第五話 矛盾する愛憎
幻聴であって欲しいと願いながら振り返ると、まごうことなきマリナーヌが立っていた。普段はズボン姿なのにドレスを着ていた。薄暗いからか、薔薇が黒く染まっていた。
マリナーヌは仮面を付けていた。それでも妹だと分かったのは声だった。あの可愛らしい声は彼女以外聞いたことがなかった。
ふとマリナーヌと私が遊んでいた時のことを思い出した。両親が死んだ時の花畑で私達はごっこ遊びをしていた。マリナーヌが王子で私は妖精役。
あぁ、マリナーヌは……そうだ。妹は声色を変えることができた。色んな役になることができた。
さっきまで思い出せなかった記憶が湯水のごとく湧き出てきた。しかし、思い出せば出すほど湯冷めしたかのように身体が震えてしまった。
「ま、マリナーヌ……ここは何なの?」
「すごいでしょ? あらゆる呪術に関するコレクションがあるの!」
妹は一回転した。妖精みたいにフワッと裾が舞っていた。
「マリナーヌ、どうしてこんなのを集めているの?」
「何って、憎い奴を苦しめさせるためよ」
マリナーヌは仮面を外した。普段は温厚な眼差しが今夜は不気味に光っていた。
「苦しめるって? 誰を?」
「決まってるじゃない……姉さんよ」
悪夢だと思っていたことが現実になってしまった。『悪魔の囁き』の正体はマリナーヌだったのだ。
「どうして?! どうしてあなたが?」
「小さい頃から姉さんに嫉妬してたの」
マリナーヌは大きく溜め息を吐いて、両腕を組んだ。
「文武両道で才色兼備。それに比べて私は器用貧乏で妄想癖。パパもママも姉さんのことを特に愛していた。いずれ王位を継ぐんだと話を聞く度に胸が締め付けられた」
「あなたの狙いは女王になることなの?」
「違うわ!」
私の指摘が逆鱗に触れたのか、数倍も声を張り上げて否定していた。その気迫に説得させようとする気力を失ってしまった。マリナーヌの声が微かに震えていた。
「私は……消したかった。自分への劣等感を。でも、その存在がいる限り消える事は無い。だから……」
「だから、お父様とお母様を殺したの?」
妹よりも先に言ってしまった。またあの花畑の記憶が蘇っていった。確かマリナーヌは途中でトイレに行っていた。妹が帰ってきた後に父と母が殺されていた。
子供の時は両親の死が衝撃すぎたけど、もし妹が憎しみを抱いていたのだとしたら――でも、まだ子供の時に殺人だなんて……。
マリナーヌは沈黙していた。肯定も否定もしなかった。まるで私が次に話すのを待っているかのようで、ゾクッとした。
「嘘だと言って。マリナーヌ」
「本当よ。私が殺したの。二人とも最初は抱きついて来るのだと思って近づいてきた。刺された時も死ぬ時も何が起きたのか分からず気づかずに死んでいったわ」
妹は壁に飾られているナイフを取った。刃のきらめきをじっくり眺めた後、私の方に向けた。
「マリナーヌ、やめて」
「黙って」
私の声を被せるように声を張り上げた。マリナーヌは刃を私に近づけながら無造作に置かれた人形を取った。それを口元まで近づけた。
――姉さんは喋らないで。もし次余計な事を言ったら刺すから
あの声が私のことを『姉さん』と呼んでいた。目の前でマリナーヌが喋っていたので、呪いの声を出していたのは妹なのが確実した。
妹はまた人形を置くと、標準の定まっていない目で話し出した。
「姉さん、本当はね。一番殺したいのは姉さんなの。今日の朝、私がリンゴ持ってきたでしょ? あれはね、毒リンゴなの」
嫌な予感はしていたが、私を励まそうとしていた時もそれに便乗して殺そうとしていたのか。だけど、ある矛盾が生まれる。
「じゃあ、なんでバルコニーから飛び降りろと言ったくせに私を助けようとしたの?」
その問いにマリナーヌは明らかに動揺していた。
「え、えぇ、そうよ。確かに私は殺そうともしたし、助けようともした……なぜだが分かる?」
「……分からないわ」
「愛しているからよ」
マリナーヌはナイフを人形の前に置いて、まるで舞台役者の如き眼差しで見つけてきた。
「姉さんは頭も良いし思いやりもある。周りからチヤホヤされているのに常に謙虚で、自分の事よりも相手の事を考える完璧な人。だからこそ憎い。けど、大好きなの。
私の心の中に姉さんを殺してやりたいほど殺意を持っている自分と死ぬほど姉さんを愛している自分もいるの。憎いけど大好きなの。殺してやりたいけど愛しているの。
ねぇ、この気持ちはなんなの? この矛盾した感情をどうやって慰めればいいの?」
私は妹が怖くなった。完全に狂っているとしか思えなかった。けど、相反する感情が葛藤しているおかげで私は生きていると思うと複雑な心境だった。
「マリナーヌ、とにかく落ち着きましょう。もし私を殺したらいくら王女でも処刑される可能性だってあるのよ?」
「喋らないで。ますます殺せなくなってしまうから」
妹がたじろいでいるのを見た私は直感で話しかけ続ければ突破できると思った。
「マリナーヌ、覚えてる? 私の誕生日に初めて何をあげたか?」
「姉さん」
「手作りの泥団子よ? まだ一歳だったから球とは呼べないほどグチャグチャだったけど、とっても嬉しかった」
「やめて」
「あなたが五歳の時、森の探検をするとか行って連れてってくれたよね? だけど、道標として使っていたパンくずが鳥にたべられちゃって迷ったよね」
「うるさい」
「お城にお化けが出たとか言って私の布団に潜り込んできた……」
「うるさああああああい!!!」
マリナーヌの怒りは限界にまで達し、テーブルの上に置かれていた人形やナイフなどを床に散乱させた。私は落ちたナイフを回収したが、妹はニヤッと狡猾な笑みを浮かべると人形を手に取って、また自分の口元に近づけた。
――自分の首にナイフを刺して
そう聞いた瞬間、自分の手が勝手に動いた。意識していないのに刃先が私の喉まで迫ってきていた。
――そうよ。このままブスッと……。
「姉さん! やめて!」
マリナーヌが突然人形を置いて私に向かって叫んだ。すると、私に掛っていた力が抜けていった。
が、また人形を手に取ると『刺せ』と囁いてきた。
「何をしているの? やめてよ!」
――刺せ。刺せ。刺せ。
「姉さん、死んじゃだめ!」
一人芝居をしているようだった。人形と私を交互に行き交いながら死ねと言ったり死ぬなと叫んだりしていた。
これが妹が言っていた愛憎の葛藤なのだろうか。私の手は喉を遠ざけたり近づけたりを繰り返していた。
「あぁあああああああ!!!」
マリナーヌは急に人形を地面に叩きつけた。頭が陶器で出来ているのか、粉々に割れてしまった。すると、呪いの効力を失ったのか、両手の自由が効くようになった。
私はナイフを投げ捨てると、それを妹が拾った。両手で大事そうに握りしめながら身体を震わせていた。
「はぁ、はぁ……最初からこうすれば良かったのよ」
「マリナーヌ、まだ引き返せるわ。全部悪酔いのせいにするから……お願い。可愛い妹のままでいて」
「黙れっ! 黙れ、黙れ、黙れ……」
妹はジワジワと近づいていった。後退したが壁にあたってこれ以上進めなかった。
万事休すといった状態にマリナーヌは怪しい笑みを浮かべた。
「……さようなら」
妹の頬に月光に煌めく雫が落ちるのを見た――その時だった。
背後から骸骨が妹の身体を覆い被さって来たのだ。当然半狂乱になっていた。
「なぁっ?! おま、お前は?! この、死んだくせに! なんで、まだ、生きて、くそっ! 離せ! 離せ!」
妹と骸骨は揉み合いになった。あっちこちにぶつかり、本が落ちたり物が割れたりしていた。私はどうすればいいか分からず呆然と立っていた。
そうこうしているうちに妹と骸骨は窓ガラスを突き破って二人まとめて落ちていった。彼女の甲高い悲鳴が聞こえる。この声に私は我に返って窓の縁まで駆け寄って覗き込むと、仰向けに倒れた妹が見えた。目を開けたままジッと私の方を見ていた。
だけど、落ちたはずの骸骨は見当たらなかった。何かの衝撃で散乱してしまったのだろうかと探していると、肩を叩かれた。
振り向くと、あの骸骨が目の前に立っていた。
「いやああああああああ!!!」
私は悲鳴を上げて部屋を出ていこうとしたが、骨の手に掴まれてしまった。
「やめて! この! 人殺し! 化け物!」
「あなたの命を助けたのに『人殺し』はないでしょう」
突然懐かしい声が聞こえてきた。記憶が一気に五年前の噴水広場の光景が浮かんだ。それが反映されたかのように骨がドンドン肉を付けてきて、全身黒ずくめになった。
「……バトラー?」