■5.知らないイベント(前)
■5.知らないイベント(前)
世の中にはいろんな『初めて』が存在する。
自分の記憶にない『初めて喋った言葉』や『初めてのおつかい』的な微笑ましいのから、年齢制限のかかることまで色々だ。……初めて出した年齢制限つきの薄い本や、初めて売れたソウイウ本の話じゃないですよー。いやそれもあるか。
なんて話はどうでもいいんだ。だって現実逃避だから。
ふつーに腐女子をやっていた頃と、ローズになった今をあわせても。
初めて……初めて誘拐されました。
え、なんで!?
別に変ったことはしていない、ありふれた一日だった。
いつものように朝から色気だだもれなヴォルフ様の起床を手伝って、メイドの仕事をして、にゃんこ王子の元へわんことともに向かう。
にゃんこ王子のところには二~三日に一度のペースで訪れるようになっていた。先方も最初ほど邪険にはしなくなって、にゃんことわんこの距離感に私の理性が試されっぱなしだ。ちくしょうなんであんな可愛いんだ二人とも! しかし二次元ならまだしも、三次元の人物でホモを捏造するだけの根性はない。もとい、その程度の理性はある。
それはさておき。
にゃんこ、つまりマリウス王子が引きこもっている魔法使いの塔からの帰り道だった……と、思う。
わんこ傭兵ことソルと二人で歩きながら、道沿いにある店をのぞいては「こうしているとデートみたいですねー」といってソルに「隊長に殺されるからやめてくれ!」と懇願されたりしていた。ちなみにソルの言う隊長はヴォルフ様のことだ。
それから……どうなった?
辺りを見回しても、見覚えなんてかけらもない。高い場所にある窓から明かりが入ってきているのでうっすら見える周囲は、部屋というよりは倉庫だった。使用人の手入れが行届いていないのか、奥の方はうっすら埃をかぶってすらいる。仕事さぼるな、と思うのはメイドのサガだろうか。
「ここ……どこ?」
「気付いたか」
自分一人だと思い込んでいたところに声をかけられて、思わず悲鳴をあげそうになった。
結局悲鳴をあげずにすんだのは、咄嗟にこらえたから……ではなく、口を覆われたからだ。
「静かに!」
小声で注意をしてくるのは……ソルだ。ああ、びっくりした。
「まだ起きたことを気付かれたくないから、落ち着いてくれ。出来るな?」
こくりと頷くと手をはなしてくれた。
「ええと……ここ、どこですか?」
「港近くの倉庫の一つ」
打てば響くように返ってきた答えは……半分予想通り、残り半分予想外だった。予想通りというのは、ここが倉庫であること。建物の目安は正しかったらしい。予想外というのは、そんなところに何故いるのかということ。
「どうして……」
「分かりやすく言うと、誘拐、だな」
にゃんこ王子の元からソルと歩いて、テイナー家の屋敷に帰ろうとしていた。ここは記憶通り。
途中で新しい茶葉の店を見つけたので、ソルにお願いして寄り道をしてもらい……結果的にこれがいけなかった。いや、別に寄り道を禁止されてはいない。そうじゃなくて、この店が、誘拐につながったのだ。
店員の女の子に今日のオススメを試飲してみますかー、なんて誘いに頷いたそれには睡眠薬が入っていたそうな。
で、あっさりスリープ入っちゃった(何故ここだけ英語とか考えてはいけない)私を抱えて、多勢に無勢ではいかにソルが腕利きの傭兵でもどうしようもない。ソルが先方の傭兵(と思われる)と戦闘中に私はさらわれてしまった。
でもソルだってそこで単に「ローズは誘拐されました、すんません」で終わらせるほど凡庸ではない。
警戒だってされていたはずなのに、気付かれずに私の居所をつかんで今こうして目の前にいる。どうやってだ。心底不思議なんだけど、「職業上の秘密」とかいって教えてくれなかった。
それよりも考えなくてはいけないのは、何故私が誘拐されたか、どうすればいいか、ということだ。
発作的に誘拐するには、私では不十分だ。確かに護衛はつけているが、格好はもとより立ち振る舞いだって庶民のものだ。
つまり、誘拐したって、ろくな身代金を払えない。ヒロイン補正はあるけど絶世の美少女でもない。発作的につい、の犯行とは考えづらい。
唯一考えられるのはヴォルフ様の(ひいては王太子様の)使いとして、マリウス王子のところへ行っていたことぐらいか。いや、それだろう。だってそれがあるからソルは私の護衛をしてくれているのだから。
王太子様の情報がどこまで知られているかは分からないけれど『ヴォルフガング・テイナー家のメイド』が、『かなりの頻度』で『マリウス王子の元へ通っている』。これだけでヴォルフ様の政敵には警戒対象となるだろう。だからといって誘拐するのはかなり短絡的な発想だけど。偉い人が全員頭がいいとは限らない。
普通に考えれば簡単に答えはでる。
それなのに納得が出来ないのは、誘拐イベントなんて元のゲームにはなかったことだ。
わんことにゃんこのいる塔へ通うのは何度も何度もしつこく繰り返したから、イベントは網羅しているはず。(二人の会話は無理だけど!)
それにマリエッタではなく麻里を含め、他のゲームプレイヤーの話にも一切出てきていない。直接の知り合いではなくても、薄い本のトークやネット上のいろんな情報をチェックしているのに、知らないのだ。
だからそんなイベントはゲームでは存在していない、で正解のはず。発売直後ならまだしも、今まで存在を噂にすらなっていない隠しイベントなんて考えられない。
……じゃあ今この状況って、何?
急に怖くなってきた。
最初から狼なヴォルフ様が溺愛モードにはいっていたりと、ゲームとの差異はこれまでもあった。でも、ゲームの範囲から逸脱していない。あくまでもシナリオ内の誤差ですむレベルだ。
でも、これは。こんなイベントは……。
いや。『イベント』と考えるのがおかしいのか。
これは現実だから。あらかじめ誰かが用意したシナリオ通りの展開だけとは限らない。
そんな当たり前を、突き付けられた気がした。
「人が来る。俺の事は黙っていてくれ」
私には何も分からなかったけれど、ソルの感覚には何か引っかかったらしい。
こっちの反応を待つことなく、姿を消した。……どこにだ。そりゃあこの部屋には荷物がたくさんあるけれど……ソルの前世は忍者ですか……? 傭兵ってそんな技術も必要なの……?