第五話 美食女王の聖域 〜世界を統べる食卓〜
聖アルカディア魔導学園の卒業式。それは通常、若き才能たちが未来へと羽ばたく希望の儀式であるはずだった。しかし、今年の式典は、列席する周辺諸国の王族や外交官たちが、一様に蒼白な顔で震えるという、異様な緊張感に包まれていた。
校庭を埋め尽くしているのは、王国の正規軍ではない。 アイゼングレイズ家の私兵団――すなわち、父・アイゼンが率いる物資回収クラン「鋼鉄の牙」の精鋭たちであった。彼らは磨き上げられた黒鉄の甲冑を纏い、規律正しく、それでいて獲物を待つ獣のような鋭い眼光を放っている。 そして上空には、母・イザベラが手配した黄金の魔導輸送船が数十隻、太陽を遮るほどの巨大な影を落としていた。
「ルナ・アイゼングレイズ嬢……。いや、ルナ女王陛下」
壇上で、現国王は震える手で自身の王冠を差し出した。彼の隣には、もはや国の運営を諦め、白旗を掲げた財務大臣たちが並んでいる。
「もはや我が国の通貨価値は、貴女の個人口座のたった一日の変動にすら耐えられん。……頼む、独立してくれ。貴女が『一人の令嬢』としてこの国に留まる限り、我が国の国家予算はすべて、貴女が夕食を一口食べるたびに、実家のアイゼングレイズ家に吸い上げられてしまうのだ!」
ルナは、隣に立つカイルと顔を見合わせた。 ルナが欲しかったのは、権力でも玉座でもない。ただ、「はしたない大食い令嬢」と蔑まれることなく、愛するカイルが作る料理を、心ゆくまで、幸せに食べられる場所。ただそれだけだった。
「お母様、これは……?」
貴賓席で扇子を優雅に揺らし、まるで世界そのものを手玉に取っているかのように微笑むイザベラが答えた。
「ええ、ルナ。これでアイゼングレイズ領は、どの国にも干渉されない絶対不可侵の『美食聖域』として独立いたしますわ。……さあ、あなたがこの国の最初の法律を決めなさい。我が家の資産があれば、世界のルールなど、デザートのメニューを選ぶよりも容易いことですわ」
ルナは深く、深く息を吸い込んだ。 鉄傘「アイゼン・ガイスト」をゆっくりと閉じ、その重厚な音を学園中に響かせる。彼女は壇上の最前線に立ち、大陸全土に中継されている魔導カメラを見据えて宣言した。
「――わたくしの国の第一条はこうですわ! 『全ての国民は、空腹の絶望から解放される権利を持つ』! そして第二条……『わたくしの食事を邪魔する不作法者は、わたくし自らスクラップにして、お父様のクランで再利用いたしますわ!』」
その瞬間、世界中の王族が理解した。 もはや彼女に逆らうことは、自国の資源と経済を、彼女の「次の皿の彩り」として提供することと同義であると。ここに、歴史上最も美味しく、最も恐ろしい「美食女王」が誕生した。
数ヶ月後。 新しく建国されたアイゼングレイズ王国の王宮。しかし、豪華な玉座の間に、女王の姿はなかった。 ルナは、動きやすさを重視した特注の旅装束を纏い、重い鉄傘を軽々と肩に担いで、王宮の裏口で待っていた。
「カイル様、準備はよろしくて?」
「はい、陛下。……いえ、ルナ。伝説の『星降る果実』の群生地へのルートを確認しました。ついでに、その果実を主食にしているという最高級の猪の目撃情報も。……今夜は、獲れたての肉をその場でグリルしましょう」
カイルの背中には、お母様が最新の軍事技術を転用して発注した「魔導移動厨房」が、頼もしい音を立てて鎮座している。
「おい、お前ら! 獲物の解体と搬送は俺たちに任せろ!」
背後の茂みから、アイゼンがクラン員たちを引き連れて現れる。彼は相変わらず武骨だが、その表情には愛する娘と、その胃袋を支える最高の婿への、深い信頼が滲んでいた。
「イザベラが言ってたぜ。その猪の皮は、最新の防刃ドレスの素材として高値で取引されるらしい。……ルナ、仕留める時は、できるだけ皮を傷つけるなよ。それが来月の特製デザートの仕入れ資金になるんだからな!」
通信機からは、王宮で優雅に(大陸中の株価を操作しながら)執務に励むイザベラの、涼やかな声が響いた。
『……ルナ、カイル様。夕食までには戻りなさいね。今夜は、周辺諸国の国王たちを招いての「債務免除パーティー」ですわ。……しっかり、彼らの財布を空にするだけの『最高の一皿』を持ち帰ってくるのですわよ?』
「はい、お母様!」
ルナはカイルの手を強く握りしめた。 かつては「呪い」だと思っていたこの食欲。だが、今は違う。 カイルが料理を振るい、お父様が現場を支え、お母様が富を築く。その中心にある自分の飢えこそが、この一家を、そしてこの世界を動かす最強のエネルギーなのだ。
「行きましょう、カイル様! わたくしたちの、新しいメニューを探しに!」
「どこまでも、お供しますよ。……僕の、世界一愛らしい女王陛下」
ドォォォォン!! ルナが放つ重力魔法の推進力で、二人は青い空へと跳躍した。 一人は、世界を物理的に支配する「重力」の持ち主。 一人は、その暴走を「愛と料理」で飼い慣らす唯一の調律師。
アイゼングレイズ王国の食卓が続く限り、この世界の平和は――物理的なスクラップと引き換えに――永遠に守られ続ける。 銀髪をなびかせ、空腹の向こう側にある「至福の一口」を求めて。 美食女王ルナの伝説は、今日も芳醇な香りと共に、新たなページを刻み続けるのであった。
【 ―完―】




