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奈落の男  作者: HYG
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奈落の男28

 東京湾上空を新見輸送㈱の大型スピーダーが、メガフロート方面へと飛行する。この輸送用大型スピーダーは外観こそ新見輸送㈱の車両となっているが、実際その様な運送会社は登記簿上でしか存在せず、実態は警視庁で所有する特別任務用の車両であった。このスピーダーは特殊捜査で必要となる指揮所の役割を果たし、捜査用の器材や通信機器の他に、完全武装のガーディアンドロイドを六体積載する事が可能となっている。このガーディアンドロイドは、予め命令された自立捜査行動が可能な事に加えて、スピーダーからの遠隔操作による行動も行える。笹野貴俊管理官は、東京湾上空を自動飛行するスピーダー後部座席でプロジェクションゴーグル(越しに上層部から手渡されたファイルを参照していた。そのファイルは、先程〈出島〉のPCXで発生した警官狙撃事件の経緯についてだった。事の発端は狙撃された警官が、とあるメーカー製サイバーウェアが引き起こしている連続不審死事件についての詳しい捜査を開始した事にあった。この“とあるメーカー”は警察上層部が便宜を図っていた米国のサイバーウェアメーカーで、上層部の連中とメーカーとの間で後ろ暗い取引がされている事はごく限られた者しか知り得ない事実だった。メーカーは〈出島〉の最下層部を利用したあるサイバーウェアの実地試験を行う事を警察が黙認する見返りに、警察上層部に多額の謝礼金を渡していた。その取引に綻びが出来た原因はイレギュラーの発生――〈出島〉最下層住人以外の実地試験への流入――だった。これには〈出島〉での実地試験監視役兼、汚れ仕事請負に噛んでいる愛染会系暴力団、端島組の仕業だと言われている。試験に参加する被験者には報酬――いわゆる口止め料――が与えられる事になっているので、金に困っている人間を集めるのは簡単だからだ。彼等にはそろそろ釘を刺しておく必要があると、笹野は思った。彼等自らの不手際で出来た綻びから、今回の様な大胆な狙撃事件を起こされては本末転倒だ。そもそも、食い詰めた活動家の中村を試験に招き入れたのも端島組だ。そして中村が金目当てに被験者として参加し、死亡した時にエクステを付けた状態で発見されたのが事の発端ではないか。端島組からは、内通者の情報により捜査に当たっている警官を、警告の意味を込めて狙撃。狙撃実行犯は端島組に雇われているロシア人で、通称“イワン”がこれを行った、との報告があった。警告の意味で、と言うのは理解出来るのだが、本来汚れ仕事と言う物は目立たぬ様にやるものだ。事後処理をどう行うか。それはいつもの上層部からの指示と変わらなかった。“迅速かつ秘密裏に”だ。笹野は思考の何処かで警戒アラームが鳴り響いている感覚を覚え、そのアラームを分析する様に思考を巡らせた。仮に今、起こっている問題を危なげ無く解決したとしても今後も同じ様な綻びは生じてくるだろう。そして、次に問題が発生した時に同様に問題解決が出来るかと言うと、それは甚だ疑わしい。現に今、こうして臨場する事で現場の本庁に対する反感はさらに悪化すると思われる。いくら媚薬を嗅がせてあるとは言え、閑職にも等しいメガフロート署の署長がいつまでも本庁の幹部連中に対して従順でいるかどうかも怪しい。せいぜい、乗り換える船はいくらでもある。その程度の認識で本庁の指示に従っているだけかも知れない。その考えに例えるならば、さながら今、笹野自身が乗っている船は氷山に追突して沈没した豪華客船の様に思えた。自己の利益のみを追求して肥大化し、小回りも効かず、明確な方向性もない運命共同体。そしてそれは、絶対に正しい方向へは進んでいないのである。

 笹野はそろそろ潮時かも知れないと思った。将来必ず訪れるであろう事態の崩壊で、詰め腹を切らされるのは得てして組織の下で働く人間の役割である事を理解しているからだ。ならば椅子取りゲームで自分の椅子が無くなる様な事態を避ける必要が有る。そしてその足掛かりを今回の任務で掴んでおいても損は無いだろうと。笹野は参照したファイルをプロジェクションゴーグル内の記憶領域にコピーすると、ファイルが入ったマイクロメディアを初期化し、それを上着のポケットに入れた。

 スピーダーがPCX本棟上空でゆっくりと旋回を始め着陸シーケンスに入った。そしてサーチライトに照らされながらゆっくり降下し本棟の屋上駐車場に着陸する。スピーダーはそのままオートで屋根のある駐車スペースへと滑り込みエンジンを停止した。笹野は、プロジェクションゴーグル越しに周囲を確認すると、スピーダーのドアを開けた。下車する笹野のもとに搭屋からメガフロート署署長と副署長が歩み寄る。

「ご苦労様です、署長の岸原です。彼は副署長の宮本です」

「ご苦労様です、管理官の笹野です」型通りの挨拶の後、辺りを見回して笹野は尋ねた。「刑事課の課長はこの場には居ないのですか?」その言葉に不満を隠そうともしなかった。

「警察病院の方におります。部下が狙撃された訳ですから」署長は取り繕う様に答えた。

「その狙撃された警官の命に、別状は無いのでしょう? ならば私への現状報告を優先して貰わないと困るのですが」笹野はワザと相手の不快感を煽る様に続けた。これは、笹野が本庁の代表として臨場して来ている事を理解させる為でもあり、相手が良い警官であるかどうかを見極める為でもあった。そう、部下思いの良い警官ならば今回の笹野の様な汚れ仕事には不向きであろう。仮に、任務にアサインする必要性が生じたならば慎重に扱わなければならない。だが、そうした取引に転ばない良い警官は今の世の中では貴重な存在なのだ。

「現状報告についてはこちらのファイルに記載されています」署長はマイクロメディアを取り出して答えた。

「このファイルを作成したのは誰ですか? それから内容について説明出来る人物は?  署長、貴方は説明出来ますか?」笹野はマイクロメディアを署長から受け取ると、プロジェクションゴーグルに差し込みファイルを展開する。笹野の視界内にファイルが展開表示される。

「はい、一通り目は通しておりますので説明は私が致します。ファイル作成者は刑事課の課長です」署長の説明を尻目に笹野は展開されたファイルを確認して概要を理解した。どうやら本件についての捜査はまだ本格的に開始された訳では無い様だった。これならば捜査に着手した警官を狙撃する必要はなかったではないか。笹野は小心者が引き起こした現状に苛立ちを感じた。「現在、メガフロートに展開している突捜は、要所要所の検問の強化に回して下さい。港湾施設、連絡橋、リニアエレベータや主要階段を重点的に。洋上の警戒は海上保安庁と連携してこれを行って下さい」そしてその苛立ちを隠そうともせずに、署長に捜査内容の変更を依頼した。

「それではみすみす犯人を取り逃がす事になるのでは?」当然ながら署長は反対意見を具申する。だが笹野はこれをキッパリと切り捨てた。

「本件は以前から本庁で内定を進めていた案件です。それも、とてもデリケートな。良いですか? 今現在、詳細を知らない貴方達に本件を掻き混ぜられては困るんですよ」

「……」笹野のハッキリした物言いに署長は何も言う事が出来なかった。副署長に至っては、この緊張した両者のやり取りを単に傍観だけの己の立場が、さながら針のムシロの上にいる様な感覚だった。笹野はこの場の主導権を握るべく諭す様に続ける。

「署長……、もちろん貴方の立場は十分に理解しています。貴方の部下が貴方の目と鼻の先で襲撃されているのに、横槍が入って何も捜査出来ない立場にいる。これでは現場にも示しがつかないし、貴方の責任能力についてとやかく言う輩も出てくるでしょう。それに関しては、私も貴方の心中をお察しします。ですが、これは本庁の決定事項で決して覆る事が無いのです。理解してご協力下さい」

「……分かりました」署長もこれ以上の反論は無意味だと理解した様だった。もっとも更に食い下がる場合は、笹野が切るカードによって署長が窮地に陥る事を彼自身が理解しているのだろうとも思われた。

「よろしい。刑事課の課長と被害者の刑事、双方に話を聞きたいので病室へ案内して下さい」三人は屋上塔屋からエレベータに乗り込んだ。

 警察病院二階にある集中治療室はそのフロアのほぼ半分以上の広さを占めており、通常時で八人、最大時で十人の重篤患者を同時に収容出来るだけのベッドがある。ここに入院す患者は意識が無い場合が多く、医師や面会人が病室内に入る時以外は天井照明が消されている為、作動している各種機器のランプやモニタが寒々しく灯っている。病室の入り口脇にはこれら入院患者の健康状態をモニタする為の看護師詰所が階のエレベータホールと病室の間を繋ぐ様に存在し、三人の医療機器に関する専門資格を持った看護師が二十四時間、三交代で詰めており、担当医師との連絡係も兼ねている。ここの患者は最先端の高度な医療技術による治療が施されるので、大抵は二十四時間程で重篤状態を脱し一般病棟に転送される事となる。荒川和美は、この集中治療室で医療用ナノマシンパッチによる治療を受けていた。医療用ナノマシンパッチは張り付ける事により患部にナノマシンが浸透し、損傷した体組織を再構築する。この急激な体組織構成による身体状況を監視する為には、専門の医療用スキャナが必要となる。スキャナはナノマシンの誤作動警告や、患者のバイタルサイン等を視覚情報として看護師詰所の監視モニタに表示し、患者の治療進捗状況を看護師に知らせる。

 刑事課の山崎課長は、エレベータホールにある椅子に座り荒川警部補の治療が終わるのを待つ間――緊急治療に使用する高性能ナノマシンパッチを使用しているので、治療自体はそろそろ終わる時間だった――現状を自己分析してみたが、どう考えても今回の荒川警部補の狙撃は合点のいかない点が多いのでは、と判断した。警察に対する不満分子の恣意行動にしても、荒川警部補が担当している案件に対する報復等にしても、はたまたは、荒川警部補に対する怨恨の線で考えてもだ。それぞれの事案と照らし合わせた場合の犯罪を犯すリスクが割に合わないのだ。だとすると必然的に、この不可解な狙撃事件には裏があるのではないかと推測出来てしまう。偶然とは言え、二人の警官が時期を近くしてあわば殉職となる所だった。これは刑事課の捜査力を低下させる為の犯行だったのではないか。

 エレベータのドアが開き、署長、副署長、笹野が降りた。山崎課長は立ち上がりそれを注視する。「彼が刑事課の山崎課長です」署長は笹野に説明し、山崎課長の方へ向き直る。

「山崎課長、こちらが本庁の笹野管理官です」

「刑事課の山崎です」敬礼をする山崎課長。

「本庁の笹野です」笹野も同様に対応する。「早速ですが事件の現状について、貴方が認識している範囲で結構なので説明して下さい」そう言いながら笹野は署長の方に向き直る。「御二方はここまでで結構です。ご苦労様でした。仔細は彼と詰めますので」署長と副署長は憮然とした態度でその場から立ち去った。

「この度の荒川警部補狙撃事件については、現在捜査を開始したばかりなので詳細についてはまだ何も情報が得られていません。また、荒川警部補がなぜ狙撃されたかについての背後関係についても現段階ではまだ捜査中の段階です」山崎課長は率直に答えた。

「……」少しの沈黙の後、笹野は山崎課長に尋ねた。「と言う事は、君は本件については何も知らないと言う事ですかね?」

「それは……」

「他に何か報告する事は無いのですか?」

「荒川警部補が狙撃された直後に、自身の携帯電話で連絡を取ろうとした相手を重要参考人として捜索中です」

「その人物の特定は出来ているのですか?」

「名前は佐伯雅臣、三十三歳、男性。半年前に退官した元刑事で、メガフロート署の刑事課に所属していたとの事です。生憎、私の前任者の部下だった様で私自身は彼の詳細は知りません」

「それで?」

「これが佐伯雅臣の顔写真です。突捜の隊員が彼を発見して任意同行を求めた際に撮影した物です」山崎課長は突撃捜査員の記録した映像から作成した写真を笹野に手渡す。

笹野は渡された顔写真を確認した時に、雅臣が装着していたエクステが写っているのを見逃さなかった。「なぜ彼は連行されてこなかったのですか?」

「隊員が遭遇した際に、強化服がソフトウェア系の機能不全を起こした為、取り逃がしたと報告されています」

「にわかには信じられませんね」

「ですが事実です。同隊員達の強化服稼働ログを確認しても同様のエラーが見受けられます」笹野はファイルの該当箇所を確認する。エラーログには改ざんされた形跡は見られなかった。

「概要は把握しました。では改めて宣言しましょう。本件の捜査は本庁の管轄下に入ります。山崎課長、君は私の捜査行動に対してこれを全面的に支援する様、要請します」

「分かりました」

「それと……」笹野はさらに付け加える。「荒川警部補、彼女を私の指揮下に加えますのでその様に手配して下さい。よろしいですか?」

「彼女の治療も時期に終わりますので問題ありません」

「今から彼女に質問したいのですが」

「そちらも手配しましょう」

「併せて脳紋鑑定機(視覚情報や聴覚情報を鑑定対象者に入力する事で得られる脳記憶野への電気信号通信を測定する装置。意識下の記憶や無意識下の記憶にアクセスする時の脳内電気信号も計測するので、入力情報の組み合わせで完璧な尋問が可能となる)の準備もお願いします」

「脳文鑑定機ですか? それは……」山崎課長は言いよどんだ。

「どうかしたのですか?」笹野はその反応を予測していたが、言葉を促す。

「管理官は質問がしたいのですか? それとも、尋問ですか? それではまるで容疑者扱いじゃないですか!」

「準備はしておいた方が良いと言う事です。使うかどうかは私が判断します」

「……分かりました」山崎課長は苦々しく思ったが、今はまだ抑えようとも思った。本庁から来たこの男の不遜な態度や傲慢な振る舞いは取るに足らない事だ。自分の部下を不当に容疑者扱いする事に比べたら些末な事でしかないと。「病室に案内します」山崎課長は笹野と共に看護師詰所に入った。

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