第5話「これが私の生きる道。/To Be Alive」③
静寂が僕を包む
なぜ躊躇を繰り返すのだろう
頭は言葉で溢れているけど
溺れていて吐き出せない──。
地声混じりのシャウトを加えつつ、私は歌詞に込められた意味を噛み締めるようにして、歌をマイクに通してゆく。
序盤の畳み掛けるようなシャウトに続き、クリーンパートではエッジをかけたままに低く、それでいて力強く高速で歌を紡いでいくので、休む暇なんて無い。
だから私は必死に食らい付く。
手に持っているマイク、Super55を両手で握り締め、抱えるようにサビのパートに到達した。
これは自分との戦い
自分の中の世界との戦い
今度こそ自らを乗り越えて
見つけられるかな ? 生きる道を
歌詞をそらんじている私の脳内に、英語で描かれた文字達が日本語に出力され、ラウドでエモーショナルな音とともに広がってゆく。
なぜ躊躇し続けるのか。
自分があんなにも望んでいた事なのに。
春野さんはあんなに私に手を差し伸べてくれたのに。
脳内に浮かんでは消えてゆく嫌な記憶達。
そのせいで暗記していた筈の歌詞が飛びそうになり、私は頭の縦や横へ大振りに振った。
関係あるか。いま私は歌ってる。
それに、春野さんも華蓮先生もすごく上手いんだ。
ここで私が音を下手に外して、せっかくの楽しいセッションを台無しにしたくない。
私は私を乗り越えられるのか? なんて、そんなの知らない。
これが自分との戦いだと言うんなら、これまでの私を倒して進んでやる。
そんな思いの中、二回目のサビを歌い終え、激情のままに重音を掻き鳴らしていたギターが、そしてドラムの音が落ち着きを取り戻す。
たったの一曲。
けれど私は、確実にその一曲に全てを注いでいた。
まだセッションを始めてから2分と経っていない。
それなのに身体中が汗だくで、額や頬に髪が張り付いて気持ち悪かった。
かけていた眼鏡を外してポケットに入れる。その直前に、こちらを見つめていた春野さんと目が交差する。
(めっちゃ楽しい! あやちもそうでしょ!?)
言われたワケじゃないのに、彼女の瞳がそう告げているように見えた。
彼女が先ほど私に言った言葉。
バンドをやる事に否定的な私に、彼女は「ヤるよ」と断言していたけど、私は……。
自分が中で死に始めていると感じるなら
手を上げてくれ
自分が中で死に始めていると感じても
下を向かないでくれ
再び頭の中に黒い影が忍び寄る。
元から明るい性格では無いけど、これまでに体験してきたいじめや家庭的な事情によって、摩耗した心が、真っ黒な姿をした怪物に形を変えて襲いかかる。
それはいつだって私が進もうとしている道を暗闇に閉ざし込み、進む方角がわからなくさせた。
そんな時にずっと側にあったのが音楽で、私はいつもその中に逃げ込んでいた。
けど、今は違う。
これまでは音楽を聴くだけだったけど、今は音楽を演奏してる。
それも一人でやってるワケじゃない。華蓮先生と、この場所へと連れてきてくれた春野さんと一緒にやってるんだ。
ずっと一人だった私を、春野さんはここに導いてくれた。
そんな彼女が、握っていたピックを口に咥えて私の方に手を伸ばす。
──もっと聴かせてよ。あやちの音を!
彼女の熱い想いが、掻き鳴らされるギターの音と共に視覚と聴覚の両方から注ぎ込まれる。
それに応える為に、右手で掴んだSuper55に熱が籠り、全ての想いを吐き出すようにして前屈姿勢で叫び散らした。
ラストスパートにかけて駆け上がる音のボリューム。
接続された黄色いエフェクターから出力される更に歪み込ませたギターの音色に、春野さんは原曲には無いスクラッチを入れ、私のシャウトと混ざり合った。
フライスクリーム×ヘッドボイス。
フライは呼気をメインに、声を前に押し出す形で吐き出しつつ。
ヘッドは文字通り、頭の奥側に歪んだ音を響かせるようにしながら、それらを混ぜ合わせて一気に声を出力させる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」
体の中に潜む悪魔が呻くように、頭の中のノイズを、腹の底から息を吐き出す勢いでホイッスルボイスを轟かせた。
この曲には似つかわしくないデスボイスだけど、春野さんが全力でギターを弾く姿を見て、つい私も「今自分が出せる全力」をぶつけてみたくなったのだ。
まぁそのせいで、最後のサビのパートでは喉が少し枯れていて、まともに歌えたものじゃ無かったけど。
それでも私は春野さんに応えるべく、今出せる私の全力をぶつけていった。
声がしゃがれきってクリーンパートではエッジを効かせたデスい歌声になってしまったけど、私はラストの「To Be Alive」の一文を、心臓が飛び出る勢いで歌い切る。
ギターの、キィィィィンとしたフィードバック音が鼓膜に突き刺さる。
それすらも途絶え、残されたのは全てを出し切った私と春野さんの吐く吐息。
そして、そんな私たちへ送る、華蓮先生の称賛の拍手だった。
「……すごい、すっごい良かったよ二人とも! っていうか綾女、あんたまたすごい声出せるようになってない!? さっきのなんか完全に京さんだったよ!」
「へ、へへへ……。V系メタル聴きまくった影響ですかね……」
久しぶりに華蓮先生に褒められた私は、ニチャァとした気持ち悪いオタクスマイルを浮かべる。
いつもは注意して出さないようにしてたけど、こういう時でしか素の笑いは出せないので許して欲しい。
「あやちっ!」
そんな私に、春野さんがギター越しに抱きついてくる。
ギターのストラップピンがある上側の尖った部分が腕やお腹に当たって少し痛い。
けど、興奮した様子の春野さんの笑顔を見た瞬間、そんなものはどうでも良くなった。
「マジですごかったよ!! っていうか普通にクリーンパートも上手いじゃん! それに最後のホイッスルとか、ギター弾いてるの辞めちゃいそうになるくらいサイコーだったよ!!」
「へっ、ふへっ、ふへへへへ……」
あ、ダメだ。こんな連続して人から褒められた事無いからニチャ笑いが止まらない。
フヨフヨと緩んだ顔を両手で抑えつつ、何とか元の顔に戻そうとしていると、春野さんは私の目を真っ直ぐに見据えたまま、再び私を勧誘してきた。
「……あやち。やっぱりウチは、あやちと一緒にバンドやりたい」
額や頬を流れる汗と一緒に、春野さんの瞳がキラキラと輝いて見えた。ギターを弾いている時と同じ、ワクワクとした感情を抑え切れない、そんな想いが秘められた瞳だった。
一緒にバンドがしたい。それも他の誰かじゃなく、私と。
言われずとも、彼女の目がそう告げている。
それに対して私は、何と答えたらいいのだろう。
「やりなよ、綾女」
歌い切って、クリアになった思考の海に注がれる黒い一滴。
それが次第に広がりを見せる中で、いつの間にか私たちの側に来ていた華蓮先生が、私の背中を押してくれた。
「バンド、ずっとやりたかったんでしょ? じゃなきゃ、あたしが使ってたSuper55、欲しいなんて言わないでしょ」
「えっ、そのマイクってハナちゃんセンセーのものだったの!?」
「そうだよ。だから本当は捨てようと思ってたんだけど、この子がどうしてもって欲しがるからさ」
ニマニマとした笑みを浮かべながら、私の過去を暴露する。
これは華蓮先生の過去でもあるから暴露では無く吐露か……って、そんな話はどうでもいいか。
華蓮先生の言う通り、私はずっとバンドというものに憧れていた。
私の背中を押し続けてくれた、数々のラウドロックバンド達。
そして私の命の恩人であり親でもある、華蓮先生が組んでいたバンドに、強い憧れを持っていた。
けど私は、心の何処かでそれを諦めていた。
友達が一人も出来たことの無い根暗な自分になんか、絶対に無理だって思っていたからだ。……けど。
「……春野さん。ハッキリ言って、私はあまり乗り気ではありません」
「うん」
「……でもっ! 積極的に話しかけてくれたり、好きなバンドの趣味があったり! 私は、春野さんと出会えて、とても嬉しくて……だから、そのっ!」
「──春野さんと、もっと一緒に、音楽の話がしたいし、また一緒に演奏したいから……!」
それから上手く言葉が出なくて、代わりに涙が出てしまう。
それでも何とか声を振り絞り、「……よろしくお願いします」と。蚊の鳴くような声を溢して頭を下げた。
すると春野さんはパァッと明るい笑顔を浮かべて、涙で濡れた私の顔を抱きしめた。……ギター越しに。
春野さん、嬉しいのはわかったから一旦離れて……!
弦やら何やらが当たって色々痛いから!!
サブタイトル
coldrain 「To Be Alive」