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奈落の男  作者: HYG
17/43

奈落の男16

 〈出島〉に戻るリニアの中で思考する雅臣。そしてその思考を遮る洋子の呼びかけ。

『せんせー、なに考えてるの?』

『あぁ、色々とな……』適当な返答でその場のやり取りを濁そうとする雅臣だが、洋子も食い下がる。『色々じゃ解んないよぅ!』洋子のアバターは明らかに不満そうだった。そして雅臣も今後の状況を考えると、現在の自身の見解について洋子に説明しておいた方が得策かと思った。『実は、今回の件からは手を引こうか悩んでいた所なんだ……』

『なんでよ!』洋子の質問が脳内を反響する。

『神田の店で、警察の情報提供料が値上がりしているのを確認して思ったんだ。これは危ない兆候だ、ってな』

『どう言う事?』

『警察は恐らく、高額な報酬に釣られて情報提供をしにきたヤツを拘束するだろうし、あわよくば、そいつを犯人に仕立て上げるだろうって思ってな』

『なんで? 意味解んないんですけどー!』

『警察と言うのはそう言う組織なんだよ。日々起こる瑣末な事件に人員を割く間にも、手付かずになる案件はどんどんと増えていく。警察にとっては誰が犯人かはどうでも良い、検挙率さえ上がれば良いって事なんだよ。そして、<出島>に関して言えばそれは顕著だ』

『……』言葉を無くす洋子。雅臣はさらに続ける。

『更に、今回の件の大半は事件が〈出島〉の最下層部で起こっている。そんな所から提供される情報の信憑性を一々警察は確認しないし、これを期にこの件で警察へ行った不法滞在者を一掃するかも知れんな』

『それって、酷くない?』

『まぁ、世の中ってのはそんなもんだ。だが、俺としては筋を通す所は通しておきたいと思ってね』

 雅臣の脳内での会話が終る頃、リニアは〈出島〉に到着した。雅臣は一番近くの最下層部行き階段を探しそこを降りていく。日はすっかりと暮れていた。



「佐伯さん」雅臣が自宅玄関のドアを開けようとした時、不意に後ろから声をかけられた。振り返るとそこには梅華が立っていた。雅臣は早速おいでなすったと思った。「どうしたんだ、こんな所で」

「出前の帰りなんですよ」梅華は答える。が、格好からして明らかに嘘だと分かった。

「夕飯はまだですか? 店まで食べに来ますか?」梅華は雅臣に尋ねた。

「ああ、丁度そうしようかと思っていたところだよ」雅臣も、気取られぬ様に答えた。

 恐らく、梅華は李の使いでここまでやって来たのだろう。だとするとこのまま店に行けばひと悶着ありそうだ。だが、表面上上手く断る理由も特に考え付かなかったし、いずれ李にはこの件について話しておく必要があったと雅臣は思った。ともあれ、雅臣は梅華の後をついて洞東餐廳に向かった。



 夜の洞東餐廳は客層のせいか雰囲気もガラッと変わっていた。活気があり、軒先のテーブルまで客で溢れていた。雅臣も周囲を一瞥すると軒先のテーブルの開いている席に腰掛ける。「何か食べますか?」梅華が尋ねる。

「いや、それよりチンタオをくれ」

「分かったわ」梅華は店に入って行った。

 注文が来るまでの間、雅臣は周囲を見回したが、今日はいつもと空気が違った。周りの客は平静を装っている風だが、皆こちらの様子を伺っている。

『なーんか、嫌な空気』洋子が呟く

『なんとなくだが、予測はしていたよ』洋子の呟きにそれとなく返事をする雅臣。

『それ、どういう事?』

『今に分かるよ』雅臣のその言葉を聴いて、洋子は様子を見る事にした。

「はい、お待ちどうさま」梅華はチンタオの瓶とグラスを持ってきた。

「グラスはいいよ」雅臣はチンタオの瓶をつかむとラッパ飲みをする。今日は一日シラフだったせいか、ビール炭酸の喉越しが心地よかった。空のグラスを持って店の奥に消える梅華。程なくして梅華は何か料理を運ん出来た。「はい、これサービスね」焼きたての合成餃子だった。

「ああ、ありがとう」合成餃子のひとつを口に運ぶ雅臣。味は不味くはなかった。

「佐伯さんが来てる事を話したら後で、李さんが話がある言うんだけど……」梅華消え入る様な声で話す。予感はどうやら的中した様だな、と雅臣は思った。

「いいよ。何なら今ここで話しても良い」雅臣は答える。

「分かった。じゃ、李さんに言ってくるね」梅華は再び、店の奥に消えて行った。

 瓶が空になって、今一度雅臣は周囲を見回す。雰囲気は相変わらずだが、特段変わった様子は無かった。周りの連中は俺の何を伺っているのだろうか? そんな事を雅臣は考えた。

『あの大家の李さんって、胡散臭いよね?』洋子が雅臣に問いかける。

『そうだな……。だが……』雅臣は続けた。『俺にとっては、李さんも、お前さんもそう変わらないよ。なんで、こんなしょぼくれた三十路男の周りに集まってくるのか? そう言う点での胡散臭さは変わらない』そして、荒川和美もだ。

『ねぇ、今、サラッとあたしの事馬鹿にした?』

『そう聞こえたんなら、謝るよ』

『むー……』納得していない様な表情の洋子のアバター。

 梅華が戻ってきた。「李さん、奥で食事中だからご一緒したいとの事なんですが……」

「いいよ」雅臣は席を立つと洋子に呼びかけた。『洋子、この店、及び周辺でアクティブな電子機器の状態を把握しておいてくれないか?』

『それって、重要?』聞き返す洋子。

『俺の命にとっては、結構重要』

『分かった』

 店内の客席を縫う様に奥に進む梅華と雅臣。店の奥には、予約客用の個室が何室かある。二人は一番奥の個室へと進んで行った。

「李さんはこの中です」そう言って梅華は扉を開ける。そこには李以外にも、貫禄のある三人の男が、食卓を囲んでいた。顔立ちから一人は中東アラブ系、もう一人はラテン系、最後の男はアフリカ系だった。三人が一斉に雅臣を注視する。「おぉ、佐伯さん良く来たね」李はそう言いながら立ち上がると雅臣の方へと歩み寄ってきた。

『この部屋は問題ないわ。全員、装備は補助電脳だけね。盗聴器は五個あるわ』洋子が告げる。李は振り返ると他の三人に対して話し出した。

「彼は佐伯雅臣です。私の賃貸し物件の店子です」訝しげな表情をする三人の出席者。「そしてたまにはこの店の客でもあります」雅臣は軽く会釈をする。

「佐伯さん、彼らはサイード、エスコバル、そしてスティーブだ」

「そんな事はどうでも良い。それよりも例の件を聞いてくれないか」スティーブと呼ばれたアフリカ系の男が言った。

「分かりました」李はそう言うと再び雅臣の方へと向き直る。「で、例の警察への調査協力の件は順調ですか?」

「それは、李さんには関係ない事だよ……、と言いたい所だけどあの件からは手を引く事も考えているんだ」

「なぜですか? 実費がかなりかかっている筈なのに、ここで止めてしまっては赤字になるじゃないですか?」

「そんな事は気にしないよ。俺は場合によっては手を引く、それだけの事さ」

「……、納得いきませんな」

「李さん、あんたが言わんとしている事は分かるよ。なんせ警察からの情報提供に対する報酬が値上がりしているんだからな。もちろん、李さんも調べたんだろ?」

「……」

「それで、これは俺の想像なんだが、俺の動向を知る事が出来れば先にその報酬を掠め取る事が出来ると考えた。違うかな? それを俺が踏まえた上で俺がこの件から手を引くのがどうしてだか納得出来ないんだろう?」

「……。ああ、そうだよ」李は憮然とした態度で答えた。

「じゃ、李さんには世話になってるし、納得のいく説明をしよう」

 雅臣は先に洋子に説明した持論を、この部屋の面々にも分かり易く説明した。彼等も雅臣の説明について理解し、納得した様だった。

「しかし、その説明はあくまであなたの持論で、確証がある訳ではありませんよね?」サイードと呼ばれるアラブ系の男が静かに聞き返す。

「ご指摘の通り。ただし、これは李さんにも言ってなかったかもしれないが、実は俺は元警察組織にいた人間なんでね。警察のやり方についてはあんた達よりは詳しいよ」室内が一瞬ザワついた。

「元警官だったのかね!」李が詰め寄る。「それは本当なのかね? 本当に元警官なのか! まさか、囮捜査官じゃないだろうな!」他の三人は事の成り行きを見守っている。

「それは、俺が説明する事じゃないだろう。俺がどう説明しようが、李さんは納得しないだろう? その疑問についてはそっちで解決してくれ」雅臣のその言葉を聴いて、言葉に詰まる李。

「李さんがそう疑う気持ちは俺も、もちろん理解出来る。この席を設けた李さんとしては彼等にとっての安全も保障したいんだろう?」雅臣はそう言うと部屋を見回す。出席者の面々も雅臣の考えに同意している様だった。「だが、今の俺にとってはこれ以上は何も言えない。証明する事が出来ないからね。もちろん、それが原因で痛い目に合ってもだ」

『せんせー、大丈夫なの? 連中を挑発する様な事言って?』洋子の問いかけに雅臣は答えなかった。

 室内に数秒の沈黙が訪れた。が、その沈黙は不意に破られた。「ハハハハハハ! なかなか愉快な男だな」エスコバルと呼ばれるラテン系の男が話し出す。「話の筋は通ってる。その気になれば我々がこの男の言っている事が本当かどうか調べる事は確かに造作ない」

「俺は気に入らないな」スティーブが喋り出す。「少なくとも警察が俺達の様な、最下層に住む連中を快く思っていない事は事実だ。それにこの男が言った通り、いざとなりゃ汚い手も使ってくるだろう。それも、巧妙にね」

「どちらにせよ、ここで裁定を下すには早すぎはしませんか?」サイードが口を開く「それに彼をどうにかするのはこの場での話の本題とも逸れてしまいますし」

「そうだったね。まずはそちらの話を片付けなければ」李が締めくくる。

 雅臣はこの場での“話の本題”という言葉を聞き逃さなかった。その言葉から、彼等の関心事はやはり俺が警察からの報奨金の為にあくせく動いている事ではなかったと言う事だった。

「話の本題って?」雅臣は思い切って尋ねた。もっともこの場に呼ばれているという事は自分も当事者の一人として数えられているのだろうとの判断からだった。

「その説明は私からさせてくれ。佐伯さんもそこの席に座ってくれ」李はそう言いながら自分の席に戻った。「佐伯さんが私の所に持って来た、この件に関する例の身元不明リストについて私は思う事があって、ここにいる三人に問い合わせをしてみたんだ。すると、三人とも私が知らない人物について何人か心当たりがあると言ってよこした」李は続ける。「そして、私達四人の間である一つの共通認識が浮かん出来たんだ」李がそこまで説明すると部屋のドアが開いた。そこにはちょっと大き目の箱を持った梅華が立っていた。「梅華、その箱をここへ」李がそう言うと、梅華はテーブルに近づき、箱をテーブルの上に置いた。「佐伯さん、これに何が入っているか分かるかね?」李は雅臣に聞いた。その間に退室する梅華。後ろで閉じるドアの音に雅臣は嫌な予感を感じた。雅臣はまさか、と思ったが答えなかった。李は箱を開けるとテーブルの上に空けた。それはまさしく、雅臣が今現在、神田に鑑定を依頼しているエクステと通信機らしき物だった。しかも、かなりの数だった。「これは……」驚く雅臣。

「佐伯さん。あんたが見せてくれたリストに関係する死人の周りから出てきた物だよ」

「いや、正確には違いますな。これらエクステがリストに関係ある事を下に、我々の手の者を使って集めさせた物もあります」横からサイードが答える。

「そして、このエクステを使う事によって金が稼げると触れ回っているヤツがいると言う事も分かったぞ」スティーブが続ける。

 なるほど、と雅臣は思った。最下層での秩序の一端はこの四人の男達に担われているのだという事を、そしてその四人は今、この俺を明らかに値踏みしているという事を……

「疑問がある」雅臣は唐突に尋ねた。「その説明をなぜ、今、ここで、俺にするんだ?」

「佐伯さんに協力してもらいたいんだ」エスコバルが答えた。「このエクステが何の目的で作られたのか、それをばら撒いているヤツは誰かを調べてもらいたい」

「それはあんた達の組織力を使えば造作も無い事じゃないのか?」

「それはそうだが、そうする場合、我々の組織それぞれに対するデメリットが三つあるんだよ」エスコバルは話を続ける。「第一に、組織の人間を動かすにはそれなりの金が必要だと言う事。第二に、この件は警察が手配書まで作って捜査している位だから、組織を危険に晒したくない事。そして最後に……」

「最後に?」

「俺達組織の人間は佐伯さんほど小回りが利かなく、この国では繊細さを必要とする仕事は難しいと言う事だよ」

「なるほどね」雅臣は緊張感に包まれた。この場でNOという返事は恐らく出来ないだろうと言う事が分かっているからだ。それを裏付けるかの様に洋子が雅臣に語りかける。

『この店にいる人間は客も含めて全員、何等かの武装をしていると思って間違いないわよ』

『やっぱりな』

『せんせー、どうするの?』

 雅臣は後悔していた。この対話の席が李一人を相手にするのならどの様にでもあしらえたかも知れない。そう簡単に判断していた事に対してだ。雅臣は覚悟を決めた。

「分かった。ただそちらのリスクを俺が負うわけだから相当の見返りはあると思って良いんだろうな?」

「もちろんだとも」サイードが答える。「我々の組織毎に三百万円の報酬を、合計で一千二百万円を君に支払おう。それと、組織の人間には佐伯さんの調査に協力する様に触れ回っておこう」千二百万円とは破格な金額だ。この金額だったら俺じゃなくても普通に探偵でも雇ったらどうなんだろうか、と雅臣は思った。「支払われる報酬は成功報酬か?」雅臣は尋ねた。

「前金で二百万円を渡そう。残り一千万円が成功報酬だ」李が答える。「だが、前金を渡す前に条件がある」

「条件とは?」

「その中に壊れていないエクステと付属品の一式がある。それを今、この場でお前が着けるんだよ」スティーブが答えた。「そうすれば、より簡単に連中と接触出来るだろう?」スティーブの口元から笑みがこぼれた。

 やはりな、と雅臣は思った。このエクステを着けた人間が死亡する可能性が高い事を見越して、それをこの俺に着けさせるという事で、ここにいる彼等は保険をかけて置こうと言う算段だ。仮に、俺が捜査中に死んでも連中の出費は二百万円だけで済む。そうではなくとも、命を懸けて事に当たると分かっているこの状況で千二百万円と言う金額は決して高い物では無い。「分かった」雅臣は諦めた様に答えた。

「では、これを君に渡そう」サイードは、エクステと付属品を雅臣に手渡した。

「それと、これは前金ね」李は現金で二百万円を雅臣に渡した。

 覚悟を決めた雅臣だったが、それでも、エクステを使う事に抵抗は隠せない。

『“不入虎穴、不得虎子”か……』

『それよりは、“Wer mit Ungeheuern kampft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum

Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch

in dich hinein”って感じかもよ』雅臣の考えに洋子が答える。明らかに状況を楽しんでいる様だった。

 雅臣は洋子の態度に苛立ちながらも、首筋のUSCBBインタフェースにエクステを差し込んだ。補助電脳がエクステ接続を認識すると、視界内にウィンドウがポップアップされた。このエクステを利用する際に選択する必要がある言語選択のプルダウンメニューだ。雅臣は日本語を選択した。すると、プログラムをインストールするウィンドウがポップアップする。引き返すならここだろうな、と思いつつ雅臣はプログラムインストールの開始を選択した。室内の四人は固唾を飲んで雅臣を見守った。プログラムインストールが終わったら雅臣の視界内にアプリケーションウィンドウがポップアップした。雅臣はアプリのスタートを選択する。

『本アプリケーションをご利用頂きありがとうございます。試作品試供用である本アプリケーションをご利用いただいた方は、アプリケーションのナビゲータに従った行動を行う事によって相応の報酬を受け取る事が可能です』アプリの女性電子合成音が説明を行う。

「効果はどうなのかね?」李が尋ねる。

「確かに、あんた達が調べた通り、このエクステを着用してインストールされるアプリの指示に従う事で恐らく、モニタ試験料としての報酬が受けられる様だ」

「なるほど、分かった」誰かがそう言うと、部屋のドアが開いた。

「それじゃ、がんばってね」李はそう答えると部屋から出る様に促した。厄介者を早く部屋から追い出したい様だった。

 雅臣はエクステの通信機であろう付属品と二百万円をコートのポケットにしまうと忌々しいこの部屋を後にした。部屋のドアが閉まってから雅臣はポツリと呟いた。

「豪華な晩飯を期待したが、宛が外れたな……」

『見事に嵌ったね』洋子が答える。

『ああ、してやられたよ。まぁ何とかするしかないな』雅臣は洞東餐廳を後にした。

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