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奈落の男  作者: HYG
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奈落の男14

 荒川和美警部補は、タナカと共に中村隆俊のアパートに来ていた。御岳巡査部長が発見したと言うエクステが、鑑識の回収した証拠品の中には無かった事を今日鑑識課の報告書で確認したからだ。恐らく、御岳が爆発に巻き込まれた際に、手にしていたエクステが何処かへと吹き飛ばされて瓦礫の下にでも――但し、建物自体の造りはしっかりしているので崩落してはおらず、天井材、壁材や壊れた家具が散乱した状態になっている――埋もれているのではないか、そう和美は考えていた。玄関から正面廊下右手のドアの部屋が爆発源で、左手にキッチン、少し奥に扉、これはユニットバスで、廊下突き当たりの奥の部屋がリビング。御岳は右手の部屋の入口付近でハヤシの下敷きになっていた。そして、その時には手には何も持っていなかった。この事から、エクステはキッチンか廊下の何処か、あるいは爆風で吹き飛ばされて奥のリビングまで転がっていったかもしれない。

 和美は、立ち入り禁止の黄色いテープが張られている中村の部屋で、天井材や壁材が剥がれ落ちている箇所を重点的にタナカに走査させつつ――エクステの材質については鑑識のデータが既にインプット済みだった――考えた。この部屋は何故爆発したのか。爆発の原因は単純に爆発物の爆発。それは昨夜確認したハヤシのレコーダから見ても明らかだった。ならば、何故爆発物があったのか。中村隆俊は善良なる一般市民ではなかったと言う事なのか。これは、もう疑い様の無い事なのは確かとなってしまった。中村隆俊は何か犯罪に手を染めていた――少なくとも爆発物不法所持で被疑者死亡のまま送検はされるだろうか――と思われる。そしてそれは、件のエクステとひょっとして関係あるのでは無いだろうか。和美は、そう考えていた。きっとこの事件の全貌は今自分が考えている事とは別の部分の要素が密接に絡み合っていて、自分は未だその一部分からしか、この事件を見ていないのではないか。和美はそんな事を考えてウンザリした。

「タナカ、捜査結果はどうだ」和美が血の通っていないマシンに尋ねる。

「現在、指定サレタ箇所ヲ解析結果、該当スル成分ノ物体ハ有リマセン」タナカは無機質な合成音声で答えた。「引き続き走査を続けろ」

 宛が外れたのか。だとするとエクステは何処に消えたのか。和美は考える。御岳が病院に運ばれた後に御岳の着ていた服については全てチェックされており、ポケットの中にはエクステは無かった。とするとやはりここ以外にエクステが有ると思われる場所は無い。もっとも他の可能性が無い訳では無いのだが、現時点でそれを考える必要は無いだろうと和美は思った。

 和美は中村の部屋を見回した。キッチンには特段、変わった物は無い。原型を留めている蓋の開いた倒れた冷蔵庫は歩くのを困難にしていた。意外と冷蔵庫は頑丈なのだなと和美は思った。ついでリビングに移動すると、燃えたソファ、画面が窪んだ壁掛けディスプレイ、倒れたオーディオスピーカー、爆風で位置の変わった合成樹脂製のテーブルがある。

 和美はふと思った。この部屋――中村が契約していた1LDKの間取り――にはある重要な物が欠けている。それは、一般的な生活を送るには必ず必要な物、寝具だった。ベッドや布団と言った物が無いのである。生活感を欠いた部屋だと思ったのはそれが原因だったのか……、和美はそう気付いた。この部屋は、一見そう見せかけているが、実は中村隆俊の生活拠点ではなかったのではないか。そう推測した和美は再度、部屋中を調べた。そして、それは確信に変わった。ユニットバスには洗面道具が無かった。爆発源の部屋の収納にも、寝具はもちろん、衣類も無かった。そして、廊下に転がっている冷蔵庫には、食料品が入っていた形跡さえも無かったのである。

 和美はタナカに指示を出す。「タナカ、至急、中村隆俊の銀行口座入出記録を私の捜査用端末に転送してくれ。転送期間は本日から遡って、過去三年分だ。必要なら電子申請で令状を取れ」

「命令ヲ実行シマス」タナカは処理を開始する。程なく、和美の捜査用端末にファイルが転送されて来た。和美はそのファイルを確認する。中村がここ以外に何処かの不動産と契約して定期的に家賃を支払っていた形跡は無いか。だが、それは無かった。だとすると、中村はここが生活拠点じゃ無いと仮定して、普段は何処で生活していたのだろうか? 次に和美は中村の口座に怪しい入金記録がある事に気付いた。それは過去五回、金額にして百万円程の入金だった。これは、中村の勤務していたであろう会社からの給与振込みとは明らかに違う入金だった。入金者名は中村隆俊となっているが、入金元は聞いた事の無い銀行だった。

「タナカ、この入金元銀行について調査しろ」

「命令ヲ実行シマス」

 この五回と言う入金回数には思い当たる節があった。御岳が入手したとされるエクステの数である。それと、付け加えるならば中村が死亡するまでのこのエクステ事件での死者は五人……

「あまりにも出来すぎている……」思わず和美は呟いた。これが偶然なのか、必然なのか現時点で判断するのは早計だとする経験則の裏返しが、そう呟かせたのだと和美は思った。そして、どちらにせよ、こうなってくると御岳が入手したとされるエクステが見つからない事を口惜しく感じた。いや、ここにそれが無いと判断するのもまた早計か……

「調査終了シマシタ。入金者ハ、ティリエクレス・スイス銀行ノ、ケイマン諸島支店デス」

 タナカが和美の命令実行結果を告げる。「なんだと!」その回答に和美は思わず叫ぶ。

「……」タナカは答えない。

 絶望感が和美を襲った。遅々として進まない捜査、負傷した同僚、少ない証拠や情報、そしてやっと掴んだ有力な証拠は、ひょっとしたら国際犯罪に絡んでいるかもしれないと言う可能性……

冷静になろう。未だやり残した事があるはずだ。和美はそう思った。そしてまた、御岳が倒れていた場所に一人佇む。辺りは大分暗くなってきていた。和美は時計に目をやった。時計はもうすぐ十八時になろうとしていた。脱力感が襲ってきた。それは、本格的に事件に取り組んで、手痛い損失を被りながらも進展は殆ど無いに等しいのが原因だった。

 和美はハッとした。足音が近づいてくる。恐らく複数人いるだろうその足音は、この部屋にまっすぐに向かってきている。明らかにこの階の別の部屋の住人では無い様だ。和美は腰の拳銃に手をやる。

「そこにいるのはだれだ!」足音の主がこの部屋に呼びかける。そして、姿が見える。それは警官だった。そこには警邏中の警察官が三人立っていた。

「刑事課の荒川警部補よ」和美はホログラムの身分証を掲げると、彼らにお仲間である事を伝えた。

「ご苦労様です」警官達は敬礼する。「F―024分署の本村巡査であります。再度の現場検証ですか?」一人が尋ねた。三人の中では中堅と言った所か。

「昔の偉い人は、現場百篇って言ってたわ。私もそれに倣おうと思ったの」和美が答える。

「F―024分署の川島巡査部長です。何か収穫はありましたか?」次に少し歳のいった巡査部長が尋ねた。「探し物が見つからず、ってとこかしら」和美は答えた。

「同じくF―024分署の牧枝巡査であります。差支えが無ければで宜しいのですが、探し物とは何でありますか?」今度は、恐らく新人であろう巡査が訪ねる。三人の中では一番体格が良く、何か運動で鍛えているように見受けられた。

「直径三センチ、高さ二センチほどの円柱状のエクステよ。ひょっとしたらビニール袋に入っているかも知れないけど。貴方達、警邏中にここでそれらしい物を見かけなかった?」和美は当てにはしていないが、藁にもすがる思い出尋ねた。

「自分達は主に、現場周辺の巡回を行っているので見かけておりませんね」巡査部長は答えた。

「そう……」彼らの言う事はもっともだった。一介の警邏巡査達には、恐らくこの事件についてはせいぜい概要ぐらいしか知らされていないだろう。現場に立ち入って捜査を行う権限も彼らには無い。それだけ、彼らは職務に忠実だと言う事だった。

「もし宜しければ、探すのを手伝いましょうか?」場の空気を察知して巡査部長が申し出た。

「ありがたいわ。私一人で、この中を探すのはさすがに骨が折れると思っていた所なのよ」和美の本心だった。「お願い出来るかしら?」

「了解しました」

「タナカ、F―024分署の川島巡査部長に協力してもらっている旨、課長に連絡して」

「命令ヲ実行シマス」タナカは命令を実行する。

 川島巡査部長等は室内を手分けして探し始めた。和美も三度室内を回る。牧枝巡査は倒れた冷蔵庫を元に戻そうとしていた。「意外と、こう言うのの下敷きになってたりとか、しませんかね?」仮にそうだったとしても、和美とハヤシだけではその冷蔵庫を起こす事は、難しかっただろう。思考が狭窄になっていたなと、和美は思った。

「そうね、私も手伝うわ」

「いえ、自分一人で大丈夫です。自分が冷蔵庫を少し持ち上げますんで、その下を確認して頂けますか?」

「分かった」

 牧枝巡査は冷蔵庫を少し起こした。和美はその下を覗き込む。そして、この新人巡査の幸運をここで使ってしまう事にならない様に思った。そこにはビニール袋に入った五つのエクステが落ちていた。

「あったわ。今、取り出すのでそのままでお願い」

「解りました」牧枝巡査は答える。表情にはまだ余裕がある様に見えた。「巡査部長! ありました!」牧枝巡査は奥の部屋を検索している川島巡査部長等に声を掛けた。和美は手を伸ばしてビニール袋を取り出した。

「もう戻していいわ、ありがとう」和美は素直に労いの言葉をかける。牧枝巡査は冷蔵庫を元に戻した。ビニール袋に入っているエクステは特に潰れている様子も無かった。運良く瓦礫の隙間に入って、冷蔵庫が潰してしまうのを防いだかの様だった。

「おお、見つかったか。牧枝、でかしたな」川島巡査部長は嬉しそうだった。

「自分、これぐらいしかお役に立てませんから」そう言いながらも同じく、牧枝巡査も嬉しそうだった。

「ご苦労でした。後は一人で調べます。ありがとう」和美は労いの言葉を掛ける。

「解りました。では、本官たちはこれで」三人は敬礼をすると、警邏へと戻った。

 和美一人になると辺りは静かだった。タナカの小さな作動音さえも聞き取れるくらいだった。和美はやおら、携帯電話から鑑識課をコールする。

「鑑識です」

「刑事課の荒川警部補です。小暮巡査部長はまだ居ますか?」

「少々お待ち下さい」簡単な応対の後に電話の保留音が鳴る。程なくして、接続される通話。「小暮です」

「荒川です、昨日はどうも。今、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。ご用件は何でしょうか、警部補殿?」

「実は、件の事件の新たな証拠品が見つかったので調査をお願いしたいのですが……」

「解りました。物は何ですか?」

「例のエクステです」和美がそう言った途端、通話間の空気が変わった。

「それは凄い。良く見つかりましたね」

「現場の家具の下敷きになっていましたよ」

「そうですか。初動の検分ではそこまで丁寧に確認しませんからね。解りました、もって来て下さい。ただ、時間は下さいよ。そうだな、今日は木曜日だから、週明け月曜の昼一くらいで良いですか?」

「課が違うので何とも言えないのですがもう少し早くなりませんか? 明日の昼一ぐらいで……」少々、時間が経ってから電話口の小暮巡査部長は答える。「……しょうがないですね。解りました。何とかしましょう。そうと決まったら急いで持ってきて下さい。こちらは機材の準備をして置きます。それから、うちの課長の方にも緊急の分析依頼を規定のフォーマットで提出しておいて下さい。今すぐにお願いします」

「分かった」

「では宜しくお願いします」

「こちらこそ、宜しくお願いします」和美は電話を切った。小暮警部補は、この証拠品の鑑定によって本件の調査が飛躍的に進むであろう事を理解してか、電話の向こう口ではかなりのやる気を出していた様だった。

「タナカ、帰るぞ」和美は時計に目をやる。既に十八時半を過ぎていた。和美はタナカと共に駐車中の公用車へと急いだ。

 公用車に乗り込む和美とタナカ。和美はエンジンをスタートさせると、行き先をメガフロート署配車課の駐車場にセットしてオートドライブをスタートさせた。出掛ける時と違って、帰署の時はこのオートドライブが運転の煩わしさを解決してくれる。楽な物だ、和美はそう思った。やがて公用車はゆっくりと加速を始める。和美はハンドルのニュートラルポジションに手を添える。

 和美は、先程手に入れたエクステについて佐伯元巡査部長と話した事を思い出し反芻していた。このエクステは誰が何の為に作ったのか。何故〈出島〉で発見された被害者は、これをつけていたのか。他の被害者と同様に死んだ中村は、何故、壊れていないこのエクステを所持していたのか……

 ドラックウェアとして特有の使用者の死に方と酷似している被害者の死因。だが、それはあくまでハードウェアとしての状況であり、ウェットな部分の生理的状況は全く酷似していない。これは一体何を意味しているのか?

 不意に和美は思い立った。中村はこのエクステの効果を知っていたに違いない。何らかの要因で使用者を死に至らしめる、このエクステの効果を。使用したエクステの安全な取り外し方を。そして、今、和美が手にしている証拠品のこの五つのエクステは中村が使用した物なのではないか…… ならば、何故、このエクステを使うのか? 使い方次第では死んでしまうかもしれないリスクを犯して、このエクステを使うメリットは一体何なのか?

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