フラグ立て回避のススメ
美坂悠里。
これが私の名前だ。
「ファスト・ラブ」の舞台である私立小鳥遊学園高等学校に転入予定の高校2年生。
突然何だといわれるかも知れないが、実のところずらりと並んだ大量の「攻略対象以外の名前」は全て知らない名前ばかりではない、ということに気づいたきっかけが自分の名前だった。
画面に収まりきらない名前を確認すべくスクロールしていたら、『美坂杏』という名前を見つけたのだ。これは大学生の姉の名前だ。今は家を出て一人暮らしをしているけれど、後で引っ越し祝いも兼ねて家に来る予定。でもそんな人物が何故このリストの中にいるのだろうか。
「お母さん……はいない。お父さんも……でもお兄ちゃんはいる」
美坂一馬、こちらは会社員一年生。引っ越し祝いに来たいといっていたけれど、研修が重なって無理だという話だったっけ。研修が終われば来るとはいっていたから、多分次の週末には家に来るはずだ。でも、それにしても何故このリストにいる。
攻略対象以外に知っている名前が無いか、とスクロールすれば出るわ出るわ見覚えのある名前。攻略対象とその両親、シナリオに絡む事は無い同級生たちに先生たち。誰ですか見たこと無い名前ばかりとかいった人。でも今まで攻略対象以外が表示された事など一度も無かったという事で、まさか本来は自分の家族までリストアップされていたなんて知る由は無いわけで。
ついでにいうなら、知っている名前をかなりたくさん見つけることができた一方で、やはりどう記憶を探っても知らない名前だってたくさん、むしろ知っている名前以上に大量に載っているわけで。
「どういうことだろう……」
眉間にぎゅむ、と皺がよるのを感じたとき、階下から母親の呼ぶ声が聞こえた。
「悠里ー、お隣に挨拶に行くわよー」
「うん、今い…」
く、といおうとして思考が止まった。
お隣。誰だっけお隣。あいつじゃなかったっけいきなり初っ端から好感度MAX野郎こと如月啓太。
むしろ好感度100%なんて振り切る勢いでヒロインを愛で愛しかわいがりまくる、超初心者向けキャラの1人、それが如月啓太だ。今は他の人々と横並びで棒無し状態だけども、今までは「ゲーム」開始直後、初めてパラメータを確認したときから、好感度は上がりきって100%まで行っていた。
そんな今まで見て来たグラフと今目の前にあるグラフとの違いの原因はわからないけれど、少なくともはっきりしている事は1つある。
如月啓太とは、恐らくこれが初対面になる。
そして、初対面から入学までの間(初対面含む)に、好感度が振り切れる。
すなわち、今、この「ご挨拶」は絶対に、絶対に同行すべきではない!!
「ちょ、ちょっと待っておかーさん、今片づけしていて部屋が凄い事になってるの!」
「帰って来てからでもいいでしょー、早く行くわよー」
「いやあの、でも今やめちゃうとわからなくなるから!ごめん、だけどおかーさんだけで行って来てー!」
我ながら大変に苦し紛れな言い訳ではあるけど、そして見事に母親は大変に不満そうにしているけれど、でもここだけは譲るべきではない!と勘だか本能だかが盛大に警鐘を鳴らしている。どうにかごまかさねばと思いつつ、今日の晩御飯は私が作るから!といえば、しょうがないわね早いところ片づけを済ませるのよ、というため息交じりの返事が返って来た。
ついで玄関が開き、閉まる音。広がる静寂。
ここまで来て、自分の身体がへなへなという擬音つきで崩れ落ちるのが解った。
チョロいヒロインをチョロインと呼ぶならば如月啓太はチョローとでも呼ぼうか、こいつはそもそもがとんでもなく惚れっぽいキャラなのだ。生来の惚れっぽさからあっちに目移りこっちに目移りしていたのがヒロインと出会ってハートを盛大に打ち抜かれ、以来ヒロイン一筋に、というちょっとアブない傾向があるキャラ、それが如月啓太だった。
幸いにしてというべきか不幸にしてというべきか、惚れっぽいわりに一目惚れだけはしないタイプらしいので(全く当てにならないけれど)、会話・行動・接触が無い限りはガチ惚れされることはないだろう。……多分。
逆にいえば今行っていたら本当に危なかったという事だ。ご挨拶、がどうもこんにちはだけで済むはずがない。興味を持たれたら一直線になりかねない以上、接触はできるだけ避けた方がいいだろう。
少なくともゲーム開始時、すなわち入学時に好感度が一定以下ならばそれでいい。
ただ問題はあと2週間、家に引きこもる以外にどうやってお隣さんとの接触を避ければいいのかが、全く、全然、これっぽっちも思いつかないことだった。