黙って説明を聞いていた。笹野管理官のこの遠回しな物言いはまだ話が本題に入っていないと感じたからだ。そして、その推測は間違ってはいなかった。「なので私は今一度、ここで情報の共有化を行い認識の一致を図りたい」笹野管理官は説明を一旦締めくくった。

「具体的には?」山崎課長が尋ねる。

「そうですね、本件に対するそちらの対応は報告書を参照したので概ね理解しています。なので報告書に記載されていない詳細について荒川警部補について聞きたいのです。そう……」笹野管理官は和美の方に向き直って尋ねた。「君が個人的に接触を図った佐伯雅臣なる人物について。彼は君とはどう言う関係なのですか?」そして、間を置いて付け加える。「それと、この質疑は正式な捜査記録とされますので、そのつもりで」

和美は、出来るだけ正確に答える様に務めた。「私が個人的に事件捜査について助言を受けただけです。彼は元刑事で私の教育担当官でもありました」

「個人的な?」

「はい」笹野管理官の疑問に対して、和美は神妙な面持ちで答える。

「佐伯雅臣が件のエクステを使用していた事について、君は何か知っていましたか?」

笹野管理官のこの質問に和美は動揺した。久しぶりに面会した佐伯さんは、うらぶれていた様子ではあったが、尊法精神まで失っているかの様には見えなかったからだ。それにもし、件のエクステを利用していたと仮定して、予告もない私の来訪に対してその素振りを全く見せずに応待するのはほぼ不可能ではないのか。「いいえ、知りません。今初めて聞きました」

「本当に? 嘘はついていない?」笹野管理官が念を押す。

「おっしゃる意味がよく分かりませんが……」

「君が個人的に親しくしている彼が、実は本件についての容疑者だった、と言う事を君は隠し立てしてはいませんか?」和美はようやく笹野管理官の質問の意図を理解した。笹野管理官は根本的な事件の解決を望んでいる訳では無いのではない、と言う事を。「そんな事はありません、それは何かの間違いではないのですか?」和美は会話の空気を探る様に答えたが、笹野管理官は、和美の回答を意に介さず話を続ける。「これは、現場で佐伯雅臣を拘束しようとした突撃捜査員の画像記録です」そう言いながら、胸ポケットから取り出した映像表示用携帯端末の画面を和美に見せた。和美は画像を確認し愕然とした。

「彼が装着しているエクステは、明らかに本件で問題になっている物で間違いありませんね?」笹野管理官は淡々と質問を続ける。

「はい……、間違いありません……」和美は消え入る様な声で答えるしかなかった。

「この後、彼は捜査員の手を振り切って逃亡しています」笹野管理官はさらに事実を付け加える。和美は、現在何がどう起こっているのかを頭の中で整理するので精一杯だった。きっと違う、何か事情があるに違いない。そう思っても、今提示されている状況証拠の全てが、それを覆せない巨大な落盤の様に和美の頭上に降りかかって来ている。

「あなたは自身の携帯電話で彼に連絡を取ろうとしました、間違いありませんね?」

「間違いありません」

「彼の逃亡を幇助しようとしたのではありませんか?」

「それは違います!」

「それを証明する物は?」

「それは……」反証を上げる手立てが無いのは和美自身が良く理解していた。そして、今の状況は恐らく笹野管理官が想定している――書き上げた――シナリオ通りなのであろう事も。

「証言の裏付けを取る為に脳紋鑑定による尋問を……」笹野管理官はそう言うと和美の様子を窺った。彼女は憔悴していた。「実施しようと思ったのですが、今は止めにしましょう」この笹野管理官の言葉に山崎課長は安堵した。同じく、和美も。

「今現在あらゆる可能性を視野に入れた場合、私が考えている本件の容疑者の一人に佐伯雅臣が含まれている事は動かしようがありません。しかし、本件を捜査していた君は、それは違うと言う証言をする。それならば、あらゆる角度からこの事件を見ると言う点でその可能性も考慮に入れる必要もあると私は判断しました。なので……」笹野管理官は言葉を区切って二人の反応を窺いながら続けた。「荒川警部補、君が考えている佐伯雅臣像が正しいと思うのならばそれを捜査で証明してみろ!」

「はい!」和美は笹野管理官の言葉に返礼した。

「では、荒川警部補、君は今後の捜査で私の補佐に就いてもらう。山崎課長、問題ありませんね?」

「ありません。手配します」

「荒川警部補は準備が出来次第、私の元に来る様に。時間は今日の正午までに時間厳守で。私は本庁の指揮車で、引き続き本件についての情報を精査します」

「分かりました」

「以上です。後は宜しく」笹野管理官はそう言い残し、経過を確認しに来た医師と入れ替わりに集中治療室を後にした。

 和美は安堵し、容体を確認しに来た医師の質問にも生返事で答えた。



 笹野はスピーダーに戻ると、本件のエクステをモニタ出来るプログラムを、プロジェクションゴーグルで起動した。これは、上層部より下命された際に渡された物で、このプログラムを使う事によって、エクステの使用者リストや使用者の位置情報、使用者生存率で行われている賭けのオッズの参照、そして使用者生存率で行われている賭けへの参加等が出来る様になっていた。笹野は、佐伯雅臣が潜んでいると思われる位置を確認した。その座標は最下層のO―183商業区画から動いていなかった。次に笹野管理官はアプリケーションの口座に機密費――と称されるプールされた裏金――の一部を入金するとその金を使って佐伯雅臣への賞金額を釣り上げた。

『早ければ今夜中にカタが付くだろう』そう思うと笹野は事の推移を見守るべく、モニタに注視した。

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