(40)いなくなるなよ。馬鹿
人間には毒のはずの闇の魔力も、私には心地いい。
体内で作り出す魔力とは別に、空気中の闇の魔力を体が勝手に吸収しているのが分かる。
魔法の調子も良く、すんなりと魔王城へ侵入できて、すんなりと王座の間まで来れた。
仰々しい椅子に座るのは、私と同じくらいの魔力量を持った魔族。遠目でも感じられる威圧感からも、あの人が魔王であることが分かる。
謁見をいくつか終えて、小間使いと思しき魔族が外に出る。
1人きりになった魔王へ襲撃をかけるために、梁から飛び降りた。
音も、魔力の気配も出さずに着地し、床を蹴る。
5秒あれば魔王の元へたどり着けるはずだった。
踏み出した足が、床から放たれるトラップ魔法に捕まりさえしなければ。
闇魔法で防ごうと思ったけど、そのトラップは風と土と闇が混ざった複雑なものだった。視ながら対処していっても、慣れていない闇魔法ではどうにかできるはずもなく、瞬く間に捉えられてしまう。
まるで磔だ。せり出してきた石壁に、ピクリとも動けないくらいがっちりと体を拘束され、しかも、見慣れない反転魔法が込められているらしく、魔法も使えない。
「何者だ」
1ミリも動じていない魔王の視線が飛んでくる。今すぐ殺されることはなさそうだけど、この状況から私に倒されてくれるなんてことはありえないだろう。
終わった。
リーアンの冒険はここで終わったんだ。
終わって、しまったんだ。
そう思ったら、涙が出てきた。
ずっと我慢してたのに、ずっと頑張って来たのに、私の努力の全てがもう終わってしまったんだ。
もう勇者になれない。みんなの所にも帰れない。私は、私はもう・・・。
拭う事も出来ない涙が、ポロポロと頬を伝い落ちていく。惨めになるだけなのに、止まってくれないんだ。
あぁでも、もうリーアンじゃなくなったならいいのかな?リーミアなら、泣いてもいいのかな?
全身から力が抜ける。そんな、絶望に支配されそうになる私を止めたのは、とめどない涙を掬った指先だった。
「あーあ、俺じゃない男に泣かされちゃった」
軽口に続いて、歌うような詠唱が伸びやかに響く。私を捕らえていた土壁を反転魔法で壊してくれたのは、軽薄な笑みを浮かべるディーナンだった。
「ほんと勇者さまは罠に弱いな」
「なん、で、お前・・・!」
また、逃げたんだと思っていた。
魔王城を目の前にして、ディーナンほど魔力量の少ない魔族であれば逃げ出すのもおかしくはないと思っていた。
だから、平気だと思っていたんだよ?こんな風に助けてくれるなんて、1人にしないでくれるなんて、そんな事されなくても私は大丈夫だと思ってたんだよ?
でも来るんだったら最初からいなくなるなよ。馬鹿。
魔王の方を向いたディーナンに、そうだったと大きく息を吸って涙を止めた。
魔王の前で気を抜くなんてありえない。相変わらず優雅に座る魔王。その暗紫の瞳は、私じゃなくディーナンを捕らえていた。
「ほう、我が愚息と顔見知りか」
地の底から響く様な声が何を言ったのか、すぐには理解できなかった。
「俺の主。だから手出ししないでね」
「その娘が勝手に罠にかかりおったのよ。我は何もしておらぬわ」
「あ、じゃあやっぱ魔力至上主義が集まってるのおやじのせいじゃない?」
コーダン達と話す時と全く同じ態度で、ディーナンが魔王と話をしている。
それに愚息?魔王の?
「当然だ」
「心当たりは?」
「配下を売れ、と?」
「配下を諫めるのは主の仕事だろ?」
状況が飲めない私の目の前で話しが進んでいってしまう。
感情も思考もぐちゃぐちゃで、まるで記録映像を見ているようだと、ぼんやりと思うしかできなかった。
「・・・案内させよう。その娘であればすぐに服従させられるであろう」
執事の人に促されて移動した先は、ディーナンの私室だった。
魔王城に、あるのだ。ディーナンの私室が。
広すぎるくらい広い部屋。手入れの行き届いた装飾品。使用人の部屋なんかじゃない。それに、「愚息」と呼んでいた。
「愚息って何?」
食事はいらないはずなのに、軽食とお茶も出された。
執事の人の態度も、どこかディーナンを恐れているように見えた。
「俺。魔王の愚かな息子」
「聞いてないよ」
「言ってないもん」




