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九回しくじった話(こんとらくと・きりんぐ)

作者: 実茂 譲
掲載日:2025/11/08

 窓から乗り出して、西を見てみると、摂政の〈ほどこし〉が始まっていた。

 海軍と国庫を掌握する手に握られ、投げられる金貨や金の指輪。

 それを拾おうとする貧民の群れが通りを塞いでいて、殺気立っていた。

 四人の屈強な金髪宦官に担がれた輿には皇帝の椅子の次に華やかな黄金の椅子がある。

 本来なら皇后か皇族の長老が座るべき椅子だが、いま、座っているのは摂政アポロスだった。

 辺境の貧乏な役人の家に生まれたアポロスは下級税吏、塩田の所長、西方領主補佐、西方領主、造船所会計士、首都行政長官と出世を遂げ、蓄財に励み、財政難と敗戦でボートが数艘浮いているだけになった帝国艦隊を自分の財産から出した十万枚の金貨を手土産にガレー船艦隊に生まれ変わらせた。

 それが皇帝の寵愛を受けるきっかけになり、皇帝侍従長になったのち、海軍総司令官に任じられた。

 皇帝が亡くなって、八歳の皇帝を補佐する摂政になったアポロスは皇后や皇弟たちと抗争し、勝利したことで、帝国の最高権力者になった。

 貴族を処刑して財産を没収し、民衆にばらまくという、非常に分かりやすいやり方で首都の支持を得ていた。

 漆喰の倉庫群に沿って、緩やかに曲がる道。

 摂政の一団があらわれた。

 まず、鋼の鱗を馬にかぶせた重装騎兵が殺到する民衆を横に押しのけ、その後ろを手風琴みたいな形の焼夷兵器を胸の前で引きつけて斜めに構える特殊兵が続いた。馬の左右に太鼓を配した楽士がウサギの毛をぎゅうぎゅう詰めにした丸いこん棒で太鼓の皮を打つたびに特殊兵の炎が空に向かって噴き上げられ、見物人たちの度肝を抜いた。

 その後に続くのは東西南北の蛮族兵たちで、北からは毛皮をまとった金髪の斧兵、東からはケンタウルスの入れ墨を入れた騎馬の名手、南からはたくましい黒い肌の投げ槍兵、西からは宗教も言葉もまったく違う処刑人が帝都の象徴である宮殿の千分の一の模型のまわりを歩いている。

 絹の祭服に身を包んだ女官たちがバラの花びらをばらまくと、まもなく摂政アポロスがあらわれる。

 宦官の担ぐ黄金の椅子に摂政アポロスはこの世の全て——皇后派の貴族を除く全てを愛することを聖堂で誓い、その愛の形として、左右の船の模型に満載された金と宝石を惜しげもなく民衆へばらまくことを選んだ。帝国最大の富豪は青い絹を金箔で縁取った長衣カフタンをまとっていて、黄金の冠には巨大なサファイアを挟んで向かい合った海獣の意匠がこらしてあった。皇后派や貴族たちは、これは明らかにアポロスの帝位に対する野心と受け取られた。

 皇帝のすぐ後ろには熱狂した民衆が続いていたが、これがアポロスの権力の源泉ともいえた。幼い皇帝を追放するとき、熱心にうなずくのは彼らなのだ。

 殺し屋が標的にするのは、そういう人物だった。

 一階が平らな味付けパンを売る軽食堂があり、二階より上は倉庫と破産した商人の事務所があった。

 殺し屋が潜んでいるのは西方の国の人間が経営していた貿易店だった。少し前、摂政万歳を叫んだ民衆が貿易商とそこで働く人間をめった刺しにし、窓から放り出したのだが、殺し屋はその窓から摂政を見つめていた。

 白い顎鬚と黒い口髭の細い顔を見ていると、この老人は本当に民衆を愛しているのかと思いかけるが、じきに投げる宝物がなくなれば、やってくるのは恐怖政治だ。

 それはそう遠い話ではない。

 殺し屋は窓から離れると、荷物を包んだ革の紐をほどいて、中身を取り出した。

 最近、発明され、ごく一部の軍師や築城家が注目を始めた火縄付き火薬筒だ。鉄の筒に木の銃床がついていて、木は筒の出口とは反対側に行くほど広くなり、肩がぴったり支えられるようになっている。筒には火縄を突っ込む小さな穴があり、ここに火を入れると、火薬が爆発し、その勢いで丸い鉛玉が飛んでいく。これが人体にぶつかると、矢傷とは比べ物にならない傷ができるという。

 殺し屋は重い鉄の筒を木の銃床で支えて、肩でためた。左手で銃身を上から下へ狙い撃つように支え、右手では人差し指と中指で挟んだ火縄が白煙に硝石の焼けるにおいを込めて、ゆるゆると糸を伸ばしていた。

 指で挟んだ火縄を火口に近づけて、瞬間を切り取るように武器を発射した。

 鉛の丸玉は真っ赤に燃えながら、撃ちおろされ、王冠のサファイアを真っ二つに割った。

 王冠が通り全体に響く音を鳴らして地面に転がると、宦官と親衛隊が摂政のまわりに集まって、壁をつくり、剣を抜いた兵士たちが弾丸の飛んできた建物へと突っ込んだ。

 女官たちの悲鳴が止まなかった。

 兵士たちは階段を駆け上り、倉庫や破産した部屋のドアを蹴り破って、しらみつぶしにした。

 穀物倉庫のドアを蹴破ると、蝶番が跳ね飛び、麦粒を集める殺し屋にたずねた。

「暗殺者を見なかったか?」

「あっちの窓から出ていきました」

 その窓は滑車がついていて、荷馬車から直接、荷物を引き上げられるようになっていた。

 その滑車は地階まで縄を伸ばして降りている。

「裏だ! 裏にまわれ!」

 兵士たちは殺し屋を残して、階段を駆け下りた。

 殺し屋はひとり残され、べ、と舌を出した。

 誰も真犯人を極めて馬鹿な方法で取り逃したことに気づかなかった——殺し屋はショートヘアの少女、または長髪の少年にしか見えなかったからだ。



 あぶり焼き屋で料理を待っているあいだ、噂が表の入り口から裏の出口へと出ていき、また新しい噂がやってくる。

 最新の噂では壊れた王冠を見て、ここに載せる(こうべ)がある限り、新しいものをまたつくればいいと豪語したという話だった。

 その前の噂は顔にぶつかってきた弾丸を歯で受け止めたというものだった。

 遅い午後の雨がぽつぽつ降り始めた。

 あぶり焼きは天井の低い店だった。煤で天井は黒く汚れ、たまに料理に大きな灰の塊が落ちてくることがあった。

 頼んでいたものがやってきた。チーズと玉ねぎとハーブを平らなパンで巻いて焼いた巻きパンと豚肉の串焼き、ねっとりとしたブドウ酒をオリーブオイルで割ったものを入れた脚付きの杯(ゴブレット)

 パンはふすまではなく、小麦の一番高いものだが、いまの殺し屋はお金に困っていない。

 今日の分を合わせて、九回、摂政の暗殺に失敗している。

 依頼人はその仕事の出来栄えに満足して、殺し屋に報酬を支払っているのだ。

 表のドアのない、布を下げただけの戸口に剣士があらわれた。髪を短くした女性で、男しか入れない場所では男装で、女性しか入れない場所へは女装で入る、密偵だ。

 密偵は殺し屋を見つけると、同じテーブルについた。

「今回の報酬だ」

 金貨がたっぷり入った革の袋が焼け焦げだらけのテーブルに置かれた。

 それを懐に入れながら、殺し屋は、

「ひとつ、心配ごとがある」

「なんだ?」

「同じ人物を、いくら、わざと外してくれって依頼でやってるとはいえ、九回も外したら、ぼくの腕が落ちたのかってその業界に広まる」

「依頼人は貴殿の完璧に任務を遂行するその態度に大変満足している」

「それはどうも。外せば外すほど、摂政の人気は高まっているね」

「わたしがどちらの人間であるかは明かせない」

「なんで、外すかくらいは教えてほしい。同業者に腕がなまったと言われても言い返せるネタがほしい」

 ガン、ガタン! 店の表で騒々しい音がした。

 誰かが言った。「また貴族が引っ立てられるんだ」

 すごい国にきちゃったなあ、と思いつつ、殺し屋は質問を逃がさず、食いつく。

「摂政が自分で命令してるわけじゃないよね?」

「それはどうだかな」

「……まあ、いいか。評判が落ちたら、自分で何とかするさ」

「ひとつだけ教えよう。また、的を外すよう貴殿に頼むことがあるかもしれない。だが、貴殿に的は外さず、標的を確実に葬ってほしいと頼むことは決してない」

「うわ。すごいこときいちゃった」

「これからも、成功は失敗、失敗は成功と肝に銘じてほしい」

「それより、この巻きパン、おいしいね」

「その意気だ。暗殺任務を確実に失敗するよう、気を抜くといい」



 依頼がないあいだ、殺し屋はどうやって退屈をしのぐかばかり考えていた。

 丸い石敷きの道では、真ん中の排水溝にうっかり踏み込まないよう、道路を横断し、朝の買い物に集まる雑踏に踏み潰されないよう、最低限の注意だけを使って、帝都をうろつく。

 異民族から帝都を守ってきた城壁、西方商人の居住区、路地の隅々まで礼拝を知らせるラッパ、世界じゅうのあらゆる場所から食材を取り寄せた料亭塔。

 そのうち、水上市場の浮橋を渡った。

 大きな街区がまるごと人工池になっていた。ブドウの籠、小さな人形と交換される手紙、獣脂の舟、魚ではち切れそうな漁網、穀物相場の手配人、イカと蜂蜜を売り争い叫ぶ売り子たち、医者の船にある朱色の壺には瀉血に使うヒルが飼われている。

 見ていて楽しいのはそこまでで、そこから先は建設中の監獄がある小さな島だった。

 船着き場にゴロゴロと石が転がり、白く渇いた丘の上に木組みがされていて、痩せこけた男や女たちが漆喰を塗っていた。

 竹の梯子や足場が崩れて、労働者たちが大怪我をすることがあると、監督がそれを指差し、こん棒のひと振りで頭を砕く。

 摂政に謀反を起こしたという罪状で、彼らは自分が入る監獄を自分でつくることになった。もとは裕福な商人や貴族、学者などで、誰ひとり、石工の経験があるものはいなかった。

 雨をしのぐ小屋もなく、作業が終わると死んだように横たわり、そのまま本当に死んでいく人びと。

 どろどろした粥をめぐって、金切り声を上げるかつての古典学者や令嬢たち。

 戻って、水上市場で魚の串焼きでも食べようと思ったとき、殺し屋はとんでもないものを見た。

 摂政アポロスがひょろひょろの書記官ひとりだけを従えて、工事の現場にやってきたのだ。

 アポロスは自信に満ちていた。九回命を狙われて、九回もかわしたからだ。

 だから、こう思った。

 ――誰も自分を傷つけることはできない。

 こうも考えただろう。

 ――こうなれば、護衛で固めることは人の目に臆病と映る。

 アポロスは輝く衣装をまとって、砂ぼこりの舞う現場へ歩いていく。そこには摂政の像が築かれる予定だ。

 囚人たちは目の前の光景が信じられなくて、茫然としていた。

 だが、足場の上にいたひとりの老貴族が漆喰の塊を板の上からこそげとって、アポロスの冠へ投げつけた。

 冠が白いヒビだらけの石畳に落ちて、ガラン!と大きな音を立てた。

 アポロスが激怒して、処刑の合図にさっと手をふったが、護衛の重装騎兵はいない。

 かつての貴人たちはツルハシや小手、泥をこそぎ落とすときに使うホタテ貝を手に摂政に襲いかかった。



「我々が欲しいのは調子に乗った間抜けの死体であって、殉教者ではない」

 密偵はそう言った。

 骨から肉と一緒にカリスマ性までそぎ落とされた摂政の死体はふたつの袋に詰められて、宮殿に戻ってきた。

 摂政派は動揺している。

 皇后派が帝都へ入場する日もそう遠くない。

「誇っていい」と、スープ鉢の隣に金貨袋が置かれる。「貴殿は摂政を討ったのだ」

「金貨は受け取っておくよ。その権利はあるし。これからぼくは九回しくじったのは、わざとのことなんだって、説明してまわって、同業者の失笑を買わないといけない」

「それなら、十回目をしくじっても事態は同じだな」

「は?」

 密偵は手袋を外して、金貨を十枚置いた。

「皇后の暗殺をしくじってほしい」

 密偵の手の甲にはケンタウルスの入れ墨があった。

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― 新着の感想 ―
うって変わって(いつと?)極彩色のきらびやかな……外装のせいで楽しげなお仕事みたいな気(得物もそんな感じ)がしてしまうのでした、ちがう逆である。変わった依頼にゃ事欠かれませんでしょうがほおそーゆうのも…
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