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第三話 こんな気持ち、初めて

「それはそうと、どうして噴水に顔を洗おうとしていたんですか?」


 ついにバトラーに先程の奇行を尋ねられてしまった。私は必死に頭を働かせて、どうにか呪いの事を悟られないように返した。


「えっと、か、顔を洗いたかったんです」

「わざわざ庭園まで来て?」

「ここの水は澄み切ったように綺麗で……」

「虫の屍骸が浮かんでますけど」

「あ、え、えーと……」

「マルガレーテ女王」


 バトラーは深く溜め息を吐くと、アメジストの瞳で見つめてきた。その瞳で見られると、余計な事を口走りそうになるので視線を手元に移した。


 彼は私の反応にお構いなしに進めた。


「舞踏会の最中でこんな所に抜け出すのは特殊な事情がない限り不審ですよ」

「独りになりたい時もあります」

「どうしてですか?」


 このままでは彼に全部吐露してしまうと思った私は逆に尋ねてみることにした。


「あ、あなたの方こそなぜこんな所で?」

「先程申し上げたじゃないですか。お月見だと」

「あ、あー、そう。でしたね……」

「そろそろ話していただけませんか?」

「何をです?」

「人には言えない秘密を抱えているんじゃないですか?」


 バトラーの言葉に私の心は大きく揺れてしまった。彼は私の心を見透かしたように「やはり」と残りのフランを食べ終えた。


 私は言おうか言わないか迷った。今日会ったばかりの相手に自分が長年抱えている秘密を打ち明けるのはどうなのだろうか。いや、妹のマリナーヌにも言っていないのだから、初対面どうこうではないかもしれない。


 それに彼は他の紳士とは違う雰囲気を感じていた。舞踏会にいるような彼らだったら恐れおののくか、同情するフリをして良からぬ事をしようとするだろう。だが、彼はそういう(よこしま)な考えはないみたいだ。純粋に私の力になりたいと思っている――あるいはただの好奇心かもしれないけど。


「誰にも言わないと約束しますか?」

「もちろんです」

「もし話しても笑わないですか?」

「……耳の穴から毛がブワァと生えるとか?」

「そんなのではありません。からかってます?」

「いいえ。身体的な悩みでしたら私よりも医者の方が最適だと教えるつもりでしたが……そうではないようなので安心しました」


 バトラーはフフっと笑うと、ジッと私の方を見てきた。どうやら私が秘密を話すのを待っているらしい。そう思うと急に呼吸が出来なくなってしまった。まるで自分の周りだけ酸素が薄くなっているみたいだった。


「私は……私は……その、呪いがあるんです」

「呪い?」

「えぇ、頭の中で自分と違う誰かに言われるんです」


 私はバトラーの反応を見てみた。頬を緩ませたりせずに真面目な顔で見つめていたので、次の言葉がつっかえずに出す事ができた。


「その……変かもしれないんですけど、悪いことを命じてくるんです。子供の頃は『つまみ食いしなさい』とか『水をかけなさい』とか可愛い感じだったんですけど、徐々にエスカレートしていって……『人を殺せ』とか『お前が死ね』とかそんな事ばっかで……もう、もう、うんざり……」


 頭と心の中で溜まっていたものが吐き出されたからか、自然と眼からも涙がこぼれ落ちていった。口の中にも入ってきて、まともに喋れなくなってしまった。気づいたら嗚咽を漏らしていた。


「どうぞ」


 目の前に黒色のハンカチが現れた。バトラーが小さく頷いたので受け取って目元を拭った。


「……ありがとうございます」

「いえいえ、当然の事をしたまでです」

「女王である私が大泣きしてしまうなんて……情けないです」

「泣くのは人類に平等に与えられた権利ですよ。泣いてはいけない身分なんて存在しません」

「フフ……そうですか」


 なぜこの時笑ったのか分からない。もしあのまま独りで泣き続けていたらまた顔を入水させて溺死しようとしていたと思う。もしかしたらホッとしたのかもしれない。妹以外の人にここまで安堵を感じたのは初めてだった。


「他に誰がこの秘密を?」

「誰にも言った事がないんです。あなたに言うまでは」


 バトラーは黒のジャケットの内ポケットから手帳を取り出すと、パラパラとめくり、ある所で止めた。


「恐らく……『悪魔の囁き』ですね」

「あ、悪魔の……囁き?」

「呪いの一種です。えーと……」


 彼は手帳を食い入るように見つめた後、突然バタンと閉じてしまった。


「いつ頃から発症したんですか?」

「五歳からです」

「その時、何がありましたか?」

「うーん……あったような無かったような」

「よく思い出してください。何かキッカケみたいなのがあったはずです」

「えーと……」


 私は必死に五歳の頃を思い返してみた。確か両親と妹と一緒に馬車でピクニックに来ていた。私と妹が花畑で花冠を作っている途中で――あ。


「両親が賊に襲われたんです」

「賊? 山賊ですか?」

「えぇ、二人ともナイフで刺されていました」

「護衛とかはいなかったんですか?」

「そういうのを嫌っていたので」

「なるほど……」


 バトラーはペンを取り出して再び手帳を開くと、サラサラと何かを書いた。そして「それ以降に起きたんですね」と私の方を見た。


「はい」

「声は男性ですか? それとも女性?」

「えーと、どちらでもないです」

「混合している感じ?」

「そうです。急に話しかけてくるんです。自分の声とは違う……何か」

「コントロールとかはできるんですか?」

「小さい頃はできませんでしたが、抑える事はできます。なるべくマイナスな事は考えないようにしています」

「マイナス……落ち込んだ時とかですか?」

「えぇ、今日も仮面舞踏会で来賓の方達に冷たい態度を取ってしまって。このまま女王としてやっていけるのかなって」

「初めてなんですから不安に思うのは当然ですよ」


 バトラーは私の話を熱心に書いていた。一体こんな質問で何が分かると言うのだろうか。一通り書き終えると彼は「最後の質問です」と妙に声の調子を上げて聞いてきた。


「妹さんとの仲は良いですか?」

「はい。特に両親が無くなってから、さらに仲が深まりました」

「なるほど……ありがとうございます」


 彼は手帳を閉じると、静かに立ち上がった。


「今の気分はいかがですか? もう声は聞こえていないですか?」

「えぇ、今は全く」

「会場に戻った方がいいかもしれないですね。なるべく人が多い所に行った方が安全かもしれません」

「でも、会場にいた時も声が……」

「それはわざと人気のない所に誘い込むためです」

「え?」

「あぁ、今のは……忘れてください」


 バトラーは微笑むと「会場までお供しますよ」と私の手を取った。その瞬間、私の心が暖かくなった。全身黒ずくめの格好をしているから、てっきり死神みたいに氷のように冷ややかなものだと思っていた。


 でも、彼は違う。陽だまりのように暖かかった。この手を離したくないと思った。なぜそのような感情を抱くのか分からなかったけど、もし離してしまったら二度と会えないような気がしたのだ。


 会場に着くまでの間、バトラーと私は無言だった。でも、沈黙の間でも心と心は通じ合っているような、手と手を繋いでいるからそう思っているのかもしれないけど。


 会場の喧騒さが近づくに連れて歩みが遅くなった。できる事ならもう一度噴水前まで戻って歩きたい。けど、そんな願いも虚しく彼の方から手を離してきた。


「それではパーティーを楽しんでください」

「待って」


 バトラーがどこかに行こうとしたので、思わず掴んで引き止めてしまった。彼も私の突飛な行動に目を丸くしていた。


「あなたは参加されないんですか?」

「私はやる事があるので」

「今やらないといけないんですか? 別に後からでもいいじゃありませんか。我が国のシェフが腕を振るっていますし、踊りも……楽しいですよ」

「ご参加したいのは山々なんですが、どうしても今やらないといけない事がありますので」


 彼のアメジストの瞳が真っ直ぐ私の方に向けられた。冗談ではなく本当らしい。


「……分かりました」


 私の手が離れると、彼は一礼して歩き出した。


「バトラーさん!」


 私は思わず声を掛けた。彼は立ち止まって「何でしょうか?」と愛想よく聞いてきた。


「お待ちしています」


 私がそう言うと、バトラーは笑みを浮かべて歩き出した。これ以上は声をかけられなかった。まるで私と彼の間に川が流れているかのように容易に近づけなかった。彼の姿が見えなくなるまで立っていた。


 心に空洞ができたような気持ちだった。彼の姿が瞼に焼き付いて離れられない。この感情は一体何なのだろう。こんな気持ち初めて……。

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