魔王ではなかった少女
魔王が住処としているであろう魔族領域の奥地にある城。その城の門を潜って城内へ足を踏み入れたその場所で、勇者は少女と対面していた。
「魔王じゃない? 嘘ついてんじゃねぇ。今更そんな言葉で騙されっか!」
勇者は吐き捨てるように叫んだ。
「嘘ではない。そもそも、魔王と呼ばれた者はとうの昔に死んでいるよ。私はたまたま、この城に住んでいるだけだ。このメイドとな」
少女は自分の背後に立つ女性へ軽く視線を向け、勇者へと戻す。
勇者の姿は長旅のせいか、布切れのようにしか見えない服は土と垢で汚れており、髪は艶を失い肌は荒れている。そして淀んだ目をしていた。
ーー哀れなものだ。
少女は、未だ少年という年頃なのだろう勇者の姿を見て、そう思った。
「君はあれか、別世界から召喚された異世界人というやつか?」
「……そうだ」
「そう、か。まず私が魔王だということだが、君を喚び出した者達は魔王という存在はどのようなものだと言っていたんだ?」
「知らねぇよ。俺はただ地図を渡されただけだ。ここに魔王がいるっていう地図をな」
いくらなんでも疑いが無さ過ぎるだろうと、少女は少年の不用心さに呆れつつ、それも仕方のないことだと考えを改めた。
仮に勇者が十代中盤だとすれば、突然見も知らぬ場所へ喚び出されて混乱しているところに洗脳に近い思考誘導でもされれば、疑いを持たずに魔王討伐へ旅立ってしまうのは無理も無いことだ。ついでに義侠心や同情を植え込めば完璧だ。
そうして別世界からの召喚で強化された勇者が一人出来上がる。
吐気がするほどに効率的だった。
「そもそもその地図はどうやって作られたか知っているのか? ここは魔族領域でもだいぶ奥の方にある。君のように強化された召喚者でもない人間がよく調べることが出来たものだな」
「……大勢の兵士を送り込んで、数少ない生き残りが作った地図だって聞いている」
「ほぉ? 信じられるとは思っていないが、ここまで人間が来たことはまず無いよ。私がこの城に住むようになってから十数年経つが、人間がここまで攻めてくるほど優勢になってはいないはずだ。それどころか守るのに精一杯だろう。君がここに来たのが良い証拠だ」
「…………だったらどうだって言うんだ? お前の言うことが本当だとして、俺が嘘をつかれていても今は関係ない」
少女は「釣れた」という思いを隠して薄く笑う。
こちらの問いに答えて、その上あちらからの問いかけがあったならば、対話を続けられる。
少女にとっての最悪は勇者である少年が問答無用で切りかかってくることだ。防げないことはないはずだが、住処を壊されては目も当てられない。
少女はただ、のんびり暮らしたいだけなのだから。
「いや、大いに関係あるよ。君は魔族と人間の戦いがどうやって始まったのか聞かされているかい?」
「……お前らが突然攻めてきたって聞いている。実際、魔族領域と近い場所では人間の村や町が襲われていた」
「それは事実だ。好戦的な魔族は人間を攻撃するだろう。だがそれは戦いの始まりではない、ただの結果だ。ではその結果の前はどうだったか聞いているか? 戦いが始まる前、魔族と人間はどのような関係だったのか」
「それ、は……知らない」
「そうか。なら話してやろう、と言いたいところだがーー」
少女は言葉を切り、背後に立つ侍女へ顔を向ける。
「食事の用意を頼む。今日はお客様の分も用意してくれ。量は多めにな」
「畏まりました」
恭しく頭を下げた侍女はキビキビとした動作で城の奥へ消えていく。
少女が顔を前に戻せば、勇者が淀んだ目に疑問を浮かべていた。
「何を、するつもりだ?」
「食事だよ、食事。そろそろ夕餉の時間だからな。ああ、君の分も用意させている」
無邪気な笑顔で夕餉を楽しみにしている少女。その様子に勇者が抱いたのは怒りだった。
「ふーーざっけんな!」
怒声は衝撃波となり周囲へ広がり、勇者を中心に床の表面が削り取られていく。そして衝撃波が到達する直前、少女は反射的に魔術を構築し、青い半透明の防御魔術で衝撃波を防ぎ散らした。
「俺が欲しいのは食い物なんかじゃねぇ、魔王の首だ!」
裂帛の気合とでも言うべき衝撃波が再度放たれ、少女の防御魔術にヒビが入る。少女はその事実に頬を引きつらせ、防御魔術を再構築した。だが続けて来るであろう攻撃を防ぎきれる自信がない。少女の予測以上に勇者の能力は高かった。そして何よりも発想力が違う。
ーーまさか、声に魔術を乗せるとは。さすが異世界人といったところか。我々とは考え方が違う。
戦闘用の魔術には武器に付与する類のものはある。だがそれは武器という媒介が戦闘の道具という認識があるからこそ出来るのだ。声という意思疎通の手段を攻撃に使う勇者は、どうやらこの世界の住人とは認識すらも違うらしい。
理解は出来た。だが次が防げるとは限らない。
勇者はこの世界の住人ではない。異世界人だ。
人間や魔族ならある程度予測も出来るだろうが、常識や認識が違う相手では予測できない。
かと言って少女から攻撃することは出来なかった。そうすれば勇者は喜々として少女との戦いに臨むだろう。周囲の環境など考えずに。
ーー我が家を壊されては敵わん。
少女は防御魔術を前方に展開したまま、ゆっくりと歩を進める。剣を抜いた勇者へと向かって。
「頼む勇者、剣を収めてくれ」
「だったら魔王をここに呼べ!」
「無理だ。先ほど言ったように、魔王と呼ばれる者はもう死んでいるんだ」
勇者の瞳に憤怒が宿るのと、少女が剣の間合いに入るのは同時だった。
そして一閃。
少女の首を真横に断つ角度で斬撃が放たれる。
「ーーっ!」
だがそれは止められた。
甲高い音を立てて崩壊しかけながらも剣を止めた防御魔術と、剣を握る勇者自身によって。
「……じゃあ、どうしろっていうんだよ」
勇者の目から一筋の涙が零れ落ちる。
「俺が来ただけで泣いて喜んだ村の爺さんやチビどもは、どうやったら魔族の恐怖から開放されるんだよ!? 俺に戦い方を教えてくれた兵士なんて故郷の村を滅ぼされたって言ってたんだぞ! あいつらは一体いつまで苦しめばいいんだ!? どうすれば、この戦いは終わるんだよ……」
剣を握る勇者の手から力が抜ける。支えを失った剣は床に落下し、金属音を響かせた。
少女は首を断たれかけた恐怖で額に浮かんだ大量の汗を拭い、もはや盾の役割を果たしていない防御魔術を解く。そして慟哭する勇者を見上げた。
「終わらせる方法はある」
少女の言葉に、涙を零していた勇者の瞳が動く。
「本当、か?」
絶望の中で一筋の希望を見つけた。勇者はそんな顔をしている。
少女は頷いた。
「その為に食事と、話をしよう。君はこの世界のことを知らなさ過ぎる」
少女はそこで言葉を切り、笑みを浮かべた。
「夕食の招待を受けてくれるか?」
「……わかった。受ける。代わりに約束してくれ、終わらせる方法を必ず教えるって」
「よし、じゃあ約束だ」
少女は手を差し出し、勇者はその手をとった。
長い期間開けたのでリハビリ的に書いてみました。




