表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奈落の男  作者: HYG
3/43

奈落の男2

 雅臣は辞職後に住処を〈出島〉の最下層部に移していた。辞職した時に官舎を出る必要があったし、今は身寄りも特にないからだ。出身地に戻る事も考えたが、過疎化による就職難がそれを踏み留まらせた。雅臣にとって〈出島〉の最下層部はうってつけだった。ここなら他人に干渉しようとする人物も、外から尋ねてくる人物もそういない。それが、住処をここに移す決め手でもあった。その選択による結果、酷い屍をさらす事になろうともだ。幸い住処の家賃はタダ同然で、忙しい職務で使う暇が無く溜まっていった銀行口座の預金と、毎月振り込まれる障害者退職手当で支払うに十分だった。雅臣の住処はお世辞にも、良い居住環境とは言えない。室内の除湿機はフル稼働にしないとならないし、波の音もうるさい。篭った空気に、錆の臭いとそこはかとなく混ざっている潮の臭い。だが、ここを出て下界に出るには、迷路のような通路をひたすら歩くしかない。そして、雅臣は週に一度しか外出しようとはしなかった。

『今日もいつも通り?』洋子のアバターが、雅臣の脳に話しかけるが、雅臣は答えなかった。『まぁ、良いわ。でも、今日はいつも通りの日にはならないわよ』

『どう言う意味だ?』さすがに、洋子のこの意味深な発言には反応せざるをえない。

『その原因がもうすぐ……』と同時に、入口の金属製ドアをノックする音。『ほら』

誰だろう?近所の連中だろうか。この辺には回覧板を廻す習慣は無かった筈だが。

『誰だか判るか?』洋子に尋ねる雅臣。

 雅臣が洋子をそれとなくハッカーと推測している理由の一つに、洋子がこの様な雅臣の疑問になぜか的確に答え、そしてそれが大抵の場合は正しい事がある。

『女一人と、ドロイドが一機』この答えに、雅臣は大体の察しがついた。洋子は構わず続ける。『ドロイドはコマツ社製人型ドロイドT―02ね。警察が採用してるヤツよ。女は、私服だけどT―02を連れてる所を見ると……』

『もういい、分かった。黙れ』洋子の説明を雅臣は遮る。更にノック。今の時間は、もうすぐ午前が終わるくらいだ。なら、令状を持っての捜査にしても、任意事情聴取による連行にしても時間が遅すぎる。そして、ドアは拳銃弾くらいなら貫通しないだろう。雅臣は入口の方に向いながら、尋ねる。

「誰だ、アポは取ってるか?」

『あなたの今日の予定に人との面会はない……』

『いいから、黙ってろ』洋子がジョークにもいちいち指摘を入れてくるのは、正直辟易していた。

「佐伯さんのお宅でしょうか?」外から尋ねる女の声は、聞き覚えがあった。

「そうだ。あんた誰だ?」ドア越しに聞き返す雅臣。

「お久しぶりです。荒川和美です」雅臣は納得した。荒川和美は、雅臣が捜査官だった頃に教育を担当した事が有った巡査部長だ。三重ロックを外してドアを開ける。

「久しぶりだな、荒川巡査部長」

「お久しぶりです、佐伯さん。それと私、警部補になりました」ちょっと得意げに、ホログラムの身分証を提示する和美。

「これはこれは、失礼しました。荒川警部補殿」微笑む雅臣。「任意同行の要求なら断るよ。

令状を持って来いよ」崩した表情から、きっぱりとした物言いをする雅臣に、和美は面喰ってしまった。

「違います。聴取です」

「どっちでも、同じだよ。令状を持って来い」雅臣は教育担当官だった時の事を思い出していた。さて、和美はどう切り返すだろうか。

「判りました。でも本当に令状取ってきても良いんですか?」雅臣は感心した。状況がどうあれ、即座に判断し対応する能力は上がった様だと。ただ、回答としては満点とは言えなかった。令状をもって再度来訪する警官を待つ犯罪者は居ないからだ。

「真面目に言ってるのか?」 雅臣は今のやり取りの悪い点を指摘しようとした。

「冗談ですよ」悪びれずに、いたずらっぽく答える和美――度胸は身についた様だな。やれやれと言った仕草を見せる雅臣。

「そりゃ、良かった。こっちも冗談だったからな。ともあれ、中に入れ。そこにいつまでも居られると何かと都合が悪い」

 事実、近所の後ろ暗い連中がこちらを注視している。この辺の連中が警官に有効的とはとても思えない。中に入る和美とタナカ。

 室内はお世辞にも綺麗な部屋とは言えないと、和美は思った。脱ぎ散らかした衣類、床に転がっている酒瓶、ゴミ箱に強引に詰め込んであるゴミ袋、そして、除湿機がフル稼働しているのに少し湿っぽかった。まるで映画に出てくる様な犯罪者の典型的な住処みたいだった。「それにしても、俺の個人情報保護は一体どうなっているんだ。ここは居心地が良いんだ。俺がここに住めなくなったらどうするんだよ」雅臣は急な来訪者に悪態をつく。和美は、表情には出さなかったが驚いていた。在職時には判で押した様な捜査官だった佐伯雅臣元巡査部長の発言とは思えなかったからだ。業務中も、私生活でさえも捜査官らしかった、あの佐伯さんが……

「私も、こんなやり方は嫌いなのですが、服務規程上止むを得ないので」動揺を隠しつつも、和美は理解を示そうとしていた。

「で、俺は一体何の容疑でお前の聴取を受けなければならないんだ?」

「公人の捜査としてではなく、知人の来訪って事で良いじゃないですか」その場を取り繕おうとする和美。「容疑者と言う訳ではないです。個人的に今扱っている事件について意見を頂こうと思って」恐らく和美の行っている事に嘘は無いだろうと、雅臣は思った。

「なら、そいつのレコード機能を止めてくれないか?」雅臣はタナカの方を促す。

「タナカ、スタンバイモードで待機して」動きを止め、スタンバイモードになるタナカ。

「よし、それじゃ、話を聞こうか」雅臣は、久々の知人との面会で若干の情緒不安定に陥っていた。〈出島〉に移り住む様になってからは、極力知人との連絡を絶っていたからだ。落ちぶれた姿を、弱くなった自分の姿をさらすのが嫌だったのも理由の一つではあったが、それよりは厄介な洋子の存在が多くの原因を占めている。だが雅臣は、それを悟られない様に努めていた。俺は、辞職しても荒川和美警部補の前では教育担当官だった、あの頃の佐伯雅臣巡査部長でいなければならない。雅臣はそう考えていた。そして雅臣は、次第に捜査官時代の頃の思考を取り戻していった。

「佐伯さんが扱っていた事件に、何かしらの共通点が見出せるかもと思いまして」和美はエクステの記録画像を雅臣に見せた。「見覚えありませんか?」

「いや、見た事のないタイプだが。しかし、このタイプのエクステは違法品としてならゴロゴロあるだろう。俺が過去に作成した報告書に目は通しているのか?」

 佐伯が辞職前に扱っていた事件は違法ドラックウェアの摘発だった。違法ドラックウェアは、使用者が補助電脳に装着する事によってある一定期間、脳内麻薬物質の過分泌を促す様に補助電脳に働きかけるプログラムを持つエクステだ。一定期間の効果を無期限にする様に、ウェアの内部のプログラムを改竄して使用した場合にセキュリティが働いて、装着使用時に写真の様に使用者補助電脳に過電流が流れる場合がある。和美が答える。「見ました。共通点としては、接合部分とエクステ内部の過電流による燃焼と、エクステに使用されている部品は出所不明だったという事ぐらいですが」

「ドーパミンと、エンドルフィンの血中濃度は異常値を示していなかったか?」違法ドラックウェアの場合、これらの脳内麻薬物質が過剰に分泌されるので、血液検査である程度の目星は付く。だが、雅臣の質問に対しての和美の回答は以外なものだった。或いは、予想通りか。「示していませんでした」和美は答えた。

という事は、俺の扱っていた事件とは別物か。雅臣は考える。単なる事故なのだろうか。だが、何か引っかかる物があると……

「画像をもう一度見せてくれないか」

「良いですよ」和美が提示する画像を再度、今度は入念に見る雅臣。「材質は何だ。見た所、アルミ合金の様に見えるが」

「そうです。有り触れた素材なので、捜査対象が多すぎて特定出来ていませんが、市販の物を流用している様ではないので、恐らく、それなりの金属加工技術を有する個人か、或いは特注品かと思われます」和美は、自分の見解を答えた。捜査に際して先入観は捨てるべきだが、情報が少ない感は否めない。雅臣は続ける。「捜査の進捗状況はどうなっている?」

「それが、芳しくないんです……」バツが悪そうに答える和美。「一番新しい死体は本日発見されまして、それで被疑者は推定で六人目になります……」和美は、叱責を覚悟していた。しかし、雅臣の態度は予想外だった。

「……。五件、或いは六件の共通事項はないか? 人種、性別、年齢層や、発見場所、何でも良い」予想外の雅臣の質問にあわてて答える和美。

「じっ、人種は不特定だと思います。〈出島〉の人口比率からアジア人が多いですが、日本人も居ます。性別は全員男性です。年齢層は二十代から四十代の範囲で、死体は五件が〈出島〉下層部、六件目は中層部で発見されています。五件は〈出島〉の清掃業者からの通報で、六件目は匿名の通報で発覚しました」

「補助電脳はどうだ? 全員、補助電脳を使用していた筈だ」

「先の五件は未登録の補助電脳でした。六件目については、調査待ちです」

「未登録の補助電脳って事は、大陸製か?」

「全部ではありませんが、一部はそうです」

何か、見落としている点はないか。雅臣は自分で考えた内容を整理して、自分に言い聞かせるかの様に話し出した。「違法ドラックウェアの場合、写真の様な状態になるのは内部設定をいじった場合だ。それがトリガーとなって使用者を殺す。だが、脳内麻薬物質の血中濃度から考えると、これは違法ドラックウェアとは違う物かも知れないと仮定出来る。そうなってくると、内部設定も違法ドラックウェアとは違うんじゃないか。仮にそう考えた時、使用者を殺すトリガーは何だと思う」雅臣の説明について、和美は理解出来ていない様だった。構わず続ける雅臣。「いいか。このエクステは何故、使用者を殺す必要がある。違法ドラックウェアとは別物だと仮定した場合だ。違法ドラックウェアでないならば、違法性は高い別物のエクステである可能性はないか」

雅臣の説明をここまで聞いて、和美はやっと理解した。違法ドラックウェアは使用者の使用動機が理解出来る。中毒者だからだ。だが、このエクステは、そうではないと仮定した場合、使用者の使用動機は何だろうか、使用目的は、使用者を殺す条件を使用者は理解して使用していたのだろうか。違法性のあるエクステであると理解して使用していたのだろうか。自分を殺すかも知れないエクステを、中毒者でもない使用者が使用する動機は。

「なんだか、少し分ってきた様な気がします」そう答える和美からは若干、疲労が見て取れた。

「よし、もう帰れ」そう言われて和美はここに来てからもう二時間近く経っている気がついた。「また、ここに来てもいいですか?」

「二度と来るな」素っ気なく答える雅臣に落胆した表情を隠さない和美。「誤解するな。要望するなら捜査には協力してやる。だから、何か聞きたい事があったら携帯に掛けて呼び出せ。そこに俺が出向く。自宅での聴取は御免だ」携帯電話の番号を書いたメモを渡す雅臣。「ここでそれを入力して行け。終わったらメモは返せ」はっとする和美を促す雅臣。「早く入力しろ」

急いで番号を入力しメモを返す和美。雅臣はメモをゴミ箱に捨てた。タナカのスタンバイモードを解除し終えた和美が雅臣に言う。

「本件の捜査協力として、ひょっとしたらある程度の謝礼が出来るかも知れませんが」

「今日の分のそれは不要だ。だが、この事件で公開情報提供を呼びかける様になるんなら賞金は高めにしておいてくれ」

「それは出来ません」和美は背後のタナカを指し、片目をつむる。納得した雅臣もハンドサインで返す。

「じゃ、気をつけて帰れよ」雅臣は和美を促す。和美は雅臣に尋ねる。「復職はしないんですか?」だが雅臣は首を振るだけだった。

「今日はどうも有難うございました」和美とタナカは雅臣の住処を後にした。

雅臣は今日この後どうするか考える中で気がついた。そういえば事件について考えている間、洋子はまったく出てこなかったな……

『呼んだ?』そう思ったとたん現れる洋子。全く、考えたとたんこれだ……

『お前にしては、珍しく邪魔しなかったな』

『だって、邪魔したらメッチャ怒るじゃん』

その通りだ。その、らしからぬ洋子の気遣いに雅臣は苦笑した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ