表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奈落の男  作者: HYG
23/43

奈落の男22

 〈出島〉N―011。〈出島〉に点在する吹き抜けの一つ。最下層部に住む人間は〈出島〉の外周部かここなら、空を見る事が出来る。区画の中央には直径五百メートルの大きな穴。その穴は海につながっている。穴の外周には高さ七メートル、幅三メートルの外壁が外周部を覆う様にそびえ立っている。外壁には等間隔で非常用の照明が点灯していた。それ以外には、ここは何もない区画だった。

『ここか?』雅臣は洋子に尋ねる。

『そう』

『今、何時だ』

『零時を過ぎた所』

突捜に見つからないように、洋子のナビを頼りに迂回しながら移動した割には早く到着したと雅臣は思った。雅臣は辺りを見回す。そしてえもいわれぬ違和感を覚えた。何かが変だ。それは雅臣が現職の捜査官だった頃に受けた感覚に似ていた。こう言う時の違和感は意外に状況を致命的な方向に持って行く可能性が高いので雅臣は若干気を引き締める。

『洋子、付近に何かめぼしい物はあるか?』

『うーん、特に何も無い様に思うんだけど……』

 雅臣は外壁の上部に続く階段を探した。外壁上部からなら、海面に浮かぶブイを確認出来ると思ったからだ。そして、雅臣は柵が施錠された階段を発見した。雅臣はその柵を注意深く乗り越えると階段を上っていった。外壁の上部に辿り着いた雅臣は、転落防止柵の向こうに海面を確認する。波の穏やかな海面の中央に確かにブイが浮かんでいた。雅臣は外壁沿いに周囲を一周しようと、外壁の上部を歩き出した。ここから海に落ちた場合、這い上がってくるのは難しい。多分そのうち溺れてしまい助からないだろうと雅臣は思った。

『お知らせします。あなたが試験対象に設定されました。詳細については試験状況をご確認下さい。繰り返します。あなたが試験対象に設定されました……』

 突如の合成音声アナウンスとともに、雅臣の視界内にアプリケーションウィンドウがポップアップした。同時に視界内に矢印が表示されて方向を示す。雅臣は矢印の方向に振り返った。その先に―外壁の反対側に―人影が見えた。さっきまでは人の気配は無かった筈だ。雅臣はすかさず拳銃を取り出し警戒する。

『洋子! カメラ!』

『おっけー!』

 雅臣は素早く洋子に指示を出す。洋子もすぐさま近くの監視カメラの制御を確保し――先にこの区画をカメラで確認していた洋子にとってそれは容易だった――雅臣の視界内にカメラが捕らえた画像を表示する。雅臣は息を呑んだ。カメラ越しに映し出されたその人物の格好が異様だったからだ。その人物はさながら中世日本の戦国武将の様な鎧を身に纏っていた。そしてカメラ越しにもその人物が放つ殺気は雅臣の肌を刺す様に伝わってきた。

「マジかよ……」雅臣は思わず呟いた。この状況であの格好。ヤツは間違いなくイカレている。確実に場慣れしているシリアルキラーだ。そして、この区画に来て感じた違和感の正体に雅臣は気が付いた。それは死の臭いだった。現職時に散々嗅いだ臭いだった筈なのに、一年半以上も現場を離れた俺はこの臭いを嗅ぎ分ける嗅覚をすっかりと衰えさせてしまっていたのかと。鎧男は抜刀した。抜刀した瞬間に白い煙の様な物が見えた所、それは刀を模倣した超高周波振動刀だと思われた。

『あんな所で刀抜いて、やる気マンマンね』

『軽口叩いてる場合じゃない! 逃げるぞ!』

『何で? あんなの全然……、嘘でしょお!』

 洋子も信じられないと言った様子だった。鎧男は刀を構えたまま、外壁上部を猛スピードで滑るように雅臣の元へと向かってくる。鎧男の足部に装備されているモーターブレードの車輪が高速回転し火花を散らしていた。

 雅臣は急いで元来た階段を駆け下り、防護柵を飛び越えた。そして着地と同時にこの区画の外へ向かって走り出す。ヤツが持っている武器を問題なく振り回す事が出来るこの開けた区画に留まる事は愚作だ。もっと入り組んでいて遮蔽物のある所に逃げ込まなくては。

『洋子っ!』

『やってみる!』

 雅臣は全力疾走しながら思った。全力失踪をしたのはいつ以来だっただろうか。無事に逃げおおせて問題が片付いたら体を鍛えようかと。

 洋子が鎧男の電制座標に辿り着くのはさほど難しい事ではなかった。この区画のブイから鎧男に向けての通信信号を辿ればよかったからだ。洋子はすぐさま鎧男の補助電脳のに進入を試みる。だが、それは不発に終わった。明らかにこの鎧男の補助電脳は一般市場に出回っているセキュリティプログラムではない物によって守られていたからだ。そして、洋子はそれが何かを理解した。

『これは、警察組織で使っているセキュリティプログラムじゃあ……』

先程雅臣にスクランブルコードを聞いていなければ、ここまで早くそれが何かを洋子は理解出来なかっただろう。まさか警察が裏で繋がっているのだろうか。それとも、警察組織が使うセキュリティプログラムを何らかの方法でこの鎧男が入手したのだろうか。だが、今はそれ何処ではない。早くこの鎧男の足を止めないと雅臣は無残に殺されてしまうだろう。洋子はコードブレイカーを起動して、鎧男の電制奪取を試みた。猛スピードで演算を行うコードブレイカー。だが、それが吐き出す演算結果は無常にも猛スピードで不適合結果を積み上げていく。このセキュリティプログラムは先程の突捜が使っていた物とは似て非なる物なのかも知れない。洋子は感じた事の無い焦燥感に襲われていた。後数秒で電制を奪うのは不可能だろう。ならば全力で雅臣をバックアップするべきだ。洋子は即座にコピーを作成し、それをデコイとして解析作業を続けさせ、自身は素早く鎧男の電制座標から退散した。

 鎧男の視界内に不正アクセス警報が表示される。鎧男は苛立ちながらもすぐさま思考コマンド入力にて補助電脳の防衛システムを起動した。システムは侵入者に対して、攻勢防御プログラムを作動させる。この一秒にも満たない間にもターゲットとの距離は狭まっていく。鎧男は気を取り直し目の前のターゲットに集中する。ターゲットは未だ間合いには遠い。到達するまで後、五、六秒はかかるだろう。ターゲットは逃げながらも半身を翻して拳銃をこちらに向けている。鎧男は面白いと思った。お互いが移動している状態で行われる銃撃が効果的であった試しはほぼないが人間は時として異様な身体能力を発揮する事がある。精神も研ぎ澄まされ驚くべき集中力を生み出す。それは鎧男自身が既に忘れてしまった能力であり感覚である。このターゲットは果たして今その境地に達しているのだろうか? だが、恐れる事は何もない。俺はただただ鋭い一閃の斬撃となってターゲットの体を通過するだけだ。俺は鋭い刃だ。切れない物なぞ何も無い。無敵の刃だ。今までもそうした様に、今日もこの場に哀れなターゲットの屍を撒き散らすだけだ。モーターブレードの回転音が声高にヒステリックなソプラノを奏でる。そして、辺りに銃声が三回響き渡った……

 雅臣は空を仰いでいた。何故こうなったのか理解出来なかった。そして序々に記憶が蘇る。鎧男が高周波振動刀の一閃を放つ直前に、そのシルエットに銃撃をお見舞いした事を。その反動で倒れこんでしまった事を。雅臣は視界内に鎧男を探したが鎧男は居なかった。すぐさま立ち上がろうとする雅臣。だが雅臣はその時の体のバランスに違和感を覚えた。違和感の正体を確認すべく視線を動かす。そして、雅臣は想像だにし得なかった物を見た。雅臣自身の右腕が無くなっていたのだ。その俄かに信じられない肉体の変化に雅臣は混乱し、もっと正確にその変化を確認しようと右腕を動かした。右腕は前腕部の中間までしか存在しなかった。そして、その部分に綺麗な円形をした前腕部の断面を覗かせていた。次の瞬間、雅臣を滝の様に流れる冷たい汗と、激しい動悸と、そして猛烈な吐き気が襲った。鼻を肉が焼けた臭いが突く。雅臣は叫び声を上げようとしたが、一瞬にしてカラカラになった喉がそれをさせなかった。

「…………!」

『落ち着いて!』

「…………!」

『落ち着いてよっ! 落ち着けっ! 佐伯雅臣っ!』

 洋子の悲痛な呼びかけが雅臣の脳内を駆け巡る。雅臣はパニックに陥りそうな意識をその声を頼りに辛うじて繋ぎ止めた。傷口を見たら駄目だ。ショック状態に陥ってしまう。傷口? 俺は腕を怪我している? 何故? 断面? 切断? 鎧男に腕を斬られた? 腕は何処に行った? 鎧男は? 鎧男は何処に行った? 次々と沸き起こる疑問が、雅臣の思考が論理的になる様に必死に問いかける。雅臣は辺りを見回した。鎧男は視界内の遠くで何かを切り刻んでいる。何か、いや、それは人だった。悲鳴が聞こえる。雅臣はその悲鳴の声に聞き覚えがあった。先刻雅臣とひと悶着起こした男達の声だった。奴等は俺を追ってきたのか?

『何やってるのよ! 早く走って! 逃げるのよ!』再び洋子が脳内で叫ぶ。

 雅臣は右腕を探した。しかし付近に右腕は落ちていなかった。

『モタモタしてると殺されちゃうわよ! 早くしてよぉ!』

 殺される? そう言ったのか? そうだ、このままだと殺されるだろう。逃げる? だがどうやって? 走って? そうだ、走って逃げるのだ。入り組んだ狭い路地に逃げ込めば刀を振り回し難いはずだ。何だろうこの感覚は? 既視感? 雅臣は混乱しながらもこの区画から逃げ出すべく近くの路地へと再び走り出した。だが、足が縺れてうまく前に進めない。まるで溺れているかの様に両腕で宙をかく。妙に軽く感じる右腕が体のバランスを崩す。いや、右腕に似た不完全な物が。熱く痺れる様な感覚が右腕に纏わり付いていた。考えるな、またショック状態に陥るぞ!

 雅臣は自分に言い聞かせると必死に前へと進む。何とか路地まで辿り着くと雅臣は縺れた足とバランスを崩しそうになる体で、転ばない様に必死に路地を走って行った。

 鎧男は立ち尽くす。そこには五人分の人間だった肉片が転がっていた。高周波振動刃が分断したこれらの肉片は断面が一瞬にして焼き付く為、ほとんど出血していなかった。鎧男は辺りを見回す。ターゲットの男は既に周辺には居ない様だった。アプリはターゲットの男までの方角と距離を視界内に表示していた。鎧男は考える。モーターブレードのスピードなら直ぐにターゲットに追いつけるだろう。今夜の試験も簡単に終わるだろう……

 鎧男は不満に思った。この単調な掃除人の様な事を後どれだけ続ければ良いのだろうか? ただこの区画に入って来た人物を機械的に始末する作業を。昔は高額の報酬に釣られて俺に挑ん出来た試験者も居た。時には複数人で組んで様々な工夫を凝らして挑んでくる試験者達も。それらと対決して返り討ちにするのは充実していて素晴らしかった。命を賭して挑んでくる試験者達、試験者から向けられるむき出しの殺意、この俺を陥れようとする悪意、それらを物ともせずに生き残った時の達成感。だが、今はどうだろう? 今ではもう俺をターゲットとして挑んで来る者は居ない。俺を襲うこの正体不明な渇望感は一体何なのだろうか? それは、俺の生身の体が死んだ時から既に逃れる事の出来ない業なのだろうか? 何故、俺は生きているのだろうか? 鎧男は左手で鎧兜の面を触った。触った感触がサイボーグ体である指先のセンサからデータとして補助電脳を経由し脳に伝わる。それが鎧男の意外な反応を引き出す。データが示す事実は鎧兜の面が割られていた事だった。恐らくターゲットの男が放った拳銃の銃弾が面を破壊したのだろう。鎧男は歓喜し自身の体を確認する。鎧の胸部と腹部にも同様に命中した銃弾の後があった。今回のターゲットはなかなか面白い、ひょっとしたらもう少しこの俺を楽しませてくれるかも知れない。面の下から除かせた人工皮膚の口元に笑みが浮かぶ。鎧男は高速回転するモーターブレードに身を任せるとターゲットである男の追跡を開始した。

 雅臣は懸命に路地を走った。途中何度も体のあちこちをぶつけたり、転びそうになったりしながらも、あの忌々しい区画からの距離を確実に広げていった。後どれだけ走ればこの悪夢の様な状況から抜け出せるのだろうか? いっそこのまま倒れてしまった方がどれだけ楽だろうか。倒れてさえしまえば後は終わるだけだ。雅臣は思った。久しく考えていなかった破滅願望だなと。それに身を委ねる事がとても魅力的に感じた。だが、本能の一部分が辛うじてまだ雅臣をこちらの世界と繋ぎ止め様としていた。その本能が雅臣の脚を突き動かす。遥か後方からモーターブレードの回転音が聞こえてくる。視界内にアプリがスーパーインポーズしているマーカーが鎧男の接近を告げる。雅臣は再度全力疾走した。前方に今進んでいる路地と交差している通りが見えた。破れそうな心臓を抱えながらその通りに躍り出るとすかさず左右を確認する。右手に自動車が止まっている。こんな所で何をやっているんだろうか。一瞬そんな考えが雅臣の脳裏に浮かんだがその疑問は直ぐに解消した。ルームミラーに原色の小さいプレートがぶら下がっていたからだ。それは違法営業の白タクがそれと知っていて利用する乗客に区別して貰う為の目印だった。雅臣は白タクに近づきながらポケットに入っている札束から札を一枚、左手の人差し指と中指で挟む様に抜き取るとその手を白タクの運転手が見える位置で振った。白タクは二回のパッシングを返す。助かるかも知れない。雅臣はそう思った。今一連の公然の秘密の合図で白タクは俺を客だと確認した。後はあれに乗って鎧男を振り切って逃げるだけだ。左手の札をポケットに仕舞うと緊張の糸が切れそうになるのを堪えて雅臣は最後の力を振り絞り白タクまで駆け寄った。右手で後部座席のドアを開け様として右腕がないのを思い出しすぐさま左手でドアを開けると雅臣は後部座席に体を滑り込ませた。

「今日は突捜がうろついているって話を聞いたから仕舞にしようかと思ってたんですが、まぁいいか。お客さん、何処まで?」白タクの運転手は気だるそうに語りかける。雅臣は車内を見回まわした。車内には強盗対策の金網が後部座席と前部座席の間に取り付けてあった。「妙な真似はしないで下さいよ。妙な真似をしたら座席の下のショットシェルで蜂の巣にしますよ」運転手の男は顔付きからインド系だと思われた。首筋に付いているエクステは日本語翻訳機能をサポートする物だと分かった。次に雅臣は左手でポケットから先程仕舞いこんだ札を取り出すと金網の隙間にねじ込んだ。「とりあえず出してくれ。走りながら指示する」運転手は振り返りもせずにねじり込まれた札を取った。そしてその札を見るなり俄かに活気付く。「分かりました。任せて下さい」運転手は車のエンジンかけた。

 雅臣は後部座席に座り込むと深呼吸した。途端、右腕がズキズキと痛み出す。アドレナリンが薄れたのだろうか。雅臣は確認したくなかった事実と向き合う決心をするとコートの袖に隠れてしまった右腕を確認した。やはりそこにあるのは右前腕部の断面だった。焼け付いた切り口の数箇所から血が滲んでいた。再び動悸が激しくなる。雅臣はまたショック状態に陥る前に断面を視界外に追いやる。

 発進勝とした車が急に止まった。

「どうした?」雅臣は運転手問いかけた。

「いったい、なんだ? ありゃぁ……」運転手の呟きを聞いて雅臣は車の前方に視線を移した。車のヘッドライトが照らす遥か前方で鎧男が仁王立ちしていた。鎧男はゆっくりした動作で鞘から超高周波振動刀を抜くと上段に構えた。

「あいつを轢き殺せ!」雅臣は怒鳴った。

「えっ! 何言ってるんだ! あんた!」

 明らかに異様な状況である事は運転手も理解している様だったが、それでも雅臣の指示に運転手は戸惑っていた。次の瞬間、物凄い衝撃と共に車の天板がへこみフロントガラスが粉々に砕け散った。雅臣はフロントの隙間からボンネットの上に鎧男の両足を見た。

「早く! 車を出せ!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃ!」運転手が悲鳴を上げる。

 車がタイヤを鳴らしながら急発進した。雅臣は後部座席と金網の間に身を屈めて防御姿勢をとった。車はぐんぐんとスピードを上げる。そして、その直後に急ブレーキ。タイヤの悲鳴が辺りに響き渡った。少し遅れて車の前方から衝撃音。

「くそぉぉ! ぶっ殺してやる!」

 運転手がそう叫ぶと、今度は車が猛スピードで後退しだした。

「おい! 止めろ! 逃げるんだ!」

 雅臣の怒声も意に介さず運転手は、車を止めると再度急発進させた。再び加速する車。数秒後に車の前方で何かがぶつかる音がし、次にその音が車の下をくぐっていった。車は止まる事無くそのまま走り続けた。

「おい……、やったのか?」雅臣は恐る恐る運転手に声をかける。

「やりました……。やっちまいましたよ。ありゃ、一体何だったんですか?」

「俺にも解らん。だが、俺はあいつに殺されそうになったんだよ」 雅臣のその言葉を聞いて、運転手は車を停止させた。

「おい、どうした?」運転手に問いかける雅臣。

「お客さん、ここで降りて下さい」

「おい、何を言ってるんだ」

「あたしゃ、厄介事はご免なんですよ。それにこの車の有様を見て下さいよ。もう、これじゃ仕事になりゃしない! 明日からどうしろってんですか! いや、このまま走って突捜の連中に見つかったら間違いなくとっつかまってブタ箱行きだ!」運転手の言う事はもっともだった。雅臣は諦めてコートの中の札束を一つ取り出すと金網越しに運転手に見せた。「俺をこのまま乗せていくなら迷惑料込みでこれをやる。どうだ?」 思わぬ雅臣の申し出に運転手は目を白黒させた。

「どうした? これだけありゃ、車の修理なんて簡単に出来るだろ? いや程度の良い中古車を買っても良いかもなぁ……」運転手は頭の中のそろばんを弾くのに忙しい様だった。雅臣はもう一押しだと思いさらに続けた。「分かったよ。あんたの勝ちだ。諦めてここで降りる事にするよ」

「待ってくれ!」運転手が口を開いた。「なぁ、本当にそれを全部俺にくれるのか?」

「ああ、嘘はつかないよ」

「本当に?」

「本当だとも」

 雅臣の返事を聞いて、運転手は顔に満面の笑みを浮かべた。「お客さん! 何処に行きますか? 何処でも行きますよ! 突捜の奴等だって振り切って見せまさぁ!」

「病院に行ってくれ。短くなった右腕の治療が可能な所が良い」

「分かりました」

 雅臣は流れる車窓を何気なく眺めていた。気力は殆ど無かったが気絶する訳には行かない。車の中とは言えここは〈出島〉の下層部だ。気を失ったら運転手は俺の身包みを剥いで通りに捨てて行くだろう。

『洋子、居るか?』雅臣は洋子に呼びかけてみた。だが返事は無かった。

『洋子、居るなら返事をしろ。洋子? 洋子!』

『……』洋子のアバターが視界内に現れたが洋子は返事をしなかった。

『よかった。無事だったか……』雅臣は洋子が、鎧男の迎撃プログラムにやられていなかった事を確認して安堵した。

『……ごめん』洋子は申し訳なさそうに呟く。

『何が?』

『せんせー、右腕なくなっちゃったよぉ』洋子のアバターは、泣き出しそうな表情を浮かべている。

『そんな事を気にしているのか?』

『痛いんでしょ?』

『ああ、凄く痛むよ』

『ごめんなさい! ごめんなさい! あたしがもっと上手くやってたら!』

『気にするな……』

『でも!』

『気にするなって。俺の体の心配は医者がしてくれる。大丈夫だ』

『……』

『だから、洋子は俺が無事に病院に着ける様に突捜の動きを教えてくれ』

『……分かった』洋子のアバターが視界から消えた。

 雅臣は最小化してあった件のアプリのウィンドウを開いた。そして試験がまだ続行中である事を確認した。やはりな…… それは当然、鎧男が引き続き雅臣を試験対象としている事を物語っていた。鎧男は死んでいない。次に雅臣は鎧男の情報をアプリから検索した。識別番号AA0011。それが鎧男の識別番号だった。登録名は“MONONOFU”、武士を騙るか。獲得ポイントは328ポイント。そのポイント数は数え切れない程の人間を切り刻ん出来たのだろう事を物語っている。少なくとも一人頭1ポイントだと計算しても三百二十八人が切り刻まれている計算だ。試験対象として選択し試験が終了した時点で得られるポイントは400ポイント。備考欄にも記載があった。高機能サイボーグ……

 雅臣は備考欄の記載にハッとした。確かにあの常識離れした動きは、高機能サイボーグであるが故だと言う事を。そして、このエクステにはもっと底知れぬ何かが絡んでいるのではないかと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ