奈落の男25
プライベートボックス666には無味乾燥とした内装と入室者に合わせて二つの椅子がグラフィック作成されていた。神田と№6のアバターはそれぞれの椅子に腰かける。
『それじゃ、話してくれないか』神田は№6を促した。
『実は、君が話してくれた今回の件は、ある意味俺の仕事でもある』
『それはどう言う意味だ?』
№6は思考した。俺は、このエクステを知っている! そして、それをこの場で言う事は自分のこの場での立場が危うくなる事を。№5は何を考えているのだろうか? №5は偏執的なヤツだ。猜疑心がかなり強い。国家権力やそれに近しい位置に居る人間を容赦無く攻撃する性格だ。今日会合に参加しなかった連中が№5のそんな性格を疎ましく思って意図的に出席しなかった事も容易に想像がつく。だが、うまくこの場を凌いで№5に貸しを作っておくのは、今後の活動にとっても有利に働くだろうし、これは俺が取り掛かっている仕事の大幅な進捗をもたらすであろう。さて、どうしたものか……
№6は意を決して語る事にした。『実は俺が過去に収集した情報でそのエクステにマッチしていると思われるケースがある』№6はそう言うと部屋の中央にファイルを表示させた。『これは米陸軍が試用した、歩兵小隊を効率的に運用する事を目的としたエクステの情報をまとめたファイルだ』 神田はファイルの内容を確認する。『噂には聞いた事がある。補助電脳を装着した兵がエクステを介して様々な情報のバックアップを受けられると言うヤツだろ?』
『そうだ。だが、米陸軍での採用は見送られた』
『倫理に反するって、アメリカの世論が盛り上がったからだよな? 人間性が失われるとか何とか。後は、採用する場合は兵全員に補助電脳交換手術を課する事になり、その手術代の負担が軍事費から行われる為、採算が合わないとも聞いたよ』
『ああ、表面上の理由はな』
『含んだ言い方をするな』
『実は、この補助電脳とエクステの使用により構築される全く新しいネットワーク構築の構想があったんだ』
『何だって?』神田は予測はしていたが、さもその様な想像をしてはいなかった風を装い聞き返した。
『従来のインフラに頼らない新たなネットワークの構築だよ。必要なのは補助電脳とエクステだけだ。それら全てが無線通信によって接続されれば、強固なネットワークと成り得るだろう? ネットワーク管理に必要なエネルギーは人体が生成する生体エネルギーで賄える。市民IDや社会福祉番号とリンクさせれば国民の管理コストも大幅に削減出来るし、MMCIポート通信とリンクさせれば、違法サイバーウェアや原始的なドラックを常用している国民を管理下に置く事も出来る。それに……』№6は神田の危機感を煽る様な話題を選択して説明した。
『よくある話だな、君の国らしい陰謀論だ』神田は№6の説明を遮った。そして瞬間で思考した。№6が話したこれらの内容は、№6が俺に話しても良いと判断している内容なのだと。話の核心部分ではないのだと。神田は№6の出方を窺った。
『まぁ、君が信じるか信じないかは問題ではなく、これは事実なんだよ、№5。米陸軍での採用が見送られたのは、世論なんか関係ない。この件に関するスキャンダルが発覚するのを恐れて政府が時期尚早と判断したからなんだ。』神田の反応なぞ意に返さぬ様に続ける№6。
『……』神田は沈黙により№6の次の言葉を促す。№6はさらに続けた。『そして、俺はこの件の調査をとある友人に依頼されていて、ある程度この件について核心に近い位置に居る』
『なるほど……、それで?』
『だから、そのエクステ内のアプリを解析可能なソフトウェアを№5、君に渡す事も可能だと言っておこう』
神田は№6が米政府関係者である事を確信した。依頼した友人だと……、そんなものは嘘っぱちに違いない。どうせ彼自身がこの件についての専任なのだろうと。問題は№6が何故この件を俺に話す気になったかだ。彼がこの俺に何かさせたいのは間違いない。幸か不幸かその腕を彼に見込まれたのは確かだ。そして、事が済んだ時に後腐れなくこの俺を始末出来ると判断しているのだろう事も容易に想像出来る。
神田は疲弊気味の脳で試行を続けた。№6は彼自身の立場――№6が米政府関係者だとして――から考えて“Mad Info”内にシングルナンバーとして入り込んだ事により得られる恩恵を失いたくは無い筈だ。この件について己の立場を嘘にせよ明かす事によって、俺に協力を得る事とのリスクを天秤にかけて……
いや、№6にとって既に答えは決まっていたのかも知れない。ならば、ここは相手に乗せられておくのも一つの手か? 少なくともまだこちら側でイニシャティブを握る方法はあるかも知れない。
『どうした? №5?』№6が神田に問いかける事によって本心を気取られぬ様に振る舞っているのが神田には明らかに感じ取れた。
『にわかには信じられない話なんでね』
『君が信じようと信じまいとこれは事実だ』
『良いのか? 俺の様な門外漢にその重要そうなソフトウェアを手渡しても?』
『苦渋の選択だが、仕方が無い』
『それをどう扱っても良いのか?』定型的な会話のやり取りで神田は№6の出方を探った。№6は沈黙した。それはある意味での回答に等しかった。神田は次の行動に移すタイミングだと見極め答えた。『いいだろう、その話に乗ろうか。そのソフトウェアをもらおう』
『話が早くて助かるよ』アバター越しでも№6が安堵している様子が手に取る様に分かった。だが、神田はそこに冷水を浴びせ掛ける様に続ける。『ただし、条件がある』
『……、聞こうか』№6は神妙な面持ちで答えた。
『ブツは手渡しにしてくれ。手渡し場所は、日本の東京、首都高箱崎パーキングエリアだ。受け渡し時間は今から三十分後、23:30:00+0900(JST)だ』
『何だって!』№5の提示した条件に№6は目の前が暗くなる様な感覚に襲われた。
『今話した通りだ。他の受け渡し方法は無い。嫌ならこの話は無かった事にする』
一瞬の沈黙の後№6は答えた。『分かった、その条件を飲もう』
『よし、それじゃ三十分後に』
神田は№6の返答も聞かずに回線を切断すると、プロジェクションゴーグルを外して車外を確認する。スピーダーは法定速度を守り問題無く首都高を自動走行中だった。次にダッシュボードの上に置いてある携帯を手に取ると、予め登録してある後ろ暗いレンタル業者をコールした。それと同時にポケットから小型スピーカーのついているオーディオプレイヤーを取り出し、再生する。電話回線がつながると、プレイヤーの再生する音声信号を送話口に近づけた。程無く通話が転送された。
「お久しぶりです、神田さん」電話口の向こう側には愛想の良さそうな男の声。
「ご無沙汰してて申し訳ない。と挨拶も程々に、また無理な注文を聞いてもらいたいんだけど」神田のこの申し出に「特急ですか?」男は苦も無く答えた。
「特急だ。今から二十分以内に箱崎パーキングエリアに足の付かないキー付きの単車一台」
「分かりました。返却方法は?」神田はちょっと考えて答えた。「ひょっとしたら返却出来ないかもしれない」少しの間を置いて男は答えた。「分かりました。それじゃあ保険料込みで七十万円です。返却時に四十万円の返金で。あー、手数料はサービスしときます」
「ありがとう、助かるよ。今、コードを送る」神田はそう言うと先程のプレイヤーの再生トラックを最後まで飛ばして通話口に近づけた。「OKです。確認出来ました」男が答えた。
「宜しく頼むよ」定型的な神田の挨拶に男は同じく業務上の定型的な挨拶で答えた。「毎度あり」通話が終わった。




