白いツバサ ファミリアの世界(第九幕if)
ディーク・カリバンのこれまでの人生は、兄のすごさを見せつけられる人生だった。
ごく平凡な家庭に生まれて、ごく平凡な環境で育ったディークだが、身近にいる人物が少々変わっていた点については、普通ではなかった。
それは、兄ハイネルが秀才だったという点だ。
ハイネルは、子供の頃からなんでもできた。
休憩寮や青空教室で行われる勉強会でも一番の成績をたたき出していたし、故郷で開催される力試しの大会でもかなり上位の成績だった。
そんな兄と一緒に行動する事が多いディークは、いつも兄に守られてばかりであった。
ディークは、細かい事を考えるのが苦手で、運動もそこそこしかできない。
多少賭け事が得意で力持ちではあるが、兄が持つ良点と比べるとその数は見劣りする所しかない。
兄の力になるどころかトラブルを起こしたり、持ってくる事がある。
その度にディークは、兄に何とかしてもらったものだ。
そういった過去があるためディークの中では、兄に対する劣等感が培われていた。
しかし、だからといって仲が悪いというわけではない。
兄弟仲は極めて良好で、幼い頃から行動を共にする事は少なくなかった。
それは、シュナイデル城の兵士になってからも同様だ。
小言をもらう事が増えたものの、ディークにとってのハイネルは良い兄だった。
そんなディークは、内心の中にある対抗心をもてあましていた。
ディークが気になっている少女メリルが兄に恋心を持っているのも原因だろう。
兄がいれば大抵の事が解決するなら、ディークが存在する意味がない。
誰もが兄を頼りにして、兄の周りに集まるのなら、そこにディークがいる意味がない。
ディークが持てる力の中で、何か一つくらい兄に勝てれたのなら、話は違ってくるのかもしれないが。
シュナイデル城 廊下 『ディーク』
シュナイデル城で仕事をするようになってから、色々と予測できない事ばかりが起こるが、まさかそんな事まで起こるとは思わなかった。
鉄球が飛んで逃げ出した。
ディークの目の前には、その鉄球を追いかけている最中の……にこやかな笑みを浮かべた黒髪の少年がいる。
「あっ、啓区様。こっちだぜ。クリスタルなんとか? っていう奴はたぶんあっちの角からこっちに逃げ込んだんだと思います」
客人でもあり、特務隊のメンバーでもある啓区にディークはそういった。
示した方角を見た啓区は、表情を変えずに気安くこちらへ話しかけてくる。
「おっけー。いやー。ディークさんがいてくれるとすっごく捜索が助かるよねー」
今までに、身分が高い人間の護衛をした事はある。
傭兵として仕事をしていた時、それなりの立場の人間を何人か危険な連中から命を守った事があった。
その時に、兄から色々を小言をもらった身としては、こういう時に少し自分の言動に躊躇いが生じてしまう。
しかし、そんな事はディークが守るべき者達にはお見通しらしい。
「気を使わなくて良い」と言われたため、それに甘える形になっている。
城の客にはかしこまって対応しなければならないと思っているものの、相手が年下である事やそういうのがもともと苦手だったという事もあり、敬語少な目の態度に落ち着いてしまっていた。
相手が寛容であるから、目をつむっていてもらっているが、兄であるハイネルには怒られてばかりだ。
「力、あてにさせてもらっても良いかなー」
「そりゃ、放っておくわけにもいかないしな。よく分かんないけど、騒ぎになってるんだったら、俺達も手伝わなくちゃいけないし」
とりあえず、話を戻す。
こんな事をこなす成り行きとしては、
いつもの仕事を終えて、お昼休憩をしていた所で近くを啓区が通ったのがきっかけだ。
ディークに向けて、「よければ手伝ってくれないかなー」と声をかけてきたのが目の前の少年。
「俺、ちゃんと役に立ててますか? 昔からこういうのも苦手なんだよな。迷子とか探し物もいっつも兄貴の方が早く見つけるし」
「ちゃんと助かってるよー。ディークさんがいなかったら、ちょっと困ってたねー」
恐る恐る尋ねた結果、返ってきた言葉に少しほっとする。
「そっ、そうか? 俺より兄貴がいてくれた方がずっといいと思いますけど」
慣れない敬語の使い方に四苦八苦しながら応えると、彼は「そうでもないと思うけどー」といつもと同じ笑み。
彼はたいていずっと笑みなので、基本表情が変わらない。
「ハイネルさんがダメってわけじゃないけどー。僕としては、ディークさんやメリルさんと一緒にいた方が気が楽でいいと思うけどねー。未利や姫ちゃんだってそう思ってるんじゃないかなー」
「そうなのか?」
その返答がディークは意外だった。
ディークとハイネルが並んで歩いていると、いつも最初に話しかけられるのはハイネルで、頼られるのもハイネルだった。
だから、そう言われるとは思わなかったのだ。
鉄球が逃げ出したイベントの後、男子兵舎の共用区画でくつろぐ。
知り合いの兵士達と、話をしながら時間をつぶしていたら、差し入れがやってきた。
香ばしい匂いのするクッキーを手にしてやって来たのは、メリル達だ。
「最近先輩に教えてもらって、ブームになってるんだよね。そんで、大量に作りすぎちゃったから、バカリバン達にも分けてあげる」
クッキーを手渡してくれるのは紛れもないメリルのやさしさだと思うが、一言多い。
くれぐれも勘違いしないように、とメリルは念を押してくる。
こちらはメリルに優しくしたいと思っているのに、そういった態度をとるからなかなかうまくいかない。
「別にそんなのするわけないだろ」
「はぁ? それどーいう意味?」
メリルとの間に視線でばちばちと火花を散らしていると、ハイネルにいさめられる。
「メリル。先輩とは、エアロ・フラクテルの事か?」
「あ、はい。そうですよ」
何か考えるようなそぶりを見せるハイネルは、メリルから一枚クッキーをもらって、じっと見つめている。
「兄貴? どうしたんだ」
「いや、何でもない。同じようなクッキーをどこかで見たようが気がしたが、勘違いだったようだ」
「ん? そういえば、兄貴のクッキーだけなんか他と違うな」
兄がつまみ上げたものだけ、よく見てると色合いが違う様にみえた。
そう述べればメリルも気が付いたようだ。
「あれ? 本当だ。一体いつの間に紛れ込んだんだろう。ま、いいか。はい、皆の分。美味しかったら感想は先輩にお願いしますね」
「おう、あとでお礼言っとかないとな」
「ボク達だって手を動かして、作ったんですけどー」
他愛のないやりとりを経て、その後自分の部屋に戻って眠りにつく。
いつも通りの日、だと思っていた。
疲れている日は、眠りが浅くなって夢を見やすくなる。
なんて話を聞いたことがある。
自分がそんな知識を進んで仕入れるわけがないので、誰かから教えてもらった知識だろう。
特に最近は、姫乃達とつきあう事が多いので、そちらからかもしれない。
眠りについたはずの意識は、ふわふわとした心地でどこかに浮上していった。
夢の世界で郵便配達屋を営んでいた自分は、誰かから声を賭けれている。
『ディートハルト!』
『げ、誰かと思ったら、ーーかよ。何の用だよ』
声をかけてきたのは、青髪の少女だった。
小柄な体格で、子供に見えそうだけれど、一応は成人女性。
『はぁはぁ……間に合った』
『めっちゃ息切らしてるけど、大丈夫か?』
『へ、へいき……へいき……。それよりっ』
呼吸を整えていた女性は、こちらにつめよってまくし立ててくる。
『今から言う期間は、この辺りには近づかないで。危ない事が起こるかもしれないから』
『いきなり、何言ってるんだよ。わけわかんないだろ』
『いいから、絶対に!』
必死な顔で、何かの忠告を行う女性。
けれど、その内容に耳を傾けようとすると、目の前の光景が急激に滲んでいってしまう。
雨に滲むようにあやふやな光景になってしまったそれを、上書きするように別の光景が現れる。
何か巨大なものがあばれていて、人々が逃げ惑っている。
自分はその中で、戸惑っていた。
『ばっ、ばけもの! 逃げろ!』
『逃げるって、どこにだよ!』
『もう駄目だ! お終いだ!』
ようやく逃げなければ、と思った時に知り合いの青髪の少女を見つけてしまった。
気が付いてしまったからにはしょうがないと、その影を追いかけていく。
そうして行きついた先は、巨大な何かによって平らにならされた街の一画。
その中央で、金髪の少女とこげ茶色の髪の男性が倒れていた。
かろうじて息のある男性は、金髪の少女に向けて銃を向ける。
たぶん男性が悪者で、少女が狙われている被害者。
なんとなく、そう判断した。
向こうの二人は、こちらの存在に気がついていないようだった。
撃とうとしている、そう思った瞬間。
自分は声を放っていた。
「やめろ!」
いつだって自分はカヤの外だった。
肝心な事は何も知らないで誰かに守られながら、何かの犠牲の上で生きてきた。
それが分かるのはずっと後になってからだ。
どうしてこうなってしまうのだろう。
自分が無力だから?
結末はどうなったのか、それは分からない。
銃声は響いたけれど、見えなかったから分からなかったのだ。
紫の霧が全てを覆っていったとたん、全身くまなく激痛が走ったからだ。
「うわぁぁぁぁ!」
飛び起きて、自分がどこにいるのか確認する。
今まで見ていたのは、夢だった。
見慣れた部屋を、見回して安堵。
シュナイデル城の男性兵士が利用する兵舎の中。
深呼吸して、背中を伸ばして、やっと安堵できた。
ややあって、隣室の人間からドア越しに苦情が入る。
同僚の兵士が苦々しい表情で立っていた。
「おーい、ディーク! 何時だと思ってるんだ」
「あ、ごめん」
無意識とは言え、ここで謝罪できないほどディークは子供ではない。
深夜にうるさくしてしまったことを反省して謝ると、相手は怒りを収めてくれた。
「ったく、気をつけろよな」
扉の外に人間が去っていく気配を確かめて、ようやく息を吐いた。
「変な夢、だったな」
胸の中に言い表しようのないもやもやが残っていた。
けれどディークはそれを、どう消化すればいいのか分からない。
現実で何か嫌なことがあったわけでも、何か現実を元にした悪夢を見たわけではないのだから。
こういうものは、原因があるというのがお約束らしいと、未利から聞いたのだが、そうでもないのだろうか。
「こういう時、兄貴だったらどうすんのかな」
考えてみたが、ディークはハイネルではなかったので分からなかった。
眠れそうにないと思ったけれど、横になってみると驚くほどすんなりと寝入ってしまった。
翌日ディーク達は、姫乃達につきそって外に出る事になった。
姫乃達は、様々な事情があって、最近城の外に出ていない。
それを思って、コヨミ姫が気を効かせてくれたのだろう。
ディーク達に護衛の仕事を依頼してきた。
もちろん、断る理由はないので了承。
姫乃たちの部屋に集合してから、出かけることになった。
彼女達は変に偉ぶらないし、かしこまる事を求めない。
だから、普通の要人警護よりは気楽なものの、世界的に考えると死なせてはいけない人間が多すぎるので、責任はかなり重かった。
姫乃を守り切れなかった場合、終止刻に対する切り札を失うことになるし、
啓区を守り切れなかった場合、遺跡や機械に精通している貴重な専門家を失うことになる。
未利を守り切れなかった場合、世界はそこそこ助かるらしいが彼女を保護しているコヨミ姫の立場があやうくなる。
エアロにメリル、兄のハイネルも共に護衛に当たることになるが、気を引き締めるに越したことはない。
姫乃達の部屋で集合し、日程を確認した後。
ディーク達は、城の外へ出ていく。
皆、あっちこっちの店に行っては、必要な物を買いこんだり、息抜きをしたりしている。
息抜きにはちゃんとなっているようで、皆楽しそうにしている。
この後は、フォルト・アレイスの別荘を見に行ったり、休憩寮に向かったりするらしい。
周辺を警戒しながら歩いていると、メリルが話しかけてくる。
「姫乃様達って、何だかんだたくましいけど、けっこう大変だよね。ボクだったら、やってらんないよ」
「藪から棒になんだよ、メリル」
「だってさ」
口をとがらせる同僚の兵士は、店先でわちゃわちゃしている姫乃達を見ながら続ける。
「いくら友達と一緒でも、あんな歳で異世界に来ちゃって、得体知れない騒動に巻きこまれちゃってるんだよ? しかも、友達が命の危機に瀕したり、世界の危機に関わっちゃったりって重すぎると思わない?」
「それは、確かにそうだよな」
自分の身に置き換えてみると、それがとんでもない事だというのがよく分かる。
ディークが姫乃達の世界に言って、同じ目にあったら耐えられるかどうか分からないだろう。
というか適切に行動できる気がしない。
未利風に言えば、「最初の町で詰む」んじゃないだろうか。
「姫乃様達、めっちゃ良い人達なのに、なんか不公平だよな」
世の中は本当に平等ではないなとつくづくそう思ってしまう。
いい人が幸せになってほしいし、報われてほしいけれど、そうはならないのが現実だ。
そう思えば、メリルも珍しくこちらに同意する。
「世の中ほんっと、おかしいよねー」
しみじみ言い合っていると、用事が済んだようだ。
姫乃達が、こちらを呼んいる。
そちらに向かって歩いていくと、途中で姉妹のような二人組に遭遇した。
「私、お腹がすいてしまったみたい。もう、動けないわ」
「はぁ? さっき確かサンドイッチ食べてたわよね? 燃費悪いわねあんた」
一人は空腹を訴える少女だ。
姉らしき人物に手をひかれて歩いているが、もう片方の手でお腹を抑えている。
もう一人は長い金髪の少女だ。
妹らしき人間の手を引きながら、探し物でもしているのか、あちこち視線をさまよわせている。
その二人は、すぐに人ごみに紛れてどこかへいなくなってしまった。
「カリバン? なに、ぼーっとしてんの? 仕事中でしょ!?」
「あ、ああ。悪ぃ」
自分でもどうしてあの姉妹が気になったのか分からない。
もやもやを振り払うように、前へ歩き出した。
ディーク達は、次の場所へと移動していく。
フォルトの別荘を見学したりした後は、ギルドに向かう事になった。
ホワイトタイガーとかいうお助け屋?の建物だ。
向かってみると、礼儀正しい少女、華花に出迎えられた。
こっちの事もこなしつつも、来客にも柔軟に対応していて、できる人間さがよく出ていた。
なんか、エアロに通じるところがある。
物腰が柔らかいエアロみたいな感じだ。
こんなことを言ったら、エアロに怒られるだろうか。
人の心の機微というものはよく分からない。
特にディークは他の人よりそういった面が大雑把だと指摘されるので、こういうことは慎重にならなければと思う。
といっても、ついさっき買い食いしたメリルに「太らないか?」と言って、怒られたばかりだが。
仲が良いと思われる事に対して抵抗はなかったが、ディークと兄はやる事成す事が良くかぶった。
他の家の兄弟と比べて、たぶん行動を共にする機会が多かったせいだろう。
それ事態は良い思い出だ。
けれどそれは、良い事を生むばかりではなかった。
幼いころから器用さを発揮していた兄と比べられたディークは、コンプレックスを強くしていた。
だからなのか、歳を経るごとにその欲求は強くなっていった。
ディーク・カリバンにとって兄は、越えるべき存在だった。
そうじゃなければ、一人前の人間になれないと思っている。
「はぁ、バカリバンって、なんでそんなに一人前になりたがるの?」
だが、他の人にはあまり理解されないようだった。
メリルなどはよく不思議がっている。
「カリバンは器用じゃないんだから、へたに頑張っても状況を悪化させるだけ。それが分からないほど馬鹿じゃないでしょ? それでも動きたがるのはあんたのエゴじゃん」
その言葉にディークは言い返せない。
何かやりたい、誰かの役に立ちたい、兄より優れているところがほしい。
そんな思いがあるものの、自分の行動のせいで誰かを不幸にはしたくなかった。
なのに、気持ちがこんがらがって、時々余計なことをして失敗してしまうのだ。
ディーク自身、どうすれば今の状況を抜け出せるのかわからないのだ。
姫乃たちがギルドで話し合いをしているさなか、ディークは建物の窓からぼんやりと外を眺めていた。
すると、なぜかこちらの様子をうかがう少年の姿を見た。
その少年は未利がいる方を見つめているように見えた。
少年は特に目立つ容姿ではなく、そのあたりを歩いている一般人と変わらない存在感だ。
だから普通なら気にならないはずなのだが、なぜか目に留まったのだった。
何となく気になったディークがじっと見つめていると、向こうの少年も気が付いたらしい。
びくっと肩を揺らした後、その場からさっと逃げていった。
「なんだ、あいつ?」
「どうしたのカリバン」
こっちの様子を気に留めたメリルが訪ねてくる。
「いや、なんか外に変な子供がいたから気になって」
「それ、氷裏とかじゃないよね?」
「当たり前だろ、それだったメリル達に言ってるよ!」
さすがにいろいろな人の劣るディークでも、氷裏を放置したりはしない。
姫乃達から話を聞いただけとはいえ、やばさはよく分かっているからだ。
少しすると、別の子供達が集まってきて、こちらの建物を指さしながらあれこれ喋り始めた。
肝試しがどうとか外から聞こえてくる。
不思議に思っていると、華花から「お化け屋敷」と間違えられた過去の出来事について教えてもらった。
今は外してあるが、少し前までは不気味なお面が外壁についていたとか。
なぜそんなものがついていたのだろうか。
意味が分からない。
そういえば、以前ハイネルが芸術について何か言っていた気がする。
金持ちの趣味だとか、裕福の家の人間の特権だとか。
ディークにはあまり意味がよくわからなかったが、専門性が高いのだろうという意味で自分には触れられない分野だなと感じていた。
とりあえず、その後は何事もなく城へ帰る事ができた。
姫乃達とまざって、今日の出来事をまとめたり、今後の方針について話した後で、就寝。
その日、一日を終えた。
しかし、何事もなく終えるわけにはいかなかったらしい。
トラブルが起きた。
それも身内に。
メリルが男子兵舎にやってきたのは、日付が変わったくらいの頃だろうか。
「ディーク、ちょっと、早く起きて! ハイネルさんが大変なの!」
眠っていたディークは、メリルに叩き起こされて医務室に向かうことになったのだ。
医務室へ向かうと、顔色の悪いハイネルがベッドの上に寝かされていた。
「兄貴!」
一瞬肝が冷えたが、ハイネルの様子はそれほど悪くはなさそうだった。
「そう情けない顔をするなディーク。心配はいらない」
一応はほっとするが、不安は消えない。
ハイネルは弱音を吐かないから、思ったより具合が悪いなんてパターンもあるかもしれないのだ。
それに大丈夫だとしても、家族が倒れたのなら心配しない理由にはならない。
「でも…」
傍にいた医者にこうなった理由を尋ねると、ハイネルは何者かに毒を盛られたらしい。
幸いにもすぐに処置を受けたために、不幸な結果にはならなかったが、手当てが遅れていたら危なかったらしい。
ハイネルは日付が変わっても、城の中で仕事をしていたため、人目があるところにいた点も幸いだったと言われた。
同僚がハイネルを医務室まで運んできてくれたそうだ。
「なんでそんなことに…」
ハイネルが倒れたという事も衝撃的だったが毒を盛られたという事もなかなかだった。
すると、ハイネルが口を開く。
その顔色はいつもより少し悪い。
「毒はクッキーにまざっていたようだ。何者かが、私たちを殺害しようと毒をまぜたのだろうな」
「なっ」
ディークは昼間の出来事を思い出す。
メリルが分けてくれたクッキーを見て、ハイネルが首を傾げていた。
メリルが毒など入れるわけがないから、別の人間の仕業だろう。
まさか何気ないあの日常の一コマがそんな脅威に直結していたとは思わなかった。
「一体、だれがそんなことしたんだよ」
強く拳を握りしめるが、そんなことをしてもディークの頭では、理由も犯人も何も思い描くことができなかった。
ハイネルのことが心配になりつつも、仕事をおろそかにするわけにはいかない。
もやもやとした気持ちを抱えながら、次の日も兵士としての仕事をこなしていた。
そんな自分に話しかけてくるのは、レインだ。
「もうそろそろ休憩時間ですね。あと少しなので、私がやっておきますよ」
「いやいいって。俺がやった方が早いし」
早くハイネルのところに行きたいだろうと思って気を使ってくれたのだろうが、仕事はきっちりこなしたい。
一応意識ははっきりしているし、状態が悪いわけでもないのだから、自分に割り振られたことを人任せにはしたくなかった。
「そうですか。分かりました」
レインは未利でもあるのだが、雰囲気やら言動やらがまるで違うので、たまに戸惑ってしまう。
今は兵士として一緒に倉庫の整理という名の雑用をしているところだ。
「ディークさん、狂信者、ってご存じですか?」
「きょうしんしゃ?」
「端的に言うと、盲目的に、わき目も降らず、とある人物の言いなりになっている方達、でしょうか」
「物語とかで聞いたことあるけど、それがどうかしたのか?」
小柄な少女の口から放たれた物騒な言葉に、思わず表情がひきつってしまう。
「最近町で噂されているらしいですよ。何かを強烈に妄信している方たちが、きな臭いことをしていると」
「やけに曖昧な話だな。何かってなんだよ」
「さあ、そこまでは」
話がざっくりとし過ぎてあまりイメージがわかず、感想も抱けない。
そんな話が出回っているのかと思い、ディークは思わず首をひねってしまう。
自分は聞いていないが、メリル辺りに確認してみようと思った。
「俺は知らないけど。なんでそんなことを……分かんないな。それ、やってて楽しいのか?」
「さあ、でも、必要だからやっているんでしょうね」
何かを強く信じたりする行為は、良い事だと思っている。
エンドラインの中のこの世界だ。
そういったものが必要にあんる人もいるだろう。
けれど、それが時として思わぬ惨事を引き起こすことくらいはディークでも分かっていた。
狂信者。
というのだから、その信じる気持ちが強すぎるのが問題なんだろう。
「町に出るときなどはくれぐれも気をつけてください。狂気に支配された人たちはどんな行動にでるか分からないので」
「わかった、心配してくれてありがとな。レイン」
レインは未利と同一人物だが、こういうところはしっかりと自分の口で相手に伝えるのだなと思った。
無表情だが、こちらを案じているのは分かる。
これが未利の場合は、もうちょっと遠回しになるところだった。
未利の方は表情は豊かだが、自分の気持ちを伝えるのが苦手なので、ちょっと見ててヤキモキしてしまうところがあるのだ。
もっとも、それを言えば「お前が言うな」と他の者達から言われるのだが。
毒を口にしたハイネルは、その後から幸いにも順調に回復している。
もう少しすれば自由に動けるようになるとのことだ。
医師の判断を聞いてほっとしている。
ハイネルのことがあったので、姫乃たちは中央領行きを少し遅らせていた。
大したことがないと思っていた予定の変化だが、これが思わぬ結果を生み出すことになる。
コヨミが毒物混入の犯人を突き止めるために助力を求めたのは、コーティー女王だ。
コヨミはコーティーにチャットのやり方を教えて、最近は忙しくしているらしい。
コーティー女王は、恐ろしいスピードで城の内部事情を把握していき、チャットを用いて兵士たちから細かな情報を収集していった。
どこで誰がゴミを捨てたとか、何を食べたとか。
そんな細かな情報から、いくつもの推測を立てていくのは驚くべき手腕だ。
とある時期の兵士の服の生産数、同じ時刻で目撃された場内の兵士の数、なくなった備品や生活用品の数、それらの情報を推測してたどり着いたのは、部外者が兵士に成りすましているという可能性だ。
ライアにその疑惑が立ち、調べた結果、彼女がディークに毒を盛った犯人だと明らかになった。
だが毒の入ったクッキーは二つ。
ディーク達が把握しているクッキーは全て食べられた後だったと判明しているから、残りの一つがどうなったか分からないのが気がかりだった。
何かの拍子に捨てられたというのならば、これ以上の問題は起きないのだが……。
そんな衝撃の事実が明らかになった日々の中、表面上は城の内部は穏やかな時間が流れていく。
ハイネルの容態は回復し、動くことができるようになっていた。
しかし、状況は見えない部分で進行していた。
スカウトされて新しく城にやってきた兵士の一人、クレオという女性が、ディークに話しかける。
「ディーク様」
なぜかこちらを様付けしてくるその女性は、ディークとハイネルが昔護衛したことのある女性だ。
品の良い所作が長所で、ゆったりとした雰囲気を纏っている。
上品と言う言葉がぴったりだった。
「クレオ、どうしたんだ?」
「ディーク様が、何かに悩んでいるように見えたので、少し心配になって……」
城に来たばかりの後輩に心配をかける自分を不甲斐ないと思い、ディークは落ち込む。
「良ければ何かその悩みの一端でも、このクレオに話していただけませんか?」
「いや、大変だろうし……」
ディークはクレオを見ながら言葉を濁す。
しかし、正直誰かに心の内を聞いてもらいたいとは思っていた。
姫乃達は、見た目は子供だが、とろこどころ大人の考え方も持っている。
兄弟仲に悩むディークの気持ちと彼女達の間には少し距離があった。
つまらない事で悩んでいる自覚があるため、彼らを責めるつもりはないが、いつまでももやもやした気持ちを抱えていたくはない。
ディークは意を決して、クレオに話した。
いつまでも誰かに守られる立場でいたくない、強くなりたいと。
ディークは今までいつもハイネルに守られ、頼りにしてばかりだった。
そんな自分を変えて、強くないり、逆に守る立場になりたかった。
馬鹿力があり、戦いの心得と護衛については少し人よりもできると思うがそれまでだ。
ディークのコンプレックスを解消するまでではなかった。
それらの話を聞いたクレオは、口を開く。
「クレオには、すぐに強くなる方法は分かりません。そういったものは努力の上にあるべきもので、近道を歩いたりズルをして得るものではありませんし、一朝一夕で身に着くようなものではありませんから」
「そうだよな」
厳しい現実を教えられたようで、クレオの言葉を聞いたディークはへこむ。
しかしクレオはそんなディークに向けて言葉を続ける。
「けれど道の途中だからこそ、力のない者だからこそ出来る事があるのは事実です。そういった今を大切にする事、今の自分ができる最大限を追求する事で、強さにたどり着く道のりをほんの少しだけ短縮できるのではないかと思います」
難しい事を言われたようなディークは頑張って考える。
頭の中に浮かんだのは、なあの姿だ。
なあは姫乃達の中で一番弱いが、なあにしかできない事がたくさんある。
最近は攻撃力を身に着けて成長し始めているから、うまく言い表せないがたぶんそういう事なのだろうと思った。
「ありがとな、クレオ。なんかちょっと元気が出たような気がする」
「どういたしまして。力になれたなら、嬉しいです」
ディークがお礼を言うと、クレオが嬉しそうにほほ笑んだ。
クレオと話をした後、ディークはメリルに出会った。
メリルは「聞いた?」と話し掛けてくる。
「リーラン王が今城にきてるんだって。なんか、牢屋で捕まってる漆黒の刃に用があるとか」
「え? リーラン王が?」
リーランは、北方の領地を治める統治領主だ。
普段その地域から動く事があまりないため、シュナイデル城に来ている事に驚いた。
「何の用だろうね」
「そういえばこの前、三座様が漆黒にしてやられた件があるとか言ってたな。関係あるのかも」
「へー。あいつらどこでも悪さしてるんだね」
闇組織だから悪さしてないわけはないのだが、改めて考えるとはた迷惑な連中だと思った。
悪事を働く以外にやる事がないのだろうか、と思う。
社会の裏で活動する者達とは、何度か戦った事があるが、ディークには彼らの気持ちがまるで分らなかった。
ちなみにリーランがシュナイデル城に来た目的が判明するのは、もう少し後の事だ。
漆黒の刃に城から盗まれたものを取り返すため、情報を聞き出すという目的があったのだった。
クレオの助言を頭の中に入れながら、ディークは自分に出来る事を考え続ける。
そんなディークがクレオと共に外出した時、身なりの良い男性と女性が声をかけてきた。
それは新人兵士達のために生活用品などや必要な物を買い出ししている時だった。
裕福な家の人間だなと直感したのは、所作が優雅で、ささやかな行動一つとっても上品な雰囲気があったからだ。
そういった人間を何人か護衛してきたディークには、よくわかる事だった。
人目を気にするように周囲に視線を向ける殻らは、フードをかぶって顔をかくしている。
「あ、あの、シュナイデル城の兵士さんでしょうか」
エインストルと名乗った彼らは、ディークに頭を下げる。
「その、初対面の方にこんな事を頼むのは気が引けるのですが、どうか私達を助けていただけませんか」
人から頼られる場合は大抵ハイネル経由であるケースが多いため、ディークは驚いてしまった。
詳しく話を聞くと、その二人はとある家の人間だと言う。
その家を支配している組織があり、その組織は世界の秘密に関わり、今はお城をひっくり返すような何かを企てているという。
ざっくらばんな内容しか把握できなかったのは、話しかけてきた二人ーー夫婦だと教えてくれた者達が何かに焦っているからだったが、ディークの頭のできがよろしくないのも原因だ。
こういった時、兄がいてくれたらと思うが、いないものはないのだからしょうがない。
「えっと、うまく話を理解できたかわかんないけど、要するに二人を守って城まで戻ればいいんだな」
ディークが確認の意味でそう問いかけると、二人は首を縦に振る。
護衛なら今まで何度もしてきた。
だから、よっぽどの相手を敵にまわしていない限りは大丈夫だと思いたい。
城に戻ればディークより頭の良い人たちが大勢いる。
目の前の二人の困りごとも何とかしてくれるだろう。
話をまとめた後、クレオがディークに話しかけてくる。
「ディーク様、あの方たち、おそらく偽名を名乗っていらっしゃいます」
「え?」
「本当の名前ではありませんよ、おそらく」
ディークは夫婦の様子を窺うが、自分では何も分からなかった。
「こちらの事を信じていないのか、よほど難しいことに巻き込まれているのか分かりませんが、気を付けたほうが良いかと」
「そ、そうなのか」
嘘をつかれている事に衝撃を受けるが、人にはそれぞれの理由がある。
嘘=悪だと決めつけるのは、早とちりがすぎるだろうから、心の中にとどめておくだけにしておく。
「じゃあ、移動するぞ。サポート頼む」
「はい。この身にかえても」
「いや、そんなにも頑張らなくてもいいから」
任務に臨む意気込みが高すぎるのに若干面食らったものの、ディーク達はすぐにその場から動き出す。
シュナイデル城へ向かうまでだいたい30分。
何事もなければすぐに目的地にはたどり着けるはずだ。
しかし、彼らの様子からみて薄々思っていたが、やはり何事もなくとはいかなかった。
走る路地の背後で、爆発音が鳴り響く。
「しつっこいな。あいつら」
相手は基本は人だが、人でないものもいる。
「白昼堂々と、どっからけしかけてくんだよ!」
ディーク達は、憑魔にも襲われていた。
普通の市民を巻き込む事も関係なしに、だ。
ディーク達が守らなければならないのは二人だ。
一般市民まで気をまわしている余裕はない。
けれど、道端を歩いていただけの者達が怪我をするのは、良い気分にはならない。
「こんのっ」
ディークは襲い掛かってきた憑魔の突進を回避した後、近くに落ちていた木材を手にしてぶん投げる。
うまく頭部にあたったらしい。
憑魔は角材にあたって、倒れた。
別の憑魔に襲われかけていた市民は、それで逃げられたようだが、焼け石に水だ。
「ディーク様、また次が来ます」
「ちくしょう。ふざけんなっ」
ここまで大暴れしていれば、見回りをしている兵士たちも気づいてかけつけてくれるはずだが、来ない。
他の場所でも何か問題が起きているのかもしれないと思った。
「気を付けてください! 上から!」
「上!? ーーうらぁっ!」
影がさしたのを知って、考えるよりも前に動く。
上空から奇襲する飛行型憑魔を石で投げ落として、護衛対象の腕を引っ張る。
「いつまでもここにいたらまずいです!」
「今の内に移動します! 早く」
幸いにも二人はきちんとついてきてくれた。
ここにくるまで何があったのか走らないが、緊急時の対応にはそこそこ慣れているようだった。
しかしこのままだとディークたちには対応しきれなくなる。
だから、急かすような足取りで、城へ向かう。
何もない時ならすぐにたどり着くはずの城がやたら遠くに感じられた。
なんでここに兄がいないんだろうと、何度思ったか分からない。
自分が手こずる全てを、兄なら簡単に乗り越えてしまえるはずなのに。
それでも、投げ出すわけにはいかない。
足りないものだらけの自分だけど、それで失われていいものなんて、ディークが見ている世界にはないのだから。
「クレオ、電撃トラップだ!」
「え?」
何度目かの襲撃の跡、誘い込まれたのは路地。
とっくに助っ人は見込めないと分かりきっていた。
普段なら警吏も兵士もまちなかを歩いているはずだが、今はいないのだから。
空気がぴりついて、肌が泡立つ。
本能が警告を発していた。
「足を止めたらまずい!」
ディークは自分の記憶の中にある知識をひっぱりだして、クレオ達を走らせる。
能力を使って、正しい道を探す。
ゴムでできた弾力のある布が道のわきに落ちていたので、それを拾ったのは幸運だった。
護衛対象二人にかぶせて、走りつづける。
あたりの空気中がぴりぴりしていくのを感じる。
それはたぶん、この世界の記憶ではないもので、別の世界の誰かのいつかの記憶。
だけど、今はその記憶が役立っている。
その事実に、自分だけの特別を手にした気がして、少しだけほっとする。
しばらくして、危険を脱したと判断し、夫婦をつれて路地を抜けだした後に、一息をつく。
振り返る景色からは異常は見られないが、ディークの本能は自分の判断が間違っていなかった事を伝えていた。
だが、安堵してはいられなかった。
「ーー相変わらず、いけすかない顔していますすね」
聞きなれた冷ややかな声が聞こえてきて、視線を向ける。
「ちょかいをかけにくるにしても、時と場所を選んでくださいませんか?」
レインの声からは冷たい怒気が伝わってくる。
目を剥けると、氷裏と対面しているレインの姿があった。
さらに、彼女達の近くにはリーラン王の姿がある。
城の中で数度しか見た事はないが、あれはまぎれもなくリーラン王のはずだ。
要注意危険人物が出歩いている事に驚くが、王様がいるのもそうだ。
だが、状況はディークの理解を待ってはくれない。
上から矢が降り注いだからだ。
ディーク達が守っている護衛対象、夫婦めがけて。
一体誰が、と思っている暇なんてない。
なぜかウーガナの声が矢が降ってきた方向から聞こえてきたが、聞き取っている場合ではなかった。
ディークとクレオが慌てて、夫婦をその場から避難させる。
「こっちだ。走れ!」
「ディーク様、どうしましょう」
「レインも心配だけど、リーラン王がいるならたぶん大丈夫だろ。なんてって剣王って言われてる人なんだし。俺達は城に行こう!」
誰かに意見を求められるのは珍しいな、と忙しい状況の中思いながらも、ディークは目標を定める。
城まであともう少し。
そうすれば、ディークはこの重すぎる責任を、今背負うべき人間にたくせるはずだから。
全方位に意識を向けながら夫婦二人を、城の目前まで連れてくる。
しかし、いつもなら入口にいる見張りの兵士はいなくて、やはり緊急事態だという事が分かった。
城の内部から爆発音や戦闘音が聞こえてくる。
結界を解いてもらうために、ディークが内部に向けて定められている合図を送ろうとする。
だが、ここでも妨害が入った。
「その二人を引き渡してもらおうか」
その場に現れたのは、十代後半くらいの青年。
赤い髪の細身の青年だ。
目を細める彼は、鋭く冷たい印象を見る者に与える。
ディークはその相手の顔を知らない。
「誰だ、お前。なんでこの人たちをつけ狙うんだよ」
「まるで私達が悪であるかのような言い草だな。その二人から何を聞いたのだか。私達は世界のために行動しているだけだ」
ディークは相手の言葉を聞きながら、奇妙な気持ちになる。
十代後半くらいの見た目なのに、醸し出す雰囲気が、喋り方が相手をなぜかもっと大人のもののように見せるからだ。
荒事なれしてなさそうな体格だが、直感で見た目通りの相手ではないなと思った。
「クレオ、俺がこいつの相手をする。そのうちに、二人を中へ」
「……分かりました」
クレオは数秒だけ考えた後、夫婦の二人をつれて城の中へと向かおうとする。
だが、彼女の足は進まない。
二人を連れて移動しようとしたクレオの体を、何者かが刃物で貫いた。
「クレオ!」
新たにこの場に現れたのは、二人の顔のよく似た男性だった。
ディークはしかし、彼らを満足に見つめる事もできない。
気が付いたら血を吐いて、その場に倒れていたからだ。
かろうじて分かるのは、自分の腹に大きな穴が開いている事実。
勢いよく血が流れ出るのを感じながら、ディークは「逃げろ」と言う。
けれど、声が出ない。
意識が遠のき、視界が白く染まっていくのを感じながら、ディークは自分の力不足を痛感していた。
自分はなんて役立たずなのだろうか。
ディークにできる事なんて、最初から何もなかったのだろうか。
ここにいるのがディークでなければ、別の誰かであればよかった。
兄のようになりたかった。
兄のおまけみたいな存在じゃなく、兄に守られて、兄を頼るばかりの人間じゃなく。
自分だけにできる事を成し遂げられる、誰かを守って、誰かに頼られる自分になりたかった。
ディークの意識は闇にのまれて消えていく。
その直前ーー
「よく頑張ったな」
ハイネル・カリバンの、世界で一番尊敬する家族の声が聞こえた。
『ハイネル』
ハイネルにとってディークは、大切な家族だ。
唯一といっていいくらい、信じられる大切な存在だ。
昔は手間のかかり、仲の良い弟といった認識だった。
自分とディークとの間にあるものは、どこにでもいる兄弟の形だったと思う。
しかし、それが変わったのは、ある事が原因だった。
それは、家に物取りが入ってきた夜の事だ。
クレオと知り合った後で、ディークが熱を出して寝込んだ夜。
物取りに命をとられそうになった両親は、ディークを差しだそうとした。
役に立つ力を持っているから、と。
幸い、自警団が見回る気配で彼らは家から去っていったが、だからなかったことになどできるはずもない。
それ以来、両親とディーク達の間には深いへだたりが出来上がってしまっていた。
両親はとある隊商の仕事の補佐をする名目で、各地をかけ回るようになった。
最近ではコーティー達の話から、隊商が拾った身寄りのない子供の世話をしているという。
だから、ハイネルにとってディークは、自分の世界で唯一信じられるもので、大切なものになってしまったのだ。
死んでほしくないし、危ない目になどあってほしくはないと。
だから、ついあれこれ口うるさくしてしまう。
それが過干渉気味になってしまっている事や、ディークのためにならないという事を分かっていても。
だが、この状況からどう抜け出せばよいのか、自分には分からなかった。
傭兵になったこと以外は、人生他のものよりそれなりに要領よく生きてきたつもりだが、案外自分はそれほど頼れる人間でも頭の良い人間でもないのだなと思い知らされた。
「よく頑張ったな、ディーク」
それでも今だけは、弟の目に映る自分は、頼れるかっこいい兄貴のままでいたい。
大した事のない虚像で幻想だとしても。